成蹊大学
東京都武蔵野市にある私立大学 ウィキペディアから
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成蹊大学(せいけいだいがく、英語: Seikei University)は、東京都武蔵野市吉祥寺北町三丁目3番1号に本部を置く日本の私立大学。1925年創立、1949年大学設置。大学の略称は成蹊(せいけい)。
明治、大正期の教育者・中村春二が、高師附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)旧制高等学校を起源とする。東京四大学(成蹊大学、学習院大学、武蔵大学、成城大学)の一校である。岩崎小弥太と今村繁三の協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっており、その後、成蹊実務学校、旧制成蹊高等学校を経て1949年(昭和24年)に新制大学となる。第二次世界大戦前は三菱財閥との繋がりが非常に強く、運営費用の大部分は三菱からの寄付で賄われていた。また1917年(大正6年)開設の成蹊実業専門学校は三菱合資会社の要請によるものであり、実業界、特に三菱での中核となる人材の育成を目的としていた。戦後は小弥太の死や財閥解体をうけて繋がりは弱まったものの、現在でも理事長以下、理事に三菱グループ各社の役員が名を連ねており、三菱グループが大学の経営に深く関わっている。成蹊学園初代理事長・岩崎小弥太以来、三菱金曜会のトップが成蹊学園理事長を務めており、現理事長には佃和夫に代わり、小林健(三菱商事会長)が就任している。
卒業生として石田衣良・井上荒野・桐野夏生・小池真理子などの直木賞・芥川賞作家を輩出している。
良家の子弟が多いとされるが、開塾当初は「俊才でありながら貧窮家庭である者」を塾生に選び、支援する事を理念としていた。その教育が評判となるにつれ、良家や名家からの入塾希望も相次ぐようになったという経緯がある。
大阪成蹊大学やびわこ成蹊スポーツ大学を運営する学校法人大阪成蹊学園とは、学園名(「成蹊」)の由来が同じというだけで、一切無関係である。
「成蹊」の名は、司馬遷が「史記」(李将軍列伝)で引用した諺「桃李不言下自成蹊」に由来する。意味は、「桃や李(すもも)は、口に出してものを言うわけではないが、美しい花やおいしい実があるから自然と人がやって来て、そこに小道(蹊)ができる。つまり、桃や李は、人格のある人のたとえで、そういう徳のある人には、その徳を慕って人々が集まってくる。」ということ。
任期 | 氏名 | 主な役職 |
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1925年11月 - 1945年12月 | 岩崎小弥太[3] | 三菱財閥4代目総帥 |
1945年12月 - 1947年 2月 | 山室宗文[3] | 1946年1月まで理事長職代行 |
1947年 2月 - 1964年 6月 | 石黒俊夫[4] | 三菱地所会長 |
1964年 6月 - 1964年 9月 | 岡野保次郎[3] | 理事長職代行 |
1964年 9月 - 1978年 4月 | 小笠原光雄[5] | 三菱銀行頭取 |
1978年 4月 - 1992年12月 | 古賀繁一[5] | 三菱重工業社長・会長 |
1992年12月 - 1993年 2月 | 三橋啓了[3] | 理事長職代行 |
1993年 2月 - 2002年 2月 | 飯田庸太郎[6] | 三菱重工業社長・会長 |
2002年 2月 - 2009年 3月 | 岸暁[7] | 東京三菱銀行頭取・会長 |
2009年 3月 - 2021年 3月 | 佃和夫[8] | 三菱重工業社長・会長 |
2021年 4月 - 現在 | 小林健[8] | 三菱商事16代目社長・会長 |
「個性を持った自立的な人間の創造」
2010年度より、文理の枠を越えた幅広い教養と確かな英語力の修得を目指す、全学部共通の教養教育「成蹊教養カリキュラム」を導入した。特色は、以下の通りである。
2013年春より、3年生及び大学院1年生を対象に、ビジネスの中心地である丸の内を舞台とした産学連携によるキャリア教育プロジェクト「丸の内ビジネス研修(MBT: Marunouchi Business Training)」を実施している。自ら課題を発見し、解決できる人材の育成を目的として掲げ、半年を超える期間をかけて行う新しい形の人材育成プログラムとなっている。協力企業での1、2週間のインターンシップ実習や、企業担当者の指導のもと、課題に取り組み、討論や発表を行う。
