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三岐鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
三岐線(さんぎせん)は、三重県四日市市の富田駅から三重県いなべ市の西藤原駅までを結ぶ三岐鉄道の鉄道路線である。このうち富田駅 - 三岐朝明信号場間は貨物列車専用であり、旅客列車は近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となっている。
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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全線単線の電化路線である。旅客輸送を行っているほか、富田駅 - 東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っている。日本においてJR以外でセメント輸送を行う鉄道事業者は三岐鉄道のほかにもあったが、西武鉄道が1996年(平成8年)に、秩父鉄道と樽見鉄道が2006年(平成18年)にセメント輸送を廃止して以降は本路線のみとなっている。
旅客列車は、近鉄富田駅から山城駅辺りまで住宅が集まる区間を走行するが、山城駅を保々駅方面に発車して少しすると広く開けた田園地帯を走行する。さらに伊勢治田駅からは藤原岳の麓を回り込むように進む。路線としては地方のローカル路線であるが、藤原岳などへの登山者を除けば通勤・通学路線としての性格が強い。
旅客列車には、西武鉄道の中古車両が黄色とオレンジ色のカラーリングを施され使用されている。貨物輸送の割合が大きいが、通学・生活路線として、また鈴鹿山脈へのハイキングの足などとして旅客輸送の比率も高まっている。
駅ナンバリングが導入されており、路線記号としてSが割り振られている。
保安装置としてATS-S型を採用するが、正確には改良型で、地上子にJR西日本タイプの「ATS-SW」と記載されていることが確認できる。また、ATS地上子が設置されているのは出発信号機(三岐朝明信号場を除く)のみで、ロング地上子は省略されており、元西武車の現用車両には確認ボタンは設置されていない。保々車両区内に試験用の地上子は設置されているが、場内信号機、線路終端部には地上子は存在しない。
当路線は鉄道敷設法別表75項「三重県四日市ヨリ岐阜県関ケ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」の一部を形成し、「三岐鉄道」という社名も三重県四日市と岐阜県大垣市上石津を経て、関ヶ原とを結ぶことを目指したことによるものであった。
1928年藤原鉄道に対し四日市市 - 関ヶ原町間他の鉄道敷設免許状が下付され、三岐鉄道に名称を改め会社を設立[4]。社長は三重県の実業家伊藤伝七[5]が就任し、取締役には浅野セメント(浅野財閥)[6]から専務取締役の浅野良三、金子喜代太が、浅野財閥系の鶴見臨港鉄道[7]から取締役の山田胖が、小野田セメント[8]から専務取締役の狩野宗三が名を連ねた(浅野セメント・小野田セメントとも現在の太平洋セメントの前身)。
1931年7月23日に富田 - 東藤原間が開業し、同年12月23日に東藤原 - 西藤原間が延伸開業したものの、1937年に西藤原 - 関ヶ原間の免許が失効し、富田 - 西藤原間が建設されただけにとどまった[9]。
近鉄連絡線建設前は旅客列車も国鉄富田駅発着であったが、近鉄富田駅まで歩いて移動する乗客が多かった[10]。近鉄連絡線建設には富田駅前の商店街が反対したが、完成後も国鉄富田駅への旅客列車を運行することで妥協した[3]。しかし、近鉄富田駅利用客の多さは歴然で、1985年(昭和60年)に旅客列車は近鉄富田駅発着に統一された[10][11]。
2024年に入ってからは、ダイヤ改正、新制服の採用、駅ナンバリングの導入(例:保々駅はS06)、保々運転区CTCセンター横の電波塔更新、JR東海からの211系の譲受など、様々な変更が行われている。
旅客列車は、1時間あたり朝が3 - 4本、それ以外の時間帯では1 - 2本の運転である。近鉄富田駅 - 保々駅間の区間運転列車も設定されている。貨物列車が走る兼ね合いもあってパターンダイヤにはなっていない。2013年3月17日のダイヤ変更より若干減便され、昼間に近鉄富田駅 - 保々駅間の区間列車が復活した。以前は夕方に沿線の学生のために近鉄富田駅 - 保々駅間に臨時列車が1往復設定されており、この列車は土曜日・休日と春・夏・冬の学校長期休暇期間は運休となっていた。現行ダイヤでは、近鉄富田駅 - 保々駅間を往復する列車のうち朝7時台の上下各1本のみが、お盆・正月期間等は運休となる。すべて各駅に停車する普通列車であるが、1989年(平成元年)まで急行が運転されていた実績もある。
