落語協会
日本の東京都台東区にある落語家団体 ウィキペディアから
一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2024年6月から柳家さん喬が会長を務める[1]。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員[3]。社会教育団体振興協議会 加盟団体。
興行
- 奇数月上席(かみせき)1日〜10日 - 鈴本演芸場 浅草演芸ホール ※初席、ゴールデンウィーク
- 奇数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 新宿末廣亭 池袋演芸場 ※二の席
- 奇数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 浅草 池袋
- 偶数月上席(かみせき)1日〜10日 - 上野 新宿 池袋
- 偶数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 浅草 ※お盆興行
- 偶数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 新宿 池袋
- 他に、上席・中席には国立演芸場の定席がある。
- 正月初席は浅草東洋館でも興行を打つ。このため、一枚のチケットで観客は浅草演芸ホール・東洋館両方に入場できる。
- 浅草でのお盆興行では大喜利として「住吉踊り」が協会所属の落語家によって催される[注釈 2]。
- 上野の初席は特別興行(3部制)で、お盆興行は特別興行となる。
- 池袋の毎月下席は通常の定席興行でなく、日替わり特別企画(「落語協会特選会」)として行われる。
- このほか、落語協会の2階を利用して、毎週土・日曜に二部制で「黒門亭」と称する定席興行を開催している(2023年現在、各回定員は30名。木戸銭は各回1000円)。同協会所属の芸人(回により色物も出演あり)が各回4人程度出演する。
沿革
- 1923年9月1日 - 関東大震災で東京が壊滅。旧来の「会社」と対立する諸派(睦会ら)の体制では立ち行かなくなる。
- 1923年10月 -「会社」も諸派も解散し、東京落語界が大同団結し、全員が合同して落語協会を設立する(設立に奔走した5代目柳亭左楽が会長となる)
- 1924年5月 - 協会分裂。会長の五代目を含む多くが脱退し「睦会」を再興。
- 1927年 - 協会分裂。人気の頂点にあった初代柳家三語楼が一門ごと退会し、全く同名の落語協会を設立した。
- 以後、旧来の落語協会を「東京落語協会」と、三語楼一門の協会を「三語楼協会」と俗称するようになる。
- 1930年 - 三語楼協会崩壊。初代三語楼は単独で東京落語協会に復帰(1932年に再度脱退)。
- 1940年5月3日 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。結社としての落語協会は活動を停止し、全員が講談落語協会落語部第一班に加盟。
- 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、落語協会が事実上復活。
- 1946年10月 - 「落語協会」として新たに発足。
- 1963年 - 副会長の役職が新設される。
- 1972年 - 会長に五代目柳家小さんが就任し、これまでの協会組織と真打制度の改革に着手する。これまで当時の会長宅が兼ねていた落語協会事務所を独立させ、東京都台東区上野一丁目9番5号に、通称「らくごくらぶ」として設置する[4]。
- 1977年12月15日 - 旧法のもとで法人格を取得。社団法人落語協会となる。
- 1978年 - いわゆる落語協会分裂騒動により、六代目三遊亭圓生一門の多数が退会し、「落語三遊協会」を設立。
- 1980年2月 - 前年9月の六代目圓生の死去により事実上解散した落語三遊協会の大半が落語協会へ復帰(五代目三遊亭圓楽一門を除く)。
- 1980年11月 - 第1回真打昇進試験(正式名称は「真打審査会」)を実施。対象20名のうち16名が受験、11名が合格[5]。
- 1981年5月 - 第2回真打昇進試験を実施。7名が受験、5名が合格(追試あり)。
- 1982年5月 - 真打昇進試験を改定、昇進と寄席の披露興行を切り離した。
- 1982年12月 -第1回真打昇進"認定"試験を実施。10名が受験、全員合格。
- 1983年5月 - 第2回真打昇進認定試験実施。受験者10名、合格者6人。
- 1983年6月 - 立川談志一門が退会し、11月に落語立川流を設立。
- 1983年10月 - 第3回真打昇進認定試験実施。6名が受験、合格者なし。翌年春の真打昇進認定試験の実施は見送られた。
