一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2024年6月から柳家さん喬が会長を務める[1]。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員[3]。社会教育団体振興協議会 加盟団体。
- 奇数月上席(かみせき)1日〜10日 - 鈴本演芸場 浅草演芸ホール ※初席、ゴールデンウィーク
- 奇数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 新宿末廣亭 池袋演芸場 ※二の席
- 奇数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 浅草 池袋
- 偶数月上席(かみせき)1日〜10日 - 上野 新宿 池袋
- 偶数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 浅草 ※お盆興行
- 偶数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 新宿 池袋
- 他に、上席・中席には国立演芸場の定席がある。
- 正月初席は浅草東洋館でも興行を打つ。このため、一枚のチケットで観客は浅草演芸ホール・東洋館両方に入場できる。
- 浅草でのお盆興行では大喜利として「住吉踊り」が協会所属の落語家によって催される[注釈 2]。
- 上野の初席は特別興行(3部制)で、お盆興行は特別興行となる。
- 池袋の毎月下席は通常の定席興行でなく、日替わり特別企画(「落語協会特選会」)として行われる。
- このほか、落語協会の2階を利用して、毎週土・日曜に二部制で「黒門亭」と称する定席興行を開催している(2023年現在、各回定員は30名。木戸銭は各回1000円)。同協会所属の芸人(回により色物も出演あり)が各回4人程度出演する。
- 1923年9月1日 - 関東大震災で東京が壊滅。旧来の「会社」と対立する諸派(睦会ら)の体制では立ち行かなくなる。
- 1923年10月 -「会社」も諸派も解散し、東京落語界が大同団結し、全員が合同して落語協会を設立する(設立に奔走した5代目柳亭左楽が会長となる)
- 1924年5月 - 協会分裂。会長の五代目を含む多くが脱退し「睦会」を再興。
- 1927年 - 協会分裂。人気の頂点にあった初代柳家三語楼が一門ごと退会し、全く同名の落語協会を設立した。
- 以後、旧来の落語協会を「東京落語協会」と、三語楼一門の協会を「三語楼協会」と俗称するようになる。
- 1930年 - 三語楼協会崩壊。初代三語楼は単独で東京落語協会に復帰(1932年に再度脱退)。
- 1940年5月3日 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。結社としての落語協会は活動を停止し、全員が講談落語協会落語部第一班に加盟。
- 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、落語協会が事実上復活。
- 1946年10月 - 「落語協会」として新たに発足。
- 1963年 - 副会長の役職が新設される。
- 1972年 - 会長に五代目柳家小さんが就任し、これまでの協会組織と真打制度の改革に着手する。これまで当時の会長宅が兼ねていた落語協会事務所を独立させ、東京都台東区上野一丁目9番5号に、通称「らくごくらぶ」として設置する[4]。
- 1977年12月15日 - 旧法のもとで法人格を取得。社団法人落語協会となる。
- 1978年 - いわゆる落語協会分裂騒動により、六代目三遊亭圓生一門の多数が退会し、「落語三遊協会」を設立。
- 1980年2月 - 前年9月の六代目圓生の死去により事実上解散した落語三遊協会の大半が落語協会へ復帰(五代目三遊亭圓楽一門を除く)。
- 1980年11月 - 第1回真打昇進試験(正式名称は「真打審査会」)を実施。対象20名のうち16名が受験、11名が合格[5]。
- 1981年5月 - 第2回真打昇進試験を実施。7名が受験、5名が合格(追試あり)。
- 1982年5月 - 真打昇進試験を改定、昇進と寄席の披露興行を切り離した。
- 1982年12月 -第1回真打昇進"認定"試験を実施。10名が受験、全員合格。
- 1983年5月 - 第2回真打昇進認定試験実施。受験者10名、合格者6人。
- 1983年6月 - 立川談志一門が退会し、11月に落語立川流を設立。
- 1983年10月 - 第3回真打昇進認定試験実施。6名が受験、合格者なし。翌年春の真打昇進認定試験の実施は見送られた。
- 1984年12月 - 桂文朝、桂文生、桂南喬らが落語芸術協会から移籍。
- 1985年10月 - 落語立川流から立川談生が移籍、鈴々舎馬桜となる。
- 1986年10月 - 第4回真打昇進認定試験を実施、4名が合格。
- 1987年5月 - 第5回真打昇進認定試験を実施、5名受験、2名合格。
- 1987年6月 - 真打昇進認定試験の廃止を決定[5]。
- 1988年9月 - 上方落語協会所属の露の五郎(後の二代目露の五郎兵衛)が「客分」として入会。以前から落語協会の定席興行に客演していた。
