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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
久保 利明(くぼ としあき、1975年8月27日 - )は、将棋棋士。棋士番号は207。淡路仁茂九段門下。兵庫県加古川市出身。県立加古川南高校中退[1]。日本将棋連盟棋士会副会長(2015年6月 - )。
1986年の小学生将棋名人戦でベスト4進出(準決勝で優勝者の鈴木大介に敗れる)。同年奨励会に入会。
1993年4月、17歳で四段に昇段(プロ入り)。その後、10年をかけて2003年にA級八段となる。1994年度には、全棋士中1位、歴代6位(当時)の勝率0.8095(34勝8敗)をマーク。1997年度にはオールスター勝ち抜き戦で6連勝し、棋戦初優勝[注 1]。
定員7名・残留4名という棋界随一の難関・王将リーグ(王将戦挑戦者決定リーグ)に、第49期(1999年度)に初参加。第49期では陥落するも、翌年第50期に即復帰。以降第59期(2009年度)まで陥落することなく連続残留している[注 2]。
関西奨励会出身であるが、プロ入り後しばらくは関東に所属していた。2006年4月に関西へ戻り、当時「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際、「もう関東へ行くことはない」と述べた。
2007年度まで4度タイトル挑戦者となったが、すべて羽生善治が相手であった。また、羽生にとって節目となる対局の相手が、奇しくも久保であるという巡り合わせもあった。
△佐藤康光棋王 持駒:なし
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プロ16年目を迎え、33歳となる2008年度は、久保にとって特別な年となる。
5月13日、棋聖戦挑戦者決定戦で羽生に敗れる。しかし、3日後の5月16日、竜王ランキング戦2組準決勝で屋敷伸之に勝利して初の1組昇級を決める。
2009年2月14日、第2回朝日杯将棋オープン戦では、決勝で阿久津主税に敗れ、2度目の全棋士参加棋戦優勝を逃す。
しかし、第34期棋王戦は、挑戦者決定トーナメントで羽生らを倒し、一度は木村一基に敗れるも敗者復活で勝ち上がって、佐藤康光棋王への挑戦権を得る。これは羽生以外の棋士と戦う初のタイトル戦となった。五番勝負は出だし2連勝の後に2連敗したが、最終第5局(2009年3月30日)で勝ち、初タイトル・棋王を獲得。関西所属の棋士のタイトル在位は、2004年度(2005年)に谷川浩司が同じ棋王位を失って以来である。また、2008年度の49勝、73対局は、全棋士中1位の成績であった。これらの活躍により、将棋大賞の敢闘賞、最多勝利賞、最多対局賞、升田幸三賞を受賞[注 5]。
升田賞の対象となったのは、棋王戦の第2局で石田流の出だしから指した新手である(右図参照、11手目▲7五飛)。タイトル戦の舞台で初披露したことでも話題となった。ちなみに、この一局は開始から僅か三十数手で終盤に突入するという乱戦で、57手で久保の勝ちとなっている。
第59期王将戦で羽生に挑戦。その七番勝負第2局と第3局の間に、第68期順位戦B級1組(2010年2月8日、対豊川孝弘戦)で9勝目を挙げ、最終局を待たずA級復帰を決めた。また、第3局と第4局の間の2010年2月13日には、第3回朝日杯オープン戦の準決勝と決勝を戦うが、決勝で羽生に敗れて2年連続準優勝。しかし、3月16日 - 17日の王将戦第6局を制し、4勝2敗で王将を奪取。5度目の挑戦でついに羽生の壁を越えた。これで、関西所属棋士としては谷川浩司(2004年度に王位・棋王の二冠から王位失冠)以来5年半ぶりとなる二冠王となり、振り飛車党が二冠王となるのは大山康晴以来、37年ぶりである。
しかしながら、王将戦と並行して、前年と同じく佐藤康光と戦っていた棋王戦の防衛戦(第35期棋王戦五番勝負)では、王将戦終了の時点で1勝2敗の角番に追い込まれていた。第4局は王将奪取から僅か2日後の3月19日。これに負けると、1990年度の南芳一のケース[注 6]よりもさらに短い‘2日間だけの二冠’という珍事になるところであったが、勝利してしのぐ。そして2010年3月30日、大阪市福島区・関西将棋会館において行われた棋王戦最終第5局で、終盤戦の長い190手の熱戦の末に佐藤に競り勝ち、1年後まで二冠に在位し続けることとなった。タイトル初防衛でもある。また、昇段規定の「タイトル獲得3期」に該当したことにより同日付で九段に昇段した。この棋王戦第5局は、翌日行われた将棋大賞の選考で名局賞に選ばれ、また、2009年度の成績が高く評価され、優秀棋士賞も初受賞した。
第4回「ネット将棋・最強戦」の決勝(2010年8月22日)で森内俊之を破り、タイトル戦以外では6年半ぶりの優勝。第60期(2010年度)王将戦では豊島将之を4勝2敗で、第36期(2010年度)棋王戦では渡辺明を3勝1敗で退け二冠を堅持。初タイトルから3年目にして通算タイトル獲得数を5期とした。また、2年連続で将棋大賞の優秀棋士賞を受賞した。
2012年3月2日、第70期順位戦において、A級で2勝7敗となり、B級1組への降級が決まる。タイトル2冠の棋士が降級するのは、史上初[2]。