- 1984年12月 - 桂文朝、桂文生、桂南喬らが落語芸術協会から移籍。
- 1985年10月 - 落語立川流から立川談生が移籍、鈴々舎馬桜となる。
- 1986年10月 - 第4回真打昇進認定試験を実施、4名が合格。
- 1987年5月 - 第5回真打昇進認定試験を実施、5名受験、2名合格。
- 1987年6月 - 真打昇進認定試験の廃止を決定[5]。
- 1988年9月 - 上方落語協会所属の露の五郎(後の二代目露の五郎兵衛)が「客分」として入会。以前から落語協会の定席興行に客演していた。
- 2003年 - 自前の施設における協会自身による落語興行「黒門亭」がスタート。
- 2007年 - Yahoo!インターネット検定の一環として「落語『通』検定」を監修。テキストを発行、質問形式で落語について1級~3級まで知識を確認した。(~2012年)
- 2008年12月1日 - 民法が改正され、特例社団法人となる。
- 2012年3月21日 - マスコットキャラクターとして「はなしか」(鹿のゆるキャラ)がデビュー[6]。
- 2012年8月1日 - 一般社団法人に移行 。これに伴い、社団法人落語協会から、一般社団法人落語協会に改称。
- 2020年7月1日 - 新型コロナウイルス(Covid-19)感染拡大防止対策のため休席となっていた東京都内の寄席定席4軒が全て再開したことを受けて、柳亭市馬会長からのメッセージ動画を公式YouTubeで配信(司会・林家たい平)。
- 2020年8月1日 - 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言を受けて、4月3日より中止となっていたこの年の春の真打昇進披露興行(三遊亭丈助・春風亭一左・三遊亭志う歌・玉屋柳勢・三遊亭歌扇)が、この日から新宿末廣亭を皮切りに浅草演芸ホール・池袋演芸場で再開。
- 2020年9月6日 - この日に湯島天満宮で開催が予定されていたファン感謝イベント「落語協会謝楽祭2020」が新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となり、メッセージ動画と前年の名場面集が公式YouTubeより配信された。メッセージ部分の出演は柳亭市馬(会長)・入船亭扇辰(2020年謝楽祭実行委員長)・五明樓玉の輔(理事)・柳家喬太郎(常任理事)・春風亭一蔵(2020年謝楽祭副実行委員長)・林家たい平(司会/常任理事)。
- 2020年10月3日 - 3月28日から休席となっていた「黒門亭」が、感染症予防対策・入場制限(定員10名)の上、電話予約によるチケット販売でこの日より再開。
- 2021年1月16日 - 黒門亭この日から再び休席。
- 2021年1月20日 - 定席出演者2名(鈴々舎馬風・桃月庵白酒)と前座3名が新型コロナウイルスに感染したことを受け、この日(正月二之席千秋楽)から下席(21日~30日)まで主催する寄席定席(鈴本演芸場・浅草演芸ホール・池袋演芸場)を休席とした(鈴本以外は2月より公演再開)。
- 2021年3月21日 - この日より鈴本演芸場が当協会の真打昇進披露興行より公演再開。ただし、当面の間は昼の部のみとし、4月より毎週月曜定休も導入。
- 2021年5月18日~6月30日 - コロナ禍の緊急事態宣言下で休業・営業時間宣言等を繰り返し、営業危機に陥った東京の寄席定席(鈴本演芸場・新宿末広亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場・お江戸上野広小路亭)を救うために、落語芸術協会と合同で寄席支援プロジェクトのクラウドファンディング「寄席の危機に想いを寄せて」(運営:READYFOR)を立ち上げる。プロジェクトは、開始4日目の5月21日に第一目標の5,000万円を突破、第二目標の8,000万円も6月14日に達成。最終日の6月30日には支援者7,149人、支援金額103,770,000円という規模となり、手数料等を差し引いて分割された金額が各寄席に興行運営費として贈呈された[7]。
- 2021年9月12日 - 「落語協会謝楽祭2021」をYouTubeより生放送と録画チャンネルで配信。実行委員長は入船亭扇辰、副委員長は春風亭一蔵。
- 2022年1月21日 - 鈴本演芸場の夜公演で実施していた落語協会主催公演「百日寄席 上野街笑賑」を、東京都へのまん延防止等重点措置の発出を受けて、感染症拡大防止の観点から当面の間公演を一時中止[8]。3月下席(21日)より公演再開、5月下席で公演終了。
- 2022年6月4日 - 黒門亭公演再開。
- 2023年3月 - 浅草演芸ホール上席夜の部の公演において、首都圏定席寄席としては初となる全出演者を女性芸人で構成する番組「桃組」公演を開催。主任は蝶花楼桃花(7日のみ柳亭こみちが代演)[9]。
