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株式会社丸合(まるごう)は、鳥取県米子市に本部を置き、鳥取・島根の両県にてスーパーマーケットを運営する企業である[2]。 一時期は福井県にも出店していたが現在は撤退、また鳥取県内でも鳥取市からは撤退(同業他社に譲渡)するなど、近年では鳥取県西部と島根県東部へのドミナント志向を強めている。オール日本協会の会員。
米子市が同市西倉吉町に海外からの引揚者向けに三十数戸の引揚者住宅を建設し、そこに入居した引揚者たちが改造して食料品店などを開いたのが始まりである[3]。
しかし、この引揚者住宅は各戸間口一間半(約2.7m)と狭かったことから、1952年(昭和27年)に鳥取西部生活協同組合が近隣に進出することになった際に、個別に営業していては対抗できないとして、組合を結成して共同で対抗することにした[3]。 そこで、引揚者住宅で営業していた27名が140万円を出資し[4]、1954年(昭和29年)10月13日に「協同組合丸合百貨」を設立し[1]、組合員27名の引揚者住宅の店舗部分を全て組合で借り上げて[3]改装した[4]。
そして、同年11月に[5]売り場面積約100坪の総合食料品店として[4]「米子マーケット」を開業した[5]。 この開業時に組合員のうち青果物販売の1名のみは店内で個人で営業を続ける形態をとったが[4]、他の組合員は組合での事業に専従となり[4]、組合より報酬を受け取る形となった[6]。 また、当時はセルフサービス方式の導入は困難だったことから、組合員以外に約25名の従業員を雇用しての開業となった[6]。
その他、開業当初からオート三輪を導入して、淀江町や溝口町など米子市近隣の地域への出張販売も行っていた[5]。
1955年(昭和30年)8月に「協同組合丸合」に商号を変更し[1]、1957年(昭和32年)に初代理事長だった江原直己ら5名が脱退して[7]1958年(昭和33年)6月10日に「主婦の店米子店」を[8]別途に立ち上げるなどして組合員が減少したが[7]、隣接地にあった日本電信電話公社の移転跡地約400坪を取得して大幅に増床して[7]、1960年(昭和35年)4月13日に[8]全店でセルフサービス方式を導入してスーパーマーケットを開店し[7]、同月に「協同組合 ショッピングセンター丸合」へ商号を変更した[9]。
子会社として「有限会社 丸合」を設立し[7]、1962年(昭和37年)3月に[7]既存のスーパーマーケットを継承して境港店を開設したのを皮切りに[5]、チェーン展開を進めた[7]。
国道9号線の拡幅に伴って移転を迫られた小売店18店舗が中心となって[10]、 1970年(昭和45年)9月26日に米子市角盤町に「やよいデパート」を開店し[11]、組合による寄合百貨店として全国から注目を集めた[12]。
1976年(昭和51年)6月に仕入・売上・営業管理を中心とするオンラインシステムの稼働を開始した[13]。
1980年(昭和55年)3月20日に「安来ショッパーズ」(延べ床面積約5,622m2、売場面積約3,949m2、駐車台数約200台)を開店し[14]、同年に総合結婚式場やレストランの入る「大和会館」を開館した[15]。
1991年(平成3年)3月にグループの18店舗で牛乳パックの回収を開始した[16]。
2000年代に入り既存店の増床や改装を進めて、品揃えなどの改善を図って競争力強化を図った[17]。
2010年(平成22年)12月に協同組合から株式会社へ改組した[2]。
また、衣料品店も同一の店名で展開していたが、運営を衣料品専門の問屋に委ねると共に「ファッションハウスすまいる」へ店名を変更した[2]。
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