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『帝都物語』(ていとものがたり)は、荒俣宏による日本の小説、またこれを原作とする映画、アニメ、漫画。
帝都物語 | ||
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著者 | 荒俣宏 | |
発行元 | 角川文庫 | |
ジャンル | 伝奇 | |
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1985年(昭和60年)から発表された荒俣宏の小説デビュー作である。1987年(昭和62年)の第8回日本SF大賞を受賞し、1988年(昭和63年)には映画化された他、様々なメディアミックスが行われ、荒俣の出世作となった[1]。1983年創刊の角川書店の『小説王』に創刊号から通巻13号の1984年13号まで13回が連載され[2]、その後は新書判レーベル「カドカワノベルズ」の書き下ろしで発表された[3]。ベストセラーとなり、荒俣は印税を約1億5千万円得た[4]が、たちまち書籍の収集費に消えてしまった[5]。
平将門の怨霊により帝都破壊を目論む魔人・加藤保憲とその野望を阻止すべく立ち向う人々との攻防を描いた作品。明治末期から昭和73年[注釈 1]まで約100年に亘る壮大な物語であり、史実や実在の人物が物語に絡んでいるのが特徴。著者の荒俣宏がこれまでに蓄積した博物学や神秘学の知識を総動員しており、風水を本格的に扱ったおそらくは日本最初の小説と目される。陰陽道、風水、奇門遁甲などの用語を定着させた作品でもある。
外伝として江戸時代を舞台にした『帝都幻談』、幕末期を舞台とした『新帝都物語』『龍神村木偶茶屋』が執筆された。また設定が本シリーズと若干異なるが、『妖怪大戦争』にも加藤保憲が登場する。
以下実在の人物の詳細は全て、名前部分のリンク先も参照。 また本稿における各個人の評伝は、作中におけるキャラクターであり実存人物とは異なるので注意されたし。
小説を原作とし、映画が3作製作・公開されている。合成部分にハイビジョン[注釈 3]が使われ[6]、日本初の本格的ハイビジョン VFX 映画となった[7][8]。
2015年8月8日には第1・2作を1セットにしたBlu-ray Discソフトが『帝都 Blu-ray COMPLETE BOX』と題して発売された。
原作の「神霊篇」から「龍動篇」までを映画化。1988年(昭和63年)1月30日公開。製作費は10億円の大作で、出演者にも勝新太郎・平幹二朗らを起用。東京グランギニョルの演劇『ガラチア帝都物語』に出演したことがきっかけで加藤役に抜擢された嶋田久作はこれが映画デビュー作であったが、その強烈なキャラクターも評判となった。他に、話題のあるキャストとしては、西村真琴を実子の西村晃が演じている。配給収入は10億5,000万円で、その年の日本映画の8位という成績を挙げている。
監督の実相寺昭雄を始め、撮影・中堀正夫、視覚効果・中野稔など「ウルトラシリーズ」を手掛けたスタッフが多く参加した[10]。中野稔は「『首都消失』や『竹取物語』が円谷SFXの伝統的スタイルの継承とすれば、『帝都物語』は『ウルトラシリーズ』のSFXの系譜に連なるものを、さらに発展・拡大した形と言える」と述べている[10]。
ロケセットは、同年公開の崔洋一監督の映画『花のあすか組!』に流用された[11]。
一瀬隆重プロデューサーが1984年に『星くず兄弟の伝説』を作る際、セゾングループが資金を出してくれ、それが縁で一瀬は西武百貨店の社員になった[12]。そこから出向したのが「エクゼ」という会社で、そこで一緒に仕事をしていた人から「『帝都物語』をやりたい」と言われた[12]。それで一瀬がヘッドプロデューサー的なポジションになり、実相寺昭雄監督を口説きにいった[12]。クリーチャーデザインのH・R・ギーガー起用は、たまたま当時西武百貨店で「ギーガー展」をやっていて、来日していたから直接ギーガーに会い、「こういう映画をやるんだけど、画を描いて下さい」と頼んだら、あっさり「いいよ」と引き受けてくれた[12]。ギーガーは後で「クリーチャーの出来が酷い」と言ったが、当時の日本の技術では精一杯だった[12]。
また一瀬も当時は20代半ばで、堤清二の息子・堤康二と二人で東宝に配給を頼みに行ったら「そんな映画、君たちで作れるの?」と笑われたという[8]。
脚本は実相寺監督からの推薦で、岸田理生が書いていたが[8]、一瀬が岸田のホンだと娯楽映画にならないなと岸田を降ろし[8]、一瀬が林海象に頼み、二人で神楽坂の旅館「和可葉」に籠り脚本を書いた[8]。林は「豪華キャストが揃う絵巻物のような映画を」という注文を受け[13]、正月映画と聞いていたので、自身の好きな東映オールスターによる仁侠映画『純子引退記念映画 関東緋桜一家』をイメージして脚本を書いたと述べている[13]。
加藤保憲役のキャスティングは難航した[8]。一瀬と林は当初から嶋田久作で構想していたが、配給の東宝は「主演は有名な人で」と難色を示した[8]。そこで坂本龍一などを候補に挙げた末、小林薫が内定[8]。その後、小林側から監督に会いたいと要望があり、一瀬と実相寺が二人で東京全日空ホテルで小林と対面した[8]。その際、小林は実相寺に「加藤はなぜ東京を壊そうとするのか」「加藤の精神的なバックボーンは何か」等と質問責めに遭わせたため、実相寺は思わず「そんなもんないですよ」「ゴジラみたいなものですから」と言ってしまい、後日、小林の事務所から断りの連絡があった[8]。その間に助演で勝新太郎、平幹二朗、石田純一、原田美枝子、坂東玉三郎と豪華キャストが次々決まり、東宝から「もう加藤は誰でもいい」と承諾を得たという[8]。
