坂東市
茨城県の市 ウィキペディアから
茨城県の市 ウィキペディアから
坂東市(ばんどうし)は、茨城県西部の県西地域に位置する市。2005年(平成17年)に岩井市と猿島町が合併して誕生した[1]。常総都市圏に属する(後述の経済項も参考)。
坂東市は、茨城県西部、利根川北岸に位置する。首都圏内で消費するレタス・ネギ(生産量全国トップクラス[2])、白菜等の農業(近郊農業)が盛んである一方、工業団地も設置されている。
猿島台地であることから田畑の間に林野が多く残され、ゴルフ場などとして利用されているほか、開墾以来の面影をそのまま残す地域も存在する(庄右衛門新田、河原新田など)。また、その地の利を生かしてさしま茶も生産されている。
坂東市は、東京都心から北北東約40 kmに位置する。市域の大半が猿島台地で、起伏の大きい地域もある。南に利根川があり、千葉県と接している。
坂東市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 坂東市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 坂東市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
坂東市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
平成17年(2005年)3月22日の岩井市と猿島町の合併に伴い、平成15年11月、合併協議会において新市名称を公募したところ、新市名称候補10点の中から合併協議会において「坂東市」と選定。本来の「坂東」は関東地方全体の古名。これは、足柄峠・碓氷峠などの山を「坂」として見立て、以東の諸国を「坂の東=坂東」とされていたことによる。当市はその関東地方のほぼ中央に位置し、関東平野を代表するような雄大な都市を目指すとして選定された。また、同市を流れる利根川の古くからの愛称である「坂東太郎」にも由来する[3]。
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 16,202 | 吉原英一 | 無所属 | 新 |
14,963 | 石塚仁太郎 | 無所属 | 現 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 19,993 | 木村敏文 | 無所属 | 新 |
10,501 | 吉原英一 | 無所属 | 現 |
本庁舎開庁以前は本所機能を岩井庁舎と猿島庁舎とで分散させた分庁舎方式を採用していた。
2005年度の国勢調査結果[8]によれば、市内からの通勤者が最も多いのは常総市で3,277人であり、これは全体の29.2%に当たる。次いで千葉県1,844人、古河市872人、つくば市584人、埼玉県540人、守谷市521人、東京都477人などとなっている。このように通勤圏が広く分散している状況のため、2000年の時点では水海道都市圏には属していなかったが、2010年になって常総都市圏に属するようになった。
東京都心から40キロ圏内に位置しているが、市内に鉄道は通っていない。鉄道の通っていない市(歴史上鉄道が存在していた市を除く)は県内では当市のほか稲敷市がある。
東京直結鉄道を坂東市内まで延伸させ、「岩井中央駅(仮称)」を設置する構想があるが、実現には至っていない[9]。
なお、かつて改正鉄道敷設法別表第43号「茨城縣土浦ヨリ水海道、境、埼玉縣久喜、鴻巣、坂戸ヲ經テ飯能ニ至ル鐡道(後略)」すなわち土飯線の通過予定地であった。市立岩井図書館によれば、戦時中築堤などの施工などが行われたものの、戦局の悪化により完成を見ずに終わったという[注釈 1]。
市内の路線バスは岩井市街地を南東から北西に縦断し、関東鉄道の路線は岩井バスターミナルに、茨城急行(茨急)の路線は岩井車庫に発着する。現在では市外の鉄道駅(関東鉄道常総線、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスおよび東武野田線)と市内各地が結ばれているとを結ぶフィーダー路線に集中した運行が行われており、コミュニティバス坂東号や昭和観光の巡回バスがその補完を担っている。これらのすべての路線が経由し、市役所にもほど近い「岩井局前」停留所が実質的な市の中心バス停となっている。
茨城急行・関東鉄道の路線は、PASMO・Suica等の全国相互利用の交通系ICカードが利用可能である。
茨城急行の路線はかつて東武鉄道が茨城県に有していた広大な路線網を引き継いだもので、1990年代まで沓掛経由下妻駅行、1980年代まで長須回り・七重回り・沓掛回りの境町・古河駅・新古河駅方面行などの路線が存在した[10][11]ほか、野田市方面の路線についても小山回りや、2001年(平成13年)の系統分割で全便野田市駅行となるまでは北越谷駅行が存在した。野田市駅までの路線は、1937年(昭和12年)に現在の東武野田線を運行していた総武鉄道が小山付近にあった利根川渡船事業を買収し、野田町から岩井町までの直通運行を開始したバス路線が、利根川への転落事故による航送中止[12]を経て1958年(昭和33年)より芽吹大橋経由となった名残であり、北越谷駅までの路線はかつて東京より越谷経由で直通していた路線の名残である。このような経緯から、愛宕駅など野田市内の東武野田線各駅はつくばエクスプレス守谷駅の開業によってその地位を譲るまで、当市の最も重要な玄関口であった。現在でも利根川沿いの地域を中心に、駐車場の充実した川間駅や清水公園駅のパークアンドライド利用がみられる。
関東鉄道では、東武グループとテリトリーを接する路線エリアの西端に位置し、かつては石下駅方面や平松経由水海道駅方面の他、2000年代初頭まで水海道駅より勘助までの路線が存在した。その後、2005年(平成17年)8月24日のつくばエクスプレス開業に伴い守谷駅に至る急行路線が新設され、現在に至る。旧猿島町域を運行する路線バスは、下妻駅や石下駅に向かう路線の廃止後長らく存在しなかったが、この路線の新設と昭和観光の進出により復活を果たした。また、高速バス路線は1999年(平成11年)の開業当初JRバス関東との共同運行であったが、つくばエクスプレス開業後の利用客減少により撤退し、代わって関鉄パープルバスが加わったが、利用客減少に歯止めがかからず2016年(平成28年)12月31日をもって廃止され、2017年9月16日のダイヤ改正を以って、水海道駅への路線は平日に1便となり、休校日は運休という状態になり、2017年3月31日をもって廃止される。
関東鉄道の路線は旧猿島町域の猿島バスターミナルまで運行されていたほか、岩井西高校(高校そのものは廃校)に発着する便もあったが、現在はコミュニティバスや昭和観光自動車の巡回路線が経由するのみである。
市内と東京駅を結ぶ高速バス常総ルートと、関鉄パープルバス(現関東鉄道)により急行わかば号(岩井 - 運転免許センター) が運行されていたが、つくばエクスプレス開通後利用客数は減少に転じ、常総ルートは2016年末をもって廃止、急行わかば号2020年2月1日を以って廃止された。市内にはパークアンドライドの機能を有し高速バスと一般路線バスの結束点として岩井公民館付近に岩井バスターミナル、さしま窓口センター(旧猿島庁舎)付近に猿島バスターミナルを設けていた。2箇所ともバスターミナルは現存するが、高速路線の撤退により整備理由の大半を失い、現在では一般路線とコミュニティバス・巡回バスにわずかに利用されるのみとなっている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.