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日本のタレント (1976-2024) ウィキペディアから
山本 量子(やまもと りょうこ、1976年〈昭和51年〉[注釈 1]1月15日[注釈 2][1] - 2024年〈令和6年〉8月18日[1][3])は、オフィスキイワードに所属した日本のタレント[2]。バンド「カンロサウルス」のボーカルも務めていた[1][4]。
大阪府出身。大阪薫英女子短期大学出身。
名前の略称である山量(やまりょう)というニックネームで、関西を中心に番組のMCからリポーターまで幅広くこなしていた[5]。
30歳代後半から、子宮頸がんや卵巣がんに罹患しこの事実をラジオの放送内で公表した。亡くなるまで10年近くの間、闘病しながらラジオ出演などの活動を続けてきた。
2023年7月より一時療養に専念していたが、2024年4月に9か月ぶりに復帰し、レギュラー出演していた『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』に加えて、同年4月からスタートしたMBSラジオの朝のワイド番組『ヤマヒロのぴかッとモーニング』の水曜アシスタントにも起用されたが、当番組については4月17日の初出演から途中休演を挟みつつ6月26日放送分まで計9回に出演した後に再び入院療養に入っていた[6]。
しかし復帰は果たせず、同年8月18日、がんのため、死去した[7][8][9]。48歳没。訃報は同月21日、所属事務所のオフィスキイワードにより公表された。亡くなる前日までSNSへ投稿していた[10]。
番組でパートナーを組んでいた山本浩之は、訃報が公表された翌日となる同月22日の『ヤマヒロのぴかッとモーニング』の冒頭で触れ、既に同月19日の昼の時点で死去が伝えられており、遺族の意向で告別式が終わるまで訃報については伏せられていたという。直近の様子から「僕としては覚悟していた部分もありましたので、驚きはしませんでした」と心境を述べたうえで、既に行われた身内で行われた通夜に参列し「優しい表情で眠っていました。好きな赤い服を着て、棺の中に納まっているお量を見てホッとしました」と語った[11]。死去から約2か月後の同年10月11日、お別れ会が大阪・茶屋町のMBSちゃやまちプラザで行われ、一般も含め多数の関係者が参加した[12][13]。
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