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日本の政治家 ウィキペディアから
細野 豪志(ほその ごうし、1971年〈昭和46年〉8月21日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党政務調査会長代理。
細野 豪志 ほその ごうし | |
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生年月日 | 1971年8月21日(53歳) |
出生地 | 日本 京都府綾部市 |
出身校 | 京都大学法学部卒業 |
前職 |
三和総合研究所研究員 衆議院議員公設第二秘書 |
所属政党 |
(民主党→) (民進党(細野G)→) (無所属→) (希望の党→) (無所属[注 1]→) 自由民主党(二階派→無派閥) |
称号 | 学士(法学)(京都大学・1995年) |
公式サイト | 細野豪志【公式】/衆議院議員(静岡5区)Official Site |
内閣 | 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2012年9月19日 - 2012年10月1日 |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年10月3日 - 2012年10月1日 |
第17代 環境大臣 | |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2012年10月1日 |
内閣 |
菅直人第2次改造内閣 野田内閣 |
在任期間 | 2011年8月10日 - 2011年10月3日 |
内閣 |
菅直人第2次改造内閣 野田内閣 野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年6月27日 - 2012年10月1日 |
その他の職歴 | |
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全) (菅直人第2次改造内閣) (2011年6月27日 - 2011年9月2日) | |
内閣総理大臣補佐官 (原子力発電所事故全般についての対応及び広報担当) (菅直人第2次改造内閣) (2011年4月16日 - 2011年6月27日) | |
内閣総理大臣補佐官 (社会保障・税一体改革及び国会対策担当) (菅直人第2次改造内閣) (2011年1月18日 - 2011年4月16日) | |
衆議院議員 (静岡県第7区→) 静岡県第5区 当選回数 9回 (2000年6月27日[1] - 現職) | |
民進党代表代行 代表:蓮舫 (2016年9月 - 2017年4月) | |
第12・15代 民主党政策調査会長 代表:野田佳彦 (2012年9月 - 2012年12月) 代表:岡田克也 (2015年1月 - 2016年3月) | |
第13代 民主党幹事長 代表:海江田万里 (2012年12月 - 2013年7月) |
内閣府特命担当大臣(原子力行政)(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(野田第2次改造内閣)、環境大臣(第17代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)(菅直人第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)(菅直人第2次改造内閣・野田内閣)、民主党政策調査会長(第12代・第15代)、民主党幹事長(第13代)、自誓会会長、民進党代表代行、希望の党憲法調査会長を歴任した。
1971年08月21日[2]京都府綾部市に生まれ、滋賀県近江八幡市で育った。近江兄弟社中学校、滋賀県立彦根東高等学校、京都大学法学部卒業[3]。京大在学中は佐藤幸治のゼミに所属。大学卒業後、1995年4月から三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)で研究員を務める[2]。1996年に結婚[4][出典無効]し、1999年から衆議院議員公設第二秘書に[2]、同年10月に静岡県三島市に移り住んだ。
2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で旧静岡7区から出馬。自由民主党の木部佳昭、保守系無所属の栗原裕康(のち沼津市長)らを破り、6月に初当選した[2]。2002年に選挙区の区割変更が実施され、2003年の第43回衆議院議員総選挙では静岡5区から出馬。自由民主党の斉藤斗志二を破り、再選。以後、静岡5区で連続7選。2005年、京大法学部の先輩である前原誠司民主党代表の下で、党役員室長に就任した。偽メール問題により前原が辞任した後、後任の小沢一郎の下でも党役員室長に留任。
2007年9月、政策調査会筆頭副会長に就任し、党役職に復帰した。2009年の第45回衆議院議員総選挙で4選を果たした[5]。
民主党による鳩山由紀夫内閣への政権交代後、2009年10月民主党組織委員長・企業団体対策委員長[2]・副幹事長に起用された。2010年6月に民主党企業団体対策委員長に再任した[2]。
2011年1月、菅直人第2次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(社会保障・税一体改革及び国会対策担当)に任命される[2]。同年3月11日の東日本大震災発生に伴い、同年4月15日から担当事項が「原子力発電所事故全般についての対応及び広報担当」に変更された。
