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桃花台ニュータウン(とうかだいニュータウン)は、愛知県小牧市にある住宅を主とする市街地である。
桃花台ニュータウンは、愛知県小牧市東部にあり、名古屋市の北北東に位置する丘陵地にあるニュータウンである。名古屋圏の住宅需要に対処するために、愛知県が主体となって整備された。名古屋市のベッドタウンの一つとして造成され、住民の多くが名古屋市または地元の小牧市、春日井市に通勤している。大きさは東西南北約2 km。大きく分けて、5つの地域(古雅、篠岡、城山、桃ヶ丘、光ヶ丘)で構成されている。
ニュータウン内は起伏に富んでいて坂が多く、車道と完全に区別された「緑道(りょくどう)」と名付けられた歩道が縦横に張り巡らされている。「歩道と車道を分ける」という観点で街作りが行われた事と、起伏に富んでいる土地柄から、歩道橋や車道橋などの橋が多い。ニュータウン内の道路・公園・運動施設などの管理・運営は一般財団法人桃花台センターが行っている。特定の時間(夕方以降や日曜・祝日など)や特定の場所(商業施設や公園)を除いて、人通りは極めて少ない。街灯の数も少ない。複数の医療機関(診療所)がまとまってある場所がいくつかあり、複数の店舗がまとまってある場所(および施設)が4つある。また、コンビニエンスストアは2店舗ある。そして各地域ごとに、大小合わせて30箇所の公園がある。
建設計画が発表されたのは1968年8月。名古屋市の北北東約16 kmにある、主に桃畑や雑木林・原野などが広がっていた東西約2 km、南北約2 kmの範囲の丘陵地を開発して建設することとなった。
最初の都市計画が発表されたのは1971年5月。計画人口が54,000人、開発区域が約322 ha(3,220,000 m2)。事業期間は1972年5月1日から1979年3月31日とされた。しかし、オイルショックの影響を受けて1978年4月には都市計画が変更。計画人口が47,000人に減らされ、事業期間も1986年3月31日まで延長された。
この後何度も事業計画は見直され、事業期間も延期される事となる。1980年7月には、桃花台新交通桃花台線の車両基地などの追加に伴い一部変更。1983年10月には計画人口が40,000人へと減らされる。1986年1月には桃花台線の竣工期限延長に伴い、事業期間が1991年3月31日まで延長。更に1990年12月には1996年3月31日に、1996年には1999年3月31日へと延長される。
なお、1998年8月には開発地域が321.5 ha(3,215,000 m2)へと縮小されている。
※ニュータウンで問題となっている地盤沈下と土壌汚染に関する事項は、別途下記の年表にまとめてある。
2010年1月1日現在で、9,128世帯26,459人(男:12,964人、女:13,495人)[1]が暮らしている。小牧市内でも特に外国(主にブラジル)からの移住者が多く住んでおり、人口の約6%、約1600人が暮らしている。
下記の表は、桃花台ニュータウンの人口と世帯数の推移を示したものである。なお、各年の数字は、その年の1月1日時点のものである(※1999年のみ、10月1日時点)。
年 | 人口 | 世帯数 | 特記事項 |
---|---|---|---|
1980年(昭和55年) | 0 | 0 | 入居開始(8月-) |
1981年(昭和56年) | 946 | 277 | |
1982年(昭和57年) | 2,239 | 608 | |
1983年(昭和58年) | 3,574 | 986 | |
1984年(昭和59年) | 4,281 | 1,171 | |
1985年(昭和60年) | 5,033 | 1,360 | |
1986年(昭和61年) | 5,833 | 1,570 | |
1987年(昭和62年) | 7,007 | 1,927 | 第1回桃花台まつり開催 |
1988年(昭和63年) | 9,201 | 2,487 | |
1989年(昭和64年/平成元年) | 11,613 | 3,202 | 財団法人桃花台センター設立 |
1990年(平成2年) | 14,106 | 3,912 | 東部市民センター完成 |
1991年(平成3年) | 16,236 | 4,510 | 桃花台線運行開始、ピアーレ開業 |
1992年(平成4年) | 19,260 | 5,486 | |
1993年(平成5年) | 20,725 | 5,944 | |
