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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。既婚[1]。
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名前 | ||||||
愛称 | シュウ、シュウサク | |||||
カタカナ | ニシカワ シュウサク | |||||
ラテン文字 | NISHIKAWA Shusaku | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年6月18日(38歳) | |||||
出身地 | 大分県宇佐市 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 浦和レッズ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1998 | 宇佐市立四日市南小学校 | |||||
1999-2001 |
宇佐FCジュニアユース (宇佐市立駅川中学校) | |||||
2002-2004 |
大分トリニータU-18 (大分東明高校) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2009 | 大分トリニータ | 118 | (0) | |||
2010-2013 | サンフレッチェ広島 | 135 | (0) | |||
2014- | 浦和レッズ | 335 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2005 | 日本U-20 | 4 | (0) | |||
2008 | 日本U-23 | 3 | (0) | |||
2009-2021 | 日本 | 31 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。 2. 2016年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小学校3年生時にサッカーを始め、4年生時に練習試合で当時所属した少年団の正ゴールキーパーが欠場した際、監督に代わりとして指名されたことをきっかけにゴールキーパーでのプレーを始めた[2]。中学卒業時まで出身地の宇佐市で過ごし、高校進学時に当時の大分トリニータU-18の監督であった皇甫官と同GKコーチであった吉坂圭介に誘われ[2]、大分U-18に入団。練習場(大分スポーツクラブ)のある大分市は宇佐市からは距離があるため、大分市内にある大分東明高等学校に進学し寮生活を送った[2]。高校3年次の2004年にはトップチームに2種登録選手として選手登録され、リーグ戦1試合でベンチ入りした。
2005年からは大分トリニータのトップチームに昇格。当初は岡中勇人と江角浩司の控えだったが、ワールドユースから帰国直後の7月2日、横浜F・マリノス戦で初先発を果たすと、以降1試合を除いて全試合に出場。高卒1年目から正GKの座を奪取した。
2006年、前年引退した岡中より背番号1を引き継いだ。開幕時よりスタメン出場を続けていたが、11月18日のヴァンフォーレ甲府戦で、左ひざ靭帯損傷で全治3ヶ月の重傷を負い、残りのシーズンを棒に振る。翌2007年3月10日のジュビロ磐田戦で復帰したが、その後も細かい負傷での離脱やベテランの下川誠吾の存在もあり、リーグ戦ではキャリア最少の11試合出場に留まった。
2008年7月20日の磐田戦の後半44分にボールをグラウンドに叩きつけて審判の判定に異議を示したことでイエローカードを受けたが、同日、自身のブログにて「わざとイエローカードをもらいました」と、五輪代表で不在となる翌節に累積警告を消化する意図で故意に反則を犯したことを示唆する文章を公開した[3]。公開直後から批判が殺到し、20分後には問題個所が削除された[3]。翌日ブログで謝罪し、クラブから厳重注意とブログの無期限禁止の処分を受けた[3]。五輪後の9月13日に行われた浦和レッズ戦で負傷し以後全試合を欠場した。
2009年はレギュラー定着後初めて怪我なくシーズンを過ごし、自身初のリーグ全試合フル出場も達成した。しかし、この年の大分は14連敗を喫するなど大不振に陥り、西川の奮戦も実らずJ2降格が決定。更にシーズン終盤には、巨額の債務超過をはじめとする深刻な経営危機が発覚し、西川をはじめとする主力選手を引き留めることは財政面で不可能となった。同年オフ、いくつかのオファーの中から、サンフレッチェ広島へ移籍金7000万円で完全移籍[4]。背番号はルーキー時代以来となる「21」に決まった。
2010年は広島でレギュラーとして自身2年連続となるリーグ戦全試合に出場。
下田崇の引退により、2011年から再び背番号「1」をつけることになった。
2012年は4年連続となるリーグ戦全試合出場を果たし広島のリーグ優勝に大きく貢献した。同年、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年はリーグ戦33試合に出場し、リーグ最少の29失点とクラブの連覇に大きく貢献した。天皇杯準決勝のFC東京とのPK戦では両チーム3人蹴り終わり1-3と絶体絶命の中、連続で相手のPKをセーブし、自身もPKを決めて大逆転でチームを決勝へと導いた[5]。しかし、決勝でチームは敗れた。
