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『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(どくまむしさんだゆうのミュージックプレゼント)は、TBSラジオで1969年10月6日から放送されている公開生放送のラジオ番組である。2019年10月11日の放送で50周年を迎えた[1]長寿番組。パーソナリティは開始当初から、毒蝮三太夫が務めている。ラジオクラウドでの聴取が可能である[2]。
冠スポンサーの場合を除き、スポンサーの記述はしないでください。 |
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本項では、2016年4月から2018年3月まで平日の同じ放送枠で金曜日のみ放送された音楽番組『高橋芳朗のミュージックプレゼント』についても記述する。
毒蝮三太夫が店舗や会社・工場などを訪問し、スタジオのワイド番組のパーソナリティや訪問先に集まった観衆らとトークを行う[3]。冒頭では数分間、毒蝮がスタジオのパーソナリティ、ゲストとトークを行い、その後に観衆の中に入るという形が多い。稀に、台風接近時や訪問先の事情で中継できないため、急遽スタジオから放送する事もある。
観衆は高齢者が多く、毒蝮は「ジジイ」「ババア」などと親しみと毒を込めて呼ぶ。
平日10:30枠を当番組の枠として押さえた当初、パーソナリティは当時、文化放送で放送されていた平日午後のワイド番組『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』内で行っていた「午後2時の男」というコーナーなどで人気を博していた月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)を想定しオファーをしたが、圓鏡は「お世話になった文化放送は裏切れない」として断り、パーソナリティ候補として上がったのが、毒蝮だった[4]。
「ミュージックプレゼント」のタイトルを名付けたのは、当時TBSラジオ制作部長の白井明と副部長で、プロデューサーの松沢良昌[4]。
開始当初は「本店」と呼ばれる商店を舞台にしたストーリー設定があった。番組名の通り音楽リクエストを扱うコーナー「本店からこんにちは」が内容の主軸で、「本店」の店主役のスタジオパーソナリティがリスナーから届いたハガキを読んでリクエスト曲を流していた。御用聞きの役回りである毒蝮の中継はその合間に流されるものだった。やがて上記の設定は無くなり、現在は音楽こそかけるものの、トークが番組の主眼になっている。観衆の中から1人ないし2人を選んでリクエストを受けるが、毒蝮と客との会話が盛り上がり、リクエスト曲がBGM程度にしかかからないことも頻繁にある。また、東食がスポンサーだった時代は記念品として東食食品グループの製品を観衆にプレゼントしていた。
この番組のチーフディレクターによれば、「蝮さんは下町育ち。ご近所付き合いというか、人に構う、というのが日常生活にあった方。その“蝮さんの日常”をたまたまマイクが拾っている、というのがこの番組。でも、出演いただいた街の方やリスナーの皆さんとっては、それが“非日常”として楽しんでいただけているんだと思います」と話している[5]。
1970年10月からスポンサーは東食だったが、1997年12月18日に会社更生法の適用を申請し、事実上、経営破綻した[6](カーギルに支援され日本法人・カーギルジャパンとなる)。その日のうちにTBSラジオの幹部が集まり、話し合いがもたれた結果「ミュージックプレゼント、続行」と決定が下された[7]。はぶ三太郎によれば、「マムシ師匠はそれがうれしかったんです。」としたうえで、「もし『結論を二、三日待ってくれ』といわれれば『なら、もういいか』と投げ出していたでしょう。スポンサーに対して、特に恩義に感じるタイプですからね。『30年近くお世話になった東食さんがツブれたんなら、オレも引き際かも』と考えていたはずです。」と述べている[7]。
しかし、冠スポンサーが降りるとなれば、新しい冠スポンサーを見つけなければならず、第1候補として流通が挙がった[8]。当初はイトーヨーカドーが候補に挙がったものの、当時『森本毅郎・スタンバイ!』のコーナー「現場にアタック」を提供していた[9]ため、グループ会社のヨークマートが急浮上、そのまま冠スポンサーとして、ヨークマートが就くことになった[10]。なお、ヨークマートの当時の社長は毒蝮のファンだったことも好都合だったという[10]。