1994年(平成6年) | 21,720 | 6,276 | |
1995年(平成7年) | 23,070 | 6,732 | |
1996年(平成8年) | 24,097 | 7,070 | |
1997年(平成9年) | 24,866 | 7,352 | |
1998年(平成10年) | 25,885 | 7,764 | |
1999年(平成11年) | 27,017 | 8,232 | ※10月1日時点 |
2000年(平成12年) | 27,016 | 8,225 | ピエスタ開業 |
2001年(平成13年) | 27,493 | 8,408 | |
2002年(平成14年) | 27,753 | 8,564 | |
2003年(平成15年) | 27,943 | 8,717 | |
2004年(平成16年) | 27,784 | 8,750 | |
2005年(平成17年) | 28,041 | 8,973 | |
2006年(平成18年) | 27,379 | 8,993 | 桃花台線廃止 |
2007年(平成19年) | 27,781 | 9,017 | ボンセジュール小牧オープン |
2008年(平成20年) | 27,083 | 9,036 | |
2009年(平成21年) | 26,846 | 9,079 | |
2010年(平成22年) | 26,459 | 9,128 | |
2011年(平成23年) | 26,128 | 9,125 | |
2012年(平成24年) | 25,654 | 9,085 | |
2013年(平成25年) | 25,231 | 9,086 | |
2014年(平成26年) | 24,729 | 9,084 | |
2015年(平成27年) | 24,257 | 9,077 | |
2016年(平成28年) | 23,849 | 9,067 | |
2017年(平成29年) | 23,497 | 9,087 | |
2018年(平成30年) | 23,041 | 9,088 | |
2019年(平成31年/令和元年) | 22,604 | 9,107 |
桃花台ニュータウンは鉄道空白地帯である。そのため自家用車やバスの利用が欠かせない地域となっている。名古屋都心へ鉄道で行く場合、春日井市のJR中央線春日井駅、高蔵寺駅が主に利用されている[4]ため、それらへ向かう路線バスが発達している。
名古屋中心部方面行き
中央自動車道の桃花台(または中央道桃花台)停留所には、新宿駅行きなどの長距離バスも停車するが、上記飯田線・伊那線を除き名古屋市内~桃花台の区間利用はできない。
春日井方面
小牧方面
ピーチバス - 桃花台ニュータウンと小牧駅・小牧市役所前までを結ぶ路線バス。桃花台線の代替バスとして、運行される。平日朝とそれ以外の時間帯では、運行ルートが異なる。運営会社は、あおい交通。
その他
こまき巡回バス - 小牧市が運行をあおい交通に委託しているコミュニティバス。ピーチバスとの相互利用に関しては、割り引きがある。
ミゴン - あおい交通が運営する乗合タクシー。桃花台センター駅前に乗り場がある。送迎する地域を、桃花台ニュータウン内とその周辺地域に限定している。2017年廃止。
1991年から2006年まで、新交通システムの桃花台新交通桃花台線(愛称:ピーチライナー)がニュータウンと小牧市中心部の市街地にある小牧駅を結んでいた。
以下の2つの公園分類は「地区公園」。
以下の4つの公園分類は「近隣公園」。
以下の24個の公園分類は「街区公園」。敷地面積は、0.1-0.3 ha。
御嶽神社 - 光ヶ丘4丁目にある神社。元は光ヶ丘5丁目にあったが、光ヶ丘第二住宅の建設に伴って現在地に移動した。同じ敷地内には篠岡111号窯跡がある。
八幡社ー上末125番地にある神社。上末の氏神神社であるが、比較的規模の大きい、最寄りの神社である。
毎年夏に行われる桃花台まつりのほかに、各地区や小学校ごとに住民の手による小規模なイベントが行われている。
最寄りのICは東名高速道路・春日井IC。
桃山線 - ニュータウン南側にある大草から小牧市中部・春日井市西北部を経由して、JR春日井駅へと到る路線バス。桃花台バスと比べて時間がかかるうえに料金が高いので、JR春日井駅へ向かう目的ではほとんど利用されていない。運営会社は名鉄バス。
コア - ニュータウン南西側にある商業施設。 (2009/10/29をもって閉店)
