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北海道旅客鉄道が運行している特別急行列車 ウィキペディアから
宗谷(そうや)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線経由で運行している特別急行列車。
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特急「宗谷」(2018年5月 幌延駅) | |||
概要 | |||
国 | 日本 | ||
種類 | 特別急行列車 | ||
現況 | 運行中 | ||
地域 | 北海道 | ||
前身 | 特急「スーパー宗谷」「サロベツ」[注 1] | ||
運行開始 | 2017年3月4日 | ||
運営者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) | ||
路線 | |||
起点 | |||
終点 | 稚内駅 | ||
営業距離 |
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平均所要時間 |
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運行間隔 |
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列車番号 |
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使用路線 | 函館本線(宗谷のみ)・宗谷本線 | ||
車内サービス | |||
クラス | グリーン車・普通車 | ||
座席 | |||
技術 | |||
車両 | キハ261系気動車(苗穂運転所) | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
電化 |
※気動車使用のため電気動力不使用、下記は運行区間の電化状態 交流20,000 V・50 Hz(札幌 - 北旭川間) 非電化(北旭川 - 稚内間) | ||
最高速度 |
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本項目では、同じく宗谷本線で運行されている特急「サロベツ」と、過去に宗谷本線およびその支線である天北線で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
1960年(昭和35年)7月1日に準急「宗谷」として札幌駅 - 稚内駅間で運転開始し、札幌駅 - 旭川駅間では「オホーツク」を併結していた。1961年(昭和36年)10月1日には急行列車格上げと同時に、函館駅発着(室蘭本線・千歳線経由)で運行されるようになり、1964年(昭和39年)10月1日には経由を室蘭本線から小樽駅経由に変更の上で、単独運転を開始した。
1981年(昭和56年)10月1日には札幌駅発着に戻され、1989年(平成元年)5月1日には天北線廃止に伴い、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間で運行されていた「天北」を経路変更を行ったうえで編入し[1]2往復化されたが、1992年(平成4年)7月1日には上下の2便目を別愛称の「サロベツ」として分離し再度1往復となった。
その後、JR北海道と北海道、名寄市などが出資する第三セクター北海道高速鉄道開発を主体とする、宗谷本線旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良事業が完成した2000年(平成12年)3月11日ダイヤ改正より、宗谷本線を走行する急行列車4往復はすべて特急列車への格上げ・速達化が実施された。このうち、キハ261系気動車(基本番台)を使用した昼行2往復については、「宗谷」の愛称を引き継ぐ形で「スーパー宗谷」の愛称が起用された。「スーパー宗谷」の運転開始により、札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は4時間台となり、急行時代の最速列車から52分(うち、札幌駅 - 名寄駅間は38分)[2]もの大幅な短縮が図られた。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では、それまで札幌駅 - 稚内駅間に3往復運転されていた特急のうち2往復を旭川駅 - 稚内駅間に短縮・再編し、引き続き札幌駅 - 稚内駅間で運転される1往復は「宗谷」に再改称されている。
列車名は北見国宗谷郡や宗谷支庁(→宗谷総合振興局)、稚内市にある宗谷岬および走行線区の宗谷本線に由来する。なお、宗谷本線特急列車運転開始時の愛称の一般公募でも「スーパー宗谷」が最多得票であった[2]。ヘッドマークは「スーパー宗谷」運転開始時に制定されたものから文字を抜いたもので、急行時代のヘッドマークをもとに道北地域の地形を図案化したものとしている[2][注 2]。
走行距離は396.2 kmに及び、これは2017年3月4日以降、日本国内で定期運行されている気動車特急で最も長い。電車特急を含めても、昼行列車としてはにちりんシーガイア(413.1 km)に次いで第2位である。
JR北海道発足後の1991年(平成3年)、宗谷本線名寄以北の運営効率化・経費削減を狙って宗谷北線運輸営業所が発足し、地元密着の運営を行うこととなった[3]。
そのような中で、急行列車の愛称について沿線の幌延町から豊富町にかけて広がるサロベツ原野(利尻礼文サロベツ国立公園の一部)のイメージアップを狙って[4]、地元自治体の要望があり[3]、1992年(平成4年)7月1日に「宗谷」2往復のうち、上下の2便目に当たる1往復を別愛称の「サロベツ」に変更したことで登場した愛称である[4]。この時点では「宗谷」と愛称以外の違いは特段存在しなかった。
2000年(平成12年)3月11日の宗谷本線高速化完成に伴うダイヤ改正では、札幌駅 - 稚内駅間昼行特急列車1往復の愛称とされ、「スーパー宗谷」と異なり、専用の改造を施されたキハ183系気動車が夜行の「利尻」(2006年定期運転終了)と共通で使用された。
2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では、宗谷本線で旭川駅 - 稚内駅間に短縮された特急2往復の愛称に「サロベツ」が転用され、同時に「宗谷」と共通のキハ261系基本番台での運転となった。
