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日本のお笑いタレント ウィキペディアから
レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年〈昭和49年〉6月8日[2] - )は、日本のお笑いタレント。本名および旧芸名:出渕 誠(いずぶち まこと)。吉本興業所属。レイザーラモンHG(住谷正樹)とお笑いコンビ「レイザーラモン」を組んでいる。
レイザーラモンRG | |
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横浜文化体育館で行われたハッスル・ツアー2008〜7.27 in YOKOHAMA〜にて。レイザーラモンRG(左)とレイザーラモンHG(右) | |
本名 | 出渕 誠(いずぶち まこと) |
別名義 |
こぶしたかし[1] 六本木アキラ ある沢拓司 |
生年月日 | 1974年6月8日(50歳)[2] |
出身地 | 日本・愛媛県八幡浜市 |
身長 | 177cm[2] |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語・伊予弁・熊本弁・関西弁 |
最終学歴 | 立命館大学経済学部 |
師匠 | 細川たかし(こぶしたかしとして) |
出身 | 心斎橋筋2丁目劇場のオーディションライブ |
コンビ名 | レイザーラモン |
グループ名 | ビッグポルノ(小籔千豊+レイザーラモン) |
相方 | レイザーラモンHG |
芸風 | 肉体芸、すべり芸、物真似、あるあるソング(替え歌) |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1997年 - |
同期 |
福田充徳(チュートリアル) バイきんぐ ヤナギブソン(ザ・プラン9) など |
過去の代表番組 | 超ハマる!爆笑キャラパレード |
他の活動 | 歌手 |
配偶者 | 既婚 |
親族 | 初代三遊亭圓朝(遠縁) |
公式サイト | プロフィール |
受賞歴 | |
2014年 R-1ぐらんぷり 準優勝 2017年 R-1ぐらんぷり 決勝進出 2022年 ソウドリ シーズン7 優勝 |
熊本県上益城郡甲佐町で生まれる。出淵氏は伊予国を勢力圏とした河野氏の支族とされる。先祖には愛媛県伊予市にあった伊福城城主・出淵盛政などがいる。また、同じ出淵氏の遠縁に落語家の初代三遊亭圓朝がいる[4]。
小学4年生の時に、父親の異動に伴って愛媛県八幡浜市に転居[5]。いじめに遭いたくないため、スポーツの成績や特技について周囲にハッタリをかけるような少年であったが、それが嘘にならないように陰で努力もしていたという[6]。八幡浜市立白浜小学校卒業[7]。
八幡浜市立愛宕中学校入学・卒業[7]。中学ではバレー部に入り、レギュラーになり県大会ベスト8に入った[6]。
高校は進学校である愛媛県立八幡浜高等学校に入学。文系成績上位クラスに選抜された。部活動はバレー部に所属していたが、同時に結成していたメタルバンドのほうに傾倒していた。しかし、バンドに熱中するあまりに大学受験に失敗。一浪した末、立命館大学に入学した[6]。
立命館大学でも軽音楽部に所属し「A.O.D」というバンドを結成、ベースを務めた。しかしあまり刺激を感じず、他のサークル活動を見学していたところ、立命館プロレス同好会(RWF)のメンバーに魅かれるものがあり、入部した。学生プロレス中心の生活となる中で、同志社大学の住谷正樹(後のレイザーラモンHG)と出会う。また、「ガロ」「COMIC CUE」といったサブカルチャー系の漫画にものめり込み、自ら漫画を描いて出版社に持ち込むまでにもなった。一方で学業にも真面目に取り組み、3回生の頃には就職の内定を決めていた[6]。
立命館在学中の1997年7月に、住谷とお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成[2]。当時、大阪で心斎橋筋2丁目劇場が人気となっていたため、卒業記念に2丁目劇場のオーディションライブ「SABIKI」を受けてみたところ合格し、同劇場へ出演するようになる。さらに、その勢いで参加した「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」では福笑い大賞を受賞した[2][6]。
