竜 雷太(りゅう らいた、1940年〈昭和15年〉1月21日[2] - )は、日本の俳優。本名:長谷川 龍男(はせがわ たつお)[要出典][注 1]。大阪府豊能郡箕面村[要出典](現:箕面市)出身[1][注 2]、京都府舞鶴市育ち。著名な親族として、息子の長谷川陽平(朝鮮語版)(はせがわ ようへい、ミュージシャン、ギタリスト)[注 3])がおり、元親族として、元妻の吉成洋子(よしなり ようこ、女優)と、元妻で長谷川陽平の母である夏桂子(女優)がいる。
概要 りゅう らいた 竜 雷太, 生年月日 ...
閉じる
所属芸能事務所は、三船プロダクション、田中プロモーション[2]、アクターズプロモーションを経て、現在は、アートプロモーション[注 4]。かつて東京都内に在住していたが、2022年ころより静岡県東伊豆町に移住している[3]。
1940年(昭和15年)1月21日、大阪府豊能郡箕面村(現・箕面市内旧箕面村域〈現・西小路等地域〉)[要出典]に生まれる。第二次世界大戦中は父母の出身地であり、叔父のいる京都府舞鶴市に疎開し、10年間過ごした[要出典]。
1960年に日本大学[2]藝術学部中退[4]、テレビタレントセンターの三期生となり、1962年松竹入社。本名で出演した『馬鹿まるだし』の鴨川ロケの帰りの汽車の中で、来日していた演出家のエドダンダスに身振り手振りで演劇論をぶったら仲良くなり[5]、エドダンダスの推薦で1965年に芝居の勉強のため単身アメリカへ渡りサンフランシスコ・ステート・カレッジへ1年半留学することになる[4]。留学中は皿洗い、運転手などのアルバイトをこなしながら大学に通い、学校の夏休みには全米1840キロを自動車で回った[5]。帰国後、久世竜について殺陣の研究をしていた[4]。1966年に日本テレビの青春ドラマシリーズ第2作『これが青春だ』の主役に予定していた夏木陽介がクランクイン2週間前に降板、プロデューサーの岡田晋吉は急きょ全くの新人を主役に抜擢して対処しようと考える。岡田は、ドラマ『新・新三等重役』でひと言だけセリフがあったバスの運転手役の演技に強い印象を抱いたことから竜本人を呼び話を聞くと、ドラマの主人公そのものの経歴だったことから、岡田は竜を『これが青春だ』の主人公・大岩雷太役に起用、竜は無名の新人から一躍スターダムにのし上がった。また劇中で自ら歌唱した曲をレコードとして発売し、歌手デビューをした。
芸名は、新人を売り出すのに本名の「長谷川 龍男」ではインパクトが足りないということで『これが青春だ』の主人公の役名・大岩雷太をそのまま芸名にしようとプロデューサー間で決めたが、本人が「親に貰った名前を変えるのは嫌だ」と強く抵抗。結局、本名から「龍」の字を取り「竜 雷太」で納得してもらった。しかし、本人はドラマ終了後は本名に戻すつもりだった[8]。
1968年から1970年まで青春ドラマシリーズの第1作『青春とはなんだ』の主演を務めた夏木陽介とのコンビで『東京バイパス指令』に出演。夏木とは三船プロダクションに共に所属することとなる。
1972年『太陽にほえろ!』に出演を果たし、ゴリさんこと石塚誠刑事役を1982年の殉職まで10年間(525話)務め、『太陽にほえろ!』では出演俳優で最多の92話に主演した[9]。撮影現場では、ゴリさんの役柄そのままに新人教育係を務めていた。2009年には缶コーヒーのCMで再び石塚誠を演じた [11]。
1979年、所属していた三船プロダクションの内紛騒動が勃発。田中寿一、阿知波信介らとともに離脱し、田中が作った田中プロモーションに所属する。
1982年には放映開始からゴリさん役で10年間出演していた『太陽にほえろ!』を殉職という形でついに降板し、番組からの降板に際して、写真集『竜雷太in太陽にほえろ!』が日本テレビより販売された。
『太陽にほえろ!』降板4か月後にTBS系列『金曜日の妻たちへ』に村越隆正役で出演。このドラマは当時『太陽』が終了して1時間後(金曜22時)からの放送であり、竜は「あれで変われた気がするね。普通の俳優さんになったって思う。」と語った[12]。
1983年、再び阿知波とともに所属俳優を大量に引き連れ離脱。田中プロモーションは破産。阿知波とアクターズプロモーションを立ち上げる。