ヘッドマークは2017年(平成29年)の特急列車再編以降は「宗谷」と共通[注 3]としているが、それ以前はサロベツ原野と利尻山、エゾカンゾウを描いたものを使用していた[注 4]。LED式の表示器を装備したキハ261系5000番台の代走では専用の愛称表示が使用されている。
以下特記ない限り2021年(令和3年)3月16日ダイヤ改正時点での情報である[5][報道 1][報道 2]。
「宗谷」は午前に下り(札幌発)1本、午後(稚内発)に上り1本の計1往復が運転され、全区間の所要時間は下り5時間10分、上り5時間13分である。
「サロベツ」は1日2往復(1 - 4号)が運転されており、このうち下り3号・上り4号は閑散期の指定日に運休となる。全列車が旭川駅で札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」の特定列車と対面乗り換えで接続する[注 5]。乗り換え時間を含む「ライラック」「サロベツ」を利用した場合の札幌駅 - 稚内駅間平均所要時間は5時間21分である[注 6]。
両列車ともに、車内販売は行われていない。
※宗谷は札幌 - 稚内間、サロベツは旭川 - 稚内間の運転
札幌駅 - 岩見沢駅 - (美唄駅) - (砂川駅) - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅
宗谷・サロベツ | ||||||||||||||||
← 稚内 旭川・札幌 →
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両列車ともにキハ261系基本番台気動車(苗穂運転所所属)が使用される。4両編成で運行され、1号車の半室(9席)がグリーン車となっている。全列車が禁煙車(喫煙ルームなし)である[注 7]。
多客期には6両編成に増結される場合があり、通常1・2号車となる2両が21・22号車として稚内方に連結される場合と、通常3・4号車となる2両が5・6号車として札幌方に連結される場合がある(キハ261系の項も参照)。また、宗谷本線内では増結となった場合プラットホームの有効長が不足する駅があるため、当該の駅では進行方向後ろ寄りの1 - 2両のドアカットを行う。
2020年(令和2年)11月14日・15日には、キハ261系5000番台「はまなす」編成のデビューと北海道鉄道140周年記念に伴い、下り「宗谷」と「サロベツ」4号に同車が運用に充当される[報道 3][報道 4][報道 5]。5両編成で運行され、1号車はフリースペースの「はまなすラウンジ」(下り「宗谷」運用時は美深駅 - 稚内駅間はダイニングカープランの予約客のみ利用可能)、2 - 4号車は普通指定席、5号車は普通自由席であった[報道 5]。また、「はまなすラウンジ」の販売カウンターでは、沿線での銘菓や銘酒など、飲料や菓子類の販売が実施された[報道 5]。
その後、2020年(令和2年)11月28日からは、キハ261系5000番台「はまなす」「ラベンダー」編成が随時代走運用されている。基本的に5両編成で運行され、稚内方先頭車両に設置されている「ラウンジ」は増1号車自由席、1 - 3号車は指定席、札幌方先頭車である4号車は自由席となる。なお、グリーン車は連結されない[報道 6]。
なおキハ261系にトラブルが発生した場合、1000番代は使用されず、キハ183系一般車や「ノースレインボーエクスプレス」で運行することがある[6][7][8]。また、特急列車を運休として代替の臨時列車を運転する場合もあり[新聞 1]、本来4両編成の列車が1両編成の列車による輸送となることもある[新聞 2]。
2016年(平成28年)3月26日ダイヤ改正ではJR北海道各線での普通列車の減便が実施された。宗谷本線では減便により、音威子府駅 - 稚内駅間の普通列車が上下各5本から各3 - 4本に減便され、日中には最大で8時間に渡り普通列車が運転されない時間帯も生じた(宗谷本線#地域輸送も参照)[9]。このため代替措置として、同年3月24日より沿線の中川町・幌延町・豊富町の各町がJR北海道と大口契約を結び、特急列車の普通車自由席に、当該区間の普通乗車券+10円に相当する金額で乗車可能となる町民乗車票(いわゆる契約乗車票、実際には運賃も割引かれており、両方を割引いた結果として「+10円」相当額になっている)が設定・販売されている[9][10][11]。この町民乗車票はJR北海道の窓口や列車内での購入はできず、各町内の指定の発売場所で事前販売が行われる。また、町民以外へは発売されない[9][10][11]。
発売区間は中川町が天塩中川駅 - 名寄駅間、幌延町が天塩中川駅 - 名寄駅間および幌延駅 - 稚内駅間、豊富町が豊富駅 - 稚内駅間である[9][10][11]。
1958年(昭和33年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間の夜行準急列車として運行を開始し[12]、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった[13]。1968年(昭和43年)10月1日には昼行の「礼文」を統合して昼行夜行2往復となるが[12]、1970年(昭和45年)10月1日に再度分離し、再び夜行1往復のみの体制となった[13]。
1982年(昭和57年)11月15日からは座席車に14系500番台客車が投入され、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系に置き換えられた[13]。
1991年(平成3年)3月16日からは、「宗谷」と共通のキハ400形・キハ480形気動車に14系寝台客車を併結する編成を初めて投入し[14]、のちにこのスタイルは特急「オホーツク9・10号」「おおぞら13・14号(→「まりも」)」にも拡大されることとなった。
2000年(平成12年)3月11日の宗谷本線高速化竣工に伴うダイヤ改正では、特急列車化され、座席車を「サロベツ」と共通のキハ183系に変更したが、引き続き14系寝台車を混結していた[14]。
2006年(平成18年)3月のダイヤ改正では臨時列車化され、同年6月から夏季に特急「はなたび利尻」として運転されるようになったが、なおも利用が減少傾向にあることから、2008年(平成20年)4月にJR北海道が廃止を発表し、事実上2007年(平成19年)9月30日の運行を最後に廃止された[報道 7]。