協力企業は、成蹊と縁の深い三菱グループの企業が中心となっている。2013年度は21社、2014年度は23社がプログラムに参加している。業界は多岐にわたっており、金融や商社・不動産・重工業・鉄鋼・非鉄・自動車などいずれも大手企業で、三菱UFJフィナンシャル・グループや三菱商事、三菱電機、三菱地所など多数。
全学的な公募プログラムであり、3月に募集を開始し、4月上旬の1次(書類)選考と2次(面接)選考を経て、4月中旬から研修を始める。2014年度は3年生・修士1年生約200人の応募があり、合格したのは35人で、倍率は約6倍となっている[9]。
詳しくは、丸の内ビジネス研修(MBT) を参照。
日露戦争が近づくなか、母校の中学校で教鞭をとっていた中村春二は、日本の教育が人間の個性を無視した画一的教育に陥っている現実に直面する。また当時は資本主義の発展により貧富の差が拡大しており、高等教育に進めるのは有産階級の子弟ばかりであった。この現状を憂えた中村は、貧窮家庭の俊才を集め、自由な立場での真の人間教育を行うため、1906年(明治39年)、自宅に私塾「成蹊園」を開設した。塾生わずか3人であった。一方、ケンブリッジ大学で英国教育に触れ、個性と自由を尊重した教育の重要性を痛感していた岩崎小弥太と今村繁三は、中村の理想に共鳴し、有形無形の援助を行うようになる。
社会主義者による大逆事件が起こり、資本家の間に窮民救済の動きが活発になるなか、中村は恵まれぬ家庭の子を対象にした無月謝の学校を作る事こそ本道であると主張した。岩崎と今村の援助を得て、1912年(明治45年)、池袋に成蹊実務学校を開設した。無月謝、全寮制、少人数制を特色とし、中村は恵まれぬ境遇の子弟に進学の道を開き、英才教育を施す事によって埋もれた人材を発掘しようとした。1914年(大正3年)に(旧制)成蹊中学校を開設した。その後成蹊小学校、成蹊女学校、成蹊実業専門学校を開設し、1919年(大正8年)に財団法人成蹊学園が設立された。1924年(大正13年)に中村が死去した。岩崎と今村が遺志を継ぎ、学園運営に尽力する。池袋から吉祥寺に移転し、1925年(大正14年)、英国パブリックスクールに範を取った(旧制)成蹊高等学校を開設した。戦後の学制改革を経て、(新制)成蹊中学校、成蹊高等学校が誕生し、1949年(昭和24年)、成蹊大学が開学した。
成蹊学園は、中村春二が私塾を開いた1906年ではなく、池袋に成蹊として初めての学校となる成蹊実務学校の設立を創立の起点としている。そのため、2012年をもって創立100周年と数えている。学園創立の淵源は6年前の1906年、東京市本郷区西片町に設立した私塾となる。
年表 | 沿革 |
---|---|
1906年 | 中村春二、東京市本郷区西片町の自宅に学生塾を開設(1907年に成蹊園と命名し、1919年まで) |
1912年 | 成蹊実務学校を池袋に創立(1927年まで)、現在の豊島区立元池袋史跡公園にその碑がある |
1914年 | 旧制成蹊中学校を池袋に創設(1929年まで) |
1915年 | 成蹊小学校を池袋に創設 |
1917年 | 成蹊実業専門学校を池袋に創設(1925年まで) 成蹊女学校を目白に創設(1921年まで) |
1919年 | 初等教育・高等普通教育・専門教育を目的とする「財団法人成蹊学園」を設立 |
1921年 | 成蹊高等女学校創設(1956年まで) |
1924年 | 創立者・中村春二死去(2月21日)享年46 小学校・中学校・実務学校・実業専門学校を池袋から吉祥寺へ移転 新校舎「本館」完成(現在の成蹊学園本館) |
1925年 | 旧制成蹊高等学校創設、旧制高等学校では数少ない七年制を採用する(1950年まで) |
1927年 | 校歌「成蹊の歌」制定(志田義秀 作詞、信時潔 作曲) |
1937年 | 学園各校卒業生が同窓会「成蹊会」結成 |
1942年 | 現・成蹊気象観測所が、東京管区気象台より「吉祥寺観測所」の名称で補助観測所に指定(1976年まで) |
1945年 | 初代理事長・岩崎小弥太死去(12月2日)享年67 |
1947年 | 新制成蹊中学校創設 |
1948年 | 新制成蹊高等学校創設 |
1949年 | 学制改革に伴い、旧制成蹊高等学校を改組して成蹊大学創設(政治経済学部を設置) |
1950年 | 東京四大学(成蹊大学、学習院大学、成城大学、武蔵大学)の、対抗運動競技大会開始。 |
1951年 | 財団法人成蹊学園を「学校法人成蹊学園」に改組 現・成蹊気象観測所が中央気象台からモデル気象観測所に認定 |
1952年 | 政治経済学部に医歯学進学課程(プレメディカルコース)を設置(1964年に廃止) |
1956年 | 学園創設に寄与した今村繁三死去(4月19日)享年80 |
1959年 | 成蹊気象観測所設置 |
