大江時棟

平安時代中期の貴族。正五位下・河内守 ウィキペディアから

大江 時棟(おおえ の ときむね、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族、文人。式部大輔大江匡衡の養子。官位正五位下河内守

経歴

文章生を経て大学允に任官。長徳3年(997年)、省試に一旦及第が決定するも、紀斉名漢詩に対して瑕疵ありとして落第させた。これにより、時棟の養父であった大江匡衡紀斉名の間に省試論争が起った[1]

一条朝中期の寛弘元年(1004年)権少外記に任ぜられると、寛弘2年(1005年)外記、寛弘4年(1007年)大外記と外記局で昇任し、寛弘5年(1008年巡爵により従五位下讃岐介に叙任され、地方官に転じた。

寛弘9年(1012年)に安房守となった。

寛仁4年(1020年出羽守となり[2]、翌年赴任した[3]寛仁4年正月28日、除目で筥文を取る際、文室清忠の冠に時棟の笏が当たり清忠の冠が落ちてしまうということがあった[4]万寿元年(1024年)、藤原頼通藤原教通藤原実資らに馬や胡簶・矢を献上した[5]。「任終の年」には、頼通の屋敷におり、「上下奇しむ所」であったという[6]

その後、大学頭を務め、長元4年(1031年)その能治に依り正五位下に至る[7]後冷泉朝永承3年(1048年)ごろ河内守を務めた。

官歴

注記のないものは『外記補任』による。

系譜

「大江氏系図」(『続群書類従』巻第176所収)による。

  • 養父:大江匡衡
  • 生母不詳の子女
    • 男子:大江経成
    • 男子:大江安成
    • 男子:大江成家

脚注

参考文献

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