卒業後はカーディーラー(トヨタ自動車の販売店[8])に就職し、営業職などを務めつつお笑いも続けていたが、仕事になじめず3ヵ月ほどで退職し、吉本興業に所属。アルバイトを掛け持ちしつつ、本格的にお笑い芸人としての活動を始める[6]。
1999年、バッファロー吾郎プロデュースの「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に初出演。同年10月、初のレギュラー番組となる毎日放送『クヮンガクッ』がスタート(翌3月までレギュラー)。2000年、「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞を受賞。
2001年11月、レイザーラモンは揃って吉本新喜劇に入団。出渕はヤクザ、間抜けな男、オタクなど、多彩な役柄を演じるオールラウンドプレイヤーとして活躍。自ら「超音波攻撃」と称する雅楽のモノマネ、一人プロレスなどのギャグを披露していた。在団中の2003年に一般女性と結婚。住谷が「レイザーラモンHG」として大ブレイクしたことにより2005年末に退団、二人揃って東京進出を果たす。
その後はHGの影に隠れつつ、HGに便乗したキャラクターである「レイザーラモンRG」を名乗って露出を図る。RGとして「寄生虫」呼ばわりされ世間から嫌われながらも、多彩な持ちネタで徐々に存在感を増していく。さらに、HGのプロレス活動での負傷による長期休養もあり、2009年頃からRG単独での活動を増やす。その中で物真似ネタや、市川海老蔵の物真似から派生した「あるあるネタ」がじわじわと支持を集めていき、一発屋に終わらない独自のキャラクターを確立することに成功した。
『R-1ぐらんぷり』では、2011年、2012年で準決勝進出。2014年は初の決勝進出を果たし、準優勝となる。2017年にも決勝に進出している。
立命館大学では立命館プロレス同好会(RWF)に所属。リングネームは新崎人生を下ネタ風にオマージュした「チン先真性」だった。京都統一タッグ選手権の初代チャンピオンに輝いた経験を持つ。しかし出渕本人によれば、同志社大学の同志社プロレス同盟(DWA)に在籍していた住谷が正統派のプロレスをしていたのに対し、自身は「コミックレスラー」だったとも言う。また、試合よりも実況席に座ったときのしゃべりの方が好評であったとの証言もある。大学のアマチュアレスリング部が部員不足であったため、RWFの面々もそちらの練習に週に数回参加しており、実際に大会出場経験もある。
RWFの先輩には芸人のユリオカ超特Q、後輩には後に新日本プロレスのレスラーとなる棚橋弘至がいる。同好会では、アメリカ在住のOBが送ってくるアメプロビデオを棚橋らと一緒に鑑賞しており、棚橋のプロレス観に大きな影響を与えたと自負する。そのため、RGは普段棚橋を「おい!棚橋!」「タナ」などと呼び捨てにしているが、吉本興業の先輩であり大の新日本プロレスファンの博多大吉は「人前で呼び捨てにするな」「チャンピオンなんだから敬え」とRGに説教をしたことがある[36]。なお、棚橋自身は、一応RGを先輩として立てる発言をしている。
2005年よりHGが参戦していたプロレスイベント「ハッスル」にRGも出場するため、2006年に「パワーアップでオー!ディション」に参加、2月10日のドラフトまで生き残る。鈴木浩子第3代GMは「これほどの才能の原石を見たことがございません。何とかとハサミは使いよう。いただいておきましょう」とRGを評価し、鈴木家の一員に加えられ、正式にハッスルの参戦が決定した。ハッスルでのニックネームは「孤独の疫病神」「自称・"ハッスルの神の子"」。
鈴木第3代GMの退任と彼女の推薦により第4代GMに就任。ハッスルハウスvol.20において行われたGM総選挙において坂田亘に敗れ、GMの座から退任することとなり、坂田軍団に所属。
