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日本の音響機器メーカー ウィキペディアから
パイオニア株式会社(英: Pioneer Corporation)は、東京都文京区に本社を置く、カーナビゲーションの製造販売などを手掛ける日本の電機メーカーである。かつては、日本を代表するオーディオメーカー(東証1部上場)であった。1938年(昭和13年)創業。
パイオニアの本社が入居する文京グリーンコート | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) |
本社所在地 |
日本 〒113-0021 東京都文京区本駒込二丁目28番8号 文京グリーンコート |
設立 |
1947年(昭和22年)5月8日 (福音電機株式会社) |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 1020001086473 |
事業内容 | 車載用音響機器およびPC用光学ドライブの製造販売 |
代表者 | 代表取締役兼社長執行役員 矢原 史郎 |
資本金 |
928億8,100万円 (2018年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
3億8,334万株 (2018年3月31日現在) |
売上高 |
連結:3,654億17百万円 単独:2,092億19百万円 (2018年3月期) |
経常利益 |
連結:△31億21百万円 単独:△88億32百万円 (2018年3月期) |
純利益 |
連結:△71億23百万円 単独:△87億66百万円 (2018年3月期) |
純資産 |
連結:849億34百万円 単独:957億26百万円 (2018年3月31日現在) |
総資産 |
連結:2,875億10百万円 単独:2,951億21百万円 (2018年3月31日現在) |
従業員数 |
連結:7,655名 (2024年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
Wolfcrest Limited 100% (2019年3月31日現在) |
主要子会社 |
東北パイオニア(株) 100% パイオニア・マイクロ・テクノロジー(株) 100% |
関係する人物 | 松本望(創業者) |
外部リンク | https://jpn.pioneer/ja/ |
2023年現在は非上場企業であり、財務諸表は非公開である。同社が公式サイトで公表している直近の連結売上高は約2685億円(2023年3月期)である[1]。
2023年現在、カーナビゲーション(カーナビ)の大手で、日本国内ではパナソニックに次ぐ2位である。
個人向け製品としては、カーナビ、カーオーディオ、ドライブレコーダーなど車載機器の製造・販売を主に行っている。法人向けとしては、モビリティソリューションサービスを主力として展開している。カーナビは、自社ブランド「カロッツェリア」の他、自動車メーカーの純正カーナビへのOEM供給も行っている。2020年より独コンチネンタル社と提携し、次世代自動車CASE(Connected、Autonomous、Shared & Service、Electric)に対応した統合コックピットの開発を進めている。経営悪化の末、2018年に上場廃止となったが、カーナビメーカーからデータサービス企業へと変革を果たすことで経営が好転し、2025年度をめどに再上場を目指している。
スピーカー製造に始まるパイオニアは、高度経済成長期から2000年頃までは「日本を代表するオーディオメーカー」の地位を有していたが、その後は次第に経営が悪化した。
プラズマテレビ事業の失敗による巨額の損失(→ #プラズマテレビで失敗)もあり、2010年代に入って経営危機に陥ったパイオニアは、自社の祖業であるオーディオ事業のほとんどを[注 1]、2015年に、オーディオ事業の拡大を目指していた、パイオニアと同じく「日本を代表するオーディオメーカー」であったオンキヨー(総称)[注 2]に事実上譲り渡し、オーディオ事業から撤退した。なお、オンキヨー(総称)は複雑な経緯を経て、7年後の2022年に「オンキヨーホームエンターテイメント株式会社」として破綻した。
オンキヨー(総称)は破綻する直前の2021年に、オーディオ事業をVoxx International(Voxx)に売却し、オンキヨーテクノロジーに事業継承した経緯から、2024年現在は、Voxx子会社のPremium Audio Company(PAC)とオンキヨーテクノロジーがパイオニアブランドのオーディオ事業を継承している。なお、オンキヨーテクノロジーはPACの子会社である。
