堀内詔子
日本の政治家 ウィキペディアから
堀内 詔子(ほりうち のりこ、1965年〈昭和40年〉10月28日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、衆議院外務委員長。
堀内 詔子 ほりうち のりこ | |
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![]() 内閣広報室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1965年10月28日(59歳) |
出生地 |
日本 山梨県東八代郡石和町 (現 山梨県笛吹市) |
出身校 |
学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学 学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程修了 学習院大学文学部卒業 |
前職 | 美術館館長 |
所属政党 | 自由民主党(岸田派→無派閥) |
称号 | 文学修士(学習院大学・1990年) |
配偶者 | 堀内光一郎 |
親族 |
五世祖父・大久保利通(内務卿) 五世祖父・林友幸(貴族院議員) 五世祖父・三島通庸(栃木県令) 高祖父・牧野伸顕(内大臣) 高祖父・鍋島直明(貴族院議員) 高祖父・田島竹之助(貴族院議員) 高祖叔父・大久保利和(貴族院議員) 高祖叔父・大久保利武(貴族院議員) 高祖叔父・三島彌太郎(貴族院議員) 高祖叔父・伊集院彦吉(外務大臣) 高祖叔父・日野資秀(貴族院議員) 高祖叔父・日高栄三郎(貴族院議員) 曽祖父・林博太郎(貴族院議員) 曽祖叔父・吉田茂(内閣総理大臣) 曽祖叔父・秋月種英(貴族院議員) 曽祖叔父・古屋専蔵(衆議院議員) 族伯祖父・麻生太賀吉(衆議院議員) 大叔父・宮原旭(貴族院議員) 大叔父・井上勝英(貴族院議員) 大叔父・鹿園直治(貴族院議員) 再従伯父・麻生太郎(内閣総理大臣) 再従伯父・武見敬三(厚生労働大臣) 義曽祖父・堀内良平(衆議院議員) 義祖父・堀内一雄(衆議院議員) 義父・堀内光雄(通商産業大臣) |
公式サイト | 堀内のり子 オフィシャルウェブサイト 山梨2区 衆議院議員 |
内閣 |
第1次岸田内閣 第2次岸田内閣 |
在任期間 | 2021年10月4日 - 2022年3月31日 |
選挙区 |
(比例南関東ブロック→) 山梨2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] - 現職 |
東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、ワクチン接種推進担当大臣[2](第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、環境副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)、厚生労働大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)を歴任した。旧姓は小林である。
来歴
山梨県笛吹市石和町出身(現住所は富士吉田市新西原[3])[4]。フコク生命社長・小林喬(小林中長男)と林博太郎の孫・絢子の娘として生まれる。
学習院幼稚園・初等科・女子中・高等科を経て、1988年3月学習院大学文学部卒業[5]。直後に小学校の先輩であった堀内光一郎と結婚[6]。1990年学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了し文学修士。1993年同博士後期課程単位取得し満期退学[5]。2006年4月、「フジヤマミュージアム」館長に就任(2016年8月5日まで)。
2012年11月、自民党山梨県第二選挙区支部長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙に山梨2区から自由民主党公認で出馬。
無所属で元自民党の長崎幸太郎に7,123票差で敗れたが比例南関東ブロックで復活し初当選。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に山梨2区で出馬。長崎に再び敗れるも比例復活で再選。
