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日本の俳優 (1945-2000) ウィキペディアから
粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年3月15日)は、日本の俳優。本名は粟津 祐教(あわづ ゆうきょう)。秋田県男鹿市出身。東洋大学法学部卒業。妻は詩人の船木倶子。
日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した男優の一人である。
浄土真宗大谷派貴栄山・円応寺の住職で歌人としても活躍した粟津祐逸(1915-1973 俳号・爽明)の長男として生まれる。
船越中学校3年生のとき、東映教育映画『なまはげ』に、地元中学生3000人の中から選ばれ主演した。1961年、県立秋田高等学校入学。1964年、父の母校・東洋大学法学部へ入学する。クラブは吟詠会に所属。
卒業後、寺を継ぐつもりでいたが、「男なら中央で活躍してみろ。中学のとき、映画の主役を演ったこともあったろうが」という父の言葉で役者を志し、1968年、日本演技アカデミーを経て劇団俳優小劇場(俳小)[1]に入団。俳小解散後の1971年からは神代辰巳との交流を機に、神代監督の日活ロマンポルノ作品に連続出演するようになる。
その個性が評価され、以降は一般作品やテレビドラマにも数多く出演。日本人的な風貌と体型[2]を活かし、『雲のじゅうたん』『いちばん星』などNHKの連続テレビ小説でも朴訥とした個性を発揮した。石原プロモーション制作の『大都会 闘いの日々』『大都会 PARTII』では秋田弁を話す憎めない平原春夫刑事役でレギュラーとして活躍したが、他の刑事ドラマでは狂気的な犯人役を演じることも多く、1982年の『太陽にほえろ!』第525話への出演では、竜雷太演じる石塚刑事を射殺する覚醒剤中毒の男役を演じるなど、硬軟・善悪自在の演技力を持つ異色のバイプレイヤーとして数々の印象的な演技を残している。
海外製作の映画にも出演しており、ワーナー・ブラザースの『Women of Valor』(1986年)では日本軍の鬼軍曹役でフィリピン・ロケに、イギリス・オーストラリア合作の『HEROES 2』(1991年)ではシドニー・ロケに参加した。
映画やドラマに出演する一方、舞台活動も並行させ、1977年には劇団「ぐるうぷ鬼」、1995年には「倶子オフィス」を設立。自らの脚本・演出によるひとり舞台の上演に取り組んだ。2000年3月15日、胃癌のため逝去。54歳没。
ほか多数
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