滋賀県立膳所高等学校(しがけんりつ ぜぜこうとうがっこう, 英: Shiga Prefectural Zeze High School)は、滋賀県大津市に所在する県立高等学校。
概要 滋賀県立膳所高等学校, 過去の名称 ...
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- 歴史
- 膳所藩の藩校・遵義堂の跡地に1898年(明治31年)に「滋賀県第二尋常中学校[1]」として開校した旧制中学校を前身とする。2018年(平成30年)に創立120周年を迎える。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科
- 普通科
- 理数科 - 数学ではきめ細やかな指導を行うため少人数授業が行われている。2年次からは「課題研究」が取り組まれる。また、滋賀医科大学との医学入門講座や京都大学への訪問も実施されている。
- 校訓
- 「遵義・力行」- 1998年(平成10年)に制定された。
- 校章
- 学校のシンボルツリーである彼岸桜の花弁を背景にして、中央に「高」の異体字(はしごたか)を置いている。これは旧制中学校時代の校章を継承したもので、中央の「中」の文字(=中学校)が新制高等学校発足に伴い、「高」の文字に変更された。
- 校歌
- 作詞・作曲ともに校歌作成委員会によるもので、1953年(昭和28年)に制定された[3]。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- アクセス
- 1898年(明治31年)
- 4月1日 - 膳所藩校・遵義堂跡地に、「滋賀県第二尋常中学校[1]」(旧制中学校)が開校。
- 5月13日 - 開校式を挙行。以降、この日を創立記念日と制定。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「滋賀県第二中学校[1]」と改称(「尋常」が除かれる)。
- 1901年(明治34年)6月8日 - 「滋賀県立第二中学校[1]」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 「滋賀県立膳所中学校」に改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行にこの時の入学生より修業年限が従来の5年から4年へ短縮される。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策による修業年限短縮施行の前倒しに伴い、4年生(昭和16年入学生)・5年生(昭和15年入学生)合同の卒業式を挙行。
- 4月1日 - 授業を停止。勤労動員は存続。
- 8月15日 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 旧制中学校の募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設(名称:滋賀県立膳所中学校併設中学校、以下・併設中学校)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 大津市内の旧制中等教育学校5校(県立3校(膳所中学校・大津高等女学校[5]・大津商業学校[6])と市立2校(高等女学校[6]・女子商業学校[7]))が廃止される。
- 上記5校が統合の上、新制高等学校「滋賀県立大津高等学校」・「滋賀県立膳所高等学校」・「滋賀県立志賀高等学校」3校が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:滋賀県立膳所高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)4月に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- この時、膳所高等学校には全日制課程 普通科と通信教育部(普通科)が設置される。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校が廃止される。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく滋賀県内公立高校の再編が行われる。
- 上記3校が廃止・統合され、総合制の「滋賀県立大津高等学校」が発足する。旧・膳所高等学校(膳所中学校)校舎は「東校舎」となる。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 公立高校の再編により、滋賀県立大津高等学校が東西に分離される。
- 東校舎に普通科(全日制課程・通信教育部)をまとめ「滋賀県立大津東高等学校」と改称。西校舎に商業科と家政科をまとめ「滋賀県立大津西高等学校」と改称。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「滋賀県立膳所高等学校」(現校名)に改称(再)。この時、滋賀県立大津西高等学校は滋賀県立大津高等学校に改称。
- 1960年(昭和35年)7月31日 - 校舎の改築が完成。改築前の木造校舎の一部は東近江市に移築され、建設会社の倉庫として利用された後に貸しギャラリー兼喫茶店としてオープンしている[8]。
- 1978年(昭和53年)11月14日 - 体育館を改築。
- 1986年(昭和61年)3月28日 - 校舎1号館の増改築が完成。
- 1989年(平成元年)3月18日 - 校舎2号館 家庭科棟の改築が完成。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 通信制課程を廃止。通信制課程と他の2高校が統合されて滋賀県立大津清陵高校に引き継がれる[9]。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 理数科を新設。全日制課程2学科体制となる。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)3月28日 - 第2グラウンドの管理棟が完成。
- 2002年(平成14年)8月 - 文化財調査により、グラウンドの下から禾津頓宮跡と見られる遺構が発掘される。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)2月18日 - 遵義の桜(江戸彼岸桜)を植樹し、庭園が完成。
- 2010年(平成22年) 4月1日 - 文部科学省よりコアSSHの1年間の採択を受ける[11]。