2016年4月、長年内包されていた『大沢悠里のゆうゆうワイド』の終了に伴い、内包先が『ジェーン・スー 生活は踊る』に移行し、毒蝮の出演は月曜日から木曜日となった(後述)。
2018年3月12日、4月より『金曜たまむすび』(進行:外山惠理・玉袋筋太郎)の枠に移る予定が発表され[11]、4月6日から週1回の『たまむすび』内包へ移行した。
2020年3月6日放送で、『金曜たまむすび』内包を4月より『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』に月1回の内包へと移行することが発表された[12]。4月25日、「ちゃきちゃき大放送」内でのオンエアが開始された[13]。2023年10月からは『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』へ内包し、「ラジオTOKYOリメイク」にて引き続き月1回の放送を行う[14][15]。
期間 | 内包ワイド番組名 | コーナーの放送時間 | 平日ワイド番組の相手役 | 土曜ワイドラジオTOKYOシリーズの相手役 | |
---|---|---|---|---|---|
1969.10.6 | 1971.10.2 | (単独番組として放送) | 月曜 - 土曜 10:30 - 11:00 |
近石真介 | (開始前) |
1971.10.4 | 1972.4.15 | こんちワ近石真介です(第1期、月曜 - 土曜) | |||
1972.4.17 | 1975.3.29 | こんちワ近石真介です(平日) 永六輔の土曜ワイドラジオTokyo(土曜) |
永六輔 遠藤泰子 | ||
1975.3.31 | 1978.3.25 | こんちワ近石真介です(平日) 三國一朗の土曜ワイドラジオTokyo(土曜) |
三國一朗 遠藤泰子→岩崎直子 | ||
1978.3.27 | 1980.10.3 | こんちワ近石真介です(平日) 久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO(土曜) |
久米宏 石井和子 | ||
1980.10.5 | 1981.1.26 | うきうきワイド こんにちワ神谷明です(平日) 久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO(土曜) |
神谷明 | ||
1981.1.28 | 1981.10.2 | うきうきワイド こんにちワ神谷明です | 平日 10:30 - 11:00 |
(放送なし) | |
1981.10.5 | 1983.4.7 | The Radio お元気ですか土居まさるです | 平日 10:30 - 10:50 |
土居まさる | |
1983.4.11 | 1985.4.4 | こんちワ近石真介です(第2期) | 近石真介 | ||
1985.4.8 | 1986.4.4 | スーパーワイドぴいぷる 村野武憲のいきなりラジオ(木曜日、1985.4.11 - 10.3) |
平日 10:30 - 11:00 |
日替わり (1985年10月に入れ替え、同番組の項を参照) | |
1986.4.7 | 2016.4.8 | 大沢悠里のゆうゆうワイド | 平日 10:26 - 10:51 |
大沢悠里 曜日パートナー(同番組の項を参照) | |
2016.4.11 | 2018.3.29 | ジェーン・スー 生活は踊る | 月曜 - 木曜 11:23 - 11:38 |
ジェーン・スー 曜日パートナー(TBSアナウンサー、同番組の項を参照) | |
2018.4.6 | 2020.3.27[16] | 金曜たまむすび | 毎週金曜 14:00 - 14:24 |
外山惠理 玉袋筋太郎 | |
2020.4.25 | 2023.9.30 | 土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送 | 毎月最終土曜 10:00 - 10:25 |
(放送なし) | ナイツ 出水麻衣 |
2023.10.20 | 金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ | 原則毎月最終金曜 16:00 - 16:30 |
外山惠理 玉袋筋太郎 |
(放送なし) | |
