トップQs
タイムライン
チャット
視点
ZIGGY
日本のロックバンド ウィキペディアから
Remove ads
ZIGGY(ジギー)は、1984年にボーカルの森重樹一を中心に結成された日本のロックバンド。結成以来、メンバーの脱退・加入・復帰を繰り返し、2008年2月に無期限の活動休止を発表した後、2010年、2014年に期間限定でLIVEのみ活動、2017年に10年ぶりの新曲リリースと全国ツアーを開催し精力的に活動を再開。現在の正式メンバーは森重樹一のみである。また、SNAKE HIP SHAKES(スネイク・ヒップ・シェイクス)という名義で活動していた時期もある。
Remove ads
外観的な特徴
ZIGGYのメンバーの初期の外観は、濃いメイクに明るい色の長髪、派手で煌びやかな衣装をまとっていたという特徴があるが、これは海外のバッドボーイズロック、および、LAメタルやグラムロックの影響によるものである。
しかしながら、ヴィジュアル系という用語が確立した90年代以降にヴィジュアル系雑誌『SHOXX』(音楽専科社)で取り上げられるなど、ヴィジュアル系の一派と捉えられるケースも稀にある[2][3]。中期に入ると戸城が比較的短髪になり、森重は本人が学生時代以来というパンクスのような短髪になった。同時にメイクや衣装も徐々に落ち着いた物に変化していった。後期は津谷と松尾が短髪にすることが多くなり、衣装も黒を基調としたシックなスタイルを用いることが増えた。
80年代半ばにおける海外及び、国内のロックシーン
海外ではモトリー・クルーやガンズ・アンド・ローゼズらの活躍により、バッドボーイズロックやLAメタルが80年代半ばに栄えていたが、彼らの音楽性、ファッション性はZIGGYのメンバーに少なからず影響を与えている[4]。同じ頃、国内のロックシーンではBOØWYやREBECCAらが相次いでブレイクし、空前のバンドブームとなっており、メジャーデビュー後のZIGGYもバンドブームの隆盛に比例する形でCDセールスやライブの動員数を伸ばしていった。バンドブーム終焉とともに多くのバンドが解散や活動休止に追い込まれる中、ZIGGYは2008年まで活動を継続。バンドブーム期を経て生き残った数少ないバンドの1つである[4][5]。
音楽的特徴
音楽的特徴は活動時期やアルバムによって大きく異なる。初期はロックンロールやハードロックを基調としたアップテンポな楽曲が多く、ボーカルパートはメロディアスで歌謡曲要素が強かった。90年代に入るとアルバムごとに音楽性が大きく変化し、2000年代に入るとブルースロックのような楽曲が中心となった。2017年の活動再開後は初期のような音楽性に戻っている。作詞面では初期は英詞を多用したが、中期以降は日本語歌詞がメインとなった。ボーカルパートに歌謡曲要素が強かった点について、森重は少年期に沢田研二や西城秀樹らの歌謡曲を好んで聴いていたため、その影響が楽曲に反映しているのかもしれないと語っている[4][6]。
メジャーデビューまでの活動
1984年秋、東京で森重樹一を中心に結成される。ZIGGYという名前はデヴィッド・ボウイのジギー・スターダストから命名された。その後メンバーチェンジを繰り返したのち、1986年3月に当時G.D.FLICKERSに所属していた戸城憲夫が加入。この時点でのメンバーで、ソニーレコードのオーディションを受けたものの、最終選考で落選している。当オーディションでは、後に音源化される「LAZY BEAT」、「I CAN'T STOP DANCIN'」が演奏された。その後ドラマーが結婚を理由に脱退し、戸城の在学する拓殖大学の後輩であった大山正篤が1986年6月に加入、1986年10月には松尾宗仁が加入し、メジャーデビュー時のメンバー構成となった。
1987年7月にVICEレコードから初のLP「それゆけ! R&R BAND」を発売。発売記念ライブを渋谷ラママで行うものの、開始5曲ほどで森重がステージを降りてしまい、数曲をヴォーカル不在で演奏して終了、というトラブルがあった。また、この年は初の全国ツアーを行うが、地方では対バンが高校生、バンド名が「GIGGY」と表記される、メンバーが最前列の客が食べていたシュウマイを演奏中に奪って食べるなど、珍事の連続であった[4]。
Remove ads
メジャーデビュー以降の活動
- 1987年
- 10月5日、徳間ジャパンよりアルバム「ZIGGY 〜IN WITH THE TIMES〜 」をリリースしメジャーデビューを果たす。
- 1988年
- 5月、初のシングル「GLORIA」、「I'M GETTIN' BLUE」を同時リリース。2ndアルバム「HOT LIPS」リリース。
- 1989年
