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この項目では、地方自治体について説明しています。鉄道駅については「和光市駅」をご覧ください。 |
和光市(わこうし)は、埼玉県の南部に位置する市。国立理化学研究所の本部などが所在する。
東京23区に隣接することから、戦後急速にベッドタウンとして人口が増え、本田技研工業の工場建設(現在は工場は廃止)によって工業都市として発展した。市域の一部はキャンプ・ドレイクの跡地に位置しており、本田技研工業の和光本社、国立病院機構埼玉病院、国立研究開発法人理化学研究所のほか、近年では司法研修所、税務大学校、裁判所職員総合研修所などの国や民間の研究・研修施設などの立地が進んでいる。和光市駅は東武東上線など3路線が乗り入れ、東京メトロ有楽町線・副都心線の起点駅であることから、東京23区への通勤通学者(いわゆる「埼玉都民」)の割合が非常に多い。
住宅地として造成が進んでいるが、かつての武蔵野の面影を残すような雑木林や畑が点在するほか、県営の和光樹林公園など緑の多い公園もある。
住宅情報誌『SUUMO』が2020年10月に発表した「災害に強い街」ランキングで、和光市は1都3県の184市区のうち2位であった(1位は所沢市、3位は北本市)。この順位は公益財団法人の地盤工学会関東支部が、自然災害発生頻度と被害人口に、ハード・ソフト対策の充実度を掛け合わせ算出した、自然災害に対する独自のリスク指標「GNS」に基づいており、市の大半が武蔵野台地に位置していること、浸水想定区域の大半が市街化調整区域と工業地帯で水害リスクも比較的低いこと、開発の際には雨水浸透施設の設置を条例で義務付けていることが要因に挙げられている[1]。
- ただ、荒川対岸で隣りの戸田市への公共交通機関は、当市下新倉付近を走る国際興業バス増14(成増駅北口〜下笹目)のみ。
- 周辺は湧水が多い地域で現在でも井戸がある。旧川越街道沿いの富沢病院駐車場では今も湧水が豊富である。近年病院側(地主)が駐車場整備のため一部閉鎖してしまったが、敷地には柵もないため道路からは湧水が確認できる。
近世まで
- 白子川沿いの台地には縄文期の遺跡が発見されている。隣接する成増地区にも同様に遺跡があり、台地上に集落が築かれていたと思われる。現在、その集落跡には寺社が建てられているケースが多い。
- 古墳時代から奈良時代にかけて、帰化人の移住があったとされる。その理由として白子(シラコ)は新羅(シラギ)の、新倉は新座(すなわち新羅)の転化とする説や、百済王子の住んだとされる牛房城伝説があるが、考古学的には何ら実証されていない。ただ江戸時代中期までは新倉は「新座」と表記されており(読みは同じ“にいくら”)、志木市や新座市にも同様の伝説があることから、単なる伝説ではないと考えられている。新座郡の項も参照されたい。
- いずれにせよ、かなり古い時代から白子台地には集落が築かれており、現に寺社も多く、その中心地は現在バス停に名をとどめているだけだが「市場」辺りだったらしい。
- 戦国期には白子台地上で上杉勢と北条勢の争い「白子原の戦い」があった。
- 江戸期には川越街道の宿場として白子宿が栄えた。当時の街並みはほとんど残っていないが、当時の中心地だった熊野神社周辺には旧家が残っている。中でも花火を稼業とした富沢家は中心的役割を占めており、現在も富沢姓の旧家が多い。また、江戸時代には新河岸川を通る水運も盛んであり、新倉には河岸が設けられていた。
- 鉄道が敷かれ、川越街道のルートが変更されると、白子宿や新倉の河岸は寂れた。白子宿周辺では豊富な清水を利用して魚の養殖、水車営業も行われたが、市の中心地は駅周辺に移行した。以前の白子には湧水が盛んに沸き出ており、明治9年(1876年)には白子村の熊野神社境内に日本最初の養魚場ができ、明治23年(1890年)に養魚場は閉鎖された。又、近くには、以前湧き水が流れ落ちていたため、滝坂と呼ばれる坂が現在でもある。
- 川越街道は、15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものが起源と考えられており、元々は近世の川越街道(現在の旧川越街道、埼玉県道109号新座和光線)の東を蛇行していた。近世の川越街道の完成は松平信綱が川越城に入った寛永16年(1639年)以後のことである。
市名(町名)の由来
- 町制施行時に町名に関してもめた為、「大いなる和」で一つになると言う意味から「大和町」と名付けられた。