- 2003年 - 自前の施設における協会自身による落語興行「黒門亭」がスタート。
- 2007年 - Yahoo!インターネット検定の一環として「落語『通』検定」を監修。テキストを発行、質問形式で落語について1級~3級まで知識を確認した。(~2012年)
- 2008年12月1日 - 民法が改正され、特例社団法人となる。
- 2012年3月21日 - マスコットキャラクターとして「はなしか」(鹿のゆるキャラ)がデビュー[6]。
- 2012年8月1日 - 一般社団法人に移行 。これに伴い、社団法人落語協会から、一般社団法人落語協会に改称。
- 2020年7月1日 - 新型コロナウイルス(Covid-19)感染拡大防止対策のため休席となっていた東京都内の寄席定席4軒が全て再開したことを受けて、柳亭市馬会長からのメッセージ動画を公式YouTubeで配信(司会・林家たい平)。
- 2020年8月1日 - 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言を受けて、4月3日より中止となっていたこの年の春の真打昇進披露興行(三遊亭丈助・春風亭一左・三遊亭志う歌・玉屋柳勢・三遊亭歌扇)が、この日から新宿末廣亭を皮切りに浅草演芸ホール・池袋演芸場で再開。
- 2020年9月6日 - この日に湯島天満宮で開催が予定されていたファン感謝イベント「落語協会謝楽祭2020」が新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となり、メッセージ動画と前年の名場面集が公式YouTubeより配信された。メッセージ部分の出演は柳亭市馬(会長)・入船亭扇辰(2020年謝楽祭実行委員長)・五明樓玉の輔(理事)・柳家喬太郎(常任理事)・春風亭一蔵(2020年謝楽祭副実行委員長)・林家たい平(司会/常任理事)。
- 2020年10月3日 - 3月28日から休席となっていた「黒門亭」が、感染症予防対策・入場制限(定員10名)の上、電話予約によるチケット販売でこの日より再開。
- 2021年1月16日 - 黒門亭この日から再び休席。
- 2021年1月20日 - 定席出演者2名(鈴々舎馬風・桃月庵白酒)と前座3名が新型コロナウイルスに感染したことを受け、この日(正月二之席千秋楽)から下席(21日~30日)まで主催する寄席定席(鈴本演芸場・浅草演芸ホール・池袋演芸場)を休席とした(鈴本以外は2月より公演再開)。
- 2021年3月21日 - この日より鈴本演芸場が当協会の真打昇進披露興行より公演再開。ただし、当面の間は昼の部のみとし、4月より毎週月曜定休も導入。
- 2021年5月18日~6月30日 - コロナ禍の緊急事態宣言下で休業・営業時間宣言等を繰り返し、営業危機に陥った東京の寄席定席(鈴本演芸場・新宿末広亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場・お江戸上野広小路亭)を救うために、落語芸術協会と合同で寄席支援プロジェクトのクラウドファンディング「寄席の危機に想いを寄せて」(運営:READYFOR)を立ち上げる。プロジェクトは、開始4日目の5月21日に第一目標の5,000万円を突破、第二目標の8,000万円も6月14日に達成。最終日の6月30日には支援者7,149人、支援金額103,770,000円という規模となり、手数料等を差し引いて分割された金額が各寄席に興行運営費として贈呈された[7]。
- 2021年9月12日 - 「落語協会謝楽祭2021」をYouTubeより生放送と録画チャンネルで配信。実行委員長は入船亭扇辰、副委員長は春風亭一蔵。
- 2022年1月21日 - 鈴本演芸場の夜公演で実施していた落語協会主催公演「百日寄席 上野街笑賑」を、東京都へのまん延防止等重点措置の発出を受けて、感染症拡大防止の観点から当面の間公演を一時中止[8]。3月下席(21日)より公演再開、5月下席で公演終了。
- 2022年6月4日 - 黒門亭公演再開。
- 2023年3月 - 浅草演芸ホール上席夜の部の公演において、首都圏定席寄席としては初となる全出演者を女性芸人で構成する番組「桃組」公演を開催。主任は蝶花楼桃花(7日のみ柳亭こみちが代演)[9]。
- 2024年2月25日 - 落語協会創立100周年を迎える。記念事業「落語協会誕生百年企画」として様々な企画を実施するプロジェクトを前年2023年2月から立ち上げ、同企画の実行委員長は同協会副会長の九代目林家正蔵[10]。『都新聞』(現『東京新聞』)に載っていた発会式の記事を元に、1924年2月25日を協会創立の日と定め[11]、発会式が行われた同じ上野精養軒で記念式典を行った。
- 2024年6月26日 - 落語協会総会において、5期10年続いた柳亭市馬会長が退任。後任の12代会長に柳家さん喬が選任された[12]。
歴代副会長
1963年新設。現在副会長の9代目正蔵と8代目正蔵(後の彦六)と副会長在職中に亡くなった人物以外は全員会長に昇格している。
香盤順[14][15]。
講談師