ニュータウンの建設計画が発表されたのは、1968年8月。当初の計画では計画人口が54,000人、開発区域が約322ha(3,220,000m²)、事業期間が1972年5月1日〜1979年3月31日であった。しかし、最終的に1998年8月まで6回の事業計画変更が行われ、期間延長も8回行われた。その結果計画人口は40,000人へと縮小、更に事業計画も1999年3月まで大幅に延長され、開発地域も321.5ha(3,215,000m²)へと縮小された。
このように何度も計画が変更されたが、現在の人口は2005年の約28,000人以降減少傾向となっている。更に一部の地区では、産業廃棄物埋設による地盤沈下や土壌汚染が問題となっている(後述)。
桃花台線(ピーチライナー)の計画が持ちあがるのは、1971年。ニュータウンの建設計画が発表された約2年半後である。その後ニュータウンの計画と平行して、桃花台線の建設計画も進められる。しかしニュータウンの規模縮小や様々な要因から、完成は当初の予定よりも大幅に遅れ、ニュータウンの移住が始まった1980年から約10年後の1991年に開業した。
開業初年度から、建設前の予想を大きく下回る利用者数を記録する。その理由としては、ニュータウン住民の多くが通勤通学などで名古屋市内へと向かうのに、接続路線である名鉄小牧線が不便であることや、JR春日井駅まで自家用車などで向かい、JR中央線などを利用するニュータウン住民が多かった事などが挙げられている。
その後ニュータウンの人口は、当初の予定よりも少ないものの増加を続けたのに対し、桃花台線の利用者数は減少した。更に、桃花台線は開業以来一度も黒字になったこともなかった。結果、巨額の累積赤字を抱える事となる。累積赤字が増えていくなかで、愛知県は税金投入などの支援策を行い、運営会社の桃花台新交通は大規模なリストラなどの経費削減(主に人件費の削減)に努めた。開業13年目に地下鉄上飯田線ができた事と運賃を値下げした事で利用者が少し増加したが、利益は運賃を値下げした事でわずかに増えただけだった。その結果、赤字は増える一方となった。
2004年7月に愛知県は、有識者による検討会を立ち上げ、存廃を含めた議論を始める。検討会では「別のシステムを導入し、存続を図る」旨の意見がまとめられたが、後に愛知県が出した試算では検討会が出した試算よりも大幅に上回ることが発覚し、システムの移行案も頓挫してしまう。そんな中、2005年12月に、一部報道機関によって「廃止が決定した」と報じられる。
2006年1月と2月に、ニュータウン内で検討会の出した意見や実際かかる試算などの説明会が行われた。会では、桃花台線の現状や今後の展望や、「存続させる場合は、ニュータウンに住む全世帯に対して年間数万円の負担を求める。」などといった案も示された。さらに県側は、この会で初めてニュータウン整備費用の一部を桃花台線の建設費用へと流用した事実も認めた。出席した人達の多くは廃止に反対する人達であった為、廃止に反対する意見が多数出た。反対意見が多数出た事で、小牧市議会議員と篠岡地区長は、愛知県に対し廃止の結論を延期するよう求めた。その後小牧市長も、愛知県知事に廃止の結論延期を求めた。
しかしそのような動きとは対極的に、ニュータウン住民を含む沿線住民の手による存続運動や利用促進活動は全く行われなかった。また新聞には、桃花台新交通常務の談話として「(住民からの)廃止に関する問い合わせや励ましの電話も一本もなかった」という発言が掲載されている。なお、2004年7月に存廃を議論する検討会が立ち上げられた時も、2005年末に一部報道機関によって「廃止決定」と報じられた時も、ニュータウン住民を含む沿線住民の手による存続運動や利用促進活動は、全く行われていない。
同年3月に、愛知県と小牧市は桃花台線の支援を断念する旨を発表する。結果、桃花台線の廃止が決定する。
その後廃止前の同年9月19日から、代替交通機関としてニュータウンと小牧駅を結ぶバス(ピーチバス)が運行を開始する。このバスは当初、「朝のラッシュ時に渋滞や馴れない利用者の乗降などの理由で、予定していた到着時間よりも遅れる」などの問題が報じられた。しかしその一方で運行会社であるあおい交通には、「ピーチライナーと比べ家の近くから乗れるようになり、便利になった点もある」、「夜はピーチライナーよりも早く家に着くようになった」などといった声も寄せられている。
また廃止した同年10月に、名鉄バスはニュータウンとJR春日井駅を結ぶ路線バスを新設している。加えて、既存の名古屋市内行きの都市間高速バス桃花台線を増便させている[6]。そのためニュータウン住民の一部には、「(桃花台線が)廃止になって、むしろ便利になった」と言う人もいる。