- 2024年2月25日 - 落語協会創立100周年を迎える。記念事業「落語協会誕生百年企画」として様々な企画を実施するプロジェクトを前年2023年2月から立ち上げ、同企画の実行委員長は同協会副会長の九代目林家正蔵[10]。『都新聞』(現『東京新聞』)に載っていた発会式の記事を元に、1924年2月25日を協会創立の日と定め[11]、発会式が行われた同じ上野精養軒で記念式典を行った。
- 2024年6月26日 - 落語協会総会において、5期10年続いた柳亭市馬会長が退任。後任の12代会長に柳家さん喬が選任された[12]。
役員
出典:「協会概要」より[13]。
会長
副会長
常任理事
理事
監事
外部監事
- 平川茂(税理士)
最高顧問
顧問
外部顧問
相談役
歴代会長・副会長
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落語協会歴代会長
講談落語協会会長
歴代会長
氏名 | 在任期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
初代 | 4代目柳家小さん | 1946年 - 1947年 | 在職中死去 |
2代 | 8代目桂文治 | 1947年 - 1955年 | 在職中死去 |
3代 | 8代目桂文楽 | 1955年 - 1957年 | |
4代 | 5代目古今亭志ん生 | 1957年 - 1963年 | |
5代 | 8代目桂文楽(再任) | 1963年 - 1965年 | 文楽の在職中、副会長の役職が新設される |
6代 | 6代目三遊亭圓生 | 1965年 - 1972年 | 副会長から昇格 |
7代 | 5代目柳家小さん | 1972年 - 1996年 | |
8代 | 3代目三遊亭圓歌 | 1996年 - 2006年 | 副会長から昇格 |
9代 | 5代目鈴々舎馬風 | 2006年 - 2010年 | 副会長から昇格 |
10代 | 10代目柳家小三治 | 2010年 - 2014年 | |
11代 | 4代目柳亭市馬 | 2014年 - 2024年 | 副会長から昇格 |
12代 | 柳家さん喬 | 2024年 - 現職 |
歴代副会長
氏名 | 在任期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
初代 | 2代目三遊亭円歌 | 1963年 - 1964年 | 在職中死去 |
2代 | 6代目三遊亭圓生 | 1964年 - 1965年 | 6代目会長に昇格 |
3代 | 8代目林家正蔵 | 1965年 - 1972年 | 顧問に就任 |
4代 | 10代目金原亭馬生 | 1978年 - 1982年 | 在職中死去 |
5代 | 6代目蝶花楼馬楽 | 1982年 - 1987年 | 在職中死去 |
6代 | 3代目三遊亭圓歌 | 1987年 - 1996年 | 8代目会長に昇格 |
7代 | 3代目古今亭志ん朝 | 1996年 - 2001年 | 在職中死去 |
8代 | 5代目鈴々舎馬風 | 2001年 - 2006年 | 9代目会長に昇格 |
9代 | 4代目柳亭市馬 | 2010年 - 2014年 | 11代目会長に昇格 |
10代 | 9代目林家正蔵 | 2014年 - 現職 |
1963年新設。現在副会長の9代目正蔵と8代目正蔵(後の彦六)と副会長在職中に亡くなった人物以外は全員会長に昇格している。
所属会員
要約
視点
真打
- 鈴々舎馬風(最高顧問)
- 桂文楽(相談役)
- 林家木久扇(相談役)
- 柳家小のぶ
- 柳亭左楽
- 三遊亭歌笑
- 金原亭伯楽
- 柳家小満ん
- 柳家小さん(常任理事)
- 柳亭金車
- 桂文生
- 桂南喬
- 柳亭風枝
- 八光亭春輔
- 柳家小團治
- 柳家さん遊
- 春風亭小朝
- 柳家さん喬(会長)
- 五街道雲助
- むかし家今松
- 三遊亭歌司
- 金原亭馬の助
- 橘家竹蔵
- 柳家さん八(相談役)
- 柳家小袁治
- 三遊亭小歌
- 月の家圓鏡
- 金原亭駒三
- 柳家さん枝
- 柳家権太楼(相談役)
- 吉原朝馬
- 春風亭一朝
- 柳家小里ん
- 鈴々舎馬桜
- 林家源平
- 林家正雀
- 林家種平
- 桂藤兵衛
- 古今亭志ん輔(相談役)
- 林家かん平
- 入船亭扇遊(相談役)
- 林家時蔵
- 柳家小ゑん
- 春風亭正朝
- 金原亭馬生(理事)
- 古今亭菊龍
- 柳家〆治
- 古今亭志ん彌
- 林家正蔵(理事)
- 三遊亭圓歌
- 夢月亭清麿
- 林家鉄平
- 林家しん平
- 林家錦平
- 橘家半蔵
- 古今亭菊丸
- 林家のん平
- 古今亭菊春
- 金原亭世之介
- 三遊亭歌る多
- 古今亭菊千代
- 古今亭菊寿
- 柳家はん治
- 柳家さん生
- 全亭武笙