ただし、パイオニアが、オーディオメーカーとしての全盛期の1970年代に、「PIONEER」ブランドとは別の最高級ブランドとして創設した「TAD」(1975年創設)と「EXCLUSIVE」(1977年創設)の2つのブランド(その後「TAD」ブランドに一本化)は、欧米からの輸入品に匹敵する、最高級オーディオブランドとしての高評価[注 3]が定着するに至った[2]。
未だパイオニアに余力があった2007年に、「TAD」ブランドは、本体である「パイオニア株式会社」とは別の法人として新規設立された「株式会社 テクニカル オーディオ デバイセズ ラボラトリーズ」(通称:TADラボラトリーズ[1])に移管された[2][3]。
TADブランドとTADラボラトリーズは、既述したパイオニア株式会社の経営危機によるオーディオ事業からの撤退(2015年)の後も、「最高級オーディオブランドとしての高評価の維持」「独自のオーディオ事業の継続」「企業としての存続」に成功し、「全盛期のパイオニアを源流とする、日本の最高級オーディオメーカー」の地位を現在も守っている。
カーナビ地図などを手掛ける地図事業(MapFan)は2021年にポラリス・キャピタル・グループに売却し、2023年現在はジオテクノロジーズとしてパイオニア本体から独立して展開している。
創業者である松本望は、アメリカ製のダイナミックスピーカーを聴いて「いつか必ず自分の手で純国産のスピーカー(ユニット)を作りたい」と志し、1937年(昭和12年)に初の純国産ダイナミックスピーカー「A-8」を自らの手で開発して「パイオニア (PIONEER)」を商標とした。1938年(昭和13年)1月に福音商会電機製作所を設立して販売を開始した[5]。松本は後に印刷会社も興して「フクイン(旧称・福音印刷)」とし、パイオニア製品の取扱説明書やカタログを印刷して収益の独占化を図る。1961年(昭和36年)に商標であったパイオニアを社名とした。
1962年には世界初のセパレート型ステレオを発売。1960年から1970年代にかけてのオーディオブーム全盛期はサンスイ、トリオと並び「オーディオ御三家」として「サン・トリ・パイ」とも広く俗称され、オーディオファンから「スピーカーのパイオニア」として親しまれた[6]。
1975年に車でカセットテープが聞ける世界初のカーコンポ「KP-55G」を発売。カーコンポは、1977年より「LONESOME CAR-BOY」のブランドで展開する(1986年以降は「carrozzeria」ブランド)。1984年には車でCDが聞ける世界初のカーCDプレーヤ「CDX-1」を発売。カーオーディオで他社をリードした。
1979年にビデオディスクの規格レーザーディスク (LD)陣営に参画し、世界初の業務用LDプレーヤーを発売。1980年代におけるビデオディスクの規格競争において、他メーカーの撤退によって一時はパイオニア一社のみとなったLD陣営を率いて圧倒的多数派のVHD連合に勝利する。
1983年に「音と光の未来をひらく」の企業スローガンを導入。LDプレーヤー、コンポ、ラジカセなどを中心に、家庭用AV機器メーカーとして飛躍を遂げた。特にラジカセ「ランナウェイ」の最上位機種「Runaway SK-900」は非常な人気を博し、アオシマから1/6プラモデルまで発売された(1980年代のバブル時代を象徴する、いわゆる「バブルラジカセ」の一つ)。
1989年、レーザーディスク普及のために設立したレーザーディスク社(Pioneer Laser Disc Company)を「パイオニアLDC」として改変。OVAやアニメソングなど自社ソフトを多展開することで、LDプレーヤーやコンポなどの自社ハードを売ることにつなげるという、メディアミックスの文字通りのパイオニアとなり、ハードのみならずアニメ、ゲーム、音楽などソフトでも大手メーカーとなった。『天地無用! 魎皇鬼』(1992年)『神秘の世界エルハザード』(1995年)『バトルアスリーテス大運動会』(1997年)の「パイオニア三部作」などOVAを中心としたメディアミックス作品でヒット作を連発し、1990年代のオタク文化を支えた。
1990年6月には「道は星に聞く」のキャッチコピーの元、「carrozzeria」ブランドで世界初の市販GPS式カーナビ「AVIC-1」を発売。
1993年、世界初のDJ用CDプレイヤー(CDJ)「CDJ-50」を発売。この分野では、デュアルデッキやピッチ可変など機能が豊富だったデノンの製品に当初は押されていたが、CDJでありながらアナログプレーヤーのようなスクラッチ機能を搭載した「CDJ-1000」(2001年)の大ヒットによってDJ機器最大手となった。