落語家の「真打」とも「色物」とも別の扱いとなっている。定席興行でも主任(トリ)を務めることがある。いずれも講談協会あるいは日本講談協会との二重加盟であり、それぞれの協会では真打として扱われている。
色物
芸種は「東都寄席演芸家名鑑2」(東京かわら版刊、2023年)による。
おはやし
落語協会のお囃子連は、原則として「苗字+名前は平仮名2字(例外あり)」の高座名で活動する。
- 丹羽こと
- 太田その
- 金山はる
- 長澤あや
- 千葉しん
- 恩田えり
- 松尾あさ
- 岡田まい
- 柳沢きょう
- 森吉あき
- 田村かよ
- 井上りち
- 星乃もと
- 石川さき
- 林ふみ
- 吉田うた
系図(落語家のみ)
- 真打は太字、前座は小文字で示した。
- †印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。物故者については公式サイトの記載がある者または系図上必要な者のみ記載。
落語協会では、毎年カレンダー(落語協会暦)を作成している。以下は、2022年(令和4年)の例となるが、フォーマットは毎年ほぼ一定している[16]。
- 3か月めくり
- 日時表記の下に、その年に予定されている真打昇進披露興行・襲名披露興行のスケジュールが記載されている。
- 祝日表記と共に、記載されている独自の記念日は以下のとおり。初席初日(1月1日)・二之席初日(1月11日)・寄席の日(6月6日)・円朝忌(8月11日)・謝楽祭(9月4日)・古典の日(11月1日)・一の酉(11月4日)・二の酉(11月16日)・三の酉(11月28日)。なお、六曜表記はない。
- また、2ページまたは3ページに落語協会定席(鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)の地図が掲載されている。
- デザイン
- 1月~3月 林家木久扇による干支にちなんだイラスト 表紙が無いかわりに、画中に木久扇による「年号+落語協会暦」の文字が入る。
- 4月~6月 林家たい平によるイラスト 寄席風俗にちなんだグッズなどが描かれる。
- 7月~9月 林家正楽の紙切り 落語や出演芸人などにちなんだもの
- 10月~12月 落語協会演芸家総覧[注釈 17] 番付形式となっており香盤順に橘右楽による寄席文字で書かれた、当該年1月1日付で落語協会に所属する芸人全員記載の表。おおよそ以下のような原則のもとに書かれている。
- その年内に真打昇進・襲名等が決まっている芸人は新しい位置・名前で掲載されるが、二ツ目・前座については、書かれた時期(前年の後半)の香盤での掲載となる。また、原稿〆切後(前年の秋ごろ)に死去・引退などをした芸人はそのまま掲載され、訂正などはない。
- 販売方法
落語協会カレンダーは、所属芸人が御贔屓などに配布したり、自身が出演する落語会などで販売する。また、一般向けには、寄席での販売・落語協会での現金書留送付による通信販売がある。一般書店・各種オンラインショップなどでの流通は原則ない。
注釈
台東区上野一丁目9番5号らくごくらぶ内とした時期もあった[2]。
講談師である6代目一龍斎貞山が「落語協会」の会長になった。
6代目一龍斎貞山の死亡確認は上野山下で弟子により遺体が発見されたことによる。
元・三遊亭天歌。2022年、前師匠からの破門に伴い協会公式サイトから削除されたが、以後も本名名義で正会員として在籍。2023年8月、吉原朝馬門下で復帰することが決定し活動再開した。
2023年1月から結城たかしと漫才コンビを再結成し「J・J京二・たかし」として活動。その後、2024年3月に解散し再び漫談家に戻る。
2021年12月30日にこいるが死去したことに伴い、のいるの単独加入状態(ただし、のいるも病気療養中)。
結城たかしと「ふるさとコンビ」を結成していたが、遊平自身が列車との接触事故の療養などにより、2022年12月に解散。2023年4月に漫談家として活動を再開。
元「ホームラン」(漫才)。2021年9月18日に相方の勘太郎が死去したことに伴い、漫談家に転向。
2019年7月に利(現:天草ヤスミ)とのコンビ解散以後は弾の単独加入状態であった。その後、遊次とともにホンキートンクを再結成してからも同様であったが、2020年9月21日より遊次が準会員として加入した(遊次のツイートより)。協会のプロフィールではコンビとしての「ホンキートンク」の表記に戻ったが、個人のプロフィールは弾のみが掲載されていた。また、名鑑には遊次のプロフィールが末席(おしどりの後)に掲載されていた。その1年後の2021年9月21日付で遊次が正会員に移行したため、遊次も個人プロフィールに掲載されるようになった。
大空遊平と「ふるさとコンビ」を結成していたが、2022年12月に解散。結城は2023年1月から東京二とコンビを再結成し「J・J京二・たかし」として活動。その後、2024年3月に解散し、再び漫談家として活動。
二代立花家橘之助の弟子。2023年11月より正会員へ移行。正会員になる以前から師匠とともに高座に上がっていた。
2016年頃に協会を脱退。「東都寄席演芸家名鑑」ではフリーの落語家として扱われている。
出典
弘文出版「落語」1988年第27号 P10-11より。
“協会概要”. 一般社団法人落語協会. 2024年7月20日閲覧。