貨物列車・旅客列車ともに保々駅で運転士の交代が行われるが、全列車というわけではなく、線内を通して運転する場合もある。一部列車は近鉄富田駅 - 保々駅間の区間列車であるのに加えて、下り列車の一部で昼間に保々駅で車両交換を行う列車があり、保々駅を跨いで西藤原駅方面へ行く場合は同駅で反対側のりばの車両に乗り換えることになる。この場合において近鉄富田駅から来た車両は折り返し保々発近鉄富田行きとなる。特に、2両編成の場合は折り返しに際して小移動する。これは、下り方面の停車位置に停車すると反対側の運転台の付近にワンマン運転のための後方確認用ミラーがないためである。各車両の方向幕には「大安」の行先表示が用意されているが2024年3月14日改正のダイヤでは大安行き列車は設定されておらず、雪などで区間運休となった場合でも保々駅 - 西藤原駅間または東藤原駅 - 西藤原駅間が運休になることがほとんどである(各車両の方向幕に「東藤原」の行先表示はない)。
旅客列車・貨物列車ともワンマン運転を行っている。ただし、早朝・夜間(近鉄富田駅・東藤原駅を除く全駅が無人になる時間帯)の列車には車掌が乗務している。他の鉄道事業者が運営する路線の多くの車掌とは異なり、その業務は専ら運賃収受が占めている。このため車掌が扱える列車の機器類は少なく、放送・一部のドア扱い・方向幕の操作などのみである。駅の改札口が列車進行方向前側にある駅では乗車券回収のため最後尾の乗務員室から先頭の運転室に移動する。合図はブザー式で、ブザー二打によって出発を合図する。しかし、駅での乗車券回収作業のあと、乗務員室までが離れている時は、列車の乗務員は近くの客扉から飛び乗り、ブザー合図なく発車させている。また、各駅が有人の時間帯であっても朝の一部列車は近鉄富田駅 - 保々駅間において車掌が乗務するツーマン運転で運行している。早朝の通学時間帯は、近隣の暁学園高校や桑名西高校の生徒で非常に混雑する。このため、ラッシュ時間前の列車に乗務する一部の車掌は暁学園前駅までの乗務となり、9時頃まで駅の改札業務を担当する。このように、厳密に役割が固定されているわけではなく場合に応じて柔軟な対応がなされている。
西野尻駅以外は有人駅であるため車内に運賃箱は設置されていない。
貨物列車の行き違いのため、交換駅は180 - 250m程度の有効長をもつ。全交換駅で安全側線が整備され、列車の行き違い時には、上下列車が場内信号機により停車せず同時に駅構内に進入できる。終点以外の大半の駅(暁学園前駅・北勢中央公園口駅・大安駅・西野尻駅以外)で行き違いが可能である。保々駅・伊勢治田駅・東藤原駅には貨物列車の着発線があり、貨物列車1本を待避させた上で、旅客列車(または貨物列車)同士の行き違いも可能である。
自転車を電車内に持ち込めるサイクルパス制度があり、近鉄富田駅以外で利用できる。大矢知駅 - 三里駅間は土曜・休日の全列車と春・夏・冬の学校長期休暇期間の日中時間帯のみ利用でき、三里駅 - 西藤原駅間は毎日・全列車で利用できる[40]。
三重県北勢地域を走る三岐線は、ほぼ平坦で、トンネルは存在しない。起点である富田駅周辺には商業施設が多いが、終点西藤原駅に向かうにつれて、住宅地、さらに進むと田畑および農村と沿線風景は変化する。
三岐線の旅客列車が全列車乗り入れる近鉄富田駅は、近鉄名古屋線との乗換駅であり、駅前には路線バスも発着することから、三岐線系統で最も乗降客数が多い駅である。近鉄富田駅を後にした列車は、しばらく近鉄名古屋線と並走し、住宅地の中を進む。関西本線をオーバークロスすると、三岐朝明信号場で、富田駅から来る三岐線と合流する。三岐線の起点駅は富田駅であるが、富田駅 - 三岐朝明信号場間の旅客営業は行われておらず、貨物営業のみとなっている。関西本線を再びオーバークロスすると、大矢知駅。久留倍官衙遺跡の最寄駅である。右手に朝明川と並走しつつ伊坂ダムの最寄駅である平津駅を過ぎると、水田が広がる。次の暁学園前駅はその名の通り、暁学園の最寄駅であるため通学客も多いほか、三岐鉄道が開発した住宅地「あかつき台」への最寄駅である。暁学園前駅の駅ビル「あかつきプラザビル」には三岐鉄道が経営する駄菓子屋も入居している。列車は、朝明川と並走し、住宅地「八千代台」、「あさけが丘」最寄駅の山城駅に到着する。山城駅には、近鉄四日市駅やイオンモール東員方面に向かう三岐鉄道バスが乗り入れている。山城駅を過ぎると水田が再び広がり、保々駅に到着する。保々駅には、保々車両区、CTCセンターがあり、三岐線の中枢となる駅であるため、保々止まりの列車も設定されている。ここまで並走してきた朝明川を渡り、路線は朝明川北岸に進む。北勢中央公園口駅は、北勢中央公園の最寄駅であるとともに、住宅地「高見台」が近い。次の梅戸井駅を過ぎると、図書館が併設された駅舎が特徴的な大安駅は宇賀渓の最寄駅である。両ヶ池公園の最寄駅である三里駅から終点西藤原駅までは、終日全列車に自転車を持ち込むことができる。次の丹生川駅には貨物鉄道博物館が併設されている。青川を渡ると側線のある伊勢治田駅に到着する。伊勢治田駅は青川渓の最寄駅である。次の東藤原駅に太平洋セメント藤原工場が隣接している。東藤原駅からはセメントが出荷されており、三岐線貨物輸送における一大拠点である。貨物輸送は富田駅から同駅までで、ここから先は旅客営業のみとなる。列車はセメント工場の中を通り抜け、セメント採掘現場により削られた山肌が特徴的な藤原岳を左手に見ながら走ると、三岐線唯一の無人駅西野尻駅に到着する。藤原町の集落の中に位置する、終点西藤原駅には機関車が展示されているほか、乗用鉄道模型のレイアウトがあり、乗車することができるイベントも開催されている。西藤原駅は聖宝寺、鈴鹿山脈藤原岳、御池岳登山口も近く、登山シーズンには多くの登山客で賑わう。