1993年、LDゲーム機のレーザーアクティブを発売。本体だけで最低12万円という非常な高価格なうえにソフトも少なかったので一般的に普及はしなかったものの、『タイムギャル』(1995年)などゲームセンターのLDゲーム機とほぼ同じ画質でゲームが遊べるということでマニアに人気を博した。1995年にパソコン(Macintosh互換機)のMPCシリーズを発売。自社製CD-ROMドライブに加え、AV機器メーカーらしく高品質なアンプとスピーカーを搭載しているのがウリだった。
1995年、パイオニアLDCから『天地無用! 魎皇鬼』の第二期OPソングとして『ぼくはもっとパイオニア』(横山智佐)をリリース。自社規格であるLDでリリースした、自社制作のOVAに、自社の名を冠したテーマソングを載せるという、この頃にはハード・ソフト共にマルチメディアにおいて強力なブランドを確立していた。バブル崩壊で苦戦する競合の電機メーカーを尻目に業績を伸ばし、2000年には株価がバブル絶頂期に迫る5000円近くに達した。
1995年にDVDフォーラムに加盟。1996年に世界初のDVD-Video/LDのコンパチブルプレーヤー「DVL-9」、1997年に世界初のDVD-Rドライブ「DVR-S101」、同年に世界初の50インチプラズマディスプレイ、1999年に世界初のDVDレコーダー「DVR-1000」を発売した。1990年代末から2000年代にかけてはアナログからデジタルに移行できずに衰退した古参オーディオメーカーも多い中、パイオニアはこのようにAV機器のデジタル化の波を先導し、オーディオのみならず映像機器、また光ディスクメディアなどの記憶媒体においても有力メーカーの一つとなった。
ソニー、パナソニック、日立製作所、東芝、三菱電機などの総合電機メーカーと比べると規模は小さいが、自社の得意分野への「選択と集中」を進めることで、1980年代から2000年代にかけて家庭用AV機器に関してはこれらの大手メーカーと同等以上のブランド力を持っていた。2003年にはパイオニアLDCを売却してノンコア事業とされたソフト制作から撤退、プラズマテレビを中心とするホームエレクトロニクス事業に資源を集中した。しかし、2000年代においてはプラズマテレビへの「選択と集中」が裏目に出た。
2003年、パイオニア社はそれまでオーディオの生産をしていた静岡工場をプラズマパネル工場「パイオニア・ディスプレイ・プロダクツ」に改変、また2004年には500億円でNECのプラズマ事業を買収するなど、プラズマ事業に多大な投資を行い、パイオニアは2004年にプラズマパネルの生産量で世界シェア1位となった[7]。プラズマへの投資により2005年には800億円を超える巨額の赤字を出したものの、2006年には売上が8000億円近くに達し、売上で見た場合はこの時期が絶頂期である。しかし、プラズマにパイオニアを傾けるほどの投資を行っても、プラズマに5000億円を超える投資を行った大手のパナソニックには投資額ではかなわず、プラズマテレビが液晶テレビとの市場競争によって薄型テレビ市場から淘汰されるのを待たずに2008年に撤退。
2008年はテレビなどホームエレクトロニクス事業の不振に加え、リーマン・ショックによる世界的な景気悪化もあってカーナビ事業も不振で、合計で1300億円の赤字を出した[8]。2004年以降に赤字が続いて経営が悪化したことから、リーマン・ショック直後の2009年に、目黒本社の不動産を売却して川崎事業所に移転し、資金創出に努めるとともに事業体制のスリム化を図った。2011年以降のカーエレの需要回復を見越してカーエレ事業に経営資源を集中する方針を取った。
2010年代以降は音楽をスマートフォンで聞く時代となり、同社がそれまで主力としていた家庭用AV機器も販売不振に陥り、キャッシュフローが悪化[9]。2014年には、販売不振が続いた家庭用AV機器事業に加え、かなりの利益が出ていたDJ機器事業(Pioneer DJ、DJ機器の世界最大手)も今後の成長にむけた資金調達のために売却[10]。カーナビゲーションシステムなど自動車関連に特化した電機メーカーとして自主再建を模索したが、スマホの普及などによりカーナビの売り上げが鈍化。
2018年、香港の企業再生ファンドのファンドであるベアリング・プライベート・エクイティ・アジア (BPEA) の傘下に入り、2019年3月に完全子会社化された。同時に上場廃止。
2019年に社内カンパニー制を導入し、データソリューション事業を担う「モビリティサービスカンパニー」と、市販事業とOEM事業を担う「モビリティプロダクトカンパニー」の2社を新設。2020年3月期に黒字化し、2021年には経営再建の完了を宣言。ソリューションサービス企業へと変革し、再上場を目指している。
