神奈川県立横浜翠嵐高等学校
神奈川県横浜市神奈川区にある県立高等学校(共学) ウィキペディアから
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神奈川県立横浜翠嵐高等学校[注 1](かながわけんりつ よこはますいらんこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢南町に所在する公立高等学校。
神奈川県立横浜翠嵐高等学校 | |
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北緯35度28分20.42秒 東経139度36分34.45秒 | |
過去の名称 |
神奈川県立第二横浜中学校 神奈川県立横浜第二中学校 神奈川県立横浜第二高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神奈川県 |
学区 | 全県一学区 |
理念 | 大平凡主義 |
設立年月日 | 1914年(大正3年)5月11日 |
創立記念日 | 5月11日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D114210010053 |
高校コード | 14103J |
所在地 | 〒221-0854 |
外部リンク | 横浜翠嵐高等学校 全日制/定時制トップページ |
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1914年(大正3年)、神奈川県立(旧制)中学校で5番目の神奈川県立第二横浜中学校として開校[注 2]。当時の校名は、横浜市内に設置された2番目の旧制中学校であったことによる。
横浜港を見下ろす丘の上に所在し、校地を含む周辺には三ツ沢貝塚(横浜市登録地域史跡、1900年(明治38年)にニール・ゴードン・マンローが発見)がある[1][2]。また近くには、Jリーグクラブ横浜FCがホームスタジアムとする三ツ沢公園球技場がある。
「大平凡主義」を校訓・校是としている。これは初代校長・瀧澤又市の教えた一節「偉大な平凡主義」からきており、「名誉や地位などばかり利己的に求めずに市井の偉人となって世の中のために尽くそう」という考え方である[要出典]。
1950年(昭和25年)、男子校から男女共学化し、現校名となる。校名の「翠嵐」は、現在も使用されている旧制中学時代からの校歌の冒頭「美なりや翠嵐」から採られた。「翠嵐」は、山は緑で吹く風は香しく麗しいという意味の漢語的表現で、樹木が青々と茂っている様子をいう。
かつては横浜東部学区に属していた。2005年の学区撤廃と同時に、独自入試を神奈川で初めて実施した。2007年には学力向上進学重点校、2013年にはそのアドバンス校への指定を受け、大学進学実績向上を目指した取り組みが行われている。
校訓・校是は大平凡主義である[3]。大平凡主義は、初代校長・瀧澤又市が、当時の修身の授業で「人をかき分けて生きてゆくようなことをしてはならない。偉大な平凡主義で世の中を渡っていきなさい。」と教えたことに始まり、後に「偉大な平凡主義」から「大平凡主義」と言われるようになった。その意味するところを、
などと表現したが、名誉や地位などばかり利己的に求めずに市井の偉人となって世の中のために尽くしましょうという考え方である。
瀧澤は「人間はあるがままに伸びよ」という教育理念に基づいて、「平凡主義」を説いた[4]。本校以前に瀧澤が校長を務めた福井県立大野中学校(現:福井県立大野高等学校)の思い出を語る中で、次のように述べている。