2016年8月5日、第3次安倍第2次改造内閣で、厚生労働大臣政務官(働き方改革、子育て支援、社会福祉などの担当[7])に就任[8]。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に山梨2区から自民党推薦の無所属として出馬し、小選挙区初当選となる3選。その後、自民党の追加公認を受ける[9]。
2020年9月18日、菅義偉内閣で、環境副大臣兼内閣府副大臣に就任。
2021年10月4日、第1次岸田内閣で、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、ワクチン接種推進担当大臣として初入閣。
同年10月31日の第48回衆議院議員総選挙で山梨2区に自民党公認、公明党推薦候補として出馬。同区では18年ぶりの保守統一候補として10万9000票(得票率68%)を獲得し小選挙区で4選。なお、NHKによる衆議院選挙速報2021では(出口調査によって)20時の放送開始と同時に、他候補者に先駆けて最初に当選確実が発表された。総選挙後の11月10日に発足した第2次岸田内閣でも閣僚に再任。
2022年3月31日、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣の設置期限が切れ、閣僚の枠が1減したことに伴い両大臣職を退任した。これに伴い、五輪担当大臣の後任は末松信介文部科学大臣、ワクチン担当大臣の後任は松野博一官房長官がそれぞれ兼務した。
同年8月31日、自由民主党副幹事長に就任。
2024年9月12日、自民党総裁選挙において堀内は1回目の投票では上川に投じ[10]、決選投票では石破に投じた[10]。
同年10月の第50回衆議院議員総選挙に山梨2区から出馬し、5選[11]。同年11月28日、衆議院外務委員長に就任[12]。尚、義祖父の堀内一雄も同じく衆議院外務委員長を務めていた。
エピソード
- 政治家となった経緯は、義父である堀内光雄(元通産大臣)の落選・引退後、後継者がなかなか決まらず、業を煮やした女性幹部らが「もう男なんかに任せてはおけない」と、郵政選挙で獅子奮迅の活躍をした詔子を口説いたことから始まった。その後、地元・山梨県を駆け回って「のりこ会」という女性後援会を作った行動力が、地元民を瞠目させて白羽の矢がたった[13]。
- 2014年、難病のシャルコー・マリー・トゥース病の難病指定のために呼びかけを行い、PTAや自治会、市町村への持ち込みやFacebookの呼びかけで83,459名分の署名を集め[14]、田村憲久厚生労働大臣(当時)に提出、結果指定難病となった(第一次実施分、番号10)[15]。きっかけは地元・富士吉田市の祭において、同病に苦しむ娘を持つ母親からの要望を受けてのものだという[15]。
- 2018年自由民主党総裁選挙の際は、安倍晋三候補の推薦人並びに届出人(甘利明と共同)を務め、[16][17]、2020年の総裁選時は岸田文雄候補の推薦人、2021年には岸田文雄候補の推薦人並びに届出人(鈴木俊一と共同)を務めた[18]。2021年総裁選で岸田文雄が新総裁に選ばれた際には、加藤鮎子(加藤紘一 元・宏池会会長の娘)と共に付添人として岸田の両隣りに座り、旧宏池会の領袖二人の後継者が岸田を囲む形となった。
- 父の小林喬が明仁上皇と、自身が秋篠宮文仁親王と学習院で同窓であった[19]ことなどを背景に、かつて皇太子徳仁親王(現在の今上天皇)のお妃(=皇太子妃)候補として名前が挙がることがあった[20][21][22][23][24]。また、長男も秋篠宮の長女・小室眞子と同窓であり[21]、三世代にわたり皇族の同級生となっている。
- 自民党が2017年分から発表している党員獲得数ランキングでは、2017年の獲得数が2位[32]、2018年、2019年は2年連続で1位[33][34]、2020年、2021年、2022年は同じく3年連続で2位[35][36][37]となっており、6年連続で上位者となっている。
- 初当選から衆議院厚生労働委員会に所属し、厚生労働大臣政務官となったが、義父である堀内光雄が初めて大臣職に就いたのが労働大臣であり、公共職業安定所の通称を「ハローワーク」に決めたという縁がある[38]。
- 初の選挙前に、公認調整に際して自民党内で世襲候補の規制をした方がいい、という話が上がった際は、当時の自民党幹部に対し「自民党が世襲を規制するなら私は離婚してでも代議士を目指します」と答えたという。TBSスペシャルコメンテーターの星浩はこのエピソードを引用し「相当に決断力の強い人というか、意志の強い人だということだと思う」、とコメントしている[39]。
