日本の女優 ウィキペディアから
鹿沼 絵里(かぬま えり、1952年12月1日 - 、本名:古尾谷登志江(ふるおや としえ)、旧姓:菅沼)は、日本の女優。旧芸名は鹿沼えり[1]。夫は俳優の古尾谷雅人[1](先代)。有限会社ビッグアンドエム代表。
かぬま えり 鹿沼 絵里 | |
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本名 | 古尾谷登志江(ふるおや としえ)(旧姓:菅沼) |
生年月日 | 1952年12月1日(72歳) |
職業 | 女優 |
配偶者 | 古尾谷雅人(初代)、2003年死別 |
著名な家族 |
古尾谷雅人 (2代目)(息子) 水野快令(娘) |
事務所 | 正木ルーム |
公式サイト | (有)ビッグアンドエム 正木ルーム - 鹿沼 絵里のプロフィール |
東京都出身。精華学園高等部(現東海大学付属市原望洋高等学校)在学中にスカウトされ、テレビドラマ『太陽にほえろ!』でデビュー。東映、東宝、ATGなど映画でも活動[2]。
日活ロマンポルノ『時には娼婦のように』で主役級に抜擢された。以後、1970年代後半から1980年代初めにかけて、日活を代表するポルノ女優の一人として活躍した。映画の代表作としては、若松孝二監督作品の『聖母観音大菩薩』(1977年、主演・松田英子)などがある。
1982年、共演者だった5歳年下の古尾谷雅人と30歳で結婚し、女優を引退した(のちに復帰)。
1998年、45歳でホームヘルパー1級の資格を取り、介護ヘルパーとして働き始めた。
2003年3月、古尾谷が自宅寝室で首吊り自殺し、古尾谷が残した3億円の借金は鹿沼が引き継いだ[3]。2004年、夫の一周忌に手記『最後のキス』を出版した。
古尾谷の死後、住宅ローンは生命保険で完済したが、2004年から東京・神楽坂で経営していたスナックを2010年に閉店しており、借金の一部が返せず自己破産したことを明かしている。[4]。
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