3月9日には角番に追い込まれていた第61期王将戦で佐藤康光九段に敗れて1勝4敗となり、王将を佐藤に奪われた(これが初のタイトル失冠でもあった)[3]。さらに、第37期棋王戦で第4局(2012年3月17日)で郷田真隆九段に敗れ、1勝3敗で失冠し[4]、無冠となる。2012年3月の1ヶ月だけで、A級からB級1組への降級、二冠から無冠への後退を経験する。
第33回将棋日本シリーズでは、決勝(2012年11月18日)で羽生善治三冠を破り、同大会3度目の決勝進出で初優勝を飾る。翌年の第34回将棋日本シリーズでも、決勝で羽生を破り、2連覇を達成した。
2013年1月10日、第71期順位戦B級1組11回戦で畠山鎮七段に勝利し8勝2敗となり2局残して、A級復帰するとともに、通算600勝となり将棋栄誉賞を達成する。第73期順位戦A級(2014年度)では、渡辺明、広瀬章人、久保利明、行方尚史が、共に6勝3敗で並びプレーオフへ進出し、広瀬、渡辺明を連破したが、行方に敗れて名人への挑戦権を得られなかった。 第74期順位戦A級(2015年度)では、2勝7敗でA級からB級1組へ降級となった。
2016年7月26日、竜王戦決勝トーナメントで三浦弘行が31分間離席したという誤った認識を元に、7月29日の関西月例報告会において、対局中に電子機器を使う不正を規制すべきと提言。12時に約30分間も離席したことから、不審に思い、会館内を探したが見つからず、指し手と将棋ソフトが示す指し手が 一致したと東常務理事に報告した。谷川会長にも報告した。10月10日、島常務理事の自宅会合で、7月26日の対局での疑惑について前記の誤った認識を元に説明した[5]。
第66期(2016年度)王将戦の挑戦者決定リーグ戦で1位となり、郷田真隆王将への挑戦権を獲得した。七番勝負は4勝2敗で久保が制し、6期ぶりに王将位に返り咲いた[6][出典無効]。
2017年2月16日、第75期順位戦B級1組で8勝3敗となり、13回戦を残しA級への復帰が決定した。
2017年度は、第25期銀河戦の決勝で、羽生善治に勝利し優勝。第76期順位戦A級では、最終局前時点で豊島将之と共に6勝3敗の成績トップであったが、最終局で久保と豊島がどちらも敗れたことにより、6勝4敗で並んだ6人(豊島将之、久保利明、佐藤康光、広瀬章人、羽生善治、稲葉陽)による挑戦者決定プレーオフとなった。プレーオフでは豊島に敗れ、名人への挑戦権は得られなかった。第67期王将戦では、2018年3月15日に行われた七番勝負第6局で挑戦者の豊島将之を下し、4勝2敗で王将位を防衛した(連覇、通算4期)。
2018年度、第68期王将戦では渡辺明の挑戦を受け、0勝4敗のストレート負けでタイトルを失冠した。
2019年度、第78期順位戦A級では最終成績2勝7敗となり、B級1組へ降級した。
2020年度、第68期王座戦では挑戦者決定戦で渡辺明を破り、13年ぶり3度目となる挑戦権を獲得した。永瀬拓矢王座との五番勝負は2勝3敗のフルセットの末、敗退。
竜王戦では、第29期から第34期まで6期連続で決勝トーナメントに進出した。6期連続での進出は歴代一位の記録である。しかし、一度も挑戦権獲得には至らなかった。
2022年度、第63期王位戦で王位リーグに進出したが、白組で2勝3敗で終わり陥落となった。第81期順位戦B級1組では最終成績4勝8敗となり、降級が決定し、来期は23年ぶりにB級2組で戦うことになった。
振り飛車党であり、藤井猛、鈴木大介と共に振り飛車御三家(令和になり振り飛車党総裁とも)と呼ばれる。
また、対抗型を自らの土俵としていることもあり、振り飛車党相手には居飛車側を持って戦うことも多い(いわゆる大山康晴の棋風タイプである。かつては相振り飛車を指していたが、勝率があまりよくなかったため、40代になってから居飛車対抗型を指すようになった)。
「捌いて(さばいて)勝つ」で、駒の軽い捌きを常に重視する棋風であり、「捌きのアーティスト」「カルサバ流」「カルサバ日本一」などの異名を持つ。大野源一の振り飛車を学んだ。
居飛車穴熊に対して後手居玉三間飛車から△9五歩や7三歩を早くに指す藤井システム調の指し方のほか、一連の先手ゴキゲン中飛車、新・石田流超急戦といった角交換振り飛車、また石田流本組みで棒金退治の▲7九銀型など、独特の戦術は久保システムとも称され[7]、そして早石田を蘇らせた棋士の一人でもある。特に対棒金に見せる、桂馬を跳ねるタイミングを遅らせることで飛車の自由な動きを確保する戦術は久保流と呼ばれ、定跡化している。
また、今泉健司の考案した「2手目△3二飛」を発展させるなど、三間飛車へのこだわりが強い。第66期(2016年度)王将戦の七番勝負第2局では、1手目7八飛戦法[注 7]を採用し話題となった。
メンタル面では、タイトルを取った頃から「楽しむ」、「将棋を通じて真剣勝負を楽しむ」をモットーとしている。以前は勝たねばならない、完璧に指さねばならないと自分を追い込んでいたが、プレッシャーを強く感じたり、負けた自分を許せなくなったと言う。「楽しむ」を実践してからは自然体で対局に臨めるようになり、変に肩に力が入りすぎることもなくなった[8]。