- 立憲民主党所属の衆議院議員・亀井亜紀子とは幼稚園からの、明仁上皇の長女・黒田清子の夫である黒田慶樹とは学習院初等科からの同級生にあたる。
- 支援組織「ふれあいのり子会」(会長・白壁賢一県議)という草の根的な選挙活動を目的としたグループが発足した[40]。
- 東京ローンテニスクラブ会員[41]
- 学芸員の資格をとるために根津公一が館長を務める根津美術館で実習を行った際、彼の思い切った決断を見たことがきっかけで、迷うときは「私も甲州人。いざという時は思い切って」と語っている[42]。
政策・主張
- 憲法改正に賛成。9条を改正して、自衛隊の役割や限界を明記すべきだ[43]。
- 緊急事態条項を憲法に設けることに賛成[43]。
- アベノミクスを評価する[43]。
- 消費税率引き上げに賛成[43]。
- 将来の年金について、給付水準が下がるのはやむをえない[43]。
- 高度プロフェッショナル制度の導入に賛成[43]。
- 原発は当面は必要だが、将来的には廃止すべきだ[43]。
- カジノの解禁に賛成[43]。
- 米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画を巡る政府と沖縄県の対立について、沖縄県が譲歩すべきだ[43]。
- 安全保障関連法について、今の法制でよい[43]。
- 北朝鮮に対し、対話ではなく圧力が必要という首相の立場が適切だ[43]。
- 日本の核武装について、将来にわたって検討すべきでない[43]。
- 森友学園・加計学園の説明は十分だ[43]。
- 女性宮家を認めることに賛成[43]。
- 村山談話・河野談話は見直すべきでない[44]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対としている[45]。
政治資金
家族・親族
要約
視点
系譜
- 生家の小林家は江戸時代より苗字帯刀を許されていた山梨県東八代郡石和町の大地主であった。『石和町史』によれば、「湊屋」の屋号で繰綿・煙草荷継を営んでおり、その領地は約80町 (約80万㎡)に及んだという。明治時代に入ってからは当主の小林伝右衛門が創設した石和銀行を営んでいた。現在、小林家の跡地は小林中により笛吹市に寄付され、小林公園[48][49]となっている。
- 祖父の小林中は有野村(現:南アルプス市)の旧家・矢崎家[51]に生まれ、母の実家の小林家で養子となった。矢崎家は、青木氏の一門[52]で武田信玄の時代に信州から有野村へ移り住み、代々又右衛門を名乗り同村の名主を務めた[51]。寛文年間の当主・矢崎又右衛門秀長は私財をなげうって山梨県韮崎市・南アルプス市にある徳島堰を完成させたが当時の代官に補償の約束を反故にされ、困窮甚だしかったという。現存する同家の住居は江戸時代前期の物で、甲府盆地西部では最古であり、南アルプス市指定文化財に登録されている[53]。
- 六世祖父に当たる横田春松(大岡忠恕の岳父)は武田の五名臣・横田高松の名跡を継ぐ旗本だが、高松自身は実子がいなかった為、血脈としては同じく五名臣の原虎胤の系譜となっている。旗本としての横田氏の初代に当たる横田尹松の正室は武田四天王の山県昌景の娘に当たり、このように奇しくも堀内は祖母の実家・大岡家から武田二十四将の血脈を継ぐ。
- 堀内の父方の五世祖父にあたる戸田忠至の孫の鹿園実博が母方の曽祖父である林博太郎の次男の博仲を養子に迎えており、奇縁にも父方と母方は鹿園家を介して親戚関係にある。
<堀内家系図>
小林中 | 小林喬 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内詔子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
林博太郎 | 林友春 | 絢子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内基光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