- 柳亭市馬(顧問)
- 桂ひな太郎
- 柳家花緑
- 柳家小三太
- 三遊亭圓王
- 橘家富蔵
- 初音家左橋
- 古今亭菊輔
- 三遊亭吉窓(監事)
- 金原亭生駒
- 柳家一九
- 林家うん平
- 桂扇生
- 春風亭勢朝
- 三遊亭窓里
- 林家とんでん平
- 柳家さん福
- 橘家蔵之助
- 柳家福治
- 三遊亭らん丈
- 橘家仲蔵
- 柳亭燕路
- 橘家圓太郎(理事)
- 林家しゅう平
- 三遊亭歌武蔵
- 入船亭扇好
- 五明樓玉の輔(理事)
- 柳家小きん
- 三遊亭金馬
- 林家たい平(理事)
- 柳家喬太郎(理事)
- 柳家禽太夫
- 入船亭扇治
- 三遊亭白鳥
- 橘家文蔵
- 三遊亭萬窓
- 林家きく姫
- 柳家一琴
- 古今亭圓菊
- 入船亭扇辰(理事)
- 林家彦いち(理事)
- 三遊亭金八
- 鈴々舎鈴之助
- 林家三平
- 古今亭菊之丞(理事)
- 三遊亭丈二
- 三遊亭金也
- 橘家圓十郎
- 桃月庵白酒
- 柳家獅堂
- 林家久蔵
- 柳家三三(理事)
- 柳亭左龍
- 柳家甚語楼
- 隅田川馬石
- 柳家喬之助
- 古今亭菊志ん
- 春風亭柳朝
- 柳家我太楼
- 林家木久蔵
- 三遊亭歌橘
- 三遊亭歌奴
- 春風亭百栄
- 古今亭志ん丸
- 古今亭菊太楼
- 桂文ぶん
- 三遊亭窓輝
- 柳家三之助
- 桂文雀
- 入船亭扇里
- 林家きく麿
- 三遊亭鬼丸
- 蜃気楼龍玉
- 柳家小せん
- 春風亭一之輔(理事)
- 古今亭志ん陽
- 古今亭文菊
- 川柳つくし
- 金原亭龍馬
- 三遊亭天どん
- 三遊亭金朝
- 柳家喬志郎
- 柳家東三楼
- 柳家三語楼
- 三遊亭究斗
- 古今亭志ん好
- 桂やまと
- 三遊亭司
- 柳家小傳次
- 桂右女助
- 柳家海舟
- 入船亭扇蔵
- 金原亭馬治
- 金原亭小馬生
- 柳家さん助
- 柳家燕弥
- 三遊亭彩大
- 林家彦丸
- 月の家小圓鏡
- 林家たけ平
- 林家ぼたん
- 台所おさん
- 林家ひろ木
- 春風亭三朝
- 柳家小八
- 三遊亭ときん
- 鈴々舎馬るこ
- 桂三木助
- 柳亭こみち
- 古今亭志ん五
- 古今亭駒治
- 柳家小平太
- 柳家勧之助
- 林家たこ蔵
- 古今亭駒子
- 柳家わさび
- 柳家小志ん
- 古今亭ぎん志
- 柳家権之助
- 三遊亭丈助
- 春風亭一左
- 三遊亭志う歌
- 玉屋柳勢
- 三遊亭歌扇
- 弁財亭和泉
- 柳亭燕三
- 柳家㐂三郎
- 春風亭柳枝
- 三遊亭れん生
- 古今亭志ん雀
- 柳家さん花
- 柳家緑也
- 柳家花いち
- 三遊亭律歌
- 蝶花楼桃花
- 柳家風柳
- 林家はな平
- 春風亭一蔵
- 柳亭小燕枝
- 入船亭扇橋
- 林家まめ平
- 柳家平和
- 柳家福多楼
- 林家希林
- 林家つる子
- 三遊亭わん丈
- 柳家花ごめ
- 古今亭志ん橋
- 春風亭梅朝
- 古今亭伝輔
- 柳家緑太
- 柳家花飛
- 林家木久彦
- 松柳亭鶴枝
- 柳家吉緑
講談師
落語家の「真打」とも「色物」とも別の扱いとなっている。定席興行でも主任(トリ)を務めることがある。いずれも講談協会あるいは日本講談協会との二重加盟であり、それぞれの協会では真打として扱われている。
二ツ目
- 柳家やなぎ
- 林家なな子
- 吉原馬雀[注釈 5]
- 入船亭遊京
- 金原亭馬久
- 柳家圭花
- 三遊亭ふう丈
- 柳家小はぜ
- 三遊亭伊織
- 入舟辰乃助
- 三遊亭歌実
- 林家あんこ
- 春風一刀
- 林家たま平
- 柳家小もん
- 春風亭一花
- 桃月庵こはく
- 柳家緑助
- 橘家文吾
- 金原亭小駒
- 金原亭馬太郎
- 柳家あお馬
- 三遊亭青森
- 柳亭市寿
- 桃月庵白浪
- 春風亭一猿
- 春風亭㐂いち
- 橘家文太
- 柳亭市若
- 柳亭市次郎
- 春風亭朝枝
- 林家彦三
- 三遊亭ぐんま
- 柳家小はだ
- 古今亭佑輔
- 柳亭市好
- 林家やま彦
- 林家きよ彦
- 春風亭与いち
- 三遊亭歌彦
- 入船亭扇太
- 古今亭雛菊
- 柳家小ふね
- 春風亭枝次
- 三遊亭ごはんつぶ
- 桃月庵黒酒
- 柳亭市松
- 古今亭菊正
- 金原亭杏寿
- 春風亭いっ休
- 鈴々舎美馬
- 柳家小太郎
- 三遊亭萬都
- 入船亭扇七
- 金原亭駒平
- 春風亭貫いち
- 古今亭陽々
- 金原亭馬吉
- 入船亭扇兆
前座
色物
芸種は「東都寄席演芸家名鑑2」(東京かわら版刊、2023年)による。
- 林家ペー - 余談漫談
- 柳家亀太郎 - 三味線曲弾
- 立花家橘之助 (理事)- 浮世節
- 宝家利二郎 - 太神楽
- 東京二 - 漫談[注釈 6]
- ぺぺ桜井 - ギター漫談
- 昭和のいる[注釈 7] - 漫談
- アサダ二世 - 奇術
- 林家二楽 - 紙切り
- 松旭斎美智(松旭斎美智・美登) - 奇術