ニュータウン住民の多くは、桃花台線を利用せず、計画段階で想定されなかった競合路線のJR中央線を利用して名古屋へと向かっていた。その数は、桃花台線を利用していた人が1日約2,670人[7](1991年から2004年までの平均。2005年度が過去最高で、1日3,500人。ニュータウン人口の約6%)だったのに対し、約5倍の13,000人(国土交通省試算)であった。
そのような現状から、住民は小牧市に対し、「JR春日井駅への路線バス開設」を度々求めたが、小牧市は「他交通機関(具体的には、桃花台線)との需要調整」という理由で、認可しなかった。住民は名鉄バスにも度々嘆願したが、名鉄バスも開設しなかった(名鉄バスは桃花台線廃止後に、桃花台-JR春日井駅間の路線バスを新設している)。
そこで住民は、「桃花台バス運営会」を組織。2002年4月、ニュータウン近くにある大学のスクールバスを運行させていたあおい交通に運行を委託する形で、JR春日井駅行きの会員制バスの運行を始める。その後路線バス事業の規制緩和により、同年10月、会員制バスは、あおい交通の路線バス(桃花台バス)として運行されるようになる。
愛知県が造成し都市再生機構(旧 住宅・都市整備公団)が販売した、ニュータウン南部の城山5丁目地区にある住宅で地盤沈下が発覚し、問題となっている。問題の発覚は2001年、同地区の2軒の住宅に住む住人から、都市再生機構に対し「家が傾いてきた」との苦情が届いた事に始まる。その後都市再生機構が調査したところ、2軒の住宅とも家が沈下している事が判明。2軒の住宅は都市再生機構が買取り、後に解体された。
2軒の住宅から突然家主が引っ越した事を不審に思った近所の住民が、都市再生機構に問い合わせたところ、地盤沈下の事実を知る。2005年にはこの2軒の住宅周辺の住民からも、都市再生機構に対し「家が傾いてきた」などの苦情が相次いで届くようになる。その結果都市再生機構がそれらの住宅を調査したところ、数軒で地盤沈下が判明する。2006年2月都市再生機構は、問題となっている地域のボーリング調査を開始する。すると、さらに十数軒の住宅が沈下している事が判明。この事は、マスメディアによって大きく報じられる事となる。
2006年7月都市再生機構は、地盤沈下の原因を探るべく、解体した2軒の住宅跡地の地下の土壌の調査分析を開始。同年11月に結果を公表している。それによると、「問題となっている土地は産業廃棄物が層となって残っており、その上にさらに土が盛られている状態であった。この産業廃棄物層の上にある土の層が造成の際十分踏み固められておらず、雨水が浸透。その結果その層が沈下し、さらにその重みに耐えられず、産業廃棄物層が沈下した。」というものであった。
2006年11月に公表された都市再生機構の調査結果では、城山地区に産業廃棄物が現存している事が確認されている。 また同調査では、環境基準値の170倍の鉛を含む5種類の有害物質や、油分、木片、ガラス片、ビニール袋なども確認されている。
同年8月住民からの要請を受けた小牧市は、市独自の調査を開始する。都市再生機構の調査地点から土壌サンプルを回収し、同年10月に分析結果を公表している[8]。それによると、「土壌には環境基準を上回る有害物質(ヒ素:3.6倍、ジクロロメタン:約1.9倍)が含まれており、通常の土壌ではほとんど検出されない油分も検出された」となっている。この調査結果を受けて小牧市は、愛知県と都市再生機構に対し、適切な対応を求める要望書を提出している。
同年8月住民は愛知県に対し、県独自の調査を要請している。それに対し愛知県は、「都市再生機構側に責任がある」として、要請を断っている。しかしその一方で、愛知県庁の職員が都市再生機構の調査地点から土壌サンプルを回収。同年10月に小牧市とともに分析結果を公表している。それによると、小牧市の調査では環境基準を上回る有害物質が見つかっているのに対し、愛知県の調査結果は「環境基準を上回る有害物質は見つからなかった」というものであった。
新たな問題として同年11月に開かれた住民説明会で、愛知県は、問題となっている地域の土壌がニュータウン内の3つの学校(大城小学校、光ヶ丘小学校、光ヶ丘中学校)のグラウンドに持ち込まれて埋められた事を公表した。そして調査対象地区を学校グラウンドにも拡大し、改めて調査を行った。その結果、光ヶ丘小学校と大城小学校の敷地内で、環境基準の1.1〜2.2倍の鉛が見つかった。一方住宅地からは、1.3〜6.9倍の鉛と1.2倍の総水銀、そして1.5倍のヒ素が見つかった。さらに黒い土が見つかった全ての地点からは、油分が検出された[9]。