- 市制施行時にすでに神奈川県に大和市が存在したため区別する為に新市名を一般公募し、「和光市」と名付けられた。大和町の「和」と栄光の「光」を組み合わせ、平和・栄光・前進を象徴し明るく住みよい街に躍進するように、という願いが込められている[4]。応募された市名で一番多かったのが「和光市」で、続いて「新倉市」「美和市」「埼玉市」「東埼市」「白子市」「埼南市」「本田市」「新和市」「栄市」「新大和市」「昭和市」「東和市」「南埼玉市」だった[5]。
市制施行記念の文鎮
1970年の市制施行時に当市では市章を模った記念の文鎮を制作して市内小学校の児童に配布した。文鎮の底面には「市制施行記念、昭和45年10月31日、和光市」と記されている。鋳鉄製、大きさ=縦65mm、横80mm、厚7mm。
合併の状況
長らく関係の深い朝霞市・志木市・新座市との合併を目指す運動がしばしみられる。
1960年代には、当時の朝霞町・足立町[6]・大和町・新座町4町で合併し市制施行を目指す動きがあったが、話がまとまらないうちに1967年(昭和42年)に朝霞町が単独で市制施行し、合併はついえた。また、市制施行の人口要件が3万人に下げられたことから、大和町も含めた他の3町も単独で市制施行した。
平成の大合併では、2001年(平成13年)4月に「朝霞市・志木市・和光市・新座市合併協議会」が設置された。しかし、2003年(平成15年)4月13日に4市で実施された、合併の是非を決める住民投票で朝霞市、志木市は賛成多数、新座市はわずかに賛成多数となったものの、和光市では77%が反対という結果となり合併は破談となった。
合併に否定的な背景には、1986年から2010年まで[7]、および2016年[8]から2020年[9][10]まで、地方交付税の普通交付税不交付団体であり、その不均衡が影響したと考えられる。
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和光市と全国の年齢別人口分布(2005年)
| 和光市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 和光市 ■緑色 ― 日本全国
| ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
和光市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
| 39,512人
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1975年(昭和50年)
| 46,505人
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1980年(昭和55年)
| 49,713人
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1985年(昭和60年)
| 55,212人
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1990年(平成2年)
| 56,890人
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1995年(平成7年)
| 62,588人
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2000年(平成12年)
| 70,170人
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2005年(平成17年)
| 76,688人
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2010年(平成22年)
| 80,741人
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2015年(平成27年)
| 80,826人
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2020年(令和2年)
| 83,989人
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総務省統計局 国勢調査より |
- 平均年齢は39.6歳(2010年(平成22年)度)で、埼玉県内では1番若い。
- 生産年齢人口(15〜64歳)割合は71.6%(2010年(平成22年)度)で、埼玉県内では1番多い。
- 2018年4月1日現在、82,017人
町名
和光市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
さらに見る 町名, 町名の読み ...
