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グンゼ株式会社(英: Gunze Limited)は、大阪府大阪市北区梅田に本社(登記上の本店は京都府綾部市)を置く、肌着・インナー及びストッキングを主とする日本の繊維製品メーカーである。旧名は郡是製絲株式会社(ぐんぜせいし)。
グンゼ綾部本店(登記上の本店) グンゼ大阪本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
大証1部(廃止) 3002
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略称 | GUNZE |
本社所在地 |
日本 〒530-0001 大阪市北区梅田2丁目5-25 ハービスOSAKAオフィスタワー |
本店所在地 |
〒623-8511 京都府綾部市青野町膳所1 |
設立 |
1896年8月10日 (郡是製絲株式会社) |
業種 | 繊維製品 |
法人番号 | 7130001041734 |
事業内容 |
機能ソリューション事業 アパレル事業 ライフクリエイト事業 |
代表者 |
廣地厚(代表取締役会長) 佐口敏康(代表取締役社長兼社長執行役員) |
資本金 |
260億7,100万円 (2020年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
2億993万5,165株 (2017年3月31日現在) |
売上高 |
連結:1,403億1,100万円 単体:1,077億4,100万円 (2020年3月31日現在) |
営業利益 |
連結:67億4,600万円 単体:20億8,600万円 (2020年3月31日現在) |
経常利益 |
連結:68億6,800万円 単体:45億1,000万円 (2020年3月31日現在) |
純利益 |
連結:43億8,700万円 単体:44億2,700万円 (2020年3月31日現在) |
純資産 |
連結:1,091億3,900万円 単体:1,055億1,300万円 (2020年3月31日現在) |
総資産 |
連結:1,666億3,300万円 単体:1,431億8,100万円 (2020年3月31日現在) |
従業員数 |
連結:5,692人 単体:1,662人 (2022年3月31日現在) |
決算期 | 1,833 |
会計監査人 | 協立監査法人 |
所有者 | グンゼ株式会社 |
主要株主 | 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(15.59%) |
主要子会社 |
福島プラスチック株式会社 グンゼ包装システム株式会社 |
関係する人物 |
波多野鶴吉(創業者) 羽室嘉右衛門(初代社長) 白井文(社外取締役、前尼崎市長) |
外部リンク | www.gunze.co.jp |
社名の「グンゼ」は創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来する。国の方針である国是、会社の方針である社是のように、創業地の何鹿郡(現・京都府綾部市)の地場産業である蚕糸業を、郡(地域)を挙げて振興・推進していくことが郡の急務であり「郡是」であるとの考えによる。元農政官僚で殖産興業の父と呼ばれた前田正名の所信に共鳴したもの。[1]