構造改革の一環として、2009年11月に本社機能を東京都目黒区から神奈川県川崎市の川崎事業所へ移転し、目黒旧本社は2010年7月に88億円で売却された[39]。
2015年10月に、経営体制のスリム化を目的として川崎の本社不動産を売却し、本社を再度東京へ移転することを発表した[40]。2016年3月7日に東京都文京区の文京グリーンコートへ移転した[41][30]。文京区が本社となるのは1964年以来、およそ52年ぶりである[42]。
2000年代半ばにかけ、ホームエレクトロニクス事業としてPDP(プラズマテレビ)、DVDレコーダー、PC用DVDマルチドライブ、Blu-ray Discプレイヤー、PC用BDマルチドライブなどを手がけた。「カロッツェリア」ブランドで車載用AV機器(カーナビゲーション、カーオーディオ)を展開している。これらホームエレクトロニクスおよびカーエレクトロニクス事業が売上の2本柱であり、2006年(平成18年)3月期の売上はそれぞれ3,546億円、3,305億円で合計して90%以上を占めていた。
しかし、その後の経営危機により、ディスプレイ事業からは撤退、光ディスク事業はシャープとの合弁とし(それぞれ後述)、2013年3月期においてはカーエレクトロニクスが3,126億円、ホームエレクトロニクスが959億円と、カーエレクトロニクス事業に経営資源をシフトさせた。
プロフェッショナル向けオーディオブランドとして、TAD (Technical Audio Devices) を持ち、多くのスタジオにモニタースピーカーなどを納入している。一般向け高級オーディオブランド Exclusiveと並び、オーディオマニアに著名である。欧米市場では1970年代初頭までCENTREXというブランド名が使われた。日本国内ではパイオニアブランドのみ展開する。
家庭用オーディオ機器でも、中-高級品の価格帯で強い販売力を維持していたが、1980年代に「プライベート」ブランドで他社に先駆けて小型コンポを投入。若者をターゲットにすることでシェアを伸ばした。1990年ごろまでは、アナログディスクプレーヤー、アンプ、チューナー、スピーカー、アナログカセットデッキ、DATデッキ(生録用の可搬型モデル「D-C88」を含む)、MDデッキ(ただしポータブルタイプ及び一部のミニコンポ用はシャープのOEM)、CDレコーダーなど、ほぼ全種類の民生用オーディオ機器を生産していたが、バブル崩壊により他のメーカーと同様に大きく販売を落とし、生産機種の大幅な整理を行った。
AV機器を含むホームオーディオ機器事業は、先述の通り2013年7月1日から2015年3月1日までは同社の完全子会社(当時)のパイオニアホームエレクトロニクスが取り扱っていたが、2015年3月2日よりオンキヨーの完全子会社のオンキヨー&パイオニア(2020年10月1日付をもって親会社のオンキヨー(旧法人、存続会社)に吸収合併される形でオンキヨーホームエンターテイメントへ社名変更、ならびに法人消滅)が取り扱うこととなったが、2019年12月より全世界で発生しているコロナ禍の影響による業績悪化を理由に2022年5月13日付でオンキヨーホームエンターテイメントが経営破綻。これによりカーオーディオとPC用デスクトップマルチメディアオーディオを除く純粋なオーディオブランドとしてのパイオニアは、2022年7月20日に(かつてパイオニアやオンキヨー〈2代目〉と資本提携していた)ティアックが米国プレミアム・オーディオ・カンパニー社 (PAC) と代理店契約を締結したことを発表。その後、2022年10月以降を目途にオンキヨーブランドと共に(日本市場向け)ドルビーアトモス対応高級AVアンプが投入される予定であることが明らかとなった。このほか、2021年度まで旧OPC時代を含むOHEから製造・発売されていた一部のパイオニアブランド・オンキヨーブランド・インテグラブランド等の各種AV製品の修理等のサポートもティアックが担当することとなった。
車載用のオーディオとしては、1975年11月に世界初のコンポーネントカーステレオを発売し、市場占有率を伸ばした(日本初のカーラジオ(1948年)、カーステレオ(1963年)はクラリオンが先に開発・発売)。1970年代末に発売されたフェラーリ・512BBでは、純正カーステレオに採用されており、後にF1フェラーリチームへスポンサー参加するきっかけとなっている。
日本車への純正カーオーディオの供給も盛んであり、日本国内全メーカーへ供給経験がある。日本車では、日産自動車、三菱自動車、マツダ、SUBARU、ダイハツ工業、スズキにラインナップ されている[注 8]。配線は各社用に加工されており、2000年代前半までの機種では、最大出力を落とすなどの配慮もなされた。