「自分は此亀山に登って、先ず今後の教育指導の大方針を練って見た。此閑寂な田舎町、伝統的旧習の多い事であろう其良習美俗は飽くまで維持し助長すると同時に、最新の帝都文化の美点長所を移植して見やう。即ち剛健質実、勤倹力行の輪郭に最も進歩的な積極的な文化の程度と施設とを与ふる事にしやう。又狭い所だけに感化力刺激性は偉大であるから、一挙手一投足も粗末にせず、勉めて人格の涵養、品性の陶冶に主力を注ぐ事に致さう。秀才教育よりも偉大な平凡主義を採らう等々、種々なる指導精神が浮んで来た。…自分が烏滸がましくも、偉大な平凡主義を考察し始めてから一年程たった或日、福井新聞の投書欄に次のような学校短評が出た。「福井中学生[注 3]は悧巧だ、武生中学生[注 4]は乱暴だ、大野中学生はウスノロだ」と云うのであった。自分は此ウスノロを頗る興味ある事に感じ、又平凡主義を発表するに絶好の機会と思ひ、右の投書を切っかけに全校生を集めて我が平凡主義を大に説明し大に強調した次第であった。爾来校外にて講演を頼まるる場合には、ウスノロジー主義と云ふ演題を掲げて平凡主義や大器晩成論、鈍重成功談などを振り廻す様になり、目から鼻に脱けると云ふ横浜に来てからも、大都市青年の軽佻浮薄、才走った小悧口さ、度胸と意欲とに缺けた点を警醒するため、折々此ウスノロジー主義を宣伝した事もあった。」 — 『福井県立大野高等学校八十年史』より
創立当初、初代校長・瀧澤又市の方針により野球が禁じられ、テニスやフットボール(ア式フットボール、サッカー)が正科に採り入れられた[4][注 5]。現在は野球部もある。
(沿革節の主要な出典は公式サイト[5])
初代校長・瀧澤又市が説いた「大平凡主義」をバックボーンに、以下10項目の教育目標が設定されている[17]。
本校教諭の山本茂が作詞、本校教諭でヴァイオリニストの高城重之作曲、高木東六・佐々木英治・石渡日出夫が編曲した。冒頭の「美なりや翠嵐/煙波の港」から、1919年(大正8年)創設の同窓会組織は「翠嵐会」と命名され、1950年(昭和25年)には校名も「横浜翠嵐」となった。かつては2番まであったが、現在は1番のみ歌われる。また1番末尾の歌詞も、かつては「そこに尚武の旗風しるく/そこに勤倹の実をこそ結べ」であったが、現在は「そこに平和の旗風しるく/そこに文化の実をこそ結べ」に変更されている[18]。
桜の花に朝日が射した「桜花旭光」の意匠。初代校長の瀧澤又市が、以前に教諭として勤めた東京府立第三中学校(現:東京都立両国高等学校・附属中学校)の校風を好んだため、同じ図案の校章を採用した[3]。
所在地 | 割合 (%) | 在籍者数 |
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横浜市 | 64.5 | 1309 |
川崎市 | 18.4 | 373 |
藤沢市 | 3.0 | 60 |
相模原市 | 2.6 | 52 |
横須賀市 | 2.5 | 51 |
鎌倉市 | 1.8 | 36 |
大和市 | 1.1 | 23 |
茅ケ崎市 | 1.1 | 23 |
海老名市 | 0.9 | 18 |
厚木市 | 0.8 | 16 |
座間市 | 0.7 | 14 |
逗子市 | 0.6 | 12 |
小田原市 | 0.5 | 11 |
平塚市 | 0.3 | 7 |
秦野市 | 0.3 | 7 |
綾瀬市 | 0.3 | 6 |
伊勢原市 | 0.1 | 3 |
その他 | 0.4 | 9 |
全日制は95分授業をベース(一部で45分授業も組み込まれる)とし、週35時間の授業を確保している。
定時制は自校方式3修制を行い、校内の授業で3年でも卒業できるシステムを取り入れている。
2022年度は、東京大学に52名(現役44名)の合格者を輩出した。これは公立校の中では東京都立日比谷高等学校に次ぐ2位である。東京大学以外の国立大学では、京都大学に6名、一橋大学に13名、東京工業大学に12名のほか、東大・京大を除く旧帝国大学に計26名、地元の横浜国立大学に33名を輩出している(国公立医学部は計25名)。私立大学では、早稲田大学に142名、慶應義塾大学に136名、上智大学に33名など[21]。
行事が盛んであり、9月の終わりの体育祭も3年主体で行われる。
ここでは全日制に置かれている33の部活動および4の同好会に加え、有志による参加により活動している2つの委員会も記述する[22]。一部の部活動・同好会では、非公式ながら生徒が「YS〇〇」等の独自の略称を設定しているものもある(ダンス部=YSDC (Yokohama Suiran Dance Club) など)。
学区撤廃以前は「横浜東部学区」(1981-2004年度/以下各校)に属していた。旧学区については神奈川県高等学校の通学区域を参照。
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