- 大空遊平 - 漫談[注釈 8]
- 三増紋之助 - 曲独楽
- 鏡味仙志郎(鏡味仙志郎・仙成)- 太神楽
- すず風にゃん子・金魚 - 漫才
- 翁家勝丸 - 太神楽
- 柳貴家小雪 - 大神楽
- 笑組 - 漫才
- 翁家和助(翁家社中)- 太神楽
- 綾小路きみまろ - 漫談
- マギー隆司 - 奇術
- ロケット団 - 漫才
- 翁家小花(翁家社中)- 太神楽
- 柳家小菊 - 粋曲
- 伊藤夢葉 - 奇術
- ホームランたにし[注釈 9] - 漫談
- ホンキートンク[注釈 10] - 漫才
- 天草ヤスミ[注釈 11] - 漫談
- カンジヤマ・マイム - パントマイム
- 結城たかし - 漫談[注釈 12]
- ダーク広和 - 奇術
- 松旭斎美登(松旭斎美智・美登) - 奇術
- 丸山おさむ - 声帯模写
- とんぼ・まさみ - 漫才
- ストレート松浦 - ジャグリング
- 江戸家猫八(理事) - 動物ものまね
- のだゆき - 音楽パフォーマンス
- 林家あずみ - 三味線漫談
- ニックス - 漫才
- 鏡味仙成(鏡味仙志郎・仙成) - 太神楽
- 林家楽一 - 紙切り
- 青空一風・千風 - 漫才
- ジキジキ - 音曲漫才
- おしどり - 音曲漫才
- 米粒写経 - 漫才
- 風藤松原 - 漫才
- 林家八楽 - 紙切り
- 柳家小春 - 粋曲
- 花島世津子 - 奇術
- 立花家あまね - 民謡[注釈 13]
- 如月琉 - 奇術
- 小梅 - 奇術
- ウクレレえいじ - 漫談
- 岡大介 - カンカラ三線
- 寒空はだか - 漫談
- タブレット純 - ムード歌謡漫談
- 遠峰あこ - アコーディオン漫謡
- こばやしけん太 - 音まね
おはやし
落語協会のお囃子連は、原則として「苗字+名前は平仮名2字(例外あり)」の高座名で活動する。
- 丹羽こと
- 太田その
- 金山はる
- 長澤あや
- 千葉しん
- 恩田えり
- 松尾あさ
- 岡田まい
- 柳沢きょう
- 森吉あき
- 田村かよ
- 井上りち
- 星乃もと
- 石川さき
- 林ふみ
- 吉田うた
系図(落語家のみ)
- 真打は太字、前座は小文字で示した。
- ()は脱退者および非協会員、†印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。物故者については公式サイトの記載がある者または系図上必要な者のみ記載。
8代目桂文楽一門
柳派の系譜にあり、8代目文楽は5代目柳亭左楽門下にあたる。5代目左楽は数回の移籍歴があり、その過程で5代目左楽は芸術協会、8代目文楽は落語協会と団体が分かれた。8代目文楽は、江戸桂派の止め名をもつ8代目文治門下だった時期があるが、5代目左楽によって強引に同じく江戸桂派の由緒ある名跡である8代目文楽を襲名し、周囲の反感を買ったという経緯がある。5代目左楽一門の詳細は落語芸術協会#5代目柳亭左楽一門を参照。
7代目圓蔵は8代目文楽の直弟子である。「橘家圓蔵」は三遊亭のサブブランドである橘家の止め名として有名であるが、8代目文楽と6代目圓生の話し合いで8代目文楽のもとへと渡った。7代目圓蔵が大きな一門を築いた結果、一門の殆どが「橘家」となり、「桂」を名乗るものが少数となった。
8代目文楽は一時期7代目林家正蔵の一門だったことがあり、その縁で父であり師匠である7代目正蔵に先立たれた初代三平を一門に引き取った。初代三平は早世したが総領弟子のこん平が一門を守り抜き、林家一門として現代まで残る結果となった。
5代目小さんは元々4代目小さんの弟子だったが、真打昇進前後に先立たれたため、8代目文楽門下に移籍した。その後、元師匠の名を継ぎ、柳家一門として、大きな一門を形成した。直弟子(8代目文楽や弟子である5代目柳家つばめからの移籍組を含む)のほかに、落語協会分裂騒動により6代目圓生を破門となった三遊亭さん生こと川柳や、芸術協会より移籍した文生ら4名を一門へと迎え入れている。ただし、彼らは直弟子とは区別することが通例となっており、以下の系図も点線で示している。
3代目柳家小さん一門
柳派の系譜にあたる。3代目門下に4代目がおり、5代目も4代目門下だったが、前述の通り、4代目の死去に伴い8代目文楽門下となっている。
彦六(8代目正蔵)は元々三遊派で、師匠であった4代目橘家圓蔵の死に伴い3代目小さん門下となり、柳派に転じた。5代目小さんの襲名争いに敗れた結果、正蔵を7代目の遺族から「貸与」されたこと、結果、初代三平の死後、返上の上で彦六に改名したことは有名。そして、弟子には真打昇進で別の亭号を名乗らせたことも有名だが、晩年は林家を名乗らせることの方が多かった。
5代目志ん生も元は4代目志ん生門下だったが、その後、3代目小さん門下の初代三語楼門下に転じており、のちに周囲の反対を押し切り[注釈 15]、5代目を襲名した。
