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日本の法学者 ウィキペディアから
佐藤 幸治(さとう こうじ、1937年〈昭和12年〉6月9日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学。京都大学名誉教授、日本学士院会員。学位は法学博士(京都大学・1990年)。司法制度改革、特に法科大学院創設を主導した。
新潟県西蒲原郡月潟村(現:新潟市南区)出身。新潟県立新潟高等学校を経て、京都大学法学部に入学した。指導教官は、戦後主流となった宮沢俊義の憲法学派とは真っ向から対立する保守派憲法学の重鎮大石義雄であった。卒業後、住友銀行に入行した。1年後に同行を退職した後、京都大学法学部助手、助教授、教授。1990年に学位論文「現代国家と司法権」で京都大学法学博士[1]。1991年から1993年には京都大学法学部長。京都大学退官後、2004年より近畿大学法科大学院教授も務めた。2012年日本学士院会員に選ばれた。
通説が歴史を憲法理論に持ち込むことを忌避し、知性のみが絶対的なものであるとして[2]、現に生きている人の意識と現実の日常生活を基礎とするとの個人主義的・現象学的・実存主義的な立場をとり[3]、後掲の道徳原理によって初めて人権の根拠が基礎付けられるとして、全体的に観念論的・法実証主義的な理論を展開した。そのため、内容はあたかも観念論哲学の様相を示し、難解であると指摘を受けた原因が、特有の体系的構成や表現方法のためであることを佐藤自身が認めている[4]。
人権については、人格的自律の存在として自己を主張しそのような存在としてあり続ける上で不可欠な道徳的権利であるとして通説的な見解である人格的利益説をとるが[5]、その根拠に関しては、独自の見解を主張し、アラン・ゲワース(en:Alan Gewirth、哲学者)の弁証法的に必然的なアプローチに依拠し、道徳的な権利である人権を政治的・法的秩序が保護することが類型的整合性という最高の道徳的原理によって正当化されるとする[6]。その上で、かかる思想は、超実体法的性質を有する自然法論とは似て非なる自然権思想であるとする[7]。
日本国憲法の成立・正統性については、宮沢俊義の八月革命説も佐々木惣一の押し付け憲法論も法を超えた実力が前提であるとしていずれも否定された[8]。佐藤にとって、かかる生の実力を理論に持ち込むことは憲法を法の世界から追放し、政治の世界に追いやるもので許容することができないのである[9]。
国民主権については、芦部が憲法を制定しかつ支える権威が国民にあるという正当性の契機と国民が代表者を通じて権力を行使するという権力的契機という二つの側面があり、国会議員のリコール制は憲法上禁止されているが、権力的契機によって統治制度の民主化の要請を含んでいるとすることを結論としては支持する。しかし、佐藤は、権力という概念を忌避し、正当性の契機を正当性の原理、権力的契機を実定憲法上の構成原理(統治制度の民主化、公開討論の場の確保の要請)と読み替える[10]。「実定憲法上の構成原理」の根拠は、上掲ゲワースの人権を政治的・法的秩序が保護することが正当化され(現在の行為主体だけでなく)将来のあらゆる行為主体の尊厳と理性的自律のためには各行為主体が市民的自由を有することが要求されることとパラレルになっている[11]。
国会が「最高機関」とされていることの意義については、単なる政治的美称と解すべきではなく、法的な意味があるものと解すべきと批判し、統括機関説をとり、権限不明の権能は国会に所属すると推定されるとする[12]。
行政権の意義については、行政控除説を行政権の内容・特質が不明確なものであると批判しつつも、田中二郎による積極的定義にも難点があるとし、行政控除説の消極的定義を前提としつつも、法原理機関として事後的受動的な性格を有する裁判所とも、会期制をとる国会と異なり、国家の総合的な政策に配慮すべき機関である点に特質があるとする[13]。また、議院内閣制の本質については、芦部がイギリスの歴史を理由に責任本質をとることについて、当時のイギリスにおける二大政党制と厳格な党議拘束が背景にあることを看過していると批判し、議院内閣制が権力分立の一環とされる以上、均衡本質説が妥当であるとする[14]。
裁判所については、議会や内閣といった能動的・積極的な活動を期待される政治部門とは異なる、法による統治の実現を期待された受動的な法原理機関であるとする。違憲審査制について、判例・通説は、司法権の概念が歴史的なもので理論的に定めることはできず、明文の規定で事件性を要件とするアメリカ合衆国憲法に基づく司法権の概念を日本国憲法が授継したことを理由に、日本国憲法第76条1項の定める「司法権」というためには事件性を要件とし、具体的紛争を前提とせず、法令の合憲性を判断する裁判権を行使する抽象的審査制は法改正によって採用することはできないとしていたが、佐藤は、判例・通説がとるこの結論には賛成しつつも、かかる歴史による理由付けでは不十分であると批判し、「司法権」の概念は、具体的な事件を前提に当事者から訴訟を提起されたことを契機に公平な裁判所が当事者の主張・立証に基づき、法を適用して決定する法原理的な過程を有する点に本質があり、事件性の要件は裁判所が法原理機関であることから導かれる理論的な要請であるとする[15]。
法の支配については、実質的法治主義と統一的に把握する通説に対し、両者を厳密に区別して、実質的法治主義は行政による事前抑制に親和的であるのに対し、法の支配は司法による事後抑制に親和的で、国民の司法への積極的な参加と多くの法曹が必要である点に違いがあるとしている[要出典]。
佐藤は法学者として多様な社会活動を行っている[16]。
既に述べた独自の法の支配に関する理解から、裁判員制度や法科大学院制度を導入し、2006年1月の司法制度改革審議会の意見書では「社会のすみずみまで法の支配を」と表現した。
そのほかに次のような社会活動も行っている。
宗教法人審議会の会長時代にオウム真理教事件が発生し、それまで2 - 3カ月に1度であった議事が毎週のように行われるようになり、その重要度も格段に高まった。またオウム真理教から命を狙われる可能性があったため、当時、佐藤には大学構内でも警察による警護がつけられた。
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