パイオニア/カロッツェリアともに、オーディオ、カーナビゲーション、スピーカー、ウーファーの型番の最後にZy、ZZと入る場合は純正オプションであることを表している。
その後、GPS搭載の世界初カーナビゲーションシステムを開発した。その後、DVD搭載型、HDD搭載型を開発し、カーコンポーネント事業で世界トップの技術とシェアを持つ企業に成長した。
ユーザーから走行情報を収集し、渋滞情報を作成してユーザーに提供する「スマートループ渋滞情報」があり、パイオニア製品だけでなく、他社製品でも利用できる。
日本ではレーザーディスクの盟主としても知られており、日本ビクター(現・JVCケンウッド)の開発したVHDに日本国内の主要電機メーカーのほとんどが賛同した不利な状況にもかかわらず、当時の社長で「パイオニア中興の祖」とされる石塚庸三が、創業者・松本望をはじめとする社内の反対派を押し切り、販売導入に漕ぎ着けた。
初期は一時的な販売不振に陥ったが、最終的にレーザーディスクがシェア争いに勝利した。その過程で商品化された「絵の出るレコード」レーザーディスク・カラオケはバブル期に一世を風靡、パイオニアのドル箱事業に成長し、会社の屋台骨を支えた。カラオケ以外の娯楽分野では100円を入れてビデオクリップを見る「Laser Jukebox」や Visualに特化したゲーム用「Laser Active」があった。レーザーディスクのランダムアクセス機能を活用した業務用機器も多数開発され、全世界の博物館や企業で映像送出用機器として使用された。
米国では小中学校向けの視聴覚教材として採用され、Apple Computerとの協業で全米の学校に普及が進み、Appleとの関係が構築された。その後も、DVD-RやDVD-RWを開発するなど、光ディスク事業においても技術力を保持し続けていた。
DVD普及後、レーザーディスク事業はプレーヤーの少量生産のみで実質撤退していたが、2009年(平成21年)1月、LDプレーヤーの生産も終了した[43]。
DVDメディアの製造販売からは早期に撤退し、DVD業界におけるパイオニアの功績は高い技術力を反映したPC用DVDマルチドライブにあった。DVDマルチドライブ黎明期から高性能なドライブを発売すると共に廉価普及版も投入し、DVDドライブのスタンダードとなった。パソコン周辺機器メーカーのバッファローやロジテック、アイ・オー・データ向けに、DVDドライブをOEM納入している。
パイオニア製ドライブの書き込み品質の高さは、ドライブ自体の高性能さと併せ、ディスク(特に太陽誘電が製造及びOEM供給したDVD-Rディスク)との相性の良さがあったからといわれる。だが、2007年、DVR-A12シリーズでピックアップの不具合によるリコールを招いた。以前より、本件はユーザーの間では話題になっており、対応の遅さが批判を浴びた。同時期に光ディスクドライブ市場の急激な価格低下に苦しみ、2007年9月、パイオニアはシャープと資本業務提携を行い、合弁会社「パイオニアデジタルデザインアンドマニュファクチャリング株式会社」を設立した[44]。しかし、この提携は2014年8月に解消され[45]、パイオニアデジタルデザインアンドマニュファクチャリングはパイオニア単独の子会社となった。
Blu-ray Disc (BD) ではHD DVDと規格争いした頃からBD陣営に属し、最も初期からドライブの出荷を開始したメーカーの一つである。OEM向けのBDマルチドライブユニットの生産量、および供給量[注 9]のシェアとしては2021年(令和3年)時点で日立LGデータストレージやパナソニックに次ぐ大手のメーカーとなっている。
民生用DVDレコーダーを世界で最初に発売したメーカーであり、パナソニックや東芝と共に旧御三家の一つであった。当時は画質・音質のこだわりや充実した編集機能により一定の支持を受けていたが、後の低価格化競争によって利益を圧迫する状態が続いた。
2006年(平成18年)6月にDVDレコーダーの新規開発を中止すると報道されたが否定した。2007年(平成19年)は新機種が発売されないまま既存モデルが相次いで生産終了し、2008年4月に発表されたモデルはシャープからのOEMとなった。以後に新製品の発売は無く、事実上完全撤退する。
ディスプレイ分野では、レーザーディスクやBeta hi-fi式ビデオデッキ Hi-Vista(ソニーからパイオニア仕様にカスタマイズされたOEM)などのAV製品と共にCRT方式のコンポビジュアルシステム「SEEDシリーズ」で家庭用モニター市場に参入。同社オーディオ機器とのデザイン統合性、チューナーやテレビゲームパックなどの拡張ユニットにより、他社との差別化を図った。
