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日本の俳優 ウィキペディアから
堀内 正美(ほりうち まさみ、1950年3月22日[1] - )は、日本の俳優。本名は堀内 まさみ[1]。
東京都[1][2]世田谷区出身。兵庫県神戸市在住。桐蔭学園高等学校、桐朋学園芸術短期大学卒業。出海企画[3]、石渕事務所[1]、オフィスAMI、ブルーベアハウスを経て、アティチュード所属。
父は映画監督の堀内甲[4]。叔父は日本におけるモダンバレエの創始者、堀内完。いとこには、セントルイスバレエ団のオーナーで芸術監督の堀内元、ユニーク・バレエシアター芸術監督の堀内充・堀内かおり・陶芸作家の服部牧子がいる。[5]。
新宿アートシアターで上演されていた清水邦夫作・蜷川幸雄演出の『心情あふるる軽薄さ』に衝撃を受け、舞台演出志望となる。
桐朋学園芸術短期大学では、千田是也・清水邦夫・蜷川幸雄に師事。劇作・演出を学ぶが、在学中にTBSのプロデューサーにスカウトされ、1973年金曜ドラマ『わが愛』で俳優デビュー。
1974年、『鳩子の海』でヒロインの憧れの人を演じ、全国に名を知られる。
その後、実相寺昭雄監督と出会い、個性的な役柄を次々と演じるようになる(実相寺が亡くなるまで、たびたび作品に出演していた)。
若い頃はナイーブな青年役に持ち味を発揮していたが、以降、乱心する公家役・エキセントリックな黒幕的役柄を中心に、特撮作品や時代劇にも多く出演。堀内に影響を与えた先輩俳優は、山﨑努・芦田伸介・森繁久彌・勝新太郎・岸田森・藤岡琢也らがいる。
1995年の阪神・淡路大震災の後には、神戸市民の合言葉「がんばろう!!神戸」を提唱。あわせて、市民ボランティア団体「がんばろう!!神戸」を結成、避難所・仮設住宅・復興住宅で被災者支援活動を展開する。
2002年7月、震災だけでなく事件・事故の遺族も参加する認定特定非営利活動法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」を設立。2015年まで理事を務めた。神戸市役所南隣りの東遊園地にある、慰霊と復興のモニュメントゾーンに建立された「1・17希望の灯り」の碑文は堀内が書いたもの。
全国各地で「震災から学んだこと」「市民活動について」「まちづくり」「生と死」「子育て」など関連する講演活動をおこなっている。
2004年にはイベント限定で「堀内正美フィギュア」が発売された。企画は玩具プロデューサーの安斎レオが、原型制作は似顔フィギュアの造形家・寒河江弘が手掛けた。
また社会貢献活動では自らの阪神淡路地震の経験を生かし、関西の被災者から東日本大震災で被災した人たちへ「義援基金ではなく、救援物資とメッセージを送ることで被災地を助けよう」という趣旨で「たすきプロジェクト」を立ち上げた[6][出典無効]。
2023年にアティチュードに移籍した。
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