辻政信 | 英子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内光一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内良平 | 堀内一雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内光雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しげ | 初子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内藤右衛門 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内義男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
きう | 堀内喜太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内正夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内宗平 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内宗孝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内伝重 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
内藤政養 | 房子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<松濤幼稚園関係者系図>
大久保利通 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
牧野伸顕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋月種英 | 利武子 | 伸通 | 牧野純子 | 林博太郎 | 雪子 | 吉田茂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武見太郎 | 英子 | 伸和 | 林貞子 | 林友春 | 健一 | 麻生和子 | 麻生太賀吉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武見敬三 | 力 | 楢原茂子 | 小林絢子 | 三井富美子 | 麻生太郎 | 寛仁親王妃信子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内光一郎 | 堀内詔子 | 大林和子 | 大林剛郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堀内基光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
親族
- 八世祖父・鍋島治茂、伊達宗村[注釈 1]、大岡忠光、稲葉正益、藤堂高朗、松平乗薀、松平信礼、松平宗衍、松平忠名、内藤政陽、戸田忠余、冷泉為村[注釈 2]、西園寺致季、鍋島直賢、松木宗条(松木家)、山本実観(山本家)、今城定種(今城家)、藤谷為信(藤谷家)、松平忠順、本多正珍
- 七世祖父・加納久周、稲葉正諶、藤堂高嶷、土井利徳、松平忠告、戸田忠寛、冷泉為泰(冷泉家)、梅園実邦(梅園家)、鍋島直章、内藤政韶、大久保利敬、皆吉鳳徳
- 六世祖父・大岡忠固、鍋島直喬、藤堂高秭、土井利位、村田政矩、大久保利世、高丘敬季(高丘家)、舟橋則賢(舟橋家)、大宮盛季(大宮家)、横田春松、池尻暉房
- 五世祖父・大久保利通(明治の元勲、初代内務卿)[21][26][28][29][55]
- 五世祖父・林友幸(伯爵、元老院議官、枢密顧問官、錦鶏間祗候などを歴任)[55]
- 五世祖父・三島通庸(子爵、警視総監、福島・山形・栃木県令などを歴任)[55]
- 五世祖父・大岡忠恕(武蔵国岩槻藩第7代藩主。大岡忠房家第10代当主)[55]
- 五世祖父・鍋島直暠(肥前国佐賀藩国老)
- 五世祖父・鍋島茂精(肥前国佐賀藩家老、深堀鍋島家29代目当主)
- 五世祖父・町尻量輔(公家、権中納言。廷臣八十八卿の一人)
- 五世祖母・万里小路局(上臈御年寄。大奥筆頭老女)
- 五世祖父・慈光寺実仲(公家、左馬権頭)
- 五世祖父・豊岡治資(公家、大蔵卿)
- 五世祖父・土井利則(下総国土浦藩主、土井家宗家13代当主)
- 五世祖父・戸田忠至(下野高徳藩初代藩主。江戸幕府若年寄)
- 高祖父・牧野伸顕(伯爵、内大臣などを歴任。大久保利通の次男)[56][57][21][26][28][29]