2007年、長年コンビを組んできた阿知波が5月2日から行方不明となり、2日後の5月4日、鹿児島県の犬飼滝で遺体となって発見される。警察は自殺と断定。アクターズプロモーションは同月、破産申請。負債総額は5億とも言われ、設立に関わり役員(設立時は社長)でもあった竜も多額の損失を被った。
- 岡田晋吉に東宝テレビ部の応接室に呼ばれた時、「役者はセリフだけで芝居をしようと思ってはいけない。肉体全体を使って表現しなければならない」と演技論を熱っぽく語った。
- 東宝の三船敏郎以来と言われる「現場に台本を持ち込まない」伝統を守り、自ら率先してスタッフの中に溶け込み、照明のライトを担ぎ、出番がなくとも現場に現れてレフを当て、荷物運びを手伝い、撮影が終わるとスタッフと大酒を飲んだ。最初は疑心暗鬼だったスタッフも竜を自分たちの仲間と認め、リーダーシップに一目置くようになった。
- 当時のファンの熱狂ぶりは凄まじく、竜が撮影を終えて部屋に戻ると、見知らぬ女性が勝手に料理を作って待っていた逸話がある。
- 抜擢前はアルバイトで生活していたが番組に抜擢されると朝から晩まで撮影でアルバイトできずお金が入ってこなくなった。また、当時の安アパートには風呂がなく、銭湯に通っていたが、みんなが裸の自分を嘗め回すように見るので、お客がいない夜遅くでないと風呂に入れず、風呂付のアパートに引っ越させて欲しいと要請した。岡田晋吉はこれ以降、抜擢した新人にギャラの前渡しと風呂付のアパートを世話することにした。
- 岡田晋吉が『太陽にほえろ!』で松田優作、勝野洋など多くの無名俳優を新人刑事として抜擢したのは、岡田が無名の新人だった竜を『これが青春だ』の主人公に抜擢して成功した経験による。『これが青春だ』は『青春とはなんだ』の主演を務めた夏木陽介が主役を務める予定だったが、クランクイン一か月ほど前に東宝から「夏木に映画の話がきたのでテレビには出演させない。」と一方的通告があり、一か八か新人を主役に抜擢して対処しようと考え、心中覚悟で竜雷太と芸名をつけ主役に抜擢した。当時ドラマの主役を新人が務めるのは全く考えられないことであったが、竜の成功で、岡田晋吉は、「主役が新人でも素質があれば視聴率が取れるドラマを作ることができる」ことを学び、新人刑事が中心人物となる『太陽にほえろ!』の企画を生み出した。
- このドラマと『でっかい青春』のロケを静岡県の下田市と南伊豆町、及びその周辺でロケを行ったことで、竜本人は伊豆が気に入り、それ以来約30年世話になった東伊豆町に2022年頃から移住して同町民になっている[3]。
- 石原裕次郎は当初『太陽にほえろ!』をワンクール、十三本ほどで終わるものと思っていた。岡田晋吉は、日本テレビやスポンサーには一年は続けると約束していたので、成城の自宅に出向き必死に頼んだが、映画で育ち、映画で国民的スターになった石原は渋っていた。「やっぱり映画だよ。」と言っていた石原が翻意したのは、酒が飲めない岡田の代わりに竜が朝まで飲み明かして「これからはテレビの時代です。」「テレビには長く出続けないと意味がない。」と進言して口説き落としたことによるという。石原が降板とならなかったのは、竜雷太のおかげであると断言してもいいと岡田は証言している。竜は高校・大学時代、石原にあこがれて、同じ32インチのパンツを引きずってはいていた[19]。
- 熱血漢で正義感溢れる「ゴリさん」の役柄そのままに、撮影現場の心得がわからない新人刑事に抜擢された俳優に対して、私生活では腰が低く、撮影所に来たら先ず全員に挨拶し、画面に出たら胸を張って演技に臨むという気持ちの切り替えを含め、細かく的確な指導をした。それは、自らが無名の俳優からドラマの主役に抜擢された体験に裏打ちされた説得力あるもので、若い俳優が失敗すると、「長い目で見てやって下さい。奴は一生懸命なんですから。」とスタッフに頭を下げていた。
- マカロニ刑事を演じた萩原健一は声が裏返ってセリフが聞き取れないことが多いので、竜が萩原の言葉を聞き返すセリフを言ってカバーしていた。ジーパン刑事を演じた松田優作のセリフが聞き取れないときも同様の対応をしていた。
- 勝野洋が最初セリフが言えなかった時は撮影を中断させてスタジオの外で指導した[21][22]。演技のことはほとんど何も分からなかった勝野を指導したのは、劇中で先輩刑事・通称「ゴリさん」を演じた竜雷太だった[23]。
