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『本朝文粋』(ほんちょうもんずい)は、平安時代後期に編まれた漢詩文集[1]。全14巻[1]。藤原明衡撰[1]。嵯峨天皇から後一条天皇までの時代に生きた68人の漢詩文427編を収める[1]。書名は宋の姚鉉(ようげん)が編んだ『唐文粋』に依ったものと見られる[1]。読み方は「ぶんすい」とする書物もあるが、「もんずい」と呼ぶのが一般的である[1]。
公的な文章が漢文で書かれた平安時代において、文章作成の上で模範となる文章を編纂することを目的とした書物である[1]。作品は賦、雑詩、詔、勅書、勅答、位記、勅符、官符、意見封事、策問、対冊、論奏、表、奏状、書状、序、詞、行、文、讃、論、銘、記、伝、牒、祝、起請、奉行、禁制、怠状、落書、祭文、呪願、表白、発願、知識、廻文、願文、諷誦文の39種類に分類されている[1]。分類は『文選』に倣ったものであるが、日本独自の仏教関連の願文や文章・和歌等もあり、日本の社会情勢に適したものに改めようとした意図が感じられる[1]。収録作品の多くは四六駢儷文の美文調である[1]。
本書には多くの公文書が使用されている点から、編者の藤原明衡が文章博士や東宮博士の要職に就いた晩年期の編纂と考えられ、成立年代は康平年間(1058-1065年)と推定されている[1]。
主な作者は、大江匡衡・大江朝綱・菅原文時・紀長谷雄・菅原道真・源順・大江以言・兼明親王・都良香・紀斉名などで、菅原家・大江家の人物が多い[1]。特に賦の兼明親王「菟裘賦」[注釈 1]、慶滋保胤「池亭記」や三善清行「意見十二箇条」、羅泰「鉄槌伝」[注釈 2]などはよく知られた[1]。
本作品には公文書を含めてあらゆる文例が含まれている事から、後世の文学にも大きな影響を与えた[1]。例えば、『本朝続文粋(ほんちょうぞくもんずい)』は『本朝文粋』の続編にあたる漢詩文集で、後一条天皇から崇徳天皇までの時代の作品約230編を集めている(全13巻。成立は平安末期の保延6年(1140年)以降。藤原季綱の編とも言われるが未詳)。江戸時代に至り、駢儷文が否定されるようになると省みられなくなった[要出典]。
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