珠洲市
石川県の市 ウィキペディアから
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珠洲市(すずし)は、石川県北東部、能登半島(能登地方)の先端に位置する市。1954年(昭和29年)に市制施行。
気候は日本海側に共通する特性をもち、年間の降水量、特に梅雨期や台風期の降雨や冬季の降雪が多い[1]。年平均気温は13.0℃である[1]。
珠洲(1991 - 2020)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.0 (62.6) |
19.4 (66.9) |
23.3 (73.9) |
29.3 (84.7) |
31.6 (88.9) |
34.6 (94.3) |
36.1 (97) |
38.2 (100.8) |
37.1 (98.8) |
30.4 (86.7) |
26.9 (80.4) |
20.0 (68) |
38.2 (100.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.0 (42.8) |
6.5 (43.7) |
10.2 (50.4) |
15.7 (60.3) |
21.0 (69.8) |
24.3 (75.7) |
28.3 (82.9) |
30.1 (86.2) |
26.1 (79) |
20.7 (69.3) |
14.9 (58.8) |
9.0 (48.2) |
17.7 (63.9) |
日平均気温 °C (°F) | 2.8 (37) |
2.8 (37) |
5.5 (41.9) |
10.4 (50.7) |
15.7 (60.3) |
19.8 (67.6) |
24.1 (75.4) |
25.5 (77.9) |
21.6 (70.9) |
15.8 (60.4) |
10.3 (50.5) |
5.3 (41.5) |
13.3 (55.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.4 (31.3) |
−0.9 (30.4) |
0.8 (33.4) |
4.9 (40.8) |
10.7 (51.3) |
15.8 (60.4) |
20.6 (69.1) |
21.6 (70.9) |
17.6 (63.7) |
11.2 (52.2) |
5.7 (42.3) |
1.6 (34.9) |
9.1 (48.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −10.4 (13.3) |
−9.1 (15.6) |
−5.3 (22.5) |
−3.0 (26.6) |
1.6 (34.9) |
7.5 (45.5) |
11.7 (53.1) |
13.7 (56.7) |
8.6 (47.5) |
1.0 (33.8) |
−1.1 (30) |
−7.5 (18.5) |
−10.4 (13.3) |
降水量 mm (inch) | 226.0 (8.898) |
140.6 (5.535) |
129.2 (5.087) |
106.6 (4.197) |
98.4 (3.874) |
141.7 (5.579) |
193.9 (7.634) |
165.7 (6.524) |
184.9 (7.28) |
152.7 (6.012) |
200.5 (7.894) |
279.2 (10.992) |
2,019.3 (79.5) |
降雪量 cm (inch) | 89 (35) |
67 (26.4) |
13 (5.1) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
35 (13.8) |
202 (79.5) |
平均月間日照時間 | 62.0 | 90.1 | 149.0 | 195.6 | 218.6 | 172.6 | 162.4 | 208.2 | 150.8 | 153.3 | 108.3 | 69.2 | 1,740.1 |
出典:気象庁 |
「須須神社社伝縁起 第一」に高倉宮・金分宮の2社からなることが出ており、高倉宮主神ニニギノミコトが来臨した折、鈴を以てこの地を鎮める、とある。鈴の万葉仮名が須須・須受で、その佳名が珠洲であり、そこからとったものである。
金分宮の主神が美穂須須見命(ミ・ホ・スス・ミ・ノ・ミコト)で、稲穂の豊かな実りを象徴している。豊かな稲穂を振って音を立てる様子が鈴である。
大伴家持が天平21年(749年)、都の妻に贈るため真珠を願う歌を詠むが、そこには「珠洲の海人の沖つ御神にい渡りて…」とあり、半島先端部の広い範囲が珠洲(真珠のような洲)と意識されていたようである。
珠洲市は本州にある市の中で最も人口が少ない[8]。65歳以上が人口比の50%以上を占める。
珠洲市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 珠洲市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 珠洲市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
珠洲市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 居住地 | 備考 |
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若木伸二郎 | 1954年(昭和29年)7月15日 | 1954年(昭和29年)8月9日 | 飯田町 | 市長職務執行者、旧飯田町長 | ||
外蔵賀親 | 1954年(昭和29年)8月9日 | 1954年(昭和29年)8月28日 | 若山町 | 市長職務執行者代理者、旧若山村長 | ||
1 | 1 | 岡村理一郎 | 1954年(昭和29年)8月29日 | 1958年(昭和33年)8月28日 | 正院町 | 旧正院町長 |
2 | 1958年(昭和33年)8月29日 | 1962年(昭和37年)8月28日 | ||||
3 | 1962年(昭和37年)8月29日 | 1966年(昭和41年)8月28日 | ||||