ハッスルでも、「リアルゲイ」としてのRGと同様に、「勘違いして調子に乗ったキャラクター」が与えられていた。参戦当初は寒いギャグを織り交ぜたマイクパフォーマンスを行い、また当時のRGが世間から嫌われていたため、観客からのブーイングや「帰れ」コールを浴びせられるのが常であったが、坂田軍団の一員となり、GM補佐官のギミックでレスラーとして活動。試合を重ねるに連れ、ハードな受身を取ったり、流血戦にも耐えるなどのやられっぷりの良さで人気を博し、レスラーとして成長していった。チーム3D、タイガー・ジェット・シンや天龍源一郎、川田利明、曙、鈴木みのるなどといった国内外の大物レスラーとも対戦した。
後期ハッスルでは「ハッスルの裏エース」「後楽園ホールの主役」とまで呼ばれ、メインを務めることも多かった。2006年のハッスルマニア前の記者会見ではGMWに、HGへの発言として「前回の名古屋大会ではお前よりもRGの方が面白かった」と言わしめ、HGも「あの時のRGは確かに面白かったと思いました」とRGを認める発言をした。
2009年にHGが大怪我を負い、ハッスル自体も興行中止となる事態が発生したため、RGもこれをもってハッスルから離脱することとなった。
ハッスル崩壊後も時折リングに上がることがあり、2010年のDDT・両国大会では、足の重傷から一日限定復帰したHGと組んで男色ディーノとハンデキャップマッチを行っている。また、全日本プロレスでは第3代F-1タッグ選手権を獲得(パートナーは征矢学)。2011年4月には「SKULLSHIT presents THE LIVE 2011」で飯伏幸太と対決[37]。2016年12月の「骸骨祭り」では蝶野正洋とのシングル戦が組まれていたが、前日のタッグマッチで曙のエルボーで肋骨を2本骨折し試合は流れてしまった上、直後に参加した『博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜』(フジテレビ)の撮影では、通常モノマネ後に奈落に落とされるところ、スタッフの配慮で舞台袖に捌けることとなった[38]。
「RGツーリングクラブ」(アールジーツーリングクラブ)はレイザーラモンRGが発起者となり、芸人仲間と共に結成したオートバイのチームである[40]。通称RGTC。ツーリング活動や動画投稿などを行っている。オートバイ好きの芸人が所属するツーリングクラブとして知られ、2015年10月21日には「RGツーリングクラブ」と題するDVDが、よしもとミュージックエンタテインメントから発売された。当該作はシリーズ化し、2016年には「RGツーリングクラブ2」と題する第2弾が、2017年には第3弾となる「RGツーリングクラブ3」が発売されている。
2017年10月14日に開催のグランプリロードR123パレードには、RGツーリングクラブからバッファロー吾郎ほか計3名が参加した[41]。 2019年に開催の東京モーターサイクルショー2019では、RGTCトークショーと称するステージイベントが開催され、RGツーリングクラブ関連グッズの販売や、ステッカーの無償頒布も行われた[42]。
高校時代および立命館大学時代にバンドを結成していたこともあり、洋楽、特にヘヴィメタルに造詣が深い。冠徹弥と親交があり、しばしば対バンすることもある。
2003年に、レイザーラモンと小籔千豊がパフォーマンスユニット「ビッグポルノ」を結成(2014年解散)。下ネタを積極的に織り込んだコントやラップなど、様々なパフォーマンスを行っていた。ビッグポルノでの出渕(RG)は意外なまでに高い歌唱力を持ち味としており、陰茎と大阪をモチーフにしたナンバー『SUNRISE SUNSET』などを収録した自主制作盤も制作し、人気を博していた。
2012年より、RG、椿鬼奴、藤井隆の3人で、好きな洋楽をカラオケで歌うだけのイベント「Like a Record round! round! round!」を随時開催している。2014年には、藤井が主宰する音楽レーベル「SLENDERIE RECORDS」所属のユニットとして(ユニット名はイベント名と同名)、KOJI1200(今田耕司)の『ナウ ロマンティック』のカバーや、オリジナル曲『kappo!』をリリースしている。
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