CRT方式のリアプロジェクションテレビ(パネルは他社製)を日本国外向けに販売するなど大きなシェアは持っていなかったが、1997年(平成9年)12月に世界初の民生用高精細50インチ型ワイドプラズマテレビを発売した(42型ワイドプラズマテレビは同年11月に富士通ゼネラルが世界で初めて発売)。パネルの自社生産可能な日本メーカーの一つで(チューナーは他社からOEM)、擬似輪郭や消費電力などプラズマテレビの弱点を克服した独自の映像技術や、祖業のオーディオ技術を搭載した高音質も高く評価された。かつては43V型と50V型のみを製造したが、NECプラズマディスプレイの買収により、61V型をラインナップに加えた。
先行メーカーとして多数の関連特許を取得し、2006年にサムスン電子のディスプレイが、アメリカ国内で申請した2件の特許に抵触しているとして、テキサス州東部地区連邦地方裁判所へ提訴する。基本的特許として2008年10月29日の判決で合計5900万ドルの損害賠償を得る。
日本国内では液晶テレビの低価格化に圧され、2007年(平成19年)8月から高級路線に特化した新ブランド「KURO」を展開したが、ライバルの松下電器産業にはシェアで及ばず、2008年(平成20年)3月7日にプラズマパネルの自社生産の中止を発表した。ならびにPDP技術者の大半をパナソニックのPDP部門へ転籍させ、パナソニックからパネルを調達し、組立と自社ブランド販売のみに専念する予定を発表した。世界金融危機による世界経済の急激な落ち込みを受けて、2009年2月12日にディスプレイ事業からの撤退を発表した[46]。2008年にシャープから液晶パネルの供給を受けて自社ブランドの液晶テレビ参入を予定したが、実現しないままディスプレイ事業撤退した。
パイオニアは、有機ELディスプレイも古くから研究開発し、カーオーディオの照明や液晶のバックライト、携帯電話の背面、カーオーディオの単色ディスプレイ用などで既に製品化している。2005年(平成17年)に京都大学、三菱化学、ロームと共にフレキシブルな有機ELディスプレイの試作に成功した。2017年にコニカミノルタと合弁企業(コニカミノルタパイオニアOLED)を立ち上げ、照明分野への活用も模索したが、2019年に合弁を解消した。合弁解消後は、コニカミノルタが事業を継承した[47]。
2016年現在も一部中国市場で発売されている同社ブランドの液晶テレビ、スマートフォン、デジタルカメラなどは、販売店に対する商標ライセンス貸与に伴う中国メーカー製造品であり、メーカーとしてのパイオニアとはブランド以外の関わりは一切ない。
1970年代からアンサホンの商品名で留守番電話を開発して製造する。1980年代に、無線機器の技術を応用して家庭用コードレス電話機の製造へ進出、シェアを伸ばした。電話機事業は、パイオニアが出資し、後に完全子会社となったパイオニアコミュニケーションズが承継した後、同社を吸収合併したパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニアを経て、2020年10月よりオンキヨーホームエンターテイメントが取り扱っていたが、こちらも先述の通りオンキヨーホームエンターテイメントの経営破綻に伴い停止する。
1990年代にDDIセルラーグループ(セルラー、現・KDDI/沖縄セルラー電話連合(各auブランド))および日本移動通信(IDO、現・KDDI(auブランド))、J-PHONE(デジタルツーカー向けを含む。現・SoftBank)向けに携帯電話機の供給も行っていた。特に携帯初の全面タッチパネル式のDP-211は、付属のペンで手書き入力も可能で、オプションのカーオーディオに取り付ければハンズフリーにも対応する時代を先取りした商品であったが、デザインで人気を得ることは無く、携帯電話事業から撤退する。兄弟機種のDP-211SWは、携帯初の文字メッセージサービス(旧・スカイウォーカー、現・スカイメール)対応機種である。
1983年(昭和58年)、レーザーディスクと組み合わせ、画像をスーパーインポーズさせてゲームが楽しめるMSXパソコンを発売する。
1995年(平成7年)から1997年まで、Apple Computerからライセンスを受け、デスクトップ型のMacintosh互換機を開発・販売していたが、スティーブ・ジョブズ復帰によるAppleの戦略転換で、3機種を発売したのみで終わった。
(2022年5月現在)
全て過去のもの、特記がないものは日本テレビ系列で放送。
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