2019年10月1日現在[42]。
三岐線および近鉄連絡線の輸送実績を下表に記す。2012年度以降、鉄道統計年報においては北勢線と合算されているため、輸送人員については三重県統計書の数値を用いる。輸送密度は貨物専用区間を含む全営業キロで除されている。
輸送人員は年度での値である。1965年以降における最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績表 | |||||||
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年 度 | 輸送人員(乗車人員) [万人/年度] |
輸送密度 [人/日] |
貨物輸送量 [万t/年度] |
関連特記事項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | ||||
1965(昭和40) | 301.5 | ←← | 88.8 | 390.3 | 92.6 | 萱生駅を暁学園前駅に改称 暁学園新設開校 | |
1966(昭和41) | 325.9 | ←← | 84.2 | 410.1 | 84.9 | ||
1967(昭和42) | 321.4 | ←← | 80.2 | 401.6 | 107.4 | ||
1968(昭和43) | 308.7 | ←← | 85.4 | 394.1 | 105.8 | ||
1969(昭和44) | 307.9 | ←← | 81.6 | 389.6 | 93.2 | ||
1970(昭和45) | 305.3 | ←← | 84.1 | 389.4 | 148.4 | 近鉄連絡線開通 近鉄富田駅に乗り入れ開始 | |
1971(昭和46) | 320.1 | ←← | 90.9 | 411.1 | 166.7 | ||
1972(昭和47) | 321.9 | ←← | 91.4 | 413.3 | 179.0 | ||
1973(昭和48) | 340.0 | ←← | 92.4 | 432.4 | 182.2 | 旅客輸送量最大を記録 | |
1974(昭和49) | 333.2 | ←← | 95.8 | 429.0 | 140.3 | ||
1975(昭和50) | 140.5 | 191.1 | 94.7 | 426.3 | 3,396 | 120.5 | |
1976(昭和51) | 131.3 | 182.7 | 97.6 | 411.6 | 3,252 | 127.5 | |
1977(昭和52) | 131.7 | 181.4 | 102.3 | 415.5 | 3,297 | 149.6 | |
1978(昭和53) | 126.2 | 172.0 | 96.7 | 395.1 | 3,210 | 179.4 | 保々駅近隣に朝明高校新設開校 |
1979(昭和54) | 127.9 | 177.0 | 99.1 | 404.0 | 3,344 | 198.0 | |
1980(昭和55) | 128.1 | 184.6 | 101.2 | 414.0 | 3,424 | 196.1 | |
1981(昭和56) | 123.7 | 198.3 | 99.3 | 421.3 | 3,415 | 155.8 | |
1982(昭和57) | 125.9 | 185.4 | 99.0 | 410.3 | 3,353 | 144.4 | |
1983(昭和58) | 123.5 | 176.2 | 96.8 | 396.5 | 3,225 | 141.6 | |
1984(昭和59) | 116.1 | 167.2 | 91.1 | 374.4 | 3,077 | 138.6 | |
1985(昭和60) | 114.8 | 165.0 | 91.7 | 371.5 | 3,077 | 129.7 | |
1986(昭和61) | 114.4 | 162.7 | 96.1 | 373.2 | 3,087 | 105.0 | 大安駅開業 |
1987(昭和62) | 109.6 | 168.4 | 91.8 | 369.8 | 3,026 | 131.6 | |
1988(昭和63) | 105.0 | 179.5 | 93.1 | 377.6 | 3,061 | 135.6 | |
1989(平成元) | 97.8 | 185.2 | 91.3 | 374.3 | 3,078 | 125.0 | 旅客車両の冷房化開始 |
1990(平成2) | 99.3 | 197.8 | 95.7 | 392.9 | 3,215 | 124.5 | |
1991(平成3) | 100.5 | 196.7 | 97.1 | 394.3 | 3,246 | 118.2 | |
1992(平成4) | 105.0 | 193.5 | 98.7 | 397.2 | 3,285 | 141.5 | |