6代目三遊亭圓生一門
三遊派の保守本流として知られた。6代目圓生は落語協会分裂騒動で、落語三遊協会を創設した。元は志ん生一門や談志一門[注釈 16]なども参加予定だったが、そのすべてが脱落し、6代目圓生門下からもさん生(川柳)や好生(春風亭一柳)が破門という形で脱落した。結果、分裂騒動は、6代目の死をもって終結し、一門はその多くが協会に復帰したが、5代目圓楽のみ復帰を拒否し、円楽一門会を立ち上げた。分裂後、圓楽一門と協会の圓生一門の末裔には長らく交流がなかったが、円丈と6代目円楽の交友関係の構築から関係改善しており、圓生一門は現在においても2団体に分かれこそいるものの、友好関係を保ちながら今日に至る。
三遊亭圓生(6)† | (三遊亭圓楽(5))† | 円楽一門 | |||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓窓(6)† | 三遊亭吉窓 | 三遊亭二之吉 | |||||||||||||||||||||||||||
三遊亭窓里 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭萬窓 | 三遊亭萬都 | ||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭窓輝 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓彌† | 三遊亭圓王 | ||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭生之助† | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓丈† | 三遊亭らん丈 | ||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭白鳥 | 三遊亭青森 | ||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭ぐんま | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭東村山 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭丈二 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭天どん | 三遊亭わん丈 | ||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭ふう丈 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭ごはんつぶ | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭究斗 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭彩大 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭丈助 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭れん生 | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓龍† | |||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓好(7)† | |||||||||||||||||||||||||||||
初代三遊亭圓歌一門
三遊派の傍流で、6代目圓生と初代圓歌とは、圓朝のひ孫弟子同士の関係にあたる。近年まで存命だった3代目圓歌と2代目金翁(4代目金馬)も初代の孫弟子同士と比較的遠い関係にあたるが、金馬一門が少人数であるため、圓歌一門の一部に含まれることが多い。3代目金馬は落語協会を早くから脱退しており、東宝名人会専属だったことで知られるが、4代目が3代目の死後に真打の身分で加盟した。