「カルサバ流」と呼ばれる一方で形勢が不利になってからの「粘り」にも定評があり、タイトル戦での活躍の原動力となっている[9]。久保は「粘っているのは形勢が悪いからで、ほめられたものじゃない」と説明しながらも、泥臭く、強い人でも狂わされる将棋は好みであると述べている[10]。
(2024年7月8日現在)
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | - | 0 | - | - | |
名人 | - | 0 | - | - | |
王位 | - | 0 | - | - | |
王座 | - | 3回 | - | - | |
棋王 | 2008-2010 | 5回 | 3期 | 3連覇 | |
叡王 | - | 0 | - | - | |
王将 | 2009-2010、2016-2017 | 7回 | 4期 | 2連覇 | |
棋聖 | - | 0 | - | - | |
登場回数15回、獲得合計7期(歴代12位タイ) | |||||
開始 年度 |
順位戦 出典[30] |
竜王戦 出典[31] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1993 | 52 | C254 | 6-4 | 7 | 6組 | -- | 5-1 | |||||||||||
1994 | 53 | C224 | 10-0 | 8 | 5組 | -- | 6-1 | |||||||||||
1995 | 54 | C120 | 6-4 | 9 | 4組 | -- | 3-2 | |||||||||||
1996 | 55 | C106 | 6-4 | 10 | 4組 | -- | 4-2 | |||||||||||
1997 | 56 | C109 | 7-3 | 11 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1998 | 57 | C104 | 6-4 | 12 | 4組 | 0-1 | 5-0 | |||||||||||
1999 | 58 | C110 | 8-2 | 13 | 3組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2000 | 59 | B220 | 9-1 | 14 | 3組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2001 | 60 | B112 | 8-4 | 15 | 3組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2002 | 61 | B104 | 8-3 | 16 | 3組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2003 | 62 | A 09 | 3-6 | 17 | 2組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2004 | 63 | A 08 | 6-3 | 18 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2005 | 64 | A 03 | 3-6 | 19 | 2組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2006 | 65 | A 07 | 4-5 | 20 | 3組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
2007 | 66 | A 07 | 2-7 | 21 | 2組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2008 | 67 | B101 | 6-6 | 22 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2009 | 68 | B105 | 9-3 | 23 | 1組 | 2-2 | 3-1 | |||||||||||
2010 | 69 | A 10 | 4-5 | 24 | 1組 | 3-2 | 3-1 | |||||||||||
2011 | 70 | A 08 | 2-7 | 25 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2012 | 71 | B102 | 10-2 | 26 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2013 | 72 | A 10 | 4-5 | 27 | 2組 | -- | 3-1 | |||||||||||
