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日本のお笑いタレント、俳優 (1971-) ウィキペディアから
カンニング竹山(カンニングたけやま、1971年〈昭和46年〉4月2日[注 1] - )は、日本のお笑いタレント、俳優、コメンテーター、YouTuber。本名および旧芸名、竹山 隆範(たけやま たかのり)[1][3][注 2]。
カンニング | |
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2022年 | |
本名 |
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ニックネーム |
さいとう[2] カブトムシさいとう[2] |
生年月日 | 1971年4月2日(53歳)[注 1] |
出身地 | 福岡県福岡市城南区 |
血液型 | O型[3] |
身長 | 168 cm[3] |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語・博多弁・関東方言 |
最終学歴 | 福岡県立早良高等学校 |
出身 | 吉本興業福岡事務所直入 |
コンビ名 |
ター坊ケン坊(1990年 - 1992年) カンニング(1992年 - 2006年) |
相方 |
ケン坊田中(ター坊ケン坊) 中島忠幸(カンニング) |
芸風 |
キレ芸 イジられ リアクション芸 話芸 |
立ち位置 | 左 |
事務所 | サンミュージックプロダクション |
活動時期 | 1990年 - |
同期 |
博多華丸・大吉 千原兄弟 FUJIWARA など |
現在の代表番組 |
探偵!ナイトスクープ たまむすび(月曜日) 世界制服!竹山塾 など |
過去の代表番組 |
虎の門 竹山先生? 中井正広のブラックバラエティ など |
他の活動 |
俳優 コメンテーター YouTuber |
配偶者 | 既婚 |
親族 | 兄弟、犬(1匹) |
公式サイト | 公式プロフィール |
福岡県福岡市城南区出身。サンミュージックプロダクション所属。
福岡県福岡市城南区出身[4]、福岡県立早良高等学校卒業。上京して大学卒業後には芸人になるつもりだったが、大学受験(高千穂大学と帝京大学)の結果は不合格だった。1990年、予備校時代には同じく浪人中だった小学校の同級生であるケン坊田中(現:田中健二)とコンビ『代々木くんと河合くん』を組んだ。コンビ名は2人が通うそれぞれの予備校名が由来だったが、予備校側から了承が得られなかったため『ター坊ケン坊』へ改名[5]。4月に開催されたTNCのオーディション番組『第1回激辛!? お笑いめんたい子』で優勝、5月にコンビとして福岡吉本第1期生となり所属契約を結ぶ。
福岡吉本では博多華丸・大吉やコンバット満らが同期に当たる。しかし竹山は「福岡で売れても意味がない」と、わずか1年で福岡吉本を辞め上京[6]。
東京で、田中と同じく小学校の同級生だった中島忠幸と再会し[7]、1992年、中島とコンビ『カンニング』を結成。一時期は渡辺プロダクションに所属するも単純に売れずにリストラされ、元渡辺プロ関係者からの紹介でサンミュージックへ移籍(竹山本人は「素行不良で移籍した」と自虐的な鉄板ネタとして公言している)。当時のサンミュージック所属の芸人は3組のみで、カンニングは2組目だった。その後、フリーフォークス(MANZAI-Cの個人事務所)への所属を経てぶっちゃあ(ブッチャーブラザーズ)の呼びかけによって再びサンミュージックに出戻った。
2004年6月、日本テレビ『エンタの神様』に初出演。しかし漫才中にいきなり脱糞発言を繰り返した。7月の2度目の出演では突然ズボンを脱いで本気で脱糞しかけたためスタッフに強制退場させられ、放送終了後、日テレには苦情・クレームの抗議電話が殺到した。8月に3度目の出演で中島から一喝され、土下座および謝罪の弁を述べた。なお同番組には10年後(2014年7月28日)にもこの一度だけの約束として出演し当時の模様を語っている[8][9]。12月には、中島が白血病で入院し、コンビでの活動は休止せざるを得なくなったが、中島の復帰に備え一人で活動を続けた。