- 高祖父・鍋島直明(男爵、佐賀鍋島藩主一門・白石鍋島家当主。陸軍少将)[55]
- 高祖父・大岡忠貫(子爵、武蔵国岩槻藩第8代藩主。大岡忠房家11代当主)
- 高祖父・町尻量衡(子爵、公家。町尻家10代当主)[55]
- 高祖父・田島竹之助(貴族院多額納税者議員)
- 高祖父・小林伝右衛門(石和銀行創業者、山梨県石和町の大地主)
- 高祖叔父・大久保利和、大久保利武、三島彌太郎、三島弥彦、伊集院彦吉、稲葉正善、田沼意斉、土井利与、戸田忠綱、秋元興朝、錦小路頼徳、秋月左都夫、日高栄三郎、日野資秀、中村進午
- 曽祖父・林博太郎(伯爵、第13代南満州鉄道(満鉄)総裁、貴族院議員、霞会館監事など)[55][56][57]
- 曽祖父・大岡忠量(子爵、陸軍歩兵中尉)[57][55]
- 曽祖父・牧野伸通(宮内庁式部官)[56][57]
- 曽祖母・牧野純子(上皇后美智子妃が皇太子妃の際の元東宮女官長)
- 曽祖父・矢崎貢(石和銀行頭取)[57]
- 曽祖叔父・吉田茂(内閣総理大臣)[55][57]
- 曽祖叔父・秋月種英(子爵、貴族院議員)
- 曽祖叔父・古屋専蔵(衆議院議員)
- 曽祖叔父・杉山元太郎(豊年製油社長。父は豊年製油会長の杉山金太郎)
- 曽祖叔父・林荘次郎(義父は男爵・貴族院議員・奈良華族の中川興長)
- 族伯祖父・麻生太賀吉(麻生セメント社長、衆議院議員)
- 祖父・小林中(財界四天王。日本開発銀行初代総裁、日本航空会長、東急電鉄社長、フコク生命第3代社長、アラビア石油社長、海外技術協力事業団初代会長など)[6][55][56][58]
- 祖父・林友春(学習院大学名誉教授)[59][56][57]
- 祖母・林貞子(松濤幼稚園開設者、園長)[56]
- 大叔父・鹿園博仲(男爵、奈良華族。鹿園実博の養子)
- 大叔父・鹿園直治(男爵、奈良華族、貴族院議員。鹿園博仲の養子。実父は八戸藩南部家12代当主の子爵・南部利克)
- 大叔父・宮原旭(男爵、貴族院議員。長男の妻はブリヂストン2代目社長石橋幹一郎の長女)
- 大叔父・井上勝英(子爵、貴族院議員。父は平戸藩12代藩主・伯爵の松浦詮の八男、海軍大佐の井上勝純)[57]
- 大叔父・安田新(安田商事会長。安田財閥の祖・安田善次郎の孫、安田善四郎 (2代目)の三男)
- 大叔父・木越邦彦(学習院大学名誉教授。男爵・陸軍大臣・貴族院議員木越安綱の孫。叔父の高木正順は三笠宮妃百合子の義兄)
- 大叔父・大岡忠礼(子爵。実父は旧徳山藩毛利家の第10代当主で子爵の毛利元功)
- 大叔父・藤瀬新一郎(東北帝国大学名誉教授。父は東洋綿花の元社長・藤瀬政次郎)
- 大叔父・牧野伸和(日東化学工業副社長。義父は子爵・貴族院議員・実業家の交野政邁)
- 大叔父・大木七朗(衆議院議員・大木喬命の次男)[57][60]
- 大叔母・村瀬充子(大岡忠量の養女。父は公爵・九条道実)
- 従叔父・牧野力(通産事務次官)
- 従叔父・鹿園直建(慶應義塾大学理工学部教授、資源地質学会会長)
- 再従伯父・麻生太郎(内閣総理大臣)
- 再従伯父・麻生泰(株式会社麻生会長)
- 再従伯父・武見敬三(厚生労働大臣)
- 再従伯母・寬仁親王妃信子(皇族)
- 再従伯父・安田弘(安田不動産顧問、ジャーディン・マセソン日本法人会長。安田財閥三代目当主・安田一の長男 )
- 父・小林喬(フコク生命第7代社長、東武鉄道監査役)[6][56]
- 母・小林絢子(東京家政大学文学部教授。寬仁親王妃信子、第92代内閣総理大臣麻生太郎、麻生泰、相馬氏33代目当主相馬和胤の妻・雪子、参議院議員武見敬三のはとこ)
- 叔父・豊田彰夫(新日本製鐵専務。父は海軍大将・日本製鐵社長・商工大臣ほかを歴任した豊田貞次郎)[57]
- 叔父・安保二見雄(男爵、海軍大臣・安保清種の孫[57][61])
- 叔母・小林祥子(祖父は北前船主で日本火災海上保険会長の右近権左衛門 (11代目)、父は同 保太郎)[56][57][62]
- 叔母・三井富美子(若葉会幼稚園理事長。夫は三井高公(11代目三井八郎右衛門)の四男、三井之乗)[57]
- 叔母・楢原茂子(学習院桜友会元副会長。夫は楢原常榮(元KDDI顧問)。常榮の父は古河鉱業9代目社長の楢原良一郎。祖父は外務官僚である楢原陳政で、陳政の妻は侯爵・西郷従道の長女、政子)
- 従姉・大林和子(若葉会幼稚園園長。夫は大林組代表取締役会長・創業家四代目当主の大林剛郎)
- 従弟・三井財閥総領家 12代目三井八郎右衛門(三井永乗が襲名)
