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佐賀県の市 ウィキペディアから
鳥栖市(とすし)は、佐賀県の最東端に位置する市である。九州陸路交通の要衝であり、佐賀市、唐津市に次いで佐賀県では第3位の人口を擁している。鳥栖都市圏の中心都市である。1954年(昭和29年)市制施行。
とすし 鳥栖市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 佐賀県 | ||||
市町村コード | 41203-1 | ||||
法人番号 | 3000020412031 | ||||
面積 |
71.72km2 | ||||
総人口 |
74,733人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 1,042人/km2 | ||||
隣接自治体 |
三養基郡基山町、みやき町 福岡県:久留米市、小郡市、筑紫野市、那珂川市 | ||||
市の木 | モチノキ | ||||
市の花 | ハナショウブ | ||||
市の鳥 | メジロ | ||||
鳥栖市役所 | |||||
市長 | 向門慶人 | ||||
所在地 |
〒841-8511 佐賀県鳥栖市宿町1118番地 北緯33度22分40秒 東経130度30分22秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
九州の陸上交通網において、福岡県・熊本県・宮崎県・鹿児島県を結ぶ南北軸(九州縦貫自動車道・国道3号・鹿児島本線・九州新幹線)と、長崎県・大分県を結ぶ東西軸(九州横断自動車道長崎大分線・国道34号・国道500号・長崎本線)の交点に位置し、国道や鉄道の結節点にあるため、物流施設の集積地でもある。佐賀県における人口規模は佐賀市・唐津市に次ぐ3位だが、人口密度は両市を上回り佐賀県内の自治体で第1位である。
鳥栖ジャンクションがあり、2011年(平成23年)には九州新幹線の全線開業に合わせて新鳥栖駅が完成した。交通の利便性から企業進出が相次いでおり、人口増加が顕著である。
日本四大売薬の一つとして知られる田代売薬が栄えた土地である。鳥栖市に本社を置く久光製薬は田代売薬を祖とする企業である。
九州で唯一の地方競馬場である佐賀競馬場がある。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサガン鳥栖のホームタウンであり、JR鳥栖駅東側に駅前不動産スタジアムがある。
東洋経済オンラインの「住みよさランキング」では上位にランクインすることが多く、2010年(平成22年)は九州ブロックで1位、全国総合ランキングで4位となった[1][2]。
筑紫平野(佐賀平野)に位置し、南の境を筑後川が流れる。低地は水田に利用され、その中に市街地がある。北西部は脊振山地の東部にあたる。市外局番は0942(福岡県久留米MA:全域)。
鳥栖市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 鳥栖市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 鳥栖市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
鳥栖市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
「魏志倭人伝」の「對蘇(ツサ)」は鳥栖を指す可能性が高い。[3][4]
鳥栖の歴史は古く、ヤマト政権には既に「鳥巣(とりのす)」と読まれていた。
古文書「肥前国風土記」によると「応神天皇の御代、この地に鳥屋が置かれた」とあり、この地で様々な鳥を飼育して献上していたことから「鳥巣」と称していたが、これが後に「鳥栖」に転化したという。
鳥屋が多かったことから、古くから養鶏の盛んな土地であった。
藩政において、現在の市域東部は対馬府中藩の飛び地で「田代領」と呼ばれ、長崎街道田代宿の宿場町であった。又、鳥栖市街地には、同じく長崎街道轟木宿の宿場が置かれていた。
田代宿には、対馬府中藩の米倉や代官所が設置されていた。また、朝鮮通信使の立ち寄る場所であり、応接の為の施設も備えられた。藩主の宗氏が、朝鮮との貿易で朝鮮から輸入した漢方薬の実物と知識が豊富に供給された事と、収入源を確保する目的から、領民には薬の製造を副業とする者が増え、次第に他領でも行商するようになった。江戸時代後期には日本四大売薬の一つと数えられ、九州の薬商の大半を田代産の薬が占める程であった。
佐賀の乱や西南戦争時に薬が不足したことをきっかけに製薬業の拡大がみられた。日清戦争期には、現在の久光製薬などが「佐世保や広島といった軍都に近い」地の利を活かして販路を拡大させている。また、江戸時代から続いた綿織物生産は生糸生産に代わり、養蚕が盛んになった。
後述する鉄道網の整備により、大正から昭和初期にかけて製糸工場(養蚕業)や製粉工場(当時裏作として小麦を生産していた)が開業したものの、第二次世界大戦時には戦況悪化による衰退がみられた。
交通都市としての発展もみられ、鉄道網としては九州鉄道の最初の区間として博多から筑後川北岸まで開通した(現在の鹿児島本線、1889年(明治22年))のを始め、1891年(明治24年)には佐賀、1898年(明治31年)には長崎・佐世保方面(現在の長崎本線・佐世保線・大村線)までが開業し、1934年(昭和9年)の久大本線全通をもって東西南北へと整備された。最盛期の1948年(昭和23年)頃には「鉄道の町」「煤煙の町」と称されるほどであった。
1954年(昭和29年)4月には鳥栖町・田代町・麓村・基里村・旭村の2町3村が合併し鳥栖市が成立。「鉄道の町」としての機能を失いつつあったのに対し、道路網の整備が進められ(1960年(昭和35年)の国道34号改良、1972年(昭和47年)の鳥栖筑紫野道路開通、1973年(昭和48年)の鳥栖ジャンクション開通)、交通都市としての性質も変化した。
文字通り「交通都市」となった鳥栖市は、地の利を活かした企業誘致を進めたことにより、工業都市としても発展を続けた。現在は物流拠点としての整備も進められている。
2004年(平成16年)には鳥栖プレミアム・アウトレット、2006年(平成18年)には九州シンクロトロン光研究センターなどが進出したほか、産業技術総合研究所の九州センターが設置されており、九州における産学官連携の中核としての機能を果している。2013年(平成25年)には九州初となる重粒子線がん治療施設である九州国際重粒子線がん治療センターが開業した。
1889年に九州初の鉄道である九州鉄道(初代)が開業した際、現在の鳥栖市域に田代駅、鳥栖駅、千歳川仮停車場が設置され、約3か月間で廃止された千歳川仮停車場を除く2駅は現存する九州最古の駅でもある[注釈 1]。
市の中心駅は鳥栖駅。
なお、西鉄天神大牟田線・甘木鉄道甘木線は鳥栖市内は通らないものの、隣の福岡県小郡市域内で鳥栖市域に近い場所を通っており、鳥栖市域東端部の一部の地域では小郡市内にある甘木鉄道小郡駅・西鉄小郡駅・端間駅・味坂駅が最寄り駅となる。
昭和59年4月1日に制定。公募により集まった38件の中から佐賀県立鳥栖高等学校教諭の小林肇のものが最優秀賞を受賞し、「鳥栖市民憲章」として採用された[15]。市民憲章が彫られて石碑が市役所の前に建てられている。
わたくしたち鳥栖市民は、九千部の山なみや筑後川の、清く美しい自然との調和をはかり、さらに交通の要所としての機能を生かし、力強く未来に向ってすすみます。
※現在は鳥栖市内に映画館はない
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