1993(平成5) | 102.0 | 192.9 | 96.8 | 391.7 | 3,232 | 148.4 | |
1994(平成6) | 95.4 | 189.2 | 91.2 | 375.8 | 3,119 | 151.4 | |
1995(平成7) | 92.2 | 176.2 | 93.5 | 361.9 | 3,017 | 147.8 | |
1996(平成8) | 91.4 | 172.6 | 92.6 | 356.6 | 3,010 | 134.4 | |
1997(平成9) | 89.9 | 157.5 | 81.6 | 329.0 | 2,807 | 125.0 | 北勢中央公園口駅開業 |
1998(平成10) | 90.1 | 161.5 | 77.6 | 329.2 | 2,809 | 130.2 | |
1999(平成11) | 86.3 | 159.1 | 73.5 | 318.9 | 2,714 | 102.5 | |
2000(平成12) | 81.1 | 164.8 | 72.5 | 318.4 | 2,687 | 224.6 | |
2001(平成13) | 77.4 | 170.0 | 72.9 | 320.3 | 2,733 | 282.4 | 貨物輸送量最大を記録 |
2002(平成14) | 72.7 | 167.5 | 73.0 | 313.2 | 2,708 | 232.2 | |
2003(平成15) | 71.1 | 170.6 | 74.7 | 316.4 | 2,799 | 122.4 | |
2004(平成16) | 72.0 | 172.0 | 76.5 | 320.5 | 2,868 | 103.7 | 保々駅 - 西藤原駅間の列車を大増発 |
2005(平成17) | 72.6 | 175.5 | 78.2 | 326.3 | 2,920 | 105.0 | |
2006(平成18) | 75.6 | 169.0 | 79.5 | 324.1 | 2,905 | 109.5 | |
2007(平成19) | 79.2 | 169.6 | 82.4 | 331.2 | 2,954 | ||
2008(平成20) | 82.4 | 169.8 | 83.5 | 335.7 | 2,981 | ||
2009(平成21) | 331.2 | ||||||
2010(平成22) | 335.8 | ||||||
2011(平成23) | 321.1 | ||||||
2012(平成24) | 322.9 | 99.0 | |||||
2013(平成25) | 328.7 | 106.0 | |||||
2014(平成26) | 320.0 | 105.8 | |||||
2015(平成27) | 324.6 | 103.5 | |||||
2016(平成28) | 316.3 | 108.8 | |||||
2017(平成29) | 315.3 |
出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)
2011年(平成23年度)までの、三岐線および近鉄連絡線の輸送実績を下表に記す(2012年度以降は北勢線と合算されており単独データが存在しない)。
最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別営業成績表 | ||||||||||||
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年度 | 旅客運賃収入 [千円/年度] | 貨物運輸収入 [千円/年度] |
運輸雑収 [千円/年度] |
営業収益 [千円/年度] |
営業経費 [千円/年度] |
営業損益 [千円/年度] |
営業 係数 | |||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合計 | ||||||||
1975(昭和50) | 210,013 | ←←←← | 121,576 | 2,254 | 333,843 | 477,188 | 39,919 | 850,950 | ||||
1976(昭和51) | 197,929 | ←←←← | 127,793 | 2,684 | 328,406 | 691,921 | 14,142 | 1,034,469 | ||||
1977(昭和52) | 212,868 | ←←←← | 135,439 | 2,800 | 351,107 | 853,945 | 54,992 | 1,260,046 | ||||
1978(昭和53) | 233,531 | ←←←← | 144,757 | 2,698 | 380,987 | 961,290 | 69,236 | 1,411,513 | ||||
1979(昭和54) | 245,655 | ←←←← | 149,884 | 2,231 | 397,770 | 1,044,492 | 51,525 | 1,493,788 | ||||
1980(昭和55) | 250,868 | ←←←← | 153,078 | 2,021 | 405,967 | 1,134,028 | 73,911 | 1,613,908 | ||||
