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宗谷北線運輸営業所(そうやきたせんうんゆえいぎょうしょ)は、北海道名寄市東1条南6丁目[1]に存在した北海道旅客鉄道(JR北海道)旭川支社の組織である。宗谷本線の名寄駅以北(以下、宗谷北線)を統括した。
JR北海道は1990年(平成2年)からの中期経営計画のなかで地方線区の営業体制や各種の権限を本社・各支社から運輸営業所へ分離する施策が行われ、宗谷北線は日高線運輸営業所、花咲線運輸営業所に続く3番目の分離であった。1991年(平成3年)11月13日で旧旭川運転所名寄派出所内に本所を置いて発足し、職員208名(分離前比72人減)の体制で発足した[2]。 2017年(平成29年)4月1日付で組織は廃止された。所長は名寄駅長・名寄地区駅長が兼務した。
宗谷本線 - 永山 - 南稚内間の列車運行管理を行った。
宗谷線を担当する運転士が所属していた。なお、2004年(平成16年)3月改正までは稚内運転区の名残で南稚内駅所属の運転士が配置されていたが、合理化により統合された。
発足時にキハ53形500番台が当所の配置とされたが、1993年(平成5年)3月から4月にかけ、キハ54形500番台7両(506-513)が旭川運転所から転属し、置き換えられた[7]。車体への所属表記は一部文献では宗とされていたが、実際の車体表記は旭川運転所を示す旭アサのままで、引き続き旭川運転所を拠点に運用していた[7]。
その後、2007年(平成19年)に507が釧路運輸車両所へ転属したほかは変化がなく、2016年(平成28年)4月1日時点で[8]、6両 (508 - 513) が所属していたが、同年11月11日付で508が釧路運輸車両所へ(その後「流氷物語」に改造)、509 - 513が2017年3月4日付で旭川運転所へ転属し配置車両が消滅した[9]。
配置当時は、基本的に宗谷本線内(旭川運転所が担当する旭川 - 名寄間も含む)の限定運用とされ、名寄以北の沿線地域の各市町村の広報誌が置かれていた。
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