中川区
愛知県名古屋市の行政区 ウィキペディアから
愛知県名古屋市の行政区 ウィキペディアから
中川区(なかがわく)は、愛知県名古屋市にある行政区。名古屋市を構成する16区のうちのひとつで、1937年(昭和12年)10月1日に誕生した。
中川の名は中川運河から。中川区荒子は金沢100万石加賀藩の始祖前田利家の生まれ故郷である。区の西側は市内でも有数の田園地帯が広がっているが、近年になって宅地化が進んだ。庄内川の西に位置する富田地区(旧海部郡富田町)は、1955年(昭和30年)10月1日に名古屋市と合併、中川区に編入された。なお富田地区には富田支所が設置されている(分区問題も参照)。
名古屋市西部に位置し、全域が平坦である。ほとんどの地域が海抜ゼロメートル地帯であり、海水面より低い地域も多い。
中川区の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より[1] |
中川区は、人口が市内の行政区の中で緑区に次いで多いことや、富田地区と残部とがおおよそ庄内川によって区切られており、歴史的にも富田地区は旧海部郡、残部は旧愛知郡であることから、分区がたびたび議論となっている。
2009年には、富田支所管内より分区を求める要望書が議長及び市長に提出されており、この申し入れには、この地区に住む1万7000人以上の署名が行われている。また、2005年の富田地区合併50周年に行ったアンケートによると、アンケート回答者のうち83.7%の人が分区について必要と考えていると回答している[2]。
また、富田地区の名古屋市合併50周年記念誌には、50年後の富田地区の夢の一つとして分区が挙げられている[3]。
なお、市当局は、行政区の適正規模は人口おおむね10万人から20万人程度であり、分区は25万人から30万人を超える状況でかつ現状の問題が区の再編によってしか解消できない場合に検討していくこととしており、当面は現行の16行政区を維持する方針である[4]。
中川区に大学は設置されていない。ちなみに、1950年10月、当時の名古屋ミシン工芸女学校を母体に翌年、文部省(当時に)名古屋服装短期大学の設置認可の申請を行っていたが不認可となり、設立を断念した。詳細は同記事を参照のこと。
名古屋市営バスの路線が区内全域に運行されており、区内南部の国道1号沿いに名古屋市営バス中川営業所が所在する。そのほか、区内北東部・北西部に名鉄バスセンターと津島市方面を結ぶ名鉄バスの路線が、区内東部(江川線)と南部(国道1号など)に名阪近鉄バス名古屋営業所などの三重交通の路線がある。
またジェイアール東海バスの本社・名古屋支店が小本三丁目(あおなみ線沿い)にある。始発・終着地点(主に名古屋駅周辺)との回送で、共同運行会社を含めた多くの高速バス車両が区内を走行する姿が見られる。
<南北の道路>
<東西の道路>
主な城郭
主な寺院
主な神社
主な公園
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