1981(昭和56) | 258,610 | ←←←← | 153,397 | 1,714 | 413,721 | 1,173,773 | 75,738 | 1,663,233 | ||||
1982(昭和57) | 273,174 | ←←←← | 162,948 | 1,055 | 437,177 | 1,292,004 | 71,596 | 1,800,777 | ||||
1983(昭和58) | 267,636 | ←←←← | 168,324 | 710 | 436,670 | 1,283,269 | 72,929 | 1,792,868 | ||||
1984(昭和59) | 274,628 | ←←←← | 165,919 | 632 | 441,178 | 1,270,809 | 73,232 | 1,785,220 | ||||
1985(昭和60) | 272,978 | ←←←← | 169,418 | 659 | 443,055 | 1,200,343 | 84,672 | 1,728,070 | ||||
1986(昭和61) | 290,680 | ←←←← | 189,864 | 688 | 481,232 | 948,346 | 82,085 | 1,511,663 | ||||
1987(昭和62) | 142,874 | 142,967 | 184,782 | 786 | 471,409 | 856,364 | 85,666 | 1,413,439 | ||||
1988(昭和63) | 136,186 | 153,167 | 184,367 | 876 | 474,596 | 866,606 | 124,419 | 1,465,621 | ||||
1989(平成元) | 125,337 | 160,157 | 181,344 | 346 | 467,184 | 807,781 | 131,015 | 1,405,980 | ||||
1990(平成2) | 131,459 | 177,252 | 203,951 | 166 | 512,662 | 808,270 | 145,230 | 1,466,328 | ||||
1991(平成3) | 134,188 | 180,116 | 214,135 | 36 | 528,475 | 788,696 | 132,110 | 1,449,281 | ||||
1992(平成4) | 137,057 | 178,541 | 217,819 | 36 | 533,453 | 899,461 | 150,707 | 1,583,621 | ||||
1993(平成5) | 135,482 | 178,790 | 209,762 | 36 | 524,070 | 928,555 | 181,210 | 1,633,835 | ||||
1994(平成6) | 128,323 | 176,103 | 198,680 | 36 | 503,142 | 937,939 | 181,238 | 1,622,319 | ||||
1995(平成7) | 125,052 | 165,218 | 204,328 | 36 | 494,634 | 907,794 | 186,114 | 1,588,542 | ||||
1996(平成8) | 123,077 | 164,847 | 204,683 | 36 | 492,643 | 834,905 | 176,047 | 1,503,595 | ||||
1997(平成9) | 125,830 | 155,161 | 204,732 | 36 | 485,759 | 786,217 | 173,668 | 1,445,644 | ||||
1998(平成10) | 126,299 | 159,903 | 195,898 | 36 | 482,136 | 768,855 | 171,440 | 1,422,431 | ||||
1999(平成11) | 121,334 | 157,048 | 184,951 | 36 | 463,369 | 652,754 | 159,605 | 1,275,728 | ||||
2000(平成12) | 114,508 | 160,191 | 184,321 | 36 | 459,056 | 814,459 | 151,952 | 1,425,467 | ||||
2001(平成13) | 110,673 | 166,404 | 188,159 | 0 | 465,236 | 976,319 | 153,747 | 1,595,302 | 1,579,547 | 15,755 | 99.0 | |
2002(平成14) | 104,686 | 165,567 | 191,043 | 0 | 461,296 | 847,938 | 159,578 | 1,468,812 | 1,461,553 | 7,259 | 99.5 | |
2003(平成15) | 103,873 | 171,692 | 195,900 | 0 | 471,465 | 588,599 | 161,068 | 1,221,132 | 1,203,424 | 17,708 | 98.5 | |