2005年、山崎邦正(現・月亭方正)とコンビ『竹山崎』として第5回M-1グランプリへ出場、3回戦まで進出。
2006年12月20日、療養中の中島がウイルス性肺炎の発症により逝去[7]。コンビは事実上の解散となるが、芸名に「カンニング」をつけた『カンニング竹山』として活動している[10]。
2007年3月30日、およそ15年間付き合ってきた2歳年上の女性と結婚[11]。
2008年、役者として初の役名(藤井哲男役)付き映画となる『イエスタデイズ』へ出演。単独ライブ『放送禁止』を開催(後述)。
実際の誕生日は1971年3月30日だが、同学年より1年多く過ごせると親が戸籍上では1971年4月2日を誕生日とした[12]。
父は事業を行っており非常に裕福な家庭で育った。幼稚園へは運転手が運転する白いベンツで通っていたほど[13]で、リビングには象牙や虎の敷物、火縄銃が飾られていた[14]。
9歳の時に父が経営していた会社が倒産、一転して借金取りから追われる生活となる。当時は子供心に「人はお金が絡むと豹変する。金を信用しちゃいけない」と考え[15]、周りの大人たちが敵に変わっていく様を痛感したという[16]。
竹山が高校生の頃、バブル景気に便乗する形で父の羽振りが再び良くなる[15]。だが竹山の上京後、またしても父の会社の経営が傾き返済計画を話し合っていた家族会議の最中に父が脳出血で倒れ、そのまま死去。父の没後、東京にいた竹山に裁判所から書類が届き、全く身に覚えのない13億円もの借金が発覚(竹山の兄は20億円の借金を背負った[15])。結局、相続放棄をする形でその負債は免れた[17]。父がどのような会社を経営していたのか、息子の竹山は一切知らなかった[14]。「借金はするな、保証人にはなるな」が父の遺言のようなものだったと語っている[15]。
芸人としてほとんど売れていなかった20代前半の頃、相方の中島が原付で交通事故を起こし、その示談金だった50万円を工面するため消費者金融から借金をした。この時に意外にも簡単に借りられると味を占め、アルバイトもさぼって堕落生活と化し遊興費のため借金を重ねて450万円、利子だけでも月15万に膨らんだ[15]。部屋には借金取りが押し寄せ、ネタ作りもままならない状態で舞台に臨んで苦し紛れに生まれたのが「キレ芸」だった。キレ芸は「お笑いの形ばかり気にしていたことから、かっこつけるのを辞めて、自分たちが本当に面白いと思っていることを、テレビに全く映らなくてもいいから開き直って、思いっきりやってみよう」という思いから誕生した。「電車の中や居酒屋で怒ったり説教したりするおじさんとか面白そう」という話になり、漫才の中に取り入れたら面白いんじゃないかということになったという。実際に本人が語ったところによると、ライブがあるのに借金取りが家の前にいたため窓から屋根伝いに逃げるようにライブ会場に到着し、「何で俺がこんな目に遭わんといかんのじゃー!!」とキレたのが始まりだった。その芸は客ウケこそ悪かったが芸人仲間からは評価が高かったため、本格的にお笑いへ臨むことを決意[18]。450万円の借金は、特定調停を申し入れて債務整理をした[15]。
2013年、当時予定していた主演ドラマが急遽中止となりスケジュールが空いたため教習所へ通い、42歳で普通自動車運転免許を取得した[19]。
2015年1月、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画内でハワイのマツモトシェイブアイスの経営権を購入。「竹山かき氷本舗(タケヤマシェイブアイス)」の店名で、4月14日から5月13日まで期間限定でかき氷やTシャツ等を販売した。1000万円の大台を超える売り上げだったものの、利益はほとんど残らなかったという[20]。
ター坊ケン坊時代に九州朝日放送でラジオデビュー。
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