- 宮内淳がボクシングをするシーンで、新人のため遠慮して相手の役者を思い切り殴れない時は、リングにあがり、自分の顔を宮内に打たせながらボクシングの演じ方を教えた。終わった時、竜の顔は腫れ上がっていたという。
- 降板直前のカナダロケでは、後輩刑事を正座させて説教し[25]、厳しく指導した渡辺徹には、うるさかった竜が殉職したから、そんなに太ったんだろうとよく言うという[22]。
- 「ゴリさん」のアクションは、柔道を主体にしたアクションが多かった。それは力強くダイナミックで、「ゴリさん」の真っすぐな人格そのままのイメージを意識したアクションを表現したという。
- 放送開始から6年目の1978年頃に「同じ役をやっていると何かもう一つ脱皮したい」と思うようになり、岡田晋吉に「魚河岸で働いてみたいから出番を減らしてくれ。」と申し入れた。1980年頃には「若手も着実に育ってきたし、もう俺は必要なんだろうか」と思うようになって降板を申し入れていたが、その直前に竜と同じく第1回から出演してきた殿下こと島刑事役の小野寺昭の降板が既に決まっていたため慰留された[27]。その際には降板について一切口外していなかった小野寺に対し竜が「お前、辞めるんだって?」と訊いて仰天させた。
- 最初の慰留から降板までの2年間は集大成として、『太陽』以外の仕事をあまり入れなかった[27]。
- 最初に慰留された際「あと2年やろう」と言われたが[27]、その2年後にロッキーこと岩城刑事役の木之元亮と長さんこと野崎刑事役の下川辰平の降板が重なったため、再度慰留される羽目になった。しかし竜は固辞したため2人の降板からわずか1か月で卒業することが決まった。
- 最終出演回の第525話「石塚刑事殉職」は番組史上初めてスペシャル版(90分)で制作され、またボス役の石原裕次郎が最初で最後の臨終シーンに立ち会うなど、竜の長年の労をねぎらった感謝の演出が行われた[28]。
- 第525話のクランクアップ後、竜が使用していたMGC トルーパー4インチが記念品としてスタッフから贈られた。しかも「射撃の名人だが、普段は拳銃に弾をこめず、事件の時に1発だけ弾が込めてある」という役柄そのままの演出がなされていた。
- 竜は「殉職は僕にとっての卒業のようなものでしたから、ボスにはうれしく卒業します、と言いました。私の殉職シーンだけボスが付き添って、みとってくれたことは私の自慢です。本当にうれしかったです。もちろん、岡田プロデューサーをはじめとした方が、どういう殉職にするか決めるわけですが、ボスが芝居で気持ちを見せてくれたのかもしれません」と語った[28]。
テレビドラマ
WOWOW
- 推定有罪(2012年3月25日 - 4月22日) - 吉田栄之助 役
- 震える牛(2013年6月16日 - 7月14日) - 増渕要三 役
- 株価暴落(2014年10月19日 - 11月16日) - 風間耕造 役
Vシネマ
- プロミスリング 〜鹿島アントラーズ物語〜(1993年) - 五島 役※特別出演
シングル
さらに見る 発売日, 規格 ...
発売日 |
規格 |
規格品番 |
面 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
キングレコード |
1967年 |
EP |
BS-635 |
A |
あの娘と暮らしたい |
岩谷時子 |
いずみたく |
B |
君と二人で |
1967年 |
EP |
BS-740 |
A |
愛の子守唄[注 5] |
岩谷時子 |
いずみたく |
B |
いいかい?[注 5] |
閉じる
注釈
補足情報:1971年(昭和46年)11月4日[要出典]、日本生まれ。韓国を活動拠点とするロックミュージシャン。
経営コンサルタント会社のアートプロモーション及びモデル事務所のアートプロモーションとは別会社。
出典
『ジュニア文芸』1967年4月P152 スターインタビュー竜雷太
岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説』日本テレビ放送網、2003年
『太陽にほえろ! 完結記念号』42-43ページ 主演扱いエピソード
週刊現代2015年2月21日号P160-163 『熱討スタジアム』(第139回)『太陽にほえろ!』を語ろう
アサヒ芸能(徳間書店)2018年3月22日号 p.46 - 53「激情のオール直撃ワイド 俺たちがシビれた刑事ドラマ50年の勲章」より。