2004(平成16) | 105,002 | 175,191 | 201,270 | 0 | 481,463 | 480,090 | 154,052 | 1,115,605 | 1,102,819 | 12,786 | 98.9 | |
2005(平成17) | 106,895 | 178,384 | 205,942 | 0 | 491,221 | 517,542 | 150,899 | 1,159,662 | 1,066,783 | 92,879 | 92.0 | |
2006(平成18) | 113,221 | 171,456 | 208,891 | 0 | 493,568 | 414,404 | 155,685 | 1,063,657 | 1,094,406 | △ 30,749 | 102.9 | |
2007(平成19) | 118,699 | 169,935 | 218,863 | 0 | 507,497 | 469,372 | 148,504 | 1,125,373 | 1,096,477 | 28,896 | 97.4 | |
2008(平成20) | 122,934 | 168,251 | 222,571 | 0 | 513,756 | 465,937 | 140,306 | 1,119,999 |
出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)
戦前の輸送収支実績 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 輸送人員 (人) |
貨物量 (トン) |
営業収入 (円) |
営業費 (円) |
営業益金 (円) |
その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金 (円) | ||
1931 | 225,086 | 15,169 | 45,689 | 52,468 | ▲ 6,779 | 雑損82 | 20,895 | |||
1932 | 351,395 | 61,849 | 102,062 | 90,012 | 12,050 | 雑損償却金5,332 | 21,245 | 18,265 | ||
1933 | 381,907 | 172,462 | 182,651 | 110,333 | 72,318 | 自動車業1,272雑損40,369 | 18,532 | 38,033 | ||
1934 | 387,890 | 131,001 | 153,166 | 116,198 | 36,968 | 自動車業16,187償却金55,760 | 14,520 | 58,419 | ||
1935 | 417,024 | 210,153 | 211,955 | 120,955 | 91,000 | 自動車業1,079償却金92,440 | 9,517 | 53,466 | ||
1936 | 433,534 | 223,320 | 229,845 | 134,604 | 95,241 | 自動車業1,329償却金55,000 | 4,735 | 43,974 | ||
1937 | 459,799 | 226,630 | 234,265 | 144,490 | 89,775 | 自動車業2,302償却金55,413 雑損53 | 4,102 | 45,316 | ||
1939 | 563,905 | 246,481 | ||||||||
1941 | 696,068 | 348,930 | ||||||||
1943 | 1,067,698 | 318,991 | ||||||||
1945 | 1,938,765 | 156,445 | ||||||||
三岐線はJR富田駅 - 西藤原駅の三岐線および三岐朝明信号場 - 近鉄富田駅の近鉄連絡線(近鉄連絡線の起点は三岐朝明信号場である)から構成されるが、実際は近鉄富田駅 - 西藤原駅間で旅客営業を、JR富田駅 - 東藤原駅間で貨物営業を行なっている。便宜上、旅客営業を行なう近鉄富田駅 - 西藤原駅間と貨物営業のみを行なうJR富田駅 - 三岐朝明信号場間の2区間に分けて記載する。
全駅・信号場とも三重県に所在。括弧書き(背景色がグレー)の駅は廃止駅。廃止駅の廃止年は休止期間があった場合は休止年を記載している。乗車人員は2006年度(平成18年度)の値を記している。
この区間は貨物営業のみ。全駅・信号場とも四日市市に所在。
近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間は近鉄連絡線。同線含む近鉄富田駅 - 西藤原駅間が旅客営業区間。三岐朝明信号場 - 東藤原駅間が貨物営業区間。
駅番号 | 駅名 | 営業キロ | 行違設備 | 乗車人員 | 開業年 | 廃止年 | 接続路線 | 所在地 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
駅間 | 累計 | 実数 人/年 |
順位 | |||||||