1962年 | 大学工学部を設置 |
1965年 | 大学文学部を設置 |
1966年 | 大学院工学研究科を設置 |
1968年 | 政治経済学部を改組し、経済学部および法学部を設置 |
1970年 | 大学院経済学研究科、法学研究科を設置 |
1971年 | 成蹊学園欅並木が武蔵野市の文化財(天然記念物)に指定 大学院文学研究科を設置 |
1972年 | 大学院経営学研究科を設置 大学院法学研究科を法学政治学研究科と改称 |
1978年 | 学園祭「成蹊桜祭」開始 |
1981年 | 大学情報処理センター(2002年まで)、アジア太平洋研究センターを設置 |
1982年 | 成蹊学園欅並木が都民の日制定30周年記念として「新東京百景」に選ばれる |
1988年 | 学園史料館設置 |
1993年 | 国際交流センターを設置 |
1996年 | 成蹊学園欅並木が環境庁(現・環境省)の残したい「日本の音風景100選」に認定 |
1999年 | 学園情報センター設置(2002年、大学情報処理センターを統合) |
2000年 | 文学部文化学科を改組し、文学部国際文化学科と文学部現代社会学科を設置 |
2001年 | 工学部経営工学科を工学部経営・情報工学科に改称 |
2002年 | 理工学部実験実習棟(大学14号館)が完成 |
2004年 | 大学院法務研究科(法科大学院)を設置 経済学部経済学科と経済学部経営学科を統合し、経済学部経済経営学科を設置 国際交流センターを改組し、国際教育センターを設置 |
2005年 | 工学部機械工学科、電気電子工学科、応用化学科、経営・情報工学科、物理情報工学科の工学部5学科を理工学部3学科に改組し、 理工学部物質生命理工学科、情報科学科、エレクトロメカニクス学科を設置 |
2006年 | 「情報図書館(インテリジェント・ライブラリー)」という新機軸の位置づけによる大学図書館が開館 |
2007年 | 大学院経済学研究科と経営学研究科を統合し、大学院経済経営研究科を設置 成蹊学園三菱留学生奨学基金創設 大学1・2号館改修 |
2009年 | 大学院工学研究科を改組し、理工学研究科を設置 成蹊学園本館を改修、400m競技場・ラグビー場を人工芝の全天候対応トラックに改修(けやきグラウンドと命名) |
2010年 | 大学に「成蹊教養カリキュラム」を導入 学園情報センターを改組し、情報センター設置 |
2012年 | 理工学部エレクトロメカニクス学科を理工学部システムデザイン学科に名称変更 成蹊学園創立100周年 |
2014年 | 大学新6号館が完成 学生会館を改修 |
2019年 | 文学部英米文学科を文学部英語英米文学科に改称 |
2020年 | 経済学部経済経営学科を2学部3学科に改組し、経済学部経済数理学科、経済学部現代経済学科、経営学部総合経営学科を設置 副専攻制度スタート |
2022年 | 理工学部物質生命理工学科、情報科学科、システムデザイン学科の理工学部3学科を理工学部1学科5専攻に改組し、 理工学部理工学科データ数理専攻、コンピュータ科学専攻、機械システム専攻、電気電子専攻、応用化学専攻を設置 |
2024年 | 理工学部エリア(大学11号館・12号館・13号館)を再開発し、大学新11号館が完成予定 |
2020年4月から副専攻制度がスタートし、所属学科の専門分野以外に自分の興味・関心がある分野を学習できる(名称や科目名等は計画中で、変更の場合もあり)[10]。
課外活動を行う団体は、体育会加盟団体、文化会加盟団体、サークルに分かれている。
成蹊大学陸上競技部公式HP https://seikei-univ-track-and-field.jimdosite.com/
学園祭は、「欅祭」(けやきさい)という名称で11月後半に開催される。宮瀬茉祐子などアナウンサーを生み出している「ミス成蹊コンテスト」や、毎年有名人が出演するトークショーが代表的な出し物。2007年度にはお笑いコンビのますだおかだのトークショーが、2008年度には倉田真由美と、本校の卒業生である石田衣良とによる対談が行われた。また本学園祭は全学生が集う数少ないイベントであるため各学生団体による飲食物販売も盛んで、焼きそばや焼き鳥のような定番食品から、天ぷらの中にアイスクリームを封入した「アイス天ぷら」や、校章にも模られている桃を模した饅頭の「ももくりまん」など独創的なものまで、多岐にわたる食品が調理・販売されている。
春には毎年4月の第1日曜日に、学園祭とは違う「桜祭」という成蹊会(同窓会)主催のイベントがある。卒業生・学生・生徒・児童、保護者、武蔵野市民がキャンパスに集って、桜並木の下で交流を図り、親睦を深める。在校生及び卒業生が出店を出し、さまざまなイベントが行われる。
