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戸田 忠寛(とだ ただとお)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。田原戸田家9代当主。肥前国島原藩2代藩主、下野国宇都宮藩主。宇都宮藩戸田家7代。大坂城代、京都所司代といった要職を歴任した。
戸田家5代の戸田忠余の四男として生まれる。兄・忠盈の男子が夭逝していたため、宝暦4年(1754年)5月に嗣子となった。同年7月、襲封して従五位下・因幡守に叙せられた。翌宝暦6年(1756年)、はじめて城地に帰る。
明和7年(1770年)、奏者番となる。安永3年(1774年)、領地を下野宇都宮に転じられて、宇都宮城を居城とする。幕府より5000両を借りて城を造営し、同5年(1776年)、寺社奉行を兼ねて、天明2年(1782年)9月、大坂城代となる。
同年、旧領改め、河内国、播磨国に所領を移封され、同4年(1784年)5月、京都所司代に補任し侍従に任官する。同年9月、所領を河内国、摂津国に移され、同7年(1787年)6月7日(7月21日)、京都御所にて御所千度参りが起こった。同年12月、所司代を辞して旧領宇都宮に転封となる。この年、京都伏見での市人争訟の計らいが不十分であったとされ、出仕が停められた。
父母
正室
子女
養女
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