2014年、浦和レッズへ完全移籍[6]。背番号は2010年以来となる「21」に決まった。入団後はすぐに正GKの座を確保すると、7月にはJリーグ記録を塗り替える7試合連続無失点を達成し、前年まで不安定だった浦和の守備を立て直す原動力となった。同月、J1の月間MVPに選ばれた。また、GKのJ1年間完封試合数の記録を16に更新した[注釈 1] 。同年12月9日、初のJリーグフェアプレー個人賞、3年連続のJリーグベストイレブンに選ばれた。なお、同年に公開されたドキュメンタリー映画の『We are REDS! THE MOVIE』の最初のシーンで引っ越したばかりの浦和の街を歩く西川の姿が登場している。
2015年から背番号「1」をつけることになった。
2016年、AFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のFCソウル戦にて、ソウルでの2ndレグは、遠藤航のミスで失点を喫して以降は90分決着で1-1。延長戦でも相手の攻撃を止められずに最後は高余韓のミドルシュートも手に当てながらセーブしきれずに3失点。延長戦でも3-3と決着がつかず、PK戦に突入。浦和が阿部勇樹、遠藤、ズラタン、森脇良太と全員成功したのに対し、FCソウルは1人外して4-3。5人目が決めれば準々決勝進出に繋がる場面で「4人目でも5人目でも大丈夫だ」とキッカーを務めたものの[7]、失敗した。8月6日、2ndステージ第7節の湘南ベルマーレ戦の前半8分に約70メートルのロングキックを関根貴大めがけて蹴り、これを関根がヘディングでゴールネットに押し込みリーグ戦で自身初のアシストを記録した[8]。続く8月13日、第8節の名古屋グランパス戦でも後半87分にズラタンにほぼ同じ形で合わせ、ゴールキーパーとしてはJリーグ初となる2試合連続アシストを記録した[9]。Jリーグアウォーズではベストイレブンに選出された。
2018年4月28日、第11節・湘南ベルマーレ戦で、史上21人目となるJ1通算400試合出場を達成[10]。
2019年10月29日、第31節・サンフレッチェ広島戦で、J1史上2人目となる200試合連続フル出場を果たした[11]。
2020年シーズンは柏木陽介からキャプテンを引き継いだ。
2021年シーズンは阿部勇樹がキャプテンとなり、自身は副キャプテンとなった。4月18日の第10節・セレッソ大阪戦で史上最年少でのJ1通算500試合出場を達成した。しかし、第12節・アビスパ福岡戦で自身のキャッチミスから失点しチームは0-2で敗北。その後は若手の鈴木彩艶にポジションを奪われたが、鈴木が東京五輪で不在中に再びポジションを奪い返しレギュラーに再定着した。
阿部が引退した2022年シーズンは、2年ぶりにキャプテンを務めた。3月6日の第3節・湘南ベルマーレ戦を無失点に抑えて勝利に貢献し、J1通算無失点試合数を163に伸ばしたことで楢﨑正剛と並び歴代2位タイとなった[12]。7月10日の第21節・名古屋グランパス戦で完封し、J1最多記録となる出場試合通算170試合の無失点を達成した[13]。
2023年シーズンはリーグ戦全試合にフル出場。J1最小失点に抑える活躍をし、7年ぶり6度目の年間ベストイレブン受賞を果たした。
2024年シーズンは5月6日の第12節・横浜F・マリノス戦でJリーグ史上3人目、浦和レッズ所属選手としては初となるJ1リーグ通算600試合出場を達成した[14]。8月、チームキャプテンの伊藤敦樹の海外移籍により、2022シーズン以来2シーズンぶりのキャプテンに就任した。
2003年にはU-18日本代表に初選出され、松井謙弥、山本海人らとのポジション争い[2] を制して年代別代表の正GKに定着。2005年6月にオランダで開催されたワールドユースでは、全4試合に先発出場した。
2006年8月31日のアジアカップ最終予選サウジアラビア戦(9月3日)、イエメン戦(9月6日)のメンバーとしてA代表に初選出。初出場は叶わなかった。
2008年の北京オリンピック代表に選出されたが、成績は3戦全敗でグループリーグ敗退に終わった。
2009年10月8日のアジアカップ最終予選・香港戦にフル出場し、初選出から3年越しの代表デビューを果たした。
2010 FIFAワールドカップでは怪我などで長い間代表に招集されていなかった川口能活が本大会メンバーに選出された煽りを受ける形で本大会メンバーから落選、予備登録選手として選出された[15]。W杯後に岡田武史が退任し、アルベルト・ザッケローニの就任後は再びコンスタントに代表に招集され、10月8日のアルゼンチン戦では川島永嗣の負傷により85分から途中出場した。
AFCアジアカップ2011ではグループリーグ第2戦のシリア戦で、川島永嗣が退場処分を受けたため途中出場。最初のプレーとなったPKで代表4試合目にして初失点を喫したが、その後は無失点に抑え勝利に貢献した[16]。
2014年5月12日には、2014 FIFAワールドカップの本大会メンバーに選出された。しかし、本大会での出場機会はなくチームもグループリーグで敗退した。