S01 | 近鉄富田駅 | - | 0.0 | - | 1,372,415 | 1 | 1970年 | - | 近畿日本鉄道:E 名古屋線 (E17) | 四日市市 |
(三岐朝明駅) 三岐朝明信号場 |
1.1 | 1.1 | - | - | - | 1950年 | 1989年 信号場化 |
|||
S02 | 大矢知駅 | 1.5 | 2.6 | 有 | 114,334 | 8 | 1931年 | - | ||
S03 | 平津駅 | 1.6 | 4.2 | 有 | 78,401 | 9 | 1931年 | - | ||
S04 | 暁学園前駅 | 1.2 | 5.4 | - | 629,077 | 2 | 1931年 | - | ||
S05 | 山城駅 | 1.7 | 7.1 | 有 | 170,015 | 4 | 1931年 | - | ||
S06 | 保々駅 | 2.5 | 9.6 | 有 | 198,612 | 3 | 1931年 | - | ||
S07 | 北勢中央公園口駅 | 1.7 | 11.3 | - | 138,105 | 6 | 1997年 | - | ||
(大長駅) | - | 11.4 | - | - | - | 1931年 | 1997年 | 員弁郡 東員町 | ||
S08 | 梅戸井駅 | 1.9 | 13.2 | 有 | 54,826 | 11 | 1931年 | - | いなべ市 | |
(大井田駅) | - | 15.3 | - | - | - | 1931年 | 1986年 | |||
S09 | 大安駅 | 2.2 | 15.4 | - | 161,865 | 5 | 1986年 | - | ||
S10 | 三里駅 | 1.8 | 17.2 | 有 | 132,628 | 7 | 1931年 | - | ||
S11 | 丹生川駅 | 2.5 | 19.7 | 有 | 47,456 | 13 | 1931年 | - | ||
S12 | 伊勢治田駅 | 1.2 | 20.9 | 有 | 65,983 | 10 | 1931年 | - | ||
S13 | 東藤原駅 | 2.3 | 23.2 | 有 | 16,296 | 14 | 1931年 | - | ||
S14 | 西野尻駅 | 2.2 | 25.4 | - | 12,893 | 15 | 1931年 | - | ||
S15 | 西藤原駅 | 1.2 | 26.6 | - | 47,894 | 12 | 1931年 | - |
※近鉄富田駅、東藤原駅以外は早朝(始発から6:30)と夜間(21:00以降)は無人になる。西野尻駅は終日無人。
かつては複数の鉄道会社からの譲渡車のほか、自社発注車も存在したが、現在は西武鉄道からの譲渡車で統一されている。西武でも黄色を主体とした塗装を採用していたが、これは偶然の一致である。
2024年に東海旅客鉄道(JR東海)から211系30両を譲り受けた。三岐線での運用に必要な改造を施し、このうち24両が営業用として運行を開始する予定である[43][44]。
3両編成5本(801系・851系・751系)と2両編成3本(101系)の21両が在籍する。前述の通りいずれも元西武鉄道の車両である。
元西武701系を3両編成に改造したもので[37]、1989年から1997年にかけて4編成が導入された。その後1両が事故廃車となり、元西武新101系の車両に置き換えられている。
形式は台車によって分けられており、801系はFS342、851系はFS072・FS372を装備している[45]。
元701系の各車は西武所沢車両工場で改造されており、4両編成(851Fは6両編成のうち4両を使用)を3両編成へと短縮している。これはモハ奇数車の車端部を切断し、クハ奇数車の運転台部分を接合する形で行われた。さらに塗装変更とワンマン化、台車の履き替え等が行われた。また2015年にクモハ801・クモハ803・モハ804の空調脇ランボードが改造された[45]。
台車については、種車がクハはFS072、モハはFS342と別形態の台車を備えており、譲渡にあたって最初の2編成(801F・803F)はFS342へ統一したが、3編成目(851F)は逆にFS072・FS372へと統一されている。具体的にはクハ1802・1804はFS072からFS342へ換装、クモハ851・モハ881はFS342からFS372へと換装された。最後に譲渡された、4編成目となる805Fは3両とも元の台車形式を維持しており、2種類の台車が混在する唯一の編成となった。このためクモハとモハは801系、クハは851系となっている(編成としては801系の扱い)。
851Fは2012年11月8日に三里駅で脱線事故が発生し[45]、クハ1851が現地解体となった。この代替として、未入籍の部品取り車であった元新101系のクハ1238がクハ1881として整備され、2013年9月30日に竣工した[46]。これにより編成内で大きく外観の違う車両が混在する結果となっている。
クハの改造にあたっては、CPを新設したほか[47]、貫通路幅が異なるため、隣のモハ881の貫通路を狭めて対応している。また車内には車椅子スペースも新設。さらには851F全体で転落防止幌を設置[45]、行先表示器をLED化[45]するなど、設備面が751系相当にアップグレードされた。
