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日本のラジオパーソナリティ、声優、歌手、随筆家 (1959-) ウィキペディアから
小森 まなみ(こもり まなみ、10月16日[1][2] - )は、日本の元ラジオパーソナリティ、元歌手、元声優、元エッセイスト。夫はアニメーション監督の山崎理[3][4][5]、長男は医師で小説家のあさぎり水脈[6][7]。
2023年10月にすべての活動の「マイクオフ」を宣言して、2024年3月をもって芸能界を引退した。
作家として小森眞奈美、童話作家としてこもりまなみの名義でも活動していた。日本児童文芸家協会会員。NPO法人メディカルメイクアップアソシエーション認定員。ラクーンドッグ(声優活動時)所属。メディカルウィッグのボランティア組織アンジェリック代表。
東京都渋谷区生まれ[1]。父は内科学者で、世界的な胃癌治療の第一人者だった医学博士、小黒八七郎(おぐろ やなお)。曽祖父は儒学者、祖父は医師という家系に生まれる。タイ国立がんセンターの設立に伴い家族で渡泰し、幼少時はバンコク日本人学校に通学していた。性格は天然ボケな部分があるものの、基本的に努力家で優しい。また感受性が豊かで涙腺が弱く、リスナーからのハガキに感動して番組中でも涙ぐんたり、いじめに苦しむリスナーを本気で励まし続け、放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったこともある。
ラジオ番組において、レコードを廻しながら一人で放送を行う「ディスクジョッキー」ならぬ、トークに重点を置いたトークジョッキーという概念を提唱し、自ら実践した。現在も歌手、作家、声優、メイクセラピストなど多くの活動の中、パーソナリティとしての活動に重点を置いている。
ラジオ番組では「心と心のキャッチボール」を大切にし、幅広い年齢層のリスナーからマミ姉と呼ばれ、1980年代後半から2001年(平成13年)のラジオ情報誌でのDJ人気投票では、11か月連続1位を記録するなど人気も高く、現在でも長きに渡ってリスナーの支持を得ている。『mamiのRADIかるコミュニケーション』(RADIコミ)は2009年(平成21年)10月に四半世紀を記録。(放送期間25年間)。『小森まなみのPop'n!パジャマEYE』は17年。
読売新聞の英字紙である「ザ・デイリー・ヨミウリ」(現・ジャパン・ニューズ)では、1987年(昭和62年)に日本のサブカルチャーの代表として、「ジャパニーズルッキンググラス『Angel of the Airwaves』〜日本を映す鏡・電波の天使 小森まなみ〜」で2週にわたって特集された。
特徴のある声質で、声優としては子供や少女キャラから、『サザンアイズ』のスージン・リュウメイのような低音の悪役、『おやすみポエム』『きんもくせいナイト』のような柔らかい癒しボイスまで幅が広い。ラジオ活動とあいまって、1990年代から声優ラジオが一般化する下地を作った[8]。2007年(平成19年)10月よりNHK教育テレビで放送のイギリスの絵本作家ルーシー・カズンズの作品『スイスイ!フィジー!』に出演した。
日本テレビ音楽学院で歌唱・ダンスを学んだ高校1年生時には、音楽ユニット「ザ・バーズ」のメンバーに選抜され、全国高等学校サッカー選手権大会イメージソング「ふり向くな君は美しい」をリリース[1]。学校ではフォークソング部に所属。受験勉強中に聴いていたラジオに感銘を受けて、医学部から日本大学藝術学部放送学科ラジオ制作に進路変更した[1]。DJになって以後も友人たちと『Nausicäa』というバンドを結成。1983年(昭和58年)には秋元康プロデュースによる“業界初の5枚組シングル”で歌手としてもデビューし話題を集める。オリジナルアルバムでは自ら作詞を手がけており、1996年(平成8年)8月にリリースされた全曲本人作詞のアルバム『Courage〜クゥ・ラージュ〜』は、オリコン総合チャート初登場25位を記録。初のライブビデオ『BELIEVE』は、オリコン売上6位を記録し、キングレコードよりヒット賞を受賞する。
愛・地球博やナゴヤ球場・レインボーホール・名古屋城をはじめとするビッグイベントでは数千人を超える動員を記録。『こころのおくすり』『こころが元気になる31のヒント』など本の出版の際に行なわれる書店のサイン会で整理券は即日完売、ベストセラー、ランキングで1位を記録するなど東海地区で絶大な支持がある。
番組や著作物を通じて「夢+努力=現実」を提唱。これは「夢の方程式」とも呼ばれ、小森が特に強調するモットーである。連載エッセイではプロ並みのイラストもこなす。近年では童話の出版や新聞連載など、活動は多岐にわたる。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災時は自ら現地に飛びリサーチ。番組で出来ることを、と救援テレカ支援を企画。累計800万円を超える募金をラジオ関西・兵庫県学童保育連絡協議会・あしなが育英会などを通じ5年間に渡り寄付。 2003年(平成15年)からはタネを集めて砂漠の緑化に協力する’緑のたまごプロジェクト’を、2007年(平成19年)名古屋城の夏フェスからは、ペットボトルのキャップを集めて世界の子供たちにワクチンを贈る“エコキャップレボリューション”を展開した。