創業者の波多野鶴吉は、1858年(安政5年)綾部藩筆頭大庄屋、名字帯刀御免、札元、掛屋の羽室嘉右衛門家第6代嘉右衛門の次男に生まれる。1866年(慶應2年)8歳で母の実家の分家の波多野家の養子になり、1875年(明治8年)に京都中学に入学後、書籍出版や自由民権運動に携わるが成就せず、養家の財産も尽きたため、綾部に帰郷し生家の羽室嘉右衛門家に寄宿することとなった。その後、1883年(明治16年)に明瞭銀行を設立し、頭取であった兄の第7代羽室嘉右衛門の信用により何鹿郡蚕糸業組合の組合長に就き、1887年(明治20年)には、兄の財政支援を受け、兄と共に生家に製糸業羽室組を創業する。1896年(明治29年)には、羽室組を母体として、羽室嘉右衛門家の豊かな財産と信用(第7代羽室嘉右衛門は京都府多額納税者、第一期及び第二期貴族院多額納税者互選人。明治18年京都府第6位地租納税、明治31年京都府第11位多額納税者。)を背景に、1896年(明治29年)8月10日に、郡是製絲株式会社を、創業地の産業である蚕糸業の振興を目的に創業し、取締役会において、初代社長には兄の羽室嘉右衛門が選任された。社名の郡是は創業の前年の綾部での前田正名の演説に波多野鶴吉が共鳴して命名したもの。
初代社長の羽室嘉右衛門は郡是製絲株式会社の筆頭株主でもあり、メインバンクの明瞭銀行の頭取でもあったが、1901年(明治34年)の北清事変後の金融恐慌により、明瞭銀行が破綻した。このとき、波多野鶴吉が兄羽室嘉右衛門に、「羽室家も銀行も一緒に捨てて、郡是を助けてください。郡是の後ろにある何鹿郡の百姓を助けてください。」と懇願し、羽室嘉右衛門は個人資産処分により銀行を整理し、郡是製絲株式会社を存続させ、社長を退任した。これにより、波多野鶴吉が郡是製絲株式会社第2代社長に就任した。郡是製絲は、蚕糸・紡績業が国家的事業として力が注がれていた明治期にあって、早くから海外に生糸を輸出し、高い評価を得た。海外の拠点開設も早い段階から行い、急速に業績を拡大してゆく。また、製糸工場では女性の労働者が中心であり、地域の養蚕農家の子女を集めて操業していた。女工哀史という歴史があるように、当時が劣悪な労働環境で働かせる工場が多かった時代に、同社は女工ではなく「工女」と呼んで大切にし、工場内に女学校まで設立して人間教育に務めた。同様に、大資本を背景に財閥オーナー企業で創業する場合が多い明治期に、創業時から株式会社制度でスタートした同社は極めて稀有な企業であり、低賃金労働による搾取も感じられない、現代のCSR(企業の社会的責任)という言葉をそのまま体現した[独自研究?]ような会社だったといえる[誰によって?]。創業者の波多野鶴吉の掲げた『創業の精神』がそれを示している。
人間尊重と優良品の生産を基礎として、会社をめぐるすべての関係者との共存共栄をはかる — 波多野鶴吉、創業の精神
製糸業の隆盛が長く続かず、レーヨン(人絹)等の合成繊維が1900年代に誕生以降、徐々に蚕糸・紡績業の国際競争力は低下した。それに伴い、製糸業という繊維一次産業から二次産業への参入を検討し、1934年(昭和9年)に塚口工場にてフルファッション靴下の生産に着手した。太平洋戦争後の1946年(昭和21年)、日本国内で初めて肌着・下着の一貫生産に着手。それまでは分業による生産が当たり前であり、世間では「メリヤス(当時、下着の生地をそう呼んでいた)工場と腫れ物は大きくなると必ず潰れる」と揶揄され、懐疑的な意見ばかりだった。当時、宮津工場長だった岩内菊治郎は「品質第一主義」を掲げて徹底的に品質改良に取り組み、優れた肌着を開発した。戦後の厳しい経済環境下で粗末な製品(メリヤスは、漢字で一般に「莫大小」と表記することもあり、莫=ニットのループの大きさバラつき、生地が縮んだり、ダレたりして形態安定が良くない)がほとんどだった時期に、逆に優れた商品を発売したことで人々に受け入れられた。1952年(昭和27年)にはナイロン製靴下の生産を開始。以降、このような実用性アパレル製品分野が事業の主力を形成し、経営貢献することとなる。このアパレル二次加工事業の成長拡大に伴い、その製品の包装材料を内製化を試みることで、1960年代からはプラスチック・フィルム製品の製造に着手、非繊維分野への進出の足掛かりをつくった。一方、創業からの主力産業の製糸業は徐々に事業規模が縮小し、1987年(昭和62年)に生産終了し、完全撤退した。