- 1990年
- 4月、4thアルバム「KOOL KIZZ」リリース。オリコン初登場1位を獲得する。
- 秋頃、マスコミ各社に異例の「休暇届け」を送付し1年間の活動休止を発表。
- 1991年
- ZIGGYをモデルとしたアニメ作品「ZIGGY THE MOVIE それゆけ! R&R BAND」が制作される。劇中歌には活動休止前にレコーディングされていた未発表曲が使用され、これらの楽曲をまとめたミニ・アルバム「SOUND TRAX」が6月に発売された。
- 1992年
- 活動再開。
- 6月、5thアルバム「YELLOW POP」リリース。新しい音楽に挑戦し、ソングライターとしての更なる成長を志していた森重と戸城は、あくまでトラディショナルなロックンロールにこだわる松尾との活動に限界を感じ始める。同時に松尾も「YELLOW POP」に収録された「のらねこのKUROくん」が自らの音楽的嗜好とは相容れないものと感じ、脱退を決意する。また、松尾の脱退によりデビュー時のメンバーにこだわる必要がないと森重が判断し「YELLOW POP」発売に伴うツアー『COME ON EVERYBODY』終了後に、松尾と大山の脱退が発表された[7][5]。2人の脱退に関してマスコミ各社に送られた森重のメッセージは以下の通りである。
「(略)約1年半という活動休止期間を経た我々の活動には、残念ながら終始どこかかみ合わない歯車のような、しっくりといかない感じがつきまとっており、各々のメンバーがその不確かな”ずれ“を違った形で捉えていたように思います。(略)バンドという一つの共同体を中心に考えるのであれば、バンドの方向性が最重要視されなければなりません。そのために個人的には納得のいかないこともあるはずです。(略)ただ唯一解って頂きたい点は、音楽は我々にとって最も愛するべきもので、人生そのものと言っても過言ではないということです。その音楽に、より誠実であるために各々が、より自分を生かせる場所で活動するべきだと判断したというところです。(略)親愛なるファンならびに関係者の皆様へ」(森重樹一)[8] - 12月、ライブビデオ「COME ON EVERYBODY」、ファン投票により選曲されたベストアルバム「ORDER-MADE 〜15 NUMBERS SELECTION〜」がリリースされ、これがデビュー時の4人での最後の作品となった。森重と戸城はユニットの形態でZIGGYとしての活動を継続していくこととなった。
- 1993年
- 1994年
- 7月、7thアルバム「BLOND 007」発売。サポートメンバーには引き続き横関敦、新美俊宏を迎え、バンドスタイルでの楽曲制作を行った。音楽性はロック色の強い方向に回帰したが、彼らの技量を活かしたテクニカルなアレンジが多く、従来のZIGGYのサウンドとは大きく異なるものとなった。
- 1995年
- 3月、シングル「Jealousy 〜ジェラシー〜」リリース。「カメリアダイアモンド」のCMソングに起用され、ヒットする。
- 10月、ライブでのサポートドラマーを務めてきた宮脇”JOE”知史(現44MAGNUM)が正式加入。
- 1996年
- 1997年
- 3月、9thアルバム「CRAWL」リリース。このアルバムよりプロモーション活動を控え、メディア露出が極端に減少するなど活動体制が大きく変化し、以降、セールスは大幅に落ち込む。
- 1998年
- セールスの大幅な減少、個人活動の活発化などによりZIGGYは解散の危機に瀕する。そこで当時の所属事務所の創始者である月光恵亮は森重に松尾宗仁の復帰を提案。森重はこれに賛成し、松尾も当時TRYBECCAという自身のユニットで活動していたが、掛け持つ形で承諾。3月に正式メンバーとして松尾が復帰。当初は"KING OF GYPSYZ"の変名でライヴを行っていたが、8月からはZIGGY名義でのライヴを通常通り行い、松尾復帰に伴って初期の楽曲も演奏された。
- 1999年
- 1月、所属レコード会社をSMEJ Associated Recordsに移籍。
- 3月、10thアルバム「Goliath Birdeater」リリース。外部プロデューサーの意見を大きく取り入れるアルバムの制作方法や、発売後のツアーのブッキングに関して不満を持っていた戸城は、取材等で不穏な発言を繰り返してしまう。戸城はその後、次回作の制作時にオーソドックスなロックンロールへ回帰しようとする森重や松尾との音楽性の相違を感じ、メンバーに脱退を示唆。メンバーは慰留に努めるものの、話し合いの末、互いに譲歩が困難であると悟り、10月1日をもって戸城の脱退が決定。また、戸城の脱退がレコード会社との契約違反とみなされ、契約解除だけでなく、ZIGGYの名でのバンド活動及びメンバーの個人活動も制限されることとなった。