- 2011年(平成23年) 4月1日 - 文部科学省よりSSH2期5年間の指定、コアSSHの3年間の採択を受ける[11]。
- 2014年(平成26年) 4月1日 - 文部科学省よりSSH2期5年間の指定、コアSSHの3年間の採択を受ける[11]。
- 2016年(平成28年) 4月1日 - 文部科学省よりSSH3期5年間の指定を受ける[11]。
- 2018年(平成30年)
校舎の改築
1960年竣工の校舎
明治年間の木造の校舎や戦時中に建設された校舎は県下最悪と称されるほど老朽化が進んだ状態であった。戦時中の手抜き工事だとされる別館と呼ばれる一棟は特に老朽化が著しかった。また、500人の収容を見込んだ校舎に1500人の生徒を詰め込んだ状態であり、学校機能として不全の状態であった。
1954年(昭和29年)3月に滋賀県知事であった服部岩吉が会長として「膳所高等学校校舎新築期成会」が設立された。期成会は幾度と県会や県当局に校舎新築を積極的に要望し、同窓会などに寄付を求め、遂に県会は期成会の陳情から1年を経た1957年(昭和32年)に校舎の改築を認めた。
1955年(昭和30年)12月に国庫補助金の交付を受け、講堂・体育館をあわせた建築物の工事をはじめ、1956年(昭和31年)5月に竣工した。これに引き続き、1957年(昭和32年)夏に市内の伊藤組が工事を請け負い校舎の建設が始まった。東側の地盤が弱いため地下室を新設するよう変更するなど工事の設計変更が行われたが、予想外の工費増額によって当初予定より寄付金を募らなければならない問題が生じた。このため、入学時や在学時に徴収するなどして増額分を補った。
1960年(昭和35年)7月に3階建ての校舎2棟と図書館を持つ校舎が完成した。校舎総面積は体育館を含め2857坪、総工費1億5113万円であった。
2007年竣工の校舎
1960年(昭和35年)に建築された旧校舎の老朽化や、理数科の設置などが背景となり校舎の全面改築を要望する声が高まった。そこで、1999年(平成11年)に施設整備委員会で議論され、2000年(平成12年)3月に「膳所高等学校改築基本構想」がとりまとめられた。
2002年(平成14年)2月に埋蔵文化財の発掘が行われ、禾津頓宮(あわづとんぐう)跡が発見された。発掘状況からかつて宮殿や役所の重要な建築物で採用された二面庇建物が奈良時代に設置されていたこと、聖武天皇がわずか3泊するためだけに仮設されたことによる天皇の権威や東国行幸の計画性を裏付けるものとなった。発掘を行うまでこの付近には膳所藩の藩校があったことしか分かっていなかったため、禾津頓宮後の発掘は予想できなかった。
遺跡が発掘されたことにより、新校舎の建築位置が北に25 m(メートル)移動し、校舎設計の変更が行われた。そして、2004年(平成16年)9月に2年遅れで工事着工し、2006年(平成18年)2月に管理棟・教室棟・セミナーハウスが竣工、同年3月末に体育施設が竣工した。その後、グラウンド造成や体育館改築を終えて2007年(平成19年)10月20日に竣工式が行われた。
- 進学教育と進学状況
- 「進路学習プログラム」「校内実力考査」「模擬試験」「英語コミュニケーション能力テスト」「夏季補講」「小論文指導」の進路指導プログラムが実施されている[20]。1999年(平成11年)度から2018年(平成30年)度では国公立大学に現役で150 - 200人程度(合計で300 - 350人程度)が合格する。現役での進学率は例年5 - 6割程度である。
- 高大連携
- 2003年(平成15年)3月、京都大学との間で高大連携に係る協定書を締結し、翌4月から膳所高校の生徒を対象に金曜日の放課後京都大学で特別授業が開校されている。年間12回の受講により、高等学校の正規の学習活動として1単位が与えられる。生徒に大学進学を意識させ、進学後の学習に目的意識を持つことを狙う[23]。
- スーパーサイエンススクール(SSH)
- 2006年(平成18年)度よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の認定を受けている。これが理数科における「課題研究」にはじまり、SSH指定後は「探究S」として継続して指導が行われている。
- 園頼三作詞/永井幸次作曲(膳所中学校)
- 山田有功作詞/寺村周太郎作曲(膳所中学校)
- 山本温子作詞/片岡晴太郎作曲(大津高等学校)
- 山本温子作詞/片岡晴太郎作曲(大津東高等学校)
- 校歌作成委員会作詞/校歌作成委員会作曲(膳所高等学校)
毎年7月には湖風祭(文化祭(1,2日目)・体育祭(3,4日目))という学園祭が開催され、生徒はマスゲーム(集団演技)・アーティスト(校内装飾)・ビジュアル(映像舞台製作)・クラスや有志の発表など様々な部門ごとに分かれ取り組んでいる。
膳所高等学校ではいわゆる部活動の単位を「班」と呼ぶ。
活動は盛んで、サッカー班、ボート班、ヨット班、弁論班、放送班、音楽班合唱部等が全国大会に出場。硬式テニス班、ラグビー班、軟式テニス班、男子バスケットボール班等が近畿大会に出場している。
2018年には、野球班が第90回記念選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場し、同班による「データ野球」が一躍脚光を浴びた。
また、近年注目される様になった班としてかるた班がある。毎年、近隣の近江神宮にて行われる全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会に、2013年から2016年まで4年連続で出場を果たしており、昨年度大会[いつ?]では団体第3位という結果を残した。
同校では毎年創立記念日(5月13日)に国内外で活躍している卒業生を招き、教育講演会を実施している。
- 学者
- 経済
- 行政
- 政治
- マスメディア
- 文芸
- 芸術
- 芸能
- スポーツ
- 旧軍人
- その他
“基本情報”. 滋賀県立膳所高等学校. 2020年2月2日閲覧。
“アクセスと地図”. 滋賀県立膳所高等学校. 2020年2月2日閲覧。
“単位制高校の名称 大津清陵に決まる”. 中日新聞. (1991年11月15日)
“京大、膳所高向け特別講座 高大連携で協定結ぶ”. 京都新聞. (2003年3月17日)
- 『新大津市史 下』大津市役所、1962年3月31日。
- 創立120周年記念誌編集部会『滋賀県立膳所高等学校 創立120周年記念誌』滋賀県立膳所高等学校、2018年11月9日。
- 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課『街道でめぐる滋賀の歴史遺産』サンライズ出版、2019年10月25日。