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日本の歌手 ウィキペディアから
三條 正人(さんじょう まさと、1943年〈昭和18年〉1月30日 - 2017年〈平成29年〉10月5日)は日本の歌手である。本名は渡辺正好(わたなべ まさよし)。滋賀県大津市出身。
鶴岡雅義と東京ロマンチカのメインボーカリスト。妻は女優の香山美子。
1943年(昭和18年)1月30日、滋賀県大津市に生まれる。滋賀県立膳所高等学校卒業。法政大学在学中にコーラスグループを結成し、ダンスホールでプロ歌手として活動を始める。山下洋治とムーディスターズに所属する。
1967年(昭和42年)、鶴岡雅義に請われ、男性歌謡コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカルとして迎え入れられた。『小樽のひとよ』でレコードデビューし、大ヒットとなる。翌1968年(昭和43年)には『旅路のひとよ』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場。以後6年連続出場することとなる。
1971年(昭和46年)12月17日放送のフジテレビ『ラブラブショー』で女優の香山美子と共演したことをきっかけに数年間の交際を経て1973年(昭和48年)5月に結婚。1983年(昭和58年)6月に誕生した長男がいる。
1974年(昭和49年)に一度東京ロマンチカより独立、『さだめ』でソロ歌手としてデビューするが、1978年(昭和53年)『北の都の物語』で東京ロマンチカに復帰する。以後、ロマンチカからの独立と復帰を繰り返す。
1993年(平成5年)には歌手生活30周年を迎え、記念曲『愛のぬけがら』をリリース。東京、大阪で記念リサイタルを開催。
1999年(平成11年)1月、東京都世田谷区の駐車場で二人組の強盗に襲われ、頭部に怪我を負うが、奪われた所持金を取り返す勇猛果敢ぶりが話題となる。
2003年(平成15年)、鶴岡雅義と東京ロマンチカに20年ぶりに復帰。2013年(平成25年)10月には東京ロマンチカ結成50周年の祝宴が開催された。
2016年頃から体調を崩し、入退院を繰り返していたとされるが、ステージやテレビ出演を続けていた。2017年(平成29年)9月17日、群馬県富岡市のかぶらホールにて、ロス・インディオスの55周年記念コンサートにゲスト出演。これが最後のステージとなった。 2017年(平成29年)10月5日、マントル細胞リンパ腫のため東京都渋谷区の病院にて死去。74歳没。10月9日通夜、10日告別式が東京都中野区の宝仙寺にて行われた[1][2][3][4]。
所属事務所はオフィス・ダァグ。 レーベルはフリーボードレコード。
2018年 (平成30年)1月24日、株式会社フリーボードより追悼CDが発売された。『鶴岡雅義と東京ロマンチカ 永遠に 三條正人追悼盤 ファンが選んだ16曲』
鶴岡雅義と東京ロマンチカ名義
三條正人名義
松森棚三名義
鶴岡雅義と東京ロマンチカwith山本さと子名義
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