町名 |
町名の読み |
設置年月日 |
住居表示実施年月日 |
住居表示実施直前の町名 |
備考 |
白子一丁目 |
しらこ |
19xx年xx月xx日 |
19xx年xx月xx日 |
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白子二丁目 |
19xx年xx月xx日 |
19xx年xx月xx日 |
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白子三丁目 |
19xx年xx月xx日 |
19xx年xx月xx日 |
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白子四丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字下新倉の一部 |
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南一丁目 |
みなみ |
19xx年xx月xx日 |
19xx年xx月xx日 |
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南二丁目 |
19xx年xx月xx日 |
19xx年xx月xx日 |
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中央一丁目 |
ちゅうおう |
1969年8月1日 |
1969年8月1日 |
大字下新倉、大字白子の各一部 |
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中央二丁目 |
1969年8月1日 |
1969年8月1日 |
大字下新倉、大字白子の各一部 |
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新倉一丁目 |
にいくら |
1971年xx月xx日 |
1971年xx月xx日 |
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新倉二丁目 |
1971年xx月xx日 |
1971年xx月xx日 |
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新倉三丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉四丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉五丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉六丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉七丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉八丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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本町 |
ほんちょう |
1996年4月1日 |
1996年4月1日 |
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諏訪 |
すわ |
1969年4月1日 |
1969年4月1日 |
大字白子の一部 |
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広沢 |
ひろさわ |
1969年4月1日 |
1969年4月1日 |
大字新倉、大字下新倉、大字白子の各一部 |
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西大和団地 |
にしやまとだんち |
1969年4月1日 |
1969年4月1日 |
大字新倉、大字下新倉、大字白子の各一部 |
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諏訪原団地 |
すわはらだんち |
1969年4月1日 |
1969年4月1日 |
大字白子の一部 |
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下新倉一丁目 |
しもにいくら |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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下新倉二丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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下新倉三丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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下新倉四丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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下新倉五丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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下新倉六丁目 |
2004年11月1日 |
2004年11月1日 |
大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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新倉 |
にいくら |
1943年4月1日 |
未実施 |
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下新倉 |
しもにいくら |
1943年4月1日 |
未実施 |
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丸山台一丁目 |
まるやまだい |
1996年4月1日 |
1996年4月1日 |
大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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丸山台二丁目 |