初入閣
同年6月27日、原発事故の収束及び再発防止担当大臣、節電啓発担当大臣、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)に任命され、初入閣。同年8月10日、原子力損害賠償支援機構法が公布・施行され、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)を兼任[6]。
2011年民主党代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねるが、1回目の投票で前原は3位に終わった。前原陣営は決選投票において、小沢グループが推す経済産業大臣の海江田万里ではなく、財務大臣の野田佳彦に投票する方針を決定(野田は決選投票で海江田を破り、当選)。9月に発足した野田内閣で内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)に再任されたのに加え、環境大臣に任命される。同年10月3日、内閣府特命担当大臣(原子力行政)の補職辞令の発令に伴い、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)を退任(後任は枝野幸男経済産業大臣)。環境大臣及び内閣府特命担当大臣(原子力行政)は野田第2次改造内閣まで務める。
2012年9月、民主党代表選挙への出馬を小川淳也衆議院議員ら党内の若手議員らから要請されたが、出馬を固辞した[7]。同年9月19日、原子力発電所の安全・規制を一元化した原子力規制委員会の発足に伴い、内閣府特命担当大臣(原子力防災)の補職辞令を受ける[8]。
2012年9月28日、野田第3次改造内閣の発足に伴い、環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災・原子力行政)を退任(10月1日付け)し、民主党政策調査会長に就任した[2]。
同年の第46回衆議院議員総選挙では民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、静岡5区で自由民主党新人の吉川赳を大差で破り、5選(吉川も比例復活)[9]。
民主党惨敗を受け、野田首相は代表辞任を表明する。野田の辞任を受けて実施された民主党代表選挙では、再び細野を推す声が上がったが出馬を固辞し、既に立候補を表明していた海江田万里を支持する考えを明らかにした[10]。馬淵澄夫を破り、当選した海江田の下で民主党幹事長に起用された[11]。2012年12月28日、民主党の次の内閣でネクスト副総理大臣に就任[12]。
2013年7月26日、第23回参議院議員通常選挙における民主党惨敗の責任を取り、幹事長を辞任[13]。
2014年1月、自誓会を旗揚げし、会長に就任[14]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、比例東海ブロックへの重複立候補を辞退し、静岡5区のみで出馬。自由民主党の吉川赳を再び大差で破り、6選[15][16][17]。吉川は比例復活も出来ず落選。
2015年1月の民主党代表選挙に出馬した[18]が、決選投票で岡田克也に敗れた[19]。代表に選出された岡田の下で、民主党政策調査会長に起用される[20]。
2016年3月27日の民主党と維新の党との合同に伴う民進党結成に際しては、党代表の岡田以下旧民主党執行部役員の大半がそのまま続投した中、山尾志桜里に譲る形で政策調査会長の座を降りることとなった。
2016年9月の民進党代表選挙では自身の不出馬と蓮舫代表代行への支持を表明した[21]。選挙後の執行部人事では安住淳、江田憲司と共に代表代行に就任した。
2017年4月10日発売の月刊誌『中央公論』で日本国憲法改正私案を公表。これに所属する民進党の方針と異なると党内から批判が相次いだことから、同年4月13日に「執行部の憲法改正に関する姿勢に不満がある」として民進党代表代行を辞任[22][23]。これに関して、蓮舫は「最低だ」と激しく非難した[24]。また、同年5月19日には代表代行辞任による混乱の責任を取るため自誓会の代表を辞任をすることを同会の会合にて表明し了承された[25]。
2017年8月4日、自誓会の会合で民進党を離党する意向を表明し、その後記者団に「新たな政権政党をつくる決意で立ち上がりたい」と述べた[26][27]。同年8月8日、離党届を提出。離党届け提出後に記者会見を行い、自由民主党に代わる受け皿となる新党結成を目指す意向を表明。政治団体「日本ファーストの会」を設立した若狭勝衆院議員との協議に意欲を示し、また、先に民進党を除籍された長島昭久衆院議員らとの連携も図る考えを明らかにした[28]。同月10日、民進党は離党届を受理[29]。9月11日夜、若狭と細野は小池百合子と東京都港区で会食。新党結成に向けて協議している政策などについて小池に報告した[30]。
同年9月23日、若狭と細野は新党の名称を「希望の党」とする方向で最終調整に入った[31]。9月25日、新党「希望の党」は総務大臣に党の設立を届け出た。党の代表は小池とされ、設立届には若狭、細野、中山恭子ら現職の国会議員9人が名を連ねた[32]。9月27日、希望の党設立会見に、参加国会議員14人の一人として同席した[33][34][35][36][37][38]。10月3日、若狭と細野と民進党総合選対本部長代行の玄葉光一郎は参議院議員会館で記者会見し、希望の党の第1次公認192人を発表した[39]。
同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に前回同様静岡5区に単独立候補し、7選。希望の党で小選挙区単独立候補したのは細野ただ一人であった。