4 | 2 | 鍵主圭吾 | 1966年(昭和41年)8月29日 | 1970年(昭和45年)8月28日 | 三崎町 | 元市議会議長 |
5 | 1970年(昭和45年)8月29日 | 1974年(昭和49年)8月28日 | ||||
6 | 3 | 黒瀬七郎 | 1974年(昭和49年)8月29日 | 1978年(昭和53年)8月28日 | 宝立町 | 前石川県議 |
7 | 1978年(昭和53年)8月29日 | 1981年(昭和56年)3月25日 | 自身の負債問題で辞職 | |||
8 | 4 | 谷又三郎 | 1981年(昭和56年)4月29日 | 1985年(昭和60年)4月28日 | 三崎町 | 前石川県議会議長 |
9 | 5 | 林幹人 | 1985年(昭和60年)4月29日 | 1989年(平成元年)4月28日 | 飯田町 | 前石川県議 |
10 | 1989年(平成元年)4月29日 | 1993年(平成5年)4月28日 | ||||
11 | 1993年(平成5年)4月29日 | 1996年(平成8年)5月31日 | 最高裁での選挙無効確定により失職 | |||
田畑良幸 | 1996年(平成8年)5月31日 | 1996年(平成8年)7月13日 | 助役、市長職務代理者 | |||
12 | 6 | 貝蔵治 | 1996年(平成8年)7月14日 | 2000年(平成12年)7月13日 | 正院町 | 前市総務課長 |
13 | 2000年(平成12年)7月14日 | 2004年(平成16年)7月13日 | ||||
14 | 2004年(平成16年)7月14日 | 2006年(平成18年)5月1日 | 健康上の問題により辞職 | |||
木之下明 | 2006年(平成18年)5月2日 | 2006年(平成18年)5月17日 | 若山町 | 助役、市長職務代理者 | ||
巽一郎 | 2006年(平成18年)5月17日 | 2006年(平成18年)6月10日 | 総務課長、市長職務代理者 | |||
15 | 7 | 泉谷満寿裕 | 2006年(平成18年)6月11日 | 2010年(平成22年)6月10日 | 飯田町 | |
16 | 2010年(平成22年)6月11日 | 2014年(平成26年)6月10日 | ||||
17 | 2014年(平成26年)6月11日 | 2018年(平成30年)6月10日 | ||||
18 | 2018年(平成30年)6月11日 | 2022年(令和4年)6月10日 | ||||
19 | 2022年(令和4年)6月11日 | 現職 |
会派名 | 議員数 | 所属党派 |
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同志会 | 9 | 自由民主党・無所属 |
真珠会 | 2 | 無所属 |
無会派 | 1 | 同上 |
計 | 12 | ※2023年5月現在 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
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堂前利昭 | 当 | 53 | 自由民主党 | 新 | 7,854票 |
平蔵豊志 | 当 | 46 | 自由民主党 | 現 | 7,700票 |
酒元美江 | 落 | 46 | 無所属 | 新 | 6,309票 |
2024年(令和6年)1月1日時点で珠洲市には30基の風力発電施設があった[14]。しかし、同日に発生した能登半島地震で珠洲市を含む能登地方で稼働する73基の風力発電施設全てが運転停止となった[14]。
珠洲市では、1975年に市議会全員協議会から国へ『原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書』が提出され、1976年に関西電力・北陸電力・中部電力の電力会社3社が珠洲原子力発電所の構想を提起したことから、原発建設について推進派と反対派の激しい対立が起こった。
自由民主党[注 1]との関係が深い歴代市長や市議会議員の多数は「電源開発協議会」設置や市議会での誘致決議を行い、石川県知事(当時)の中西陽一と協調して原発誘致を図ったが、反対派は総評系労働組合や日本社会党の地方支部、それに市外の反原発運動団体などの支援を受けて「珠洲原発反対連絡協議会」を結成して対抗した。1993年は市長選で推進派の現職が小差で当選したが、反対派は投票の無効を訴えて提訴し[注 2]、1996年には最高裁判所判決で選挙無効が確定するなどの混乱が続いた。
要望書提出から28年後の2003年12月5日、各電力会社の社長(北陸:新木富士雄、中部:川口文夫、関西:藤洋作)3人は珠洲市役所を訪れ、「電力需要の低迷」「国際競争の激化」に加え「反対運動による立地確保の困難さ」を理由[15]に、珠洲市長(当時)の貝蔵治に対して原発計画の凍結を申し入れた[16][17][18][19]。2005年には市による電源開発協議会、次いで反対連絡協議会が解散し、珠洲市における原発誘致問題は沈静化した[20]。
珠洲市発足時の市立学校は、小学校の本校24校、分校2校、中学校の本校10校、分校3校であった。その後、小中学校の統廃合が進み、現在は、小学校7校、中学校2校、義務教育学校2校を開設している。
1964年から2005年3月31日まで能登線(1988年に第三セクターののと鉄道に転換)が走っており、以下の駅が市内にあったが、同年4月1日に廃止された。
なお、2002年までは西日本JRバスの奥能登線が市内を通っており、市中心部に自動車駅の能登飯田駅があった。能登飯田駅は現在は北鉄奥能登バスの一バス停となっているが、JTB時刻表では能登飯田バス停が珠洲市の中心駅となっている。
2009年、珠洲市は、総務省が2011年7月24日を最終期日とするテレビジョン放送の完全デジタル化に際し、その影響を前もって把握するために実施するアナログ放送終了リハーサルの実施地域に応募し、4月に選定された[23]。
これに伴い、隣の能登町にある市をカバーする中継局と市内にあるすべての中継局で、全国の期日よりも1年前倒ししてアナログテレビジョン放送が完全に終了することとなった。2010年7月24日、大きな混乱もなくアナログ放送は完全停波した[24][25]。
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