また、1997年に逝去した父・八七郎の遺志を受け継ぎ、2006年(平成18年)から抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用かつら)通信販売組織「アンジェリック」をボランティアで設立。2006年1月より公式サイトを立ち上げた(彼女と公私ともに親交が厚く、2003年春に発病したスキルス性胃癌との闘病生活を経て2004年、44歳の若さで早世した岡崎律子への想いもあるという)。
2011年6月26日に自身の体調不良のため、6月末をもって活動休止することを発表した。2012年(平成24年)4月30日にラジオNIKKEIで放送された『「ヤロメロ」35周年記念 公開生放送』に電話出演して以来、公式には声や姿を現しておらず、夫の山崎理がTwitterで小森について触れたり代理でコメントを発信する程度で、公に発表したコメントもラジオ関西『青春ラジメニア』が放送開始30周年を記念して2019年3月に発行したアニバーサリーブックに寄稿したコメントが最新だった。
2019年9月、公式サイト『小森まなみのM's Garden』及びブログがリニューアルし更新を再開。
2019年9月22日、東海ラジオ開局60周年の特別企画として『mamiのRADIかるコミュニケーションスペシャル〜ラジオがくれた贈り物』の1時間生放送。ツイッターの日本トレンド1位、全世界のトレンド10位を記録する。
生放送前には『開局60周年記念 東海ラジオ大感謝祭2019』の中の「日曜も歌謡曲 スペシャルステージ」(オアシス21)にアシスタントのミンキー・ヤスとともに出演。約7年半ぶりに公の場に姿を見せた[9][10]。
自身の誕生日前日に当たる2023年10月15日、1983年12月でアーティストデビューして40周年になるのを節目として、2024年3月31日をもって「マイクオフ」として全ての活動から身を引くことを発表した。あわせてアーティスト活動の集大成としてファイナルベストアルバムをリリースすることも発表した[11][12]。
1980年代後半の『ラジオパラダイス』人気パーソナリティ投票では、女性部門1位を長きにわたり獲得。伝説のDJとして男性部門1位の小堀勝啓(CBCアナウンサー)との誌上対談が実現。また、小堀勝啓の番組に生出演。お笑いコンビのアメリカザリガニ、漫画家の種村有菜、漫画家・タレントの山咲トオルなど業界内でもファンが多い。また松嵜麗のように小森の番組を聴いていたことで声優を志すようになった元リスナーもいる。
実際の年齢が“冗談としか思えない”と評される程若々しい容姿を保っており、それによるエピソードには事欠かない。イベント帰りの名古屋駅の新幹線ホームにて、家出少女と間違えられ補導されそうになった。
漫画家で友人の佐藤まり子や井潤千代美(現:月嶋つぐ美)らと温泉旅行に行ったときは仲居が気を使って子供用浴衣を持ってきた。井上喜久子と同様のパターンで「永遠の18歳」と言われる(詳しくは声優の項目を参照)。
マルベル堂から「卒業記念に一枚写真をとらない?」と言われ出したブロマイドが売り上げ4位にランクイン。マスコミが注目し、女子大生DJブームがおこる。DJランキング1位の表彰式には『FOCUS』も取材、DJでは初めてフォーカスされ話題になる。
1997年(平成9年)頃から『アニラジ』ブームがおこり、アニメ・ラジオ・イベントの最前線にクローズアップされる。本人は一時的な『ブーム』にあおられることを好まないために「ラジオを聴いてほしい。これからマリモになります」と1999年(平成11年)にイベントで宣言。これがいわゆる『マリモ宣言』。2008年(平成20年)11月のブログによると、日大二高時代に放火騒ぎでおびえた際に、先輩である現:NHKアナウンサーの畠山智之に、12時間にわたり電話で励まされ続けた。
高校生の時に深夜放送を聞いたことがラジオに興味を持ったきっかけである。このことからラジオ業界の仕事を目指すことになり、大学の医学部の推薦があったのだが、日本大学芸術学部の試験を受けることになる[19]。
1990年の産休期間及び2011年の体調不良による声優活動休止後、小森の持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
特記しない限り発売元はキングレコード(スターチャイルド( - 2005年(平成17年)7月)/ティー ワイ エンタテインメント(2005年(平成17年)7月 - ))。
太字はメインキャラクター。
1985年
1989年
2001年
2007年
2008年
1988年
1995年
2003年
1987年
1993年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2002年
2003年
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