- 従弟・林友顕(ステージネーム:千聖。バンド・PENICILLINのリーダー、ギター)
- 従妹・鈴木里佳子(夫は味の素創業家のメルシャン社長・鈴木三千代の孫で、味の素副会長・鈴木忠雄の長男・哲雄)[57]
- 従弟・小林周(妻は野村財閥当主で野村ホールディングス取締役・野村文英の長女、昌代[63][64])
- 妹の義父・平澤貞昭(大蔵事務次官、横浜銀行頭取)[56][57]
- 義兄・古屋直樹(兄の勝彦は松屋 (百貨店)会長、創業家六代目社長。母は侯爵・花山院親家の娘、千枝子。甥に松屋社長の古屋毅彦。従弟に花山院家37代目当主の花山院弘匡。)[65]
- 義曽祖父・堀内良平(衆議院議員、富士急行創業者/社長)
- 義祖父・堀内一雄(衆議院議員、陸軍少佐、富士急行社長/会長)
- 義父・堀内光雄(衆議院議員、労働大臣、通商産業大臣、自由民主党総務会長、富士急行社長/会長/社主)
- 夫・堀内光一郎(富士急行取締役社長)[6][56]
所属団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会[66]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[66]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[66]
- 自民党たばこ議員連盟[67]
- 自由民主党たばこ特別委員会[68]
- 日本の印章制度・文化を守る議員連盟(幹事)[69]
- ラーメン文化振興議員連盟[70]
- 全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性を守る議員連盟(副代表)[71]
騒動
2018年1月28日の衆議院予算委員会において、与えられた質問時間を1分ほど残したまま質問を切り上げようとした。野党から野次が飛んだため、慌てて「まだまだ質問はあるが逆に時間を超えてしまうという思いから削除していた。女性活躍元年と称される時代も来ると大きな期待を抱きながら、これからも仕事をさせていただきます。お時間がきたようです」と述べて時間を使い切った。
質問直後、野党からは批判の声が相次ぎ、立憲民主党の辻元清美は「どんなすごい質問が出るかと期待していたががっかりした。台本がある学芸会のようだった。予算委は『これから頑張ります』とかの決意表明や自己アピールの場ではない」、日本共産党の小池晃も「国会の最大の任務は行政監視だ。与党の時間を増やすのは意味がないとはっきりした。余らせるぐらいなら野党の時間を増やしてほしい。(時間を)残して、しかられるなんて、子供じゃあるまいし、みっともない」と批判した。一方、自民党の金田勝年は「持ち時間の中で要領よくやる。ちょうどうまい時間で終わったという状況だったと思う」と擁護している[72]。
選挙歴
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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比当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 47 | 比例南関東(山梨2区) | 自由民主党 | 5万5012票 | 35.81% | 22 | 2/4 | 3/6 |
比当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 49 | 比例南関東(山梨2区) | 自由民主党 | 6万8109票 | 40.59% | 22 | 2/3 | 6/8 |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 51 | 山梨2区 | 無所属 | 7万532票 | 40.12% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 56 | 山梨2区 | 自由民主党 | 10万9036票 | 67.93% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 59 | 山梨2区 | 自由民主党 | 9万9080票 | 73.58% | 1 | 1/2 | / |
脚注
外部リンク
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