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江戸幕府の職名 ウィキペディアから
若年寄(わかどしより)とは
全国支配の担当である老中に対し、旗本や御家人の支配を軸とする将軍家の家政を担当した。
寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光が、松平信綱・堀田正盛・三浦正次・阿部忠秋・太田資宗・阿部重次の側衆6名を日常の雑務を扱う六人衆としたことを嚆矢とする[3]。このうちの4名がその後老中に昇進したためこの制度は慶安2年(1649年)に廃止され、その職掌は老中に移管された。これが寛文2年(1662年)、次の4代将軍徳川家綱のときに若年寄として復活した。若年寄は通常4人を定員とし、小禄の譜代大名から選任された。老中格・老中・御側御用人などに出世するための経験を積むことができる役職として羨望された。
幕府と同様、会津藩や仙台藩などの諸藩でも若年寄職を設置していたところがあった。設置されている場合は家老に次ぐ役職であることが多い。会津藩の場合は3名置かれ、御用所の密事頭取などを統括した。仙台藩の若年寄については仙台藩の役職を参照されたい。
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