2015年11月17日に行われた2018 FIFAワールドカップのアジア2次予選のカンボジア戦でワールドカップ予選のゴールキーパー連続試合無失点記録を5に伸ばし、松永成立と川口能活の持つ最多記録に並ぶ[17]。翌年3月29日に行われた2018 FIFAワールドカップのアジア2次予選のシリア戦ではワールドカップ予選のゴールキーパー連続試合無失点記録を6に伸ばした[18]。
ヴァイッド・ハリルホジッチが監督に就いてからは、川島永嗣が無所属状態で招集されなかったこともあり正ゴールキーパーに定着。最終予選の折り返し地点である5節サウジアラビア戦まで出場していたが、その後は浦和が低迷していた他、川島が復帰したこともあって出番を失う。ハリルホジッチが解任された後も川島、東口順昭、中村航輔に次ぐ位置とされ、ワールドカップ本戦にも選ばれることはなかった。
2021年、4年ぶりに代表復帰を果たした。
セービングの能力だけではなく、左足で蹴る低い弾道のパントキックの精度の高さが評価されている[19]。ボールをキャッチしてから素早く繰り出すパントキックで一気にビッグチャンスへと結びつけ、アシストを記録したこともある[20]。パントキックのプレー映像はスポーツ番組や各メディアの公式動画サイトで度々特集を組まれている[21]。2022年、浦和レッズにスペイン人GKコーチのジョアン・ミレッが就任。ミレッは西川に「今までやってきたことをリセットしてくれ。(中略)これから自分が伝えていくことをイチから吸収していってもらえたら、今よりもっといいGKになれる。」と伝え、西川は衝撃を受けたが、プロになってから教わることがなかった細かな指導により、「ひとつひとつのプレーに対して解決方法を教えてくれるので、プレーするうえで精神的にも余裕が持てるようになりました。」と語る[22]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 大分 | 21 | J1 | 21 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 |
2006 | 1 | 30 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | ||
2007 | 11 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
2008 | 22 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
2009 | 34 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
2010 | 広島 | 21 | 34 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 | |
2011 | 1 | 34 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 | ||
2012 | 34 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 38 | 0 | |||
2013 | 33 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 37 | 0 | |||
2014 | 浦和 | 21 | 34 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |
2015 | 1 | 34 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 37 | 0 | ||
2016 | 34 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 | |||
2017 | 34 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | |||
2018 | 34 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 | 45 | 0 | |||
2019 | 33 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | |||
2020 | 34 | 0 | 1 | 0 | - | 35 | 0 | ||||
2021 | 32 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 41 | 0 | |||
2022 | 32 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | |||
2023 | 34 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 | |||
2024 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 588 | 0 | 48 | 0 | 32 | 0 | 668 | 0 | |
総通算 | 588 | 0 | 48 | 0 | 32 | 0 | 668 | 0 |
※2種登録時代は試合出場無し
その他の公式戦
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