(三遊亭圓歌(1))† | 三遊亭圓歌(2)† | 三遊亭圓歌(3)† | 三遊亭歌奴(3)† | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌笑(4) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌司 | 三遊亭司 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭小歌 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭圓歌(4) | 三遊亭歌実 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌る多 | 弁財亭和泉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭律歌 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭若圓歌† | 三遊亭歌扇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌雀(3)† | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌武蔵 | 三遊亭志う歌 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭伊織 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌ん太 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭多歌介† | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌橘(3) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌奴(4) | 三遊亭歌彦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭歌きち | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭鬼丸 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(三遊亭金馬(3))† | 三遊亭金翁(2)† | 三遊亭小金馬(3)† | 三遊亭金朝(4) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭金馬(5) | 三遊亭ときん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭金八 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三遊亭金也 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カレンダー
落語協会では、毎年カレンダー(落語協会暦)を作成している。以下は、2022年(令和4年)の例となるが、フォーマットは毎年ほぼ一定している[16]。
- 3か月めくり
- 日時表記の下に、その年に予定されている真打昇進披露興行・襲名披露興行のスケジュールが記載されている。
- 祝日表記と共に、記載されている独自の記念日は以下のとおり。初席初日(1月1日)・二之席初日(1月11日)・寄席の日(6月6日)・円朝忌(8月11日)・謝楽祭(9月4日)・古典の日(11月1日)・一の酉(11月4日)・二の酉(11月16日)・三の酉(11月28日)。なお、六曜表記はない。
- また、2ページまたは3ページに落語協会定席(鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)の地図が掲載されている。
- デザイン
- 1月~3月 林家木久扇による干支にちなんだイラスト 表紙が無いかわりに、画中に木久扇による「年号+落語協会暦」の文字が入る。
- 4月~6月 林家たい平によるイラスト 寄席風俗にちなんだグッズなどが描かれる。
- 7月~9月 林家正楽の紙切り 落語や出演芸人などにちなんだもの
- 10月~12月 落語協会演芸家総覧[注釈 17] 番付形式となっており香盤順に橘右楽による寄席文字で書かれた、当該年1月1日付で落語協会に所属する芸人全員記載の表。おおよそ以下のような原則のもとに書かれている。
- その年内に真打昇進・襲名等が決まっている芸人は新しい位置・名前で掲載されるが、二ツ目・前座については、書かれた時期(前年の後半)の香盤での掲載となる。また、原稿〆切後(前年の秋ごろ)に死去・引退などをした芸人はそのまま掲載され、訂正などはない。
- 販売方法
落語協会カレンダーは、所属芸人が御贔屓などに配布したり、自身が出演する落語会などで販売する。また、一般向けには、寄席での販売・落語協会での現金書留送付による通信販売がある。一般書店・各種オンラインショップなどでの流通は原則ない。
関連項目
脚注
外部リンク
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