- 2000年
- 1月、ファンクラブ会報にて戸城の脱退と、当時PSYCHO CANDIEというバンドに所属していた津谷正人を新ベーシストに迎え"SNAKE HIP SHAKES"名義で活動することを発表。
- 6月、レコード会社をメルダックに移籍し、SNAKE HIP SHAKES名義での1stシングル「永遠のJustice 〜この道の果てに〜」リリース。2001年にかけて、SNAKE HIP SHAKESとして計3枚のシングル、計5枚のアルバムをリリースした。
- 2002年
- 7月、バンド名義をZIGGYに戻し、ZIGGYとしては3年ぶりとなるアルバム「HEAVEN AND HELL」リリース。
- 12月、12thアルバム「HEAVEN AND HELL II」リリース。
- 2003年
- 9月、13thアルバム「ROCK AND ROLL FREEDOM!」リリース。
- 2005年
- 1月、14thアルバム「JUST A ROCKIN' NITE」リリース。
- 2006年
- 4月、津谷が脱退。ZIGGYとしての活動も休止。
- 2007年
- 10月、15thアルバム「NOW AND FOREVER」リリース。
- 2008年
- 2010年
- 森重の精神状態を考えた戸城の呼びかけにより、戸城、森重、宮脇の3人でZIGGY名義で、期間限定の全国ツアーを行うことが発表される。サポートギタリストにはカトウタロウを迎え、ツアーは秋から年末まで行われた。演奏されたのは初期の楽曲を中心に、アルバム「CRAWL」の時期までの楽曲であった。なお、松尾宗仁はツアー決定に際し、THE PRODIGAL SONSの公式ブログの「俺は放蕩息子」というエントリーにおいて、「某バンドのツアースケジュールが発表されたようだが、俺は参加しない。理由は言わなくてもわかるだろ?」と発言した。
- 2011年
- ZIGGYの公式サイトが閉鎖される。
- 2014年
- 公式サイト閉鎖後は、しばらく無風状態が続いたが、結成30周年を記念して森重樹一の呼びかけにより、戸城、カトウタロウ、金川卓矢、佐藤達也を迎え期間限定で活動を再開。全国ツアーを行うとともに、会場限定販売の新曲デモ3曲入りCDなども作成された。また、森重のみがZIGGY名義で多くの地上波の音楽番組に出演した。
- 8月から9月にかけて、徳間ジャパン在籍時の全オリジナルアルバムがデジタルリマスタリング及びHQCD仕様で再発売され、森重選曲によるベストアルバムも新たにリリースされた。
- 2016年
- 12月、森重の公式サイトにおいて、2017年にZIGGY名義での全国ツアーが敢行されることが発表された。なお、森重以外はサポートメンバーでの参加となる。
- 2017年
- 3月、10年ぶりの音源となるシングル「CELEBRATION DAY」リリース。
- 4月、全国ツアー『ZIGGY TOUR 2017』を敢行。
- 8月、30周年を記念して全シングルのA面、B面を網羅した3枚組のシングルコレクションをリリース。
- 10月、16thアルバム「2017」をリリース。アルバムリリースに伴い全国ツアーを開催し、11月から12月にかけて全国18公演を行った。
- 2018年
- 3月から4月にかけて2ヶ月連続でシングル「TEENAGE LUST」、「君の笑顔より美しい花を知らない』 」リリース。同時にDVD「LIVE 2017」も発売される。
- 10月、17thアルバム「ROCK SHOW」リリース。11月から12月にかけて全国ツアーを行った。
- 2019年
- 4月に「ヒカリノアメ」、10月には「I STAY FREE FOREVER」をリリース。また、1stアルバム「ZIGGY 〜IN WITH THE TIMES〜」の再録盤の制作もされる。
- 2020年
- 6月、2ndアルバム「HOT LIPS」の再録盤をリリース。10月にはシングル「証」をツアー会場、通信販売限定でリリース。
- 2021年
- 4月、18thアルバム「SDR」をリリース。
- 2023年
- 8月、19thアルバム「SO BAD, IT’S REAL」をリリース。
- 2024年
- 4月、結成40周年を記念して、再始動した2017年以降の音源から選曲したベストアルバム「THE LATEST BEST」をリリース。
- 4月から5月にかけて、結成40周年を記念して全国ツアーを開催。
- 10月、20thアルバム「For Prayers」をリリース。
- 12月、『ZIGGY TOUR 2024「For Prayers」』の最終公演にて、2025年以降の活動休止を発表。
