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日本の大蔵官僚 ウィキペディアから
津田 廣喜(津田 広喜、つだ ひろき、1948年(昭和23年)8月11日 - )は、日本の大蔵・財務官僚。財務省主計局長、財務事務次官、早稲田大学教授。北海道出身。
北海道天塩郡幌延町出身。1967年3月、北海道天塩高等学校卒業。1972年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1]。
1972年4月、大蔵省入省(主計局総務課配属)。1973年4月、主計局法規課。1973年8月、名古屋国税局調査査察部。1974年8月、大臣官房調査企画課。1975年7月、大臣官房調査企画課調査主任[2]。1976年7月、大臣官房調査企画課調査第二係長[3]。1977年7月11日、苫小牧税務署長。1978年7月10日、大臣官房文書課課長補佐(管理・審査担当)兼大臣官房秘書課課長補佐(調査担当)[4]。1980年7月、主計局総務課課長補佐(企画担当)[5]。1981年7月、主計官補佐(公共事業第二係主査)(港湾、航空等の担当)[6]。1983年6月、主計官補佐(建設第一、第二係主査)。1984年7月、主計官補佐(公共事業総括、第一係主査)(道路・治水担当)[6]。1986年6月 - 関税局企画課課長補佐。
1987年7月、外務省研修所。1988年5月、経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官、参事官。
1991年6月19日、主計局主計企画官(財政計画担当)[7]。1992年7月7日、主計局主計官(建設・公共事業担当)。1994年7月、主計局主計官(総務課:企画担当)[8]。1996年7月12日、主計局総務課長。1997年7月15日、東海財務局長。1998年7月1日、大臣官房審議官(大臣官房担当)。1999年7月8日、主計局次長(末席)。2000年6月30日、主計局次長(次席)。2001年1月6日、財務省主計局次長(次席)。2001年7月10日、主計局次長(筆頭)(公共事業、農林水産、政府開発援助などを担当)[9]。2002年8月8日、東京税関長。2003年1月14日、大臣官房総括審議官。
2004年7月2日、官房長。2006年7月28日、主計局長。2007年7月10日、財務事務次官。2008年7月4日、同退任。後任は杉本和行主計局長。財務省顧問就任。
2008年9月 早稲田大学大学院公共経営研究科教授(~2013年8月)[10]。
2011年、三井住友海上火災保険株式会社顧問、格付投資情報センター顧問[11]。2013年、三菱重工業株式会社取締役、株式会社大和証券グループ本社取締役[12]。2014年7月、岩田合同法律事務所特別顧問[13]。2015年6月、株式会社日本取引所グループ取締役会議長[14]。この他、東京電力顧問を務めていた(天下り)[15]。
かつて生家が付近に存在し、通学で利用していたJR宗谷本線・雄信内駅に、2023年3月頃に駅ノートを設置し、昔の駅や駅前の歴史を紹介した[17]。
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