淀江町
日本の鳥取県西伯郡にあった町 ウィキペディアから
日本の鳥取県西伯郡にあった町 ウィキペディアから
淀江町(よどえちょう)は、かつて鳥取県にあった町である。西伯郡に属していた。また、役場は大字西原に所在していた。2005年(平成17年)3月31日に米子市と新設合併し、(新)米子市となった[1]。合併前の面積は25.74km2、合併前の淀江町の人口は9,000人余りであった。
よどえちょう 淀江町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年(平成17年)3月31日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 米子市、淀江町 → 米子市[1] | ||||
現在の自治体 | 米子市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 鳥取県 | ||||
郡 | 西伯郡 | ||||
市町村コード | 31385-8 | ||||
面積 | 25.74 km2 | ||||
総人口 |
9,056人 (2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 鳥取県:米子市、西伯郡大山町 | ||||
町の木 | モクセイ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
淀江町役場 | |||||
所在地 |
〒689-3492 鳥取県西伯郡淀江町大字西原1129番地1 | ||||
座標 | 北緯35度27分11秒 東経133度25分10秒 | ||||
特記事項 | 町役場は米子市役所淀江支所になっている。現在、電話番号は変更されている。 | ||||
ウィキプロジェクト |
明治22年(1889年)10月1日、町村制の施行により淀江宿及び西原村の区域をもって、淀江町が発足する。昭和30年(1955年)9月1日、淀江町、宇田川村(うだがわ)、大和村(やまと)及び高麗村(こうれい)の区域の内、今津の区域を分立する上で合併して、改めて淀江町が発足する。(高麗村の区域の内、今津の区域を除く区域及び所子村が合併して、大山町を発足する。)
「水と緑と史跡のまち」のキャッチフレーズのとおり、大山を背景に日本海を眼前に望む自然、そして妻木晩田遺跡、向山古墳群、上淀廃寺跡、国の重要文化財「石馬」など、遺跡、文化財の豊かな地域でもある。
「淀江」の名は縄文時代以来、淀江平野に潟湖が発達し「よどんだ入江」から来ていると言われ、古くは「大山寺縁起」に見られる。中世には海岸線を東西に走る山陰道と、南の日野郡へ向かう交通路の交点で、さらには湊(みなと)としての利用もされたと言われ、西伯耆の要衝として発展した。江戸時代、享保年間以降は特に港町、また藩倉所在地として栄え、幕末には淀江台場も築かれた。明治時代中頃以降、和傘の生産が盛んとなった。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.