幌延町
北海道天塩郡の町 ウィキペディアから
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幌延町(ほろのべちょう)は、北海道の北部、宗谷総合振興局管内の中西部にあり、日本海に面する町。天塩郡に属する。
ほろのべちょう 幌延町 | |||||
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幌延ビジターセンターと周囲のサロベツ原野(2014年9月7日) | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(宗谷総合振興局) | ||||
郡 | 天塩郡 | ||||
市町村コード | 01520-2 | ||||
法人番号 | 8000020015202 | ||||
面積 |
574.10km2 | ||||
総人口 |
2,045人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年9月30日) | ||||
人口密度 | 3.56人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宗谷総合振興局 枝幸郡:中頓別町、浜頓別町 宗谷郡:猿払村 天塩郡:豊富町 留萌振興局 天塩郡:天塩町 上川総合振興局 中川郡:中川町 | ||||
町の木 | アカエゾマツ | ||||
町の花 | テシオコザクラ | ||||
他のシンボル | - | ||||
幌延町役場 | |||||
町長 | 野々村仁 | ||||
所在地 |
〒098-3207 北海道天塩郡幌延町宮園町1-1 北緯45度01分05秒 東経141度50分59秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
北緯45度線の通る町である。冷涼な気候を生かして、トナカイの飼育の他、ヒマラヤの青いケシ(メコノプシス)などの高山植物の栽培も行われている。海岸近くにある大風車群(オトンルイ風力発電所)の光景が、ビューポイントとなっている。「北海道総合振興局及び振興局設置条例」が施行された2010年(平成22年)4月以前までは留萌支庁の管轄区域だったが、稚内市や豊富町を初めとする旧宗谷支庁管内の自治体との結びつきが強いことから、同条例施行時に宗谷総合振興局に管轄が変更された。
1980年代から2000年ごろにかけて、原子力関連施設の誘致の是非で揺れた、いわゆる幌延問題の起こった町である。
アイヌ語で「大きい・野の出っ張り=川の湾曲」を意味する「ポロヌタプ(poro-nutap)」、あるいは「大きい・野原」を意味する「ポロヌプ(poro-nup)」に由来すると考えられる[1][2]。
前者は、幕末・明治の探検家松浦武四郎の『丁巳日誌』に記載があり、1887年(明治20年)の図においても、現市街地南方の天塩川[3]が湾曲していた地を「ホロノタフ」としている。後者については由来がはっきりしないが、明治時代の地図に天塩川が海岸目前で南方に流路を変える地点に「ポロヌプ」と書かれているという[1][2]。
このいずれかに「幌延」の漢字が当てられたとされており、当初は「ほろのぶ」と呼ばれた。例えば1925年(大正14年)の『市町村名鑑』には幌延村の項目に「ホロノブ」と振り仮名がふられている[4]。その後も昭和初期までは「ほろのぶ」と呼ばれていたとされているが[2]、1925年(大正14年)に当地に鉄道が開業して設置された幌延駅は当初より「ほろのべ」のよみであり[5]、のちに町名も現在の「ほろのべ」と転訛したとされる。なお1959年(昭和34年)の字名改正までは、現在の浜里地区に「ホロノブ」の字名があった[6]。
宗谷管内の中西部、日本海岸に位置する。北海道第2の長大河川である天塩川の河口が町内南西端にあり、南西隣の天塩町とは同川が町境となっている。同川の周囲には河川改修により人工的に作り出された三日月湖が見られる。西部は日本海に接する細長く発達した海岸砂丘(かつての砂嘴)の海岸が続く。その内陸にはかつては海だった潟湖が長きに渡る堆積作用によって広大な湿地帯となったサロベツ原野(下サロベツ原野)や、湿地帯を土壌改良により農地・牧草地化した平野が広がっている。東部は問寒別川沿い以外の大半は山岳・丘陵地の森林帯で、その多くは北海道大学の天塩研究林となっている。研究林の総面積はおよそ22,000haである。
町域内を東西に北緯45度線が横断している。同様に北緯45度線が通る自治体は、中頓別町、枝幸町である。なお、東経142度線も町内を縦貫していて、この両線が町内東部の山岳・丘陵地帯で交差している。
夏は冷涼で、冬は西よりの季節風が強い乾燥寒冷である。積雪期間は11月から4月までで、積雪量は平野部で1m程度。年平均気温はおよそ摂氏6度である。
幌延(2006年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 38.4 (1.512) |
26.4 (1.039) |
33.4 (1.315) |
39.5 (1.555) |
59.5 (2.343) |
62.7 (2.469) |
108.9 (4.287) |
129.5 (5.098) |
132.4 (5.213) |
113.0 (4.449) |
99.0 (3.898) |
64.1 (2.524) |
892.1 (35.122) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 13.0 | 10.0 | 8.9 | 7.4 | 9.4 | 9.0 | 8.3 | 9.8 | 12.1 | 13.9 | 14.4 | 15.3 | 130.3 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[7] |
大きく分けると、以下のような歴史を辿っている。