Remove ads
メンバー
要約
視点
第1期(1986年10月 - メジャーデビュー - 1992年9月)
第2期(1992年9月 - 1995年12月)
松尾、大山脱退。
- 森重樹一
- 戸城憲夫
- 横関敦 (ギター) ※BLOND 007サポート
- 新美俊宏 (ドラム) ※BLOND 007サポート
第3期(1995年12月 - 1998年1月)
サポートの宮脇(ex.44MAGNUM)が正式加入。
第4期(1998年1月 - 2000年1月)
松尾が復帰。
- 森重樹一
- 戸城憲夫
- 松尾宗仁
- 宮脇“JOE”知史
第5期(2000年1月 - 2002年3月)
戸城が脱退し契約上の問題から"ZIGGY"が半年間使用できなくなり、"SNAKE HIP SHAKES"で活動開始[5](解決後も2002年4月まで活動)。サポートとして津谷が参加。松尾が作曲にも参加。
- 森重樹一
- 松尾宗仁
- 宮脇“JOE”知史
- 津谷正人 ※サポート
第6期(2002年4月 - 2006年4月)
ZIGGY再開。津谷が正式加入。
第7期(2006年4月 - 2008年2月)
津谷が脱退。2008年2月から無期限の活動休止。
- 森重樹一
- 松尾宗仁
- 宮脇“JOE”知史
- 五十嵐"Jimmy"正彦 (ギター) ※サポート
- James (市川洋二、ベース) ※サポート
第8期(2010年11月 - 2010年12月)
戸城の呼びかけから期間限定でライブを開催。
- 森重樹一
- 宮脇“JOE”知史
- 戸城憲夫
- カトウタロウ (ギター、ex. BEAT CRUSADERS) ※サポート
第9期 (2014年3月 - 2014年8月)
結成30周年を機に森重の呼びかけで活動を再開。期間限定のなかライブツアーと約7年振りに新曲をリリース。再開にあたり、当初は第1期の4人での活動も計画されていたが、戸城と松尾が参加にあたり真逆の条件(戸城は新曲のリリースを条件とし、松尾は旧曲でのライブツアーのみの活動を条件とした)を提示したため森重が戸城との活動を選択する。活動休止前のメンバーだった松尾、宮脇は正式に脱退する事になり戸城はサポートという形での参加でZIGGYの正式メンバーは森重のみとなる。
- 森重樹一
- 戸城憲夫 ※サポート
- カトウタロウ (ギター) ※サポート
- 金川卓矢 (ドラム ex. THE SLUT BANKS、TOKYO SAPIENS) ※サポート
- 佐藤達哉 (キーボード) ※サポート
第10期 (2017年3月 - )
- 森重樹一
- カトウタロウ (ギター)※サポート
- Toshi (ベース ex.Femme Fatale)※サポート(2017年はライブのみ参加)
- CHARGEEEEEE… (ドラム Omega Dripp)※サポート(2017年はライブのみ参加)
- 佐藤 達哉 (キーボード)※サポート
- 清 (ベース)※2017年スタジオレコーディングサポート
- 満園英二 (ドラム)※2017年スタジオレコーディングサポート
正式メンバーは森重のみで他はサポートメンバー。
Remove ads
ディスコグラフィ
要約
視点
●印が付いている部分は、SNAKE HIP SHAKES名義での作品。
シングル
配信限定シングル
その他のシングル
アルバム
オリジナル・アルバム
2014年再発・HQCD盤 デジタルリマスター
デジタルリマスター仕様。
ベスト・アルバム
セルフカバー・アルバム
BOX
映像作品
再発
書籍
- 派手めな普段着 (1989年11月、シンコーミュージック、ISBN 9784401612888)
- ZIGGY,ZIGGY,ZIGGY―ジギー全角度分析図鑑 (1991年5月、JICC出版局、ISBN 9784796601450)
- HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HEAVEN (2002年10月、ソニーマガジンズ、ISBN 9784789718974)
写真集
- HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HELL (2002年10月、ソニーマガジンズ、ISBN 9784789718981)
- That is my life (2005年)
●印はSNAKE HIP SHAKES名義の作品
Remove ads
タイアップ
Remove ads
参考文献・出典
注釈
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads