安来市
島根県の市 ウィキペディアから
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安来市(やすぎし)は、島根県の東端にある出雲地方東部の市。出雲国風土記よりスサノオノミコトが「安来く(やすけく)地」と命名されたと伝えられている。
やすぎし 安来市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 島根県 | ||||
市町村コード | 32206-7 | ||||
法人番号 | 1000020322067 | ||||
面積 |
420.93km2 | ||||
総人口 |
34,475人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 81.9人/km2 | ||||
隣接自治体 |
松江市、雲南市、仁多郡奥出雲町 鳥取県:米子市、西伯郡南部町、日野郡日南町 | ||||
市の木 | 竹 | ||||
市の花 | さくら | ||||
市の鳥 市の魚 |
白鳥 どじょう | ||||
安来市役所 | |||||
市長 | 田中武夫 | ||||
所在地 |
〒692-8686 島根県安来市安来町878番地2 北緯35度25分53秒 東経133度15分03秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
安来市は島根県の東端に位置し、鳥取県と県境である。北部は中海、西部は松江市及び雲南市、南部は奥出雲町及び鳥取県日南町に、東部は鳥取県米子市及び南部町と接する[1]。
かつては神聖な地であったらしく、この地区の土地名を冠する神社名が全国に散見される。砥神(十神)、加茂(下鴨)、安来(八杉、安居)、伯太(博多)、広瀬、月山、能義(乃木)、磐船(岩舟)、意多伎(愛宕)、伊勢、楯縫(風土記に残る郷の名称)宇賀(荘)、車山、飯生(稲荷)、比婆、久米、諏訪、吉佐、八幡、母里、桑名、社日など。
弥生・古墳時代の間にかけて出雲に強力な王権が発生するが(古代出雲参照)、その中心地(東部出雲王朝)だったという説がある。全国最大級の方墳である造山古墳群や出雲文化圏特有の四隅突出型墳丘墓(国内最大級の集中地帯)などを含む多くの古墳が発掘されており、弥生から古墳時代にかけて約500年の間、連綿と栄えた地域である。当時の出雲は筑紫、大和、毛野と並ぶかそれ以上の古代日本の有力な地方政権で、弥生後期においては北陸まで及ぶ日本海沿岸には四隅突出型墳墓形式で規格化された連合政体のようなものがあった。ヤマトとともに抜きん出た勢力を誇り意宇王の指導のもとで一時は独立王朝をなしたという説がある。
山陰では鉄器も北九州に準ずる量が発掘されており、安来でも弥生期の製鐵遺構が竹ヶ崎・柳遺跡で見つかっているため、これらの鉄が当時鉄不足であった大和地方へ供給されヤマト朝廷建国の原動力となったという説がある。実際前近代的な野だたらは弥生時代以降、連綿と続いていたようで製鉄遺跡として認知されている。
そのためか、『記紀』への登場も早期からであり、『古事記』、『日本書紀』においては根之堅州国(ねのかたすくに)あるいは根之国(大和島根、島根県の語源とされており、イザナミノミコトの御神陵と言われているところも存在することから修理固成の源郷という見方をするものもいる。黄泉国参照。)と呼ばれスサノオノミコトが統治していた地方に該当するのではないかとも言われており、市内には出雲神道の流れを汲む古社も多い。地名が文献上登場したのは天平6年(西暦733年)の『出雲国風土記』に「出雲国意宇(おう)郡安來郷」とでている。おそらく神代からの名称であり、都市名では最古の部類の属す。この当時より安来の山中や船通山周辺を源とするオロチ河川群の周辺ではたたら吹き(タタラ=多多良、鈩、踏鞴、鞴韜)、たたら製鉄と呼ばれる古代製鉄法が盛んであったがためスサノオノミコトのヤマタノオロチ伝説が生まれたとされている。このヤマタノオロチは退治され埋められた後、八本杉を植えた伝承が隣接する奥出雲町、雲南市、鳥取県日野郡をはじめとするオロチ河川群の周辺地方などに残っているがこの八本杉(八杉)が安来の語源とする説もある。そのため市内だけでも数十以上(伯太町、広瀬町)も存在するたたら製鉄の遺跡や、周辺地方には日本刀の最古の刀匠であり、宮本武蔵の愛刀「童子切」の作者である伯耆国大原の安綱の工房跡碑(鳥取県西伯郡)などがあり、また近接する伯耆国大原は安綱が活躍した地であることから、古くから冶金技術が発達していた雲伯地方一帯(旧名;意宇郡、能義郡)の中心都市であったことが窺える。このような背景から映画『もののけ姫』の舞台のモデルともなった。
古代より中海(錦海)に面した天然の良港、安来の港はふるくは朝鮮半島との交易も盛んであり、『万葉集』では於保の浦、時代が下ると金ヶ浦、錦ヶ浦という名などで登場している。そのため市内に数多くある古墳からは当時の出雲地方としては珍しい天叢雲剣を髣髴させるような鉄製の刀剣、鉄器類が出土している。そのため、神在月には出雲を目指す神様が安来湊にまず集結し、鉄の買い付けを行うというような伝説も残っており、古代出雲の海の玄関口として反映したことが窺える。戦国時代に至っては尼子氏の物資輸送、海戦拠点ともなり、中国地方の大大名である尼子氏対大内氏・毛利氏の激烈な戦いが繰り広げられた。この中で有名な悲運の武将山中幸盛らが活躍しその模範的ともいえる武士道精神は池波正太郎著『黒幕』などの数々の小説、物語の題材となっている。江戸期に入ると尼子・毛利両氏が営んだ月山富田城から松江城に出雲支配の中心が移り繁栄に一時翳りがあった。
しかし江戸中期より日本の商品経済が発展し北前船による交易が盛んになり、鉄資源を求めて奥出雲側に移動していった製鉄地帯ではそれまでの野だたら法から量産型の永代たたらへ移行すると、安来湊が重要港となり山陰地区の和鉄・和鋼を一手に取り扱う一大商都と成長した。当時の国内の鉄生産量の実に90%以上にものぼる素鉄・素鋼品の製造・流通を取り扱い繁栄を極めた。
明治時代後期に入ると、たたら製鉄法は衰退の危機に直面する。たたら師たちが日本初の民間鉄鋼会社「雲伯鉄鋼合資会社」を1899年(明治32年)に設立した(製鉄業と一線を画し、近代鉄鋼産業の発祥と定義する説もある)。その後、その会社は安来鉄鋼合資会社(1909年設立)、株式会社安来製鋼所(1916年設立)を経て日産コンツェルン総帥鮎川義介による近代技術の導入、その後の伝統製鋼法の近代的画期、高級特殊鋼(高性能工具鋼等)へ特化し現在も鋼都としての存在をゆるぎないものにしている。この地で生産された鋼は安来鋼というブランド名で株式会社プロテリアル(旧:日立金属株式会社)が製造を続けており、日本有数の鉄鋼開発拠点の一つとなっている。
文芸面では大正時代に、それまでの華やかな安来文化の蓄積である安来節を全国に広めた渡部お糸、その後は陶芸家、河井寛次郎や、彫刻家、米原雲海など日本文化の伝統を主軸にした近代芸術家を多く輩出した。特に、河井寛次郎らが行った、民芸品への美術的価値を見いだす柳宗悦が中心になった「用の美」の美学は大正・昭和期に渡り日本人の工芸、料理、産業人の精神的なバックボーンを形成した。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 大井修一 | 1954年(昭和29年)4月1日 | 1962年(昭和37年)4月24日 | |
2 | 杉原寛一郎 | 1962年(昭和37年)4月25日 | 1969年(昭和44年)10月17日 | |
3 | 飯塚静雄 | 1969年(昭和44年)11月11日 | 1989年(平成元年)11月8日 | |
4 | 加藤節夫 | 1989年(平成元年)11月9日 | 1997年(平成9年)11月8日 | |
5 | 島田二郎 | 1997年(平成9年)11月9日 | 2004年(平成16年)9月30日 |
安来市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 安来市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 安来市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
安来市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
市外局番は0854(20~39)となっている。但し天気予報は0852-177である。(市外局番0854の地域が島根県東部と西部に複数存在するため。)
郵便番号は以下の通りとなっている。2006年10月16日の再編に伴い、変更された。
連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の影響で、武良布枝の故郷に多くの観光客が訪れている。
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