列車名は、稚内市の西方の日本海に浮かぶ利尻島が由来となっている。ヘッドマークは急行時代より、海上に浮かぶ利尻島(利尻山)を描いたものを使用していた。
1961年(昭和36年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線・天北線経由で運行する急行列車として運行を開始し、1989年(平成元年)5月1日の天北線廃止に伴い、経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入された[1][15]。
列車名は経由路線である天北線(沿線地域の旧国名「天塩国」「北見国」から命名)が由来となっている。ヘッドマーク・テールマークは北斗七星を描いたものであった。
なお、旅客営業取扱基準規程110条および154条(列車特定区間制度)の対象であったため、「天北」の札幌駅 - 音威子府駅間各駅と南稚内駅・稚内駅相互間を乗車し、天北線内で途中下車しない場合は幌延駅経由で運賃・料金を計算するものとされていた。
1961年(昭和36年)10月1日に旭川駅 - 稚内駅間を宗谷本線経由で運行する準急列車として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となったが、1968年(昭和43年)10月1日に急行「利尻」に改称・統合され一旦愛称が消滅する[12]。1970年(昭和45年)10月1日には再度分離されて愛称が復活し、2000年(平成12年)3月11日ダイヤ改正で上下列車とも運転区間を札幌駅 - 稚内駅間に延長の上、特急「スーパー宗谷」に編入され、愛称が廃止された。
一貫して気動車モノクラスで運転されており、1986年(昭和61年)12月7日にはキハ54形500番台のうち、急行仕様で落成した車両(527 - 529) が投入された。なお、運行開始から廃止に至るまで一貫して冷房非搭載車で運行され、「礼文」は国鉄・JRの定期急行列車としては史上最後の非冷房列車となった。
列車名は稚内沖合に浮かぶ礼文島が由来となっている。ヘッドマークは礼文島の元地海岸の地蔵岩を描いたものとされる。
なお、末期には旭川駅で最高速度130 km/h運転を行っていた特急「スーパーホワイトアロー」に接続していたため、両列車を乗り継いだ場合の札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は改正直前の時点で最速5時間21分と「宗谷」「サロベツ」より早かった[報道 8]。
1965年(昭和40年)10月1日に札幌駅 - 名寄駅間の急行列車として運行を開始した。以後、一部列車が旭川駅・小樽駅発着で運行されるなどして存続したが、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。
列車名は名寄市に由来する。なお、「なよろ」の列車名は1990年(平成2年)9月1日から旭川駅 - 名寄駅間の快速列車として起用されている(なよろ (列車)を参照)。
いずれも、名寄本線に直通した列車であり、「紋別」は札幌駅 - 名寄駅 - 遠軽駅間(末期は興部駅 - 遠軽駅間普通列車)の列車、「旭川」は旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅 - 旭川駅間の循環列車であった。
「紋別」廃止時の停車駅(急行列車区間のみ)[16]
樺太が日本の統治下にあった時代、宗谷本線は日本本土と樺太を結ぶメインルートに組み込まれていた。全国的に急行列車が希少であった中、宗谷本線には東京方面との速達輸送のために函館駅と稚内駅を結ぶ急行列車が運行され、長らくエースナンバー「1・2列車」の列車番号が与えられていた。しかし、太平洋戦争後に樺太が日本の施政から離れたため、戦後、宗谷本線に優等列車の運行が再開されるまでには13年を要した。
1981年10月改正時点での
宗谷本線走行優等列車[12] | ||||||||||||||||||||||||
← 稚内・名寄 札幌・函館 →
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宗谷
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天北
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利尻
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礼文
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紋別
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なよろ
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← 稚内 札幌 →
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臨時快速列車 (2013年8月 - 2014年7月) | ||||
← 稚内 旭川 →
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「宗谷」「サロベツ」は、北海道旅客鉄道が商標として登録している[37][38]。
登録項目等 | 内容等 |
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商標 | 宗谷 |
称呼 | ソーヤ |
出願番号 | 商願2016-139820 |
出願日 | 2016年(平成28年)12月13日 |
登録番号 | 第5948544号 |
登録日 | 2017年(平成29年)5月19日 |
権利者 | 北海道旅客鉄道株式会社 |
役務等区分 | 39類(鉄道による輸送) |
登録項目等 | 内容等 |
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商標 | サロベツ |
称呼 | サロベツ |
出願番号 | 商願2016-139819 |
出願日 | 2016年(平成28年)12月13日 |
登録番号 | 第5948543号 |
登録日 | 2017年(平成29年)5月19日 |
権利者 | 北海道旅客鉄道株式会社 |
役務等区分 | 39類(鉄道による輸送) |
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