2014 | 73 | A 08 | 6-3 | 28 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2015 | 74 | A 03 | 2-7 | 29 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2016 | 75 | B102 | 9-3 | 30 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2017 | 76 | A 09 | 6-4 | 31 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2018 | 77 | A 05 | 4-5 | 32 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2019 | 78 | A 06 | 2-7 | 33 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2020 | 79 | B102 | 6-6 | 34 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2021 | 80 | B106 | 4-8 | 35 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2022 | 81 | B110 | 4-8 | 36 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2023 | 82 | B201 | 4-6 | 37 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2024 | 83 | B217 | 38 | 1組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1993 | 36 | 22 | 14 | 0.6111 | [32] |
1994 | 42 | 34 | 8 | 0.8095 | [33] |
1995 | 53 | 37 | 16 | 0.6981 | [34] |
1996 | 51 | 33 | 18 | 0.6471 | [35] |
1997 | 46 | 32 | 14 | 0.6957 | [36] |
1998 | 45 | 28 | 17 | 0.6222 | [37] |
1999 | 56 | 39 | 17 | 0.6964 | [38] |
2000 | 62 | 46 | 16 | 0.7419 | [39] |
1993-2000 (小計) |
391 | 271 | 120 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 51 | 31 | 20 | 0.6078 | [40] |
2002 | 42 | 23 | 19 | 0.5476 | [41] |
2003 | 50 | 30 | 20 | 0.6000 | [42] |
2004 | 40 | 22 | 18 | 0.5500 | [43] |
2005 | 34 | 13 | 21 | 0.3824 | [44] |
2006 | 37 | 23 | 14 | 0.6216 | [45] |
2007 | 54 | 31 | 23 | 0.5741 | [46] |
2008 | 73 | 49 | 24 | 0.6712 | [47] |
2009 | 61 | 41 | 20 | 0.6721 | [48] |
2010 | 41 | 23 | 18 | 0.5610 | [49] |
2001-2010 (小計) |
473 | 286 | 187 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011 | 47 | 21 | 26 | 0.4468 | [50] |
2012 | 42 | 26 | 16 | 0.6190 | [51] |
2013 | 37 | 20 | 17 | 0.5405 | [52] |
2014 | 34 | 19 | 15 | 0.5588 | [53] |
2015 | 42 | 24 | 18 | 0.5714 | [54] |
2016 | 48 | 31 | 17 | 0.6458 | [55] |
2017 | 40 | 24 | 16 | 0.6000 | [56] |
2018 | 39 | 19 | 20 | 0.4872 | [57] |
2019 | 44 | 21 | 23 | 0.4773 | [58] |
2020 | 47 | 27 | 20 | 0.5745 | [59] |
2011-2020 (小計) |
420 | 232 | 188 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021 | 42 | 21 | 21 | 0.5000 | [60] |
2022 | 40 | 19 | 21 | 0.4750 | [61] |
2023 | 35 | 18 | 17 | 0.5143 | [62] |
2021-2023 (小計) |
117 | 58 | 59 | ||
通算 | 1411 | 847 | 564 | 0.6002 | [63] |
2023年度まで |
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