この調査結果に対し愛知県は、環境基準を超えた物質が見つかった場所は全て1.2〜2.5mの土で覆われており、地下水の飲用利用もないため、「人体への影響は無い」としている。また「(環境基準を超えた物質が)検出された原因は判らない」としたうえで、県の責任を否定している。
また2008年4月には、古雅地区に整備される予定の住宅地「エコーガーデン桃花台」の土地の一部の地下からも、環境基準を上回る有害物質(基準約7倍のヒ素、基準をやや上回るフッ素)が見つかっている。これは他地区で土壌汚染が相次いで発覚した事を受けて、整備を行っている愛知県住宅供給公社が2007年10月から行った土壌調査で明らかとなった[10]。なお、なぜ有害物質が見つかったかについては、不明としている。
この問題の責任を巡って、2006年8月都市再生機構は「地盤沈下の原因は愛知県の責任である」として、住民への補償費用やこれまでかかった調査費用などを求める裁判を名古屋地方裁判所に起こした。都市再生機構側は「(愛知県から)大量の廃棄物が持ち込まれた場所だったとは聞いていない。廃棄物があれば購入していない」と主張。それに対し愛知県側は「土地売買の際、資料のやりとりはあったはず。旧住宅・都市整備公団には、住宅の売り手として、地盤をよく調べる義務がある。基礎を頑丈にした近隣の住宅では、問題は起きていない」と主張した。判決が出たのは2009年3月26日。「地盤調査する責任は都市再生機構にあった」として、都市再生機構側の訴えは棄却された。[11]
2007年10月、問題が起こっている城山地区に住む5人の住民が、住宅の購入費用の返還を求めた裁判を名古屋地方裁判所に起こした。訴えられた側は愛知県と都市再生機構。賠償請求額は総額約9,300万円[12]。その後2008年11月にも、同地区に住む別の住民12人が、同じく愛知県と都市再生機構を相手取って有害物質の除去や損害賠償を求める裁判を起こしている。賠償請求額は総額約1億2千万円。[13]
住民は県の公害審議会に対し、2008年3月に公害紛争処理法に基づく公害調停を申請。住民側は委員に対し、原因究明や第三者機関による土壌調査を要請した。これに対し愛知県側は、調停の打ち切りを要請。都市再生機構も自らの責任を否定したうえで、調停には応じない構えを見せた。 その後3回の調停が行われたが、結局3者相容れず。同年8月の3回目の調停で、打ち切りが決定した。[14]
都市再生機構は、地盤沈下の対策については「これ以上両層とも沈下する可能性は低い」として、一軒ごとに住宅を調べたうえで場合によってはジャッキアップ工法で修復工事を行うとしている。それに対して住民は、「それでは不十分だ」として産業廃棄物の完全撤去を求める意見を出している。しかし、都市再生機構は産業廃棄物に関して「愛知県の調査結果を待ってから検討する」としている。
愛知県は土壌汚染の範囲を測定するため、「2006年中に調査を開始し、翌2007年3月には結論をまとめる」としている。調査の詳細は、「すでに解体された2軒の住宅を中心に同心円状に1軒1軒ボーリング調査をしていく」というものである。また新たな問題として浮上したニュータウン内の3つの学校のグラウンドへの問題となっている土壌の埋設に対応する為に、「これらの学校のグラウンドも調査する」としている。 なお愛知県は、現在も産業廃棄物の存在を認めていない。問題となっている土壌については、「粘土質の土壌」、「黒っぽい土」などとしており、あくまで自然の土であるという立場である。これに対し住民は、「土壌からは木片やガラス、油分などが見つかっており、明らかに産業廃棄物だ」と愛知県の認識を非難している。
一方地盤沈下に関する対応について愛知県は、2006年11月に行われた住民説明会で、都市再生機構との裁判を理由に曖昧な対応をした。そのため住民からは、「住民より裁判を重視するのか」と非難が相次いだ。結果、その翌日に行われた県知事の定例記者会見でもこの問題が取り上げられた。その際神田真秋愛知県知事は、あくまで「地盤沈下の責任は、都市再生機構にある」としながらも、土壌調査の際に得られる地盤沈下に関する情報(地耐力データ)の住民への公開を示唆した[15]。
ニュータウンを含めた一帯では、江戸時代から第二次大戦後しばらくにかけて、石炭の一種である「亜炭」と呼ばれる鉱物が掘り出されていた。そのため、一部報道機関では「地盤沈下の原因は、亜炭鉱が崩れたからではないか」と報じられた。
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