嶋田久作の抜擢は、劇団東京グランギニョルで『ガラチア/帝都物語』の舞台に出ていたなど、複合的な要因であるが[14]、嶋田は役者に特別執着はなく、オファーされた当時は元の庭師の仕事に戻っていた[14]。一瀬が嶋田に正式にオファーした時の嶋田の返事は「(植木屋の)親方に相談させて下さい」だった[8]。親方から「役者をやった方がいいよ」と言われ、正式にオファーを受けた。嶋田自身は「実はもともと別の方が決まっていたんですが、頓挫したんです。荒俣宏先生は伊藤雄之助さんのイメージで加藤保憲を書いたそうで、似た顔の男がいる(笑)そんな感じの抜擢でしょう」と話している[14]。また脚本はよく分からなかったと話しており「大河ドラマぐらい尺を取らないと収まり切れない作品ですよね。ストーリー的には破綻していると思うけど、でもバブルが弾ける直前だった当時の高揚感が、物語の中で描かれた明治から昭和初期までの、伸びやかな時代の野放図さと巧くリンクしていたと思います」などと述べている[14]。
実相寺監督は嶋田の芝居がヘタ過ぎて相当イライラしていたという[14]。熱かったり危なかったり、危険な撮影が続き、目の前で火柱が上がる撮影で、嶋田が両手首を火傷し、病院に直行した[14]。「収拾がつかない状態で繰り広げられた壮大なお祭りのような撮影だった」と話している[14]。嶋田は「撮影は3ヶ月あった」と話しているが[8]、一瀬によれば日本初の本格的ハイビジョン VFX 映画で、ソニーの全面協力はあったものの、簡単な撮影に半日かかったりし、撮影に難航したという[8]。嶋田が現場には行ったが、出番なしの日が多く、感覚的には「自分の出番は7日間ぐらいだったように思う」と話している[8]。アーヴィン・カーシュナーが撮影を見学に来たが、観てガッカリしているようだったという[8]。
昭島市の昭和の森で総工費3億円、45日間を費やして、銀座4丁目交差点から新橋方面の街並みを150メートル、3,000坪にわたって再現[15]。銀座通りを走る市電[注釈 4]も2,000万円を使って製造された。銀座のオープンセットでは、のべ3,000人のエキストラを起用。時代考証の細緻さが注目を浴びた。
式神だけで50体を越すクリーチャーが登場しているが、10人以上のクリエーターが競作で作り上げた。ワイヤーコントロールやマペットによって、さまざまな動きが施された。動く式神や全身を使う式神は、アニメーター・真賀里文子によって、完成作品にして1分間のシーンを1秒間に24コマ撮影する特撮カットを撮影した。クライマックスに登場する加藤の使い魔・護法童子はH・R・ギーガーのデザインによるもの[15]。ギーガーは当初映画全体のデザインを希望したが、準備期間が彼のスケジュールと合わなかったため断念。結局コンセプチュアル・デザイナーとして参加した。
ソニーPCLの全面協力を得て、HDVS(高品位ビデオシステム)として日本映画で初めてハイビジョンが本格導入された[15]。作品中では冒頭の土御門家のシーンやクライマックスの辰宮恵子と護法童子との対決シーンに約6分間使用されている。本作によりハイビジョンの映画応用がビジネス的に見ても成立することが実証され、多くの作品制作にハイビジョンが使われていくきっかけを作った[7]。
テーマ曲にはクラシックをアレンジしたものがある。
1989年(平成元年)9月15日公開。原作の「戦争編」を映画化。監督は前作でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた一瀬隆重で、総監督はラン・ナイチョイ(藍乃才)。アクション監督は香港映画「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」の武術指導を手掛けたフィリップ・コク(郭追)。
続編構想の際、一瀬は再び実相寺昭雄に監督依頼を考えていたが、当時所属していたセゾングループに陰りが見え始め、製作費を前作の半分に減らされた[8][12]。そこでアクション映画に寄せようと思い付き、『孔雀王』を撮ったラン・ナイチョイに依頼したが、日本人スタッフとの意思疎通が不安等の理由で土壇場で降板された[8][12]。クランクインも迫り、周囲の説得により一瀬自らが監督に就任[12]。キャスティングも全て一瀬が行った[8]。
難解という声が多かった前作とはコンセプトを変えてシンプルな娯楽活劇となり[18]、登場人物の設定なども原作からは変更されている。この事については、荒俣自身も「今回は原作と映画は相当違いますんで、原作を読んだ人は怒らないで欲しい」とコメントしている。
オープンセットは「帝都物語」を超える規模で長崎県佐世保市に造られた[12][18]。長崎ロケは約1ヶ月行われたが、連日雨で混乱した[12]。前作のようなミニチュアはほとんど使わず、オープンセットでのアクションが中心となった[18]。一瀬は「監督とプロデューサーの二つを同時にやるのはムリ、二度と監督はやりたくない」と話している[12]。
1995年(平成7年)7月15日公開。
「帝都物語外伝 機関童子」を原作とするが、内容は大幅に異なる。精神病院を舞台に現代の社会病理を描いているが、書籍『日本特撮・幻想映画全集』(勁文社、1997年)ではストーリーについて欲張りすぎの感があると評している[19]。
東映VANIMEレーベルのOVAとして、原作の「神霊篇」から「龍動篇」までをアニメ化。VHS版は1991年(平成3年)発売。全4巻。DVD版は2007年(平成19年)4月21日発売。全2巻。映画版と同じく加藤役を嶋田久作が演じている。
原作者の荒俣宏が関わった関連作品。
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