1980年(昭和55年)ころ、町議会などの誘致を受け動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、高レベル放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設を計画。いわゆる「幌延問題」として、地元や周辺市町村はもとより、全道で長きにわたり議論を呼んだ。2000年(平成12年)11月16日に北海道・幌延町及び核燃料サイクル開発機構の三者で「幌延町における深地層の研究に関する協定書」を締結し、2001年(平成13年)に幌延深地層研究センターが核抜きの地層処分研究施設として設置されたことにより、幌延問題は一応の終止符を打った。
以降、町ではこれをきっかけに、町ぐるみで町の気候、資源、既存産業を応用、活用した様々なエネルギー創出の研究、実践に取り組んでいる。2000年(平成12年)10月に風力発電関連会社を設立し、風力発電施設を設置した。また、町立施設への太陽光発電施設の設置やバイオマスエネルギーや雪氷エネルギーの活用なども行われている。
2000年9月5日に「北海道市町村合併推進要綱」が策定された。これによると、「遠別町・天塩町・幌延町」と「遠別町・天塩町・幌延町・中川町・豊富町」の2通りの合併パターンが示された。
2004年2月27日に天塩町・中川町・豊富町との間で「西天北4町任意合併協議会」を設置したが、2004年6月18日に解散した。
2006年7月31日に「北海道市町村合併推進構想」が策定された。これによると、構想対象市町村の組合せで「遠別町・天塩町・幌延町」が示された。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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幌延村外一ヵ村戸長(官選) | ||||
初 | 兵藤新吉 | 1909年(明治42年)4月 | 1910年(明治43年)9月18日 | |
2 | 今野由次郎 | 1910年(明治43年) | 1915年(大正4年)3月16日 | |
3 | 森野菊次郎 | 1915年(大正4年)3月16日 | 1919年(大正8年)3月31日 | |
幌延村長(官選) | ||||
初 | 森野菊次郎 | 1919年(大正8年)4月1日 | 1920年(大正9年)9月 | |
2 | 高橋文之輔 | 1920年(大正9年)10月 | 1929年(昭和4年)10月27日 | |
3 | 林利作 | 1929年(昭和4年)10月28日 | 1931年(昭和6年)3月5日 | |
4 | 根元文敬 | 1931年(昭和6年)3月5日 | 1936年(昭和11年)4月9日 | |
5 | 酒井右平 | 1936年(昭和11年)4月9日 | 1940年(昭和15年)1月18日 | |
6 | 堤金次郎 | 1940年(昭和15年)1月18日 | 1942年(昭和17年)12月26日 | |
7 | 石山千代治 | 1942年(昭和17年)12月26日 | 1946年(昭和21年)5月13日 | |
8 | 池田寅次郎 | 1946年(昭和21年)6月4日 | 1946年(昭和21年)11月7日 | |
幌延村長(公選) | ||||
9 | 赤松満太郎 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1960年(昭和35年)8月31日 | |
幌延町長(公選) | ||||
初 | 赤松満太郎 | 1960年(昭和35年)9月1日 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 5期 |
2 | 佐野清 | 1967年(昭和42年)5月1日 | 1982年(昭和57年)11月24日 | 4期 |
3 | 成松佐喜男 | 1982年(昭和57年)12月26日 | 1986年(昭和61年)12月22日 | 1期 |
4 | 上山利勝 | 1986年(昭和61年)12月23日 | 2002年(平成14年)12月13日 | 4期 |
5 | 宮本明 | 2002年(平成14年)12月14日 | 2014年(平成26年)12月13日 | 3期 |
6 | 野々村仁 | 2014年(平成26年)12月14日 | 現職 | 2期 |
基幹産業は酪農であり、およそ11,000頭の乳牛・トナカイ等が町内で飼育されている。それまでの冷害等の気候変動により収穫が不安定だった馬鈴薯の栽培を中心とした畑作農業より戦後次第に牧草地、酪農業へと転換が図られた。町内には道北各地で生産された生乳を原材料とするバター、脱脂粉乳などを加工・製造する雪印メグミルク(旧雪印乳業)株式会社幌延工場があり、同工場に勤める従業員や、同工場へ生乳を納入する酪農業に従事する者が多い。同社にとって同工場はバター製造の基幹工場の一つである。
これ以外には建設業、運送業、小売業、飲食業、サービス業に従事する者が多い。
かつては林業に従事する者も多かったが、コストの安い輸入材の増加等による需要減により、この従事人口は減少している。また、幌延駅が宗谷本線と羽幌線との分岐点であり、国鉄にとって拠点駅としていたことから、各鉄道施設に従事する職員の官舎が幌延駅周辺に設置され、職員とその家族が多数居住していた。
幌延町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 幌延町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 幌延町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
幌延町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[11]。
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