同年11月の希望の党共同代表選挙後の党役員人事では憲法調査会長に就任した[40][41]。
2019年1月31日、自由民主党の派閥である志帥会(二階派)に特別会員として入会し、将来的な自由民主党入党の意向も示した[44][45]。同年7月2日、長島昭久と共に自民党の衆議院会派「自由民主党・無所属の会」に入会した[46]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では無所属で出馬し、10月31日の投開票にて、自身の強固な地元支持層を固め、自由民主党公認候補だった吉川赳を保守分裂ながらもダブルスコアという圧倒的大差で破り、8選。対立候補の吉川が比例復活出来なかった際には、円滑な自由民主党への入党許可が見込まれていた[47][48][49]。結果としては吉川にダブルスコアでの圧勝だったが、吉川の比例復活を許してしまった[50]。とはいえ自由民主党は比例東海ブロックで比例票を9議席を獲得、比例東海ブロックでの他の自民党候補が小選挙区で強かったこともあり、小選挙区で敗北しても重複立候補した自民党候補は全員復活当選できたため供託金没収となる小選挙区での得票率が10%を割らない限りは吉川の比例復活は確定していた。その中で吉川は重複立候補者の中で最下位での比例復活であった(吉川の次点当選者である比例単独出馬かつ比例名簿下位の31位であった山本左近も当選した)。
第49回衆議院議員総選挙の5日後である2021年11月5日、自由民主党本部は細野の入党を認め、同日付で入党した[51][52][53]。自由民主党静岡県連は、過去の経緯から細野の入党に一貫して反対してきたが、同月23日に党本部の決定を受け入れた[54][55]。ただし静岡県連への加入は認められたものの、静岡県第5区の支部長は吉川のままであった。この背景には岸田文雄総理・総裁自身の派閥(宏池会)に所属する吉川が同区の支部長を継続するという党本部の意向と、過去に民主党時代の細野が(アベノミクスなど)自民党の政策に対して批判的言動を繰り返していたために、県連が強く反発していることが挙げられる[55]。同年12月7日、県連は自民党本部が提示した細野を支部長とする「静岡県衆議院支部」を新設し、静岡5区支部長はそのまま吉川が務めるという案を了承した。一方で、県連大会や国会議員団会議などに細野が出席することは一切認めないとしている[56][57]。
2022年6月10日には、18歳の女子学生と飲酒したなどと報じられた問題を受け、吉川が自民党に離党届を提出し、受理された[58]。区の支部長は空席となったが細野が就任することは無く、城内実県連会長が代行することになった[59]。2023年5月29日、静岡県連は総務会を開き、同区の支部長に細野を選任することを了承した[60][61]。6月2日に党本部が細野の支部長就任を正式決定した[62]。
2024年10月の第50回衆議院議員総選挙では、吉川の不出馬もあり、小選挙区全国2位の14万票余りを得て大勝。自民党公認として初めて、通算9回目の当選を果たした[63]。同年11月15日、自由民主党政務調査会長代理に就任[64]。
ジャーナリストの鈴木エイトが作成した「旧統一教会関連団体と関係があった現職国会議員168人」によれば、旧統一教会関連団体との関係について、 2013年に自身の政治団体「伊豆政策研究会」宛てに、旧統一教会系の世界日報元社長から3万円の寄付受け取り。2015年には『世界日報』にインタビューが掲載されている[100]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 28 | 旧静岡県第7区 | 民主党 | 7万3044票 | 30.34% | 1 | 1/6 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 32 | 静岡県第5区 | 民主党 | 13万7201票 | 49.39% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 34 | 静岡県第5区 | 民主党 | 14万8002票 | 48.79% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 38 | 静岡県第5区 | 民主党 | 18万4328票 | 59.04% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 41 | 静岡県第5区 | 民主党 | 15万6887票 | 58.98% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 43 | 静岡県第5区 | 民主党 | 14万3012票 | 58.56% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 46 | 静岡県第5区 | 希望の党 | 13万7523票 | 54.85% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 50 | 静岡県第5区 | 無所属 | 12万7580票 | 51.81% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 53 | 静岡県第5区 | 自由民主党 | 14万1021票 | 63.17% | 1 | 1/3 | / |
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