1996年4月1日 |
1996年4月1日 |
大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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丸山台三丁目 |
1996年4月1日 |
1996年4月1日 |
大字下新倉、大字新倉の各一部 |
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郵便
郵便番号
郵便局
- 和光郵便局(風景印あり)
- 和光新倉郵便局(風景印あり)
- 西大和郵便局(風景印あり)
- 司法研修所内郵便局(風景印あり)
- 和光白子南郵便局(風景印あり)
- 和光白子郵便局(風景印あり)
- 東京北部郵便局 - 区分作業専門で、集荷は行わず窓口もない
市長
- 市長:柴﨑光子(2021年5月23日就任、1期目) [11]旧姓使用。本名は明らかにしていない。
- 公文書において本名を使っていない[12]武蔵野市長は本名と通称名とを紐づけ公表しているが、本名と通称名が紐づけられていないのは日本唯一ではないかと思われる。
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
初〜5代 | 柳下潔 | 1970年10月31日 | 1989年5月25日 | 5期・1965年5月26日より1970年10月30日まで改称・市政施行前の大和町長を2期在任(通算7期)。 |
6〜8代 | 田中茂 | 1989年5月26日 | 2001年5月25日 | 3期 |
9・10代 | 野木実 | 2001年5月26日 | 2009年5月25日 | 2期 |
11〜13代 | 松本武洋 | 2009年5月26日 | 2021年5月8日 | 3期・市職員の不祥事の責任をとり辞職 |
14代 | 柴﨑光子 | 2021年5月23日 | | 1期 |
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行政機関等
市の機関・施設
- 和光市役所
- 駅出張所
- 牛房(ごぼう)出張所
- 吹上出張所
- 坂下出張所
- 和光市民文化センター サンアゼリア
- 本町地域センター
- 白子宿地域センター
- 新倉北地域センター
- 南地域センター
- 向山地域センター
- 城山地域センター
- 勤労青少年ホーム
- みなみ子育て支援センター
- しらこ子育て支援センター
- キッズエイド和光子育て支援センター
- ひろさわミニ子育て支援センター
- しもにいくらミニ子育て支援センター
- ゆめの木子育て支援センター
- おやこ広場もくれんハウス
- 総合児童センター【2022年まで工事中】
- 下新倉児童センター
- 新倉児童館
- 南児童館
- 和光市図書館
- 和光市総合体育館
- 保健センター
- 新倉高齢者福祉センター
- 総合福祉会館(「ゆめあい和光」)
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公民館・コミュニティセンター
- 中央公民館
- 坂下公民館
- 南公民館
- 白子コミュニティセンター
- 新倉コミュニティセンター
- 牛房コミュニティセンター
- 吹上コミュニティセンター
重大な不祥事
- 市幹部職員による不祥事とそれに伴う市長辞職(2021年)
- 市企画部審議監(57歳、懲戒免職)が、6年以上にわたって生活保護受給者から預かっていた現金200万円や高齢者夫婦から預かった現金300万円を着服し、また高齢者から預かったキャッシュカードで不正に現金1,350万円を引き出した。また2014年夏頃、部下の職員に対して「介護職員の定期巡回サービスに絡む情報共有システムの導入事業がある」と嘘を言い、同年12月市議会に介護保険特別会計に受託会社に業務委託料1,566万円を支払う補正予算を計上させた。同議会は原案通り可決し、職員は受託業者と業務委託契約を締結し、委託料を支払った。市は3月5日、元市企画部審議監を相手取り、業者に支払った委託料など計約1,700万円の損害賠償を求める訴訟をさいたま地方裁判所に起こした。また市は2020年10月、国の交付金申請を巡り、不正行為により市に損害を与えたなどとして、返還金など計6,200万円の損害賠償を求める訴訟も同地裁に起こした。
- 詐欺と業務上横領、窃盗の罪に問われ、6月4日、さいたま地方裁判所で開かれた論告求刑公判で検察側は懲役10年を求刑。元市企画部審議監は犯行の発覚を免れるため、部下にデータ消去を迫ったり、市長に内容虚偽の書類を提出していた[13][14]。
- この結果、市長の松本武洋は「任命責任がある」として任期途中の5月8日付で市長を辞職し、これに伴う出直し市長選には出馬しないことを表明した[14]。
- 不祥事に関する調査特別委員会が地方自治法100条に定める委員会として開かれ、前市長の謝罪を求め、前市長への損害賠償の検討するという文言を含む[15]最終報告書が市議会全員一致で可決された。
県の施設
警察
- 警察は和光市全域を朝霞警察署が管轄している。
- 和光市駅前交番
- 和光交番(白子二丁目・東京都との境界近くにある)
- 新倉交番
広域行政
- 朝霞地区一部事務組合 - 朝霞市、志木市、和光市及び新座市の4市が設立している一部事務組合。埼玉県南西部消防本部、し尿処理、障害者支援施設(すわ緑風園)の運営を行っている。
- 朝霞和光資源循環組合 - 朝霞市及び和光市の2市が設立している一部事務組合。(令和2年10月1日設立)ごみ処理施設の設置と設置後の管理運営を計画している。
埼玉県議会
- 選挙区:南22区和光市選挙区
- 定数:1人
- 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
- 投票日:2023年4月9日
- 当日有権者数:67,322人
- 投票率:34.15%
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候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
井上航 | 当 | 43 | 無所属 | 現 | 15,649票 |
大上康彦 | 落 | 35 | 自由民主党 | 新 | 6,893票 |
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衆議院
- 選挙区:埼玉4区(朝霞市、志木市、和光市、新座市)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:386,796人
- 投票率:54.49%
さらに見る 当落, 候補者名 ...