1960年に学内体育祭として開催された。通称は「学陸」と呼ばれ、毎年5月に、成蹊学園内にある「けやきグラウンド(400m競技場)」で体育会本部主催によって行われる。100m走、4×100mリレー、8×200mリレー、1500m走、走り幅跳び、走り高跳びなどのトラック・フィールド種目の陸上競技だけでなく、障害物競走、綱引きも行われる。成蹊の学生・教職員であれば誰でも参加でき、体育会や文化会クラブ・サークル・ゼミ・研究室・クラスなどの団体が様々な形で参加して行われる。陸上競技部は本職のため出場はせず、運営という形で携わる。「体育会男子の部」「体育会女子の部」「一般男子の部」「一般女子の部」「ゼミ・研究室」の部門にわかれて競われ、総合優勝を決定する。
1969年から開催されているイベントで、正式名称は学内競漕大会で、通称が成蹊レガッタ。毎年6月下旬に埼玉県戸田市の戸田公園にある戸田オリンピックボートコースを会場として、クラブ・サークル・ゼミ・研究室・クラスなどから約150の団体が参加する。5人1組のチームを結成すれば参加でき、そこに漕艇部員が1名乗艇する。レースは、ナックルフォアというタイプの艇で行われる。また、陸上トレーニング用シミュレーター(エルゴメーター)でタイムを競う「エルゴメーターレース」も開催されるので、応援などで来場した人も楽しむことができる。
1950年から毎年続いている伝統のイベントで、旧制高校を前身としている学習院大学・成城大学・武蔵大学の東京四大学対抗による四大学運動競技大会(通称、四大戦)が行われている。主催は各大学の体育会学生団体(成蹊の場合は体育会本部)で、会場校の団体の中に「四大戦実行委員会」が設置される。試合会場は四大学が毎年交代して持ち回りで会場校となり、2011年は成蹊大学で行われ、2012年は武蔵大学、2013年は成城大学、2014年は学習院大学が会場となる。毎年春頃から順次競技(2月頃にスキー競技)を行い、10月の本大会(数日間)で集中して競技を開催する。体育会各団体による正式種目(部によっては日程は別)、誰でも参加できる一般種目(野球、バスケ、テニス、バレーボールなど)、教職員種目の3部門で競われ、さらに正式種目と一般種目の合計得点で総合優勝を決定する。これとは別に、団体得点に関係しないオープン種目がある。なお、一般種目は、体育会の学生も所属部と異なる種目であれば参加できる。2003年は成蹊大学が24年ぶりに総合優勝した。各一般サークルは四大戦を最大目標とする団体が多く、盛り上がりをみせる。
※成蹊学園キャンパスは、2011年度グッドデザイン賞(土木・環境整備・地域開発・都市デザイン)を受賞した。
成蹊学園が池袋から吉祥寺に移転した後、1924年(大正13年)に植樹された欅並木で、樹齢は100年を超える[12]。ケヤキ並木は、五日市街道から本館まで、さらに学園正門から中学・高校に至る道筋の約600メートルに100本以上が植樹されている[12][13]。成蹊学園のケヤキ並木は、以下の3つに選定・指定されている。
2017年には「けやき循環プロジェクト」を開始し、1日の2トンにもなる落ち葉を資源とし、サステナビリティー(持続可能性)教育の場として活用されている[12][14]。
成蹊学園の約27万平方メートルの敷地のうち、成蹊大学・大学院の敷地が約18万平方メートルとなっている。小学校から大学院までワンキャンパスで過ごす。野球・サッカー・ラグビー・陸上競技・ハンドボール等の専用グラウンドを同じ敷地に保有している。
※千葉県館山市波左間にあった「波左間寮」は2002年9月30日をもって、長野県山ノ内町平穏にあった「志賀高原寮」は2002年7月31日をもって閉寮となった。
当時の学園内には同じ様式の洋館が合計4棟建てられた。旧制高等学校の成蹊4寮といわれた静専寮(現・小学校の南側)、守之寮(現・第一職員住宅の位置)、操要寮(現・西部室の位置)、有定寮(現・西部室西側)で、後に操要寮は牽引され保健管理センターとして使用されたが、老朽化のため2000年に解体された。[17]
詳しくは、留学・協定校一覧 を参照。
など40以上の大学。
ダイヤモンド社の2006年年9月23日発行のビジネス誌「週刊ダイヤモンド」94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[22][23][24])で、同大学は、2006年時点で存在する744大学[25]中第22位[26]にランキングされた。
学校法人成蹊学園の設置する諸教育機関は大学附属ではなく、系列教育機関という位置付けであるため、この欄にまとめた。
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