猿島町
日本の茨城県猿島郡にあった町 ウィキペディアから
日本の茨城県猿島郡にあった町 ウィキペディアから
1956年(昭和31年)に沓掛村と富里村が合併して町政を施行。猿島茶の産地であるところから、新町名は猿島町とした。1957年(昭和32年)に石下町の一部を編入した。2005年(平成17年)、いわゆる「平成の大合併」により、隣接する岩井市との新設合併により坂東市となり、独立した町政はなくなった。
町域は常陸台地を構成する台地のひとつである猿島台地にあり、標高20 m前後の平坦な土地が全体に広がる。北東端は、飯沼を干拓した水田地帯である。
主要産業は農業で、土地の大部分は、稲作が行われる水田や、麦・茶・タバコなどの畑作地として利用された[1]。特産の茶は、冬季の作物を季節風から守り、土壌浸食を防ぐために畑の境界に植えられたことが始まりで、19世紀中ごろの弘化年間に辺田村(現在の坂東市辺田)の庄屋であった中山元成が、地元農民に製茶を奨励したことから茶の栽培が地場産業となり、発展して猿島茶とよばれるようになった[1]。猿島郡南縁を流れる利根川に、芽吹大橋や境大橋が架橋されてからは、東京方面へ出荷するための近郊農業が行われるようになり、ビニールハウス栽培によるキュウリ・トマトなどの野菜の供給地となった[1]。
南東部に位置する沓掛を中心とした乏水台地には、工場用地・住宅地・商店街が集まる。
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