番組開始時の放送時間は月曜 - 土曜10:30だったが、1981年2月2日より、平日10:30に変更した。その後も、放送時間は平日10:30に固定されていたが、2016年4月11日より2018年3月29日まで『ジェーン・スー 生活は踊る』に内包され、放送時間は月曜 - 木曜11:23に変更した。金曜日の『ミュージックプレゼント』は毒蝮に代わり、高橋芳朗がパーソナリティを務める『高橋芳朗のミュージックプレゼント』に変更した(2016年4月11日から2018年3月30日まで毎週金曜日)。2018年4月6日より『金曜たまむすび』の枠、14:00に移動した。2020年4月より『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』枠内に移動した[13]。2023年10月より『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』枠内に移動した。
「ゆうゆうワイド」に内包されていた当時、当番組も『ゆうゆうワイド』で用いられているジングルでスタートとなっていた。「ゆうゆうワイド」のうち当番組で使用されるジングルについては毒蝮自身が歌っていた。
「東食ミュージックプレゼント」時代の当初は毒蝮がお年寄りを「ババア」と呼ぶことはなかった。1973年8月に毒蝮の母親が死去した際、葬儀の席で母親の遺影を前にした毒蝮は子供のように泣きじゃくったという。その後1週間番組を休んだ後に復帰した毒蝮は、中継場所でやたら元気に大声でしゃべるお婆さんと出会うが、母親を亡くしたばかりの悲しみと元気なお年寄りへの羨ましさとが入り混じった複雑な感情も手伝ってしまい、思わず「憎らしいくらい元気なババアがいる」「ババア、まだ生きてやがって。オレのオフクロは死んじまったというのに、こっちはなんて元気なババアなんだ」と発言してしまった[54][55]。
番組には抗議の電話が殺到した[55]ものの、当時、内包していたワイド番組『こんちワ近石真介です』のパーソナリティを務めていた近石真介は「本当に元気なババアだったらババアでいいじゃないか」と毒蝮を擁護し、謝罪を拒否。近石は、毒蝮と一緒に番組を降板することまで覚悟していたということだったが、それに対して番組スタッフもこのままの路線で行くことを決め[56]、当時のスポンサー・東食もGOサインを出した。つまり、暴走する毒蝮に極力制限を加えない路線を選択したわけである。結果的にこの決断が、番組のターニングポイントとなった。この時、抗議と同時に寄せられた「ババア」発言を支持するリスナーからの声に励みを得たと毒蝮は語っている[57]。
その毒蝮は、2023年に「70歳からの人生相談」という書籍を出版した際に行われたインタビューで、この「ババア」発言について「最初に言った時はそりゃあ、周りは凍りつきましたよ。ただ、言われて喜ぶ人にしか言っていない。それに、これは俺だけのシーンだよ。他の人には『言ったらダメ』だって、東京の若い芸人や大阪から来る吉本の芸人にもちゃんと言う。まあ、伝統芸能でね、俺だけのものだから。うかつに言ったら、クビになっちゃうからね」と笑いながら話している[58]。
それに、この番組のチーフディレクターによれば、「それが今では、『ジジイババア』と言われたいリスナーが集まってくる。それは、蝮さんだからこその空気感、人柄のなせる業だと思います。」とも話している[5]。
『高橋芳朗のミュージックプレゼント』(たかはしよしあきのミュージックプレゼント)はTBSラジオで、2016年4月15日から2018年3月30日まで毎週金曜放送されていた生放送の音楽番組。『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が平日から、月曜日 - 木曜日に縮小になったことにより、金曜日の番組として始まった。本番組を内包する『ジェーン・スー 生活は踊る』の選曲監修を担当する音楽ジャーナリストの高橋芳朗がパーソナリティを務めた。
テーマ曲は『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』と同じ「Whipped Cream」を使用した。
同名の番組だが、毒蝮とは趣を異にしている。番組タイトルに沿い、洋楽を中心に「音楽」を特集する番組となっており、TBSラジオのスタジオで、『生活は踊る』の出演者であるジェーン・スー、堀井美香とトークを繰り広げる形式となった。
毒蝮の週一縮小・『たまむすび』への移動に伴い、2018年3月をもって『ミュージックプレゼント』としての放送は終了。高橋は翌4月から同じ金曜12時台後半コーナー『スーさん、これいいよ』のレギュラーゲストとして出演を継続する。
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