[48] | 西藤原 →
|
|||||
形式 (801系) | クモハ801 | モハ802 | クハ1802 | 竣工[49] | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
形式 (851系) | クモハ851 | モハ881 | クハ1851 | |||
形式(元新101系) | — | — | クハ1881 | |||
車種 | Mc | M | Tc | |||
搭載機器 | MG | CONT | CP | |||
車両番号 (西武車号) [49] |
801F | 801 (779) |
802 (780) |
1802 (1780) |
1989年12月28日 | 住友電装コラボラッピング (2024年4月2日 - )[50][51] |
803F | 803 (771) |
804 (772) |
1804 (1772) |
1992年7月8日 | 西武「赤電」復元塗装 (2019年4月21日 - )[52][53] | |
851F | 851 (701-89) |
881 (701-90) |
1851 (1790) |
1995年12月22日 | 登場時の組成 | |
805F | 805 (781) |
806 (782) |
1852 (1782) |
1997年9月30日 | 西武イエロー復元塗装 (2018年4月26日 - )[54][55] | |
851F | 851 (701-89) |
881 (701-90) |
1881 (1238) |
(2013年9月30日) | 事故復旧後の組成 行先表示器LED式・外幌設置 | |
注:車両番号の太字は851系、斜体は元西武新101系の車両を示す。 |
元西武401系を改造したもので[37]、1990年から1993年にかけて2両3編成が導入された。
種車都合により、他系列とは車両の向きが逆となっている[56]。
西武所沢車両工場にて改造され、塗装変更とワンマン化、台車の履き替え(FS372→FS342[57])のほか、前照灯の変更が行われている。その後1990年代後半に前面の塗り分けが僅かに変更されたほか、クモハ101・103にフランジ塗油器が設置された[58]。また2010年に105Fの側引戸が751系と同じものへ交換されている。
元西武新101系を改造したもので[37]、2009年に3両1編成が導入された。武蔵丘車両検修場で改造しており、1編成を短縮するのではなく、4両編成と2両編成(701系には存在しない)とを組み合わせることで、先頭化改造を伴わずに3両編成を組成している。行先表示器がLED式とされ、またクハ1751形は車椅子スペースが新設された。
改造した751Fと同時に、部品取りとして同じく元新101系のモハ238・クハ1238の2両も譲渡されている。このうちクハは前述の通り851系に編入され、モハは2013年に解体された。
(事業用車)
2024年にJR東海から同社211系(静岡車両区所属、5000・5600番台)30両を譲り受けた。このうち24両が営業用となる予定である。内訳は以下の通り。編成名・車番はJR東海在籍時のもの。
以前は窓周りが緑色、窓上と窓下が紺色という、京成電鉄の青電によく似た塗装だったが、この色が沿線の田園風景と区別がつきにくいという声があり、現在の黄色を主体に、裾のみ朱色という塗り分けになった。
年 | モハ120形 | モハ130形 | クハ210形 | モハ150形 | 501系 | 601系 | 801系 | 101系 | 851系 | 751系 | 計(冷房車) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 4 | 1 | 4 | 4 | 6 | 19 | |||||
1983 -1987 | 1 | 2 | 4 | 6 | 6 | 19 | |||||
1988 | 1 | 2 | 2 | 6 | 8 | 19 | |||||
1989 | 1 | 2 | 2 | 6 | 8 | 19 | |||||
1990 | 1 | 2 | 2 | 3 | 8 | 3 | 19(3) | ||||
1991 | 1 | 2 | 3 | 8 | 3 | 2 | 19(5) | ||||
1992 | 3 | 8 | 3 | 4 | 19(7) | ||||||
1993 | 3 | 6 | 6 | 4 | 19(10) | ||||||
1994 | 3 | 6 | 6 | 6 | 21(12) | ||||||
1995 | 3 | 6 | 6 | 6 | 21(12) | ||||||
1996 | 6 | 6 | 6 | 3 | 21(15) | ||||||
1997 | 6 | 6 | 6 | 3 | 21(15) | ||||||
1998 -2008 | 2 | 8 | 6 | 4 | 20(18) | ||||||
2009 -2011 | 8 | 6 | 4 | 3 | 21(21) | ||||||
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