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
当 | 穂坂泰 | 47 | 自由民主党 | 前 | 107,135票 | ○ |
| 浅野克彦 | 47 | 国民民主党 | 新 | 47,863票 | ○ |
| 工藤薫 | 71 | 日本共産党 | 新 | 34,897票 | |
| 遠藤宣彦 | 58 | 無所属 | 元 | 11,733票 | |
| 小笠原洋輝 | 37 | 無所属 | 新 | 3,358票 | |
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- かつて市内に本社を置いた企業
- など。
和光市駅南口は近年、区画整理が完了したことに伴い、多くの商業ビル、銀行などが立ち並ぶようになった。今後は北口地区の区画整理が実行される。
駅周辺は、当市の中心地であるが都内に近いこともあって、駅前への商業集積はそれほど多くないと言える。しかし、当市にある研究機関や会社で働く人が多いためか、居酒屋が多いのが特徴的である。駅前通り、旧川越街道にはマンションが建ち並び、昔ながらの商店は姿を消しつつあるが、現在も少なからず残っている。笹目通り沿いには近年発展した住宅街と、かつてからあるセメント会社や倉庫が点在している。新倉・白子近辺はかつて宿場町であったため、銭湯や小売店などが今でも存在する。又、荒川付近には産業廃棄物の集積場などがある。
かつて戦前は陸軍施設があったため軍需工場が立ち並んでおり、戦後は米軍施設(キャンプ・ドレイク)があったため、旧川越街道沿いには、朝霞市を中心に米軍相手の商店があった。1952年には本田技研工業が戦前からの工場用地を買収して白子工場(現在は白子ビル)、翌年には大和工場(後の和光工場・現在の和光ビル)を完成させ東京進出への足がかりとし、後に荒川テストコース(閉鎖)や本田技術研究所本社なども造られるなど、市としてホンダとの結びつきは強く企業城下町とも言えるようになった[16]。
東京に接しているが農地も比較的残っており、大消費地への近さを生かした近郊農業が行われている。なお、当市で採れた野菜は農協などで買うことができる。かつては豊富な湧水を生かした「酒造り」も行われ、2大銘柄として下新倉浅久保に「秀峰」、本村に「長泉(ながいずみ)」があったが、現在は2銘柄とも廃業している。
- 国立研究開発法人
- 大学院
- 専門学校
- 特別支援学校
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 新倉ふるさと民家園(旧冨岡家住宅)
- 冨岡家住宅は江戸中期頃に建築されたものと推定されており、長年解体保存されてきたが、2003年(平成15年)に市指定文化財として指定され、2006年(平成18年)に開園した。敷地はおよそ2000平方メートル(約600坪)。埼玉県内では最古の部類に入る民家といわれている[17]。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 県道
- 主な市道
- ニホニウム通り - 和光市駅南口と理化学研究所間を東武東上線に沿った後、東京外環自動車道に沿って直角に結ぶ歩道。理研がニホニウム(元素記号: Nh, 原子番号: 113)を発見したことを記念し、シンボルロードとして整備されることからこの名が付いた[18][19]。
- 市外局番:048(市内全域)
- ニッポン全国鍋合戦
- 2005年(平成17年)から始まった和光市商工会主催のイベント(「彩の国鍋合戦」から名称を変更)。日本最大級の鍋合戦でもある。市役所前の広場で毎年1月末に開催され、市内の料理店を含め全国各地の鍋料理の中から最優秀鍋「鍋奉行」を決めるというもの。参加者は年々増えている。
- 当市の近くに東映東京撮影所(練馬区)があるため、市内では和光市役所などでドラマ・映画の撮影がしばしば行われている。
- 比較的水道代が高額な東京23区に隣接していながら戸田市と並んで水道代が安い。20mm口径での1か月の水道代は1951円となっている。
- 和光市イメージキャラクター「わこうっち」と妹「さつきちゃん」は、市制施行40周年記念で決定した。
- Honda硬式野球部は1960年の創部から2000年まで本田技術研究所本社のある和光市を本拠地としていたが、2001年から本田技研工業埼玉製作所のある狭山市へ本拠地を移転した。
ウィキメディア・コモンズには、
和光市に関連するカテゴリがあります。