主力事業となった下着や靴下のアパレル分野は、1980年代から1990年代前半のバブル期に事業ピークを迎えている。しかし、当時の経営陣は、やがて国際貿易時代(グローバル社会)が到来すると予見。海外の低賃金労働力を背景として低価格製品の国内輸入が拡大し、下着や靴下の事業の隆盛も永続しないと考え、新規事業開発に注力した。労働集約的な繊維業界ではなく、かつグローバル市場展開が可能で競争力が維持しやすい参入企業が少ない市場での事業化を当時掲げていた。結果、プラスチック・フィルム分野の派生から各種の機能性材料の開発事業化に成功。これが現在の機能ソリューション事業として経営貢献するまで成長拡大した。この事業分野では、飲料や食品包装用フィルムや高機能プラスチック素材でOA機器向け材料を開発、また導電性フィルムの開発を契機にタッチパネルやその関連フィルム等の事業が誕生している。アパレル分野では、従来の実用的製品からアウター含む総合アパレルへの脱皮を試みるが、スポーツウェア販売等含めいずれも成功せず、撤退している。
当時、海外進出も開始して現地の合弁事業にも積極的な一方、国内の生産拠点の集約、閉鎖に伴う遊休地の再開発に着手することになる。1980年代以降、同社自ら不動産開発事業に乗り出し、1985年(昭和60年)に兵庫県尼崎市の旧・塚口工場跡に西武百貨店をキーテナントとした大型ショッピングモール「グンゼタウンセンター つかしん」をオープンした。コピーライターの糸井重里が「つかしん」と命名したこの再開発プロジェクトは、単に商業施設開発だけでなく、新たな生活文化を生む街づくりをも目指す大きな試みであった。以降、群馬県前橋市の「前橋リリカ」をはじめとする商業施設の開発と運営を進め、それと共に施設集客コンテンツや顧客の健康促進としてグループ会社運営の複合型スポーツクラブ「グンゼスポーツクラブ」を展開開始した。また、「つかしん」では、源泉掛け流し式温泉(スーパー銭湯)である「湯の華廊」も運営している。これらの不動産開発や商業施設運営、スポーツクラブ運営などが、現在のライフクリエイト事業を構成している。
2014年度から2020年度の7カ年の中期経営計画『CAN20』を推進中である。現社長の児玉和は、1896年(明治29年)の製糸業時代を第一の創業期として、靴下や肌着等の繊維二次加工製品事業の展開段階を第二の創業期として、現在の収益基盤となっている機能ソリューション事業へ参入した1980年代を第三の創業期として位置づけ、現在を第四の創業期だと社内外に公表している。多角的なビジネス展開をしており、社内外で企業イメージ、ブランドイメージが分散していたため、コーポレート・ブランドの再定義を進め、新たに『明日をもっと、ここちよく』というブランドステートメントを2013年に制定、同社のビジネスを社会への『ここちよさ』の提供が根幹であるを再定義し、分散したブランド・イメージの統一を図っている。
『CAN20』では、人々のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上に貢献できるビジネスへの注力を掲げている。メイン領域を医療・健康分野と見定めて、機能ソリューション事業で成長拡大してきたメディカル材料分野とライフクリエイト事業のスポーツクラブ分野の成長拡大を目指すとしている。
他
歴史的建造物が残るグンゼ綾部本社は、映画やドラマのロケ地としても使われている。
ほか
雪村いづみ | 松尾ジーナ | 早見優 | 後藤久美子 | 黒谷友香 | 釈由美子 | 小畑由香里 | 加藤夏希 | 神田うの | 菅田将暉 |
篠原涼子 | 井川遥 | 吉岡美穂 | hitomi | ロンドンブーツ1号2号 | 新庄剛志 | 長瀬智也 | 木村カエラ | 成宮寛貴 | 杉野遥亮 |
北澤豪 | マイク・ピアッツァ(MLB) | オダギリジョー | 伊東美咲 | 松田優作(ドラマ探偵物語の本編映像を流用) | 福原愛 | 緒形拳 | 蛭子能収 | チェリッシュ |
ほか
まんまるでべそキャット | 胴長でべそキャット | 親子でべそキャット |
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