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日本の衆議院議員小選挙区の一つ ウィキペディアから
茨城県第7区(いばらきけんだい7く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。
2013年(平成25年)公職選挙法改正から2022年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3][4]。
選挙区は県の西端、結城・猿島地方全域。中選挙区の旧茨城3区の時代から、強固な地盤を築いていた無所属の中村喜四郎が、強い結束力を持つ中村の後援会組織「喜友会」を持ち、当選し続けた。
中村は自民党離党後、2000年の第42回衆議院議員総選挙まで2度、無所属で当選したが、2003年に最高裁が中村側の上告を棄却し、懲役1年6ヶ月、追徴金5000万円の実刑判決が確定したため失職、黒羽刑務所に収監された。補欠選挙では自民党の永岡洋治が当選したが、永岡は2005年、郵政民営化法案に賛成票を投じた後、自殺した。
同年の第44回衆議院議員総選挙は、既に刑務所を出所して刑期満了となって公民権を回復した中村、永岡の妻である永岡桂子ら4人で争われ、中村が当選。永岡桂子は比例復活で初当選した。以来、2017年の第48回まで中村当選、永岡比例復活の構図が続いていた。
2020年には中村が野党第一党である立憲民主党に入党。その後2021年の第49回衆議院議員総選挙では初めて自民党の永岡桂子が小選挙区での当選を果たし、「無敗の男」と言われていた[6]中村は自身15回目の選挙にして初の選挙区落選となった(比例北関東ブロックで復活当選)。
なお、2017年の第48回以前は自公連立を構成している公明党は自民党への推薦を行っている他区と異なり、自民候補の永岡でなく中村への推薦書を出していた(第49回は中村の立憲民主党入党に伴い逆に永岡を推薦)。
2024年の第50回で中村は引退し、実子である勇太が無所属で立候補。永岡を破り初当選を果たした(永岡は比例復活)。
選挙名 | 年 | 当選者 | 党派 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第41回衆議院議員総選挙 | 1996年 | 中村喜四郎 | 無所属 | |
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 | |||
第42回衆議院議員補欠選挙 | 2003年 | 永岡洋治 | 自由民主党 | ※中村喜四郎の実刑判決確定による議員失職に伴う。 |
第43回衆議院議員総選挙 | ||||
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 | 中村喜四郎 | 無所属 | |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 | |||
第46回衆議院議員総選挙 | 2012年 | |||
第47回衆議院議員総選挙 | 2014年 | |||
第48回衆議院議員総選挙 | 2017年 | |||
第49回衆議院議員総選挙 | 2021年 | 永岡桂子 | 自由民主党 | |
第50回衆議院議員総選挙 | 2024年 | 中村勇太 | 無所属 |
時の内閣:第1次石破内閣 解散日:2024年10月9日 公示日:2024年10月15日
当日有権者数:32万2657人 最終投票率:52.52%(前回比:1.19%) (全国投票率:53.85%(2.08%))
時の内閣:第1次岸田内閣 解散日:2021年10月14日 公示日:2021年10月19日
当日有権者数:30万3353人 最終投票率:53.71%(前回比:1.49%) (全国投票率:55.93%(2.25%))
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日
当日有権者数:31万1660人 最終投票率:52.22%(前回比:5.30%) (全国投票率:53.68%(1.02%))
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日
当日有権者数:30万9577人 最終投票率:57.52% (全国投票率:52.66%(6.66%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中村喜四郎 | 65 | 無所属 | 前 | 88,393票 | 51.12% | ―― | 公明党推薦 | × |
比当 | 永岡桂子 | 61 | 自由民主党 | 前 | 65,638票 | 37.96% | 74.26% | ○ | |
白畑勇 | 62 | 日本共産党 | 新 | 18,883票 | 10.92% | 21.36% |
時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日
当日有権者数:31万2416人 (全国投票率:59.32%(9.96%))
時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日
当日有権者数:31万4798人 (全国投票率:69.28%(1.77%))
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日
当日有権者数:31万2524人 (全国投票率:67.51%(7.65%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中村喜四郎 | 56 | 無所属 | 元 | 89,099票 | 42.14% | ―― | × | |
比当 | 永岡桂子 | 51 | 自由民主党 | 新 | 81,230票 | 38.42% | 91.17% | 公明党推薦 | ○ |
五十嵐弘子 | 61 | 民主党 | 新 | 33,266票 | 15.73% | 37.34% | ○ | ||
稲葉修敏 | 43 | 日本共産党 | 新 | 7,854票 | 3.71% | 8.81% |
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日
当日有権者数:31万3913人 (全国投票率:59.86%(2.63%))
当日有権者数:313,340人 最終投票率:53.80%
時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日 (全国投票率:62.49%(2.84%))
時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日 (全国投票率:59.65%(8.11%))
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