東海村
茨城県那珂郡の村 ウィキペディアから
茨城県那珂郡の村 ウィキペディアから
東海村(とうかいむら)は、茨城県県央地域の村[1]。那珂郡に属する。
全国の村では、沖縄県中頭郡読谷村に次いで2番目に人口が多い。また、人口密度も村としては4番目に高く茨城県条例による町制施行要件は満たしている。茨城県内にある村は、本村と稲敷郡美浦村の2村のみである。また、県内の住みやすさランキング(2021年度)では、2位になった。
日本国内で原子力の火が灯った最初の村である。1957年(昭和32年)に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。現在も日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に所在し、近隣市町をあわせた、茨城県の太平洋沿岸部は日本の原子力産業の拠点となっている。1999年(平成11年)9月30日には、東海村JCO臨界事故が発生し作業員2人が死亡するなど、様々な影響があった。
水戸市から北東へ約15kmの距離にあり、東は太平洋に面し、西は那珂市、南はひたちなか市、北は久慈川を境に日立市に接している。常陸台地の北端に位置する一帯で、久慈川の南側と真崎浦、細浦などの低地は沖積層で、水田地帯となっている。一方、台地は洪積層で、畑地と平地林が広がり、東へ緩やかに傾斜したその先端が砂丘となっている。砂丘は現在、防砂林として活用されているほか、日本原子力研究開発機構、日本原子力発電株式会社などの敷地となっている。
藤田東湖の『正気歌』にある「…卓立東海浜」による。1955年(昭和30年)の発足時の新命名。1948年(昭和23年)には、村松村石神村組合立による東海中学校が設立されており、東海村が成立する前から、当地において「東海」の名称が採用されている。
東海村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 東海村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 東海村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
東海村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
村ではあるが行方市、高萩市、潮来市および一部の町より人口が多い。
2024年9月30日現在[7]
(出典:[8])
※当日有権者数、投票率、得票数は東海村の結果のみを抽出した。
原子力産業
1.「稲荷社杉風」(いなりしゃさんぷう)
2.「阿漕ヶ浦夜桜」(あこぎがうらやおう)
3.石神城春草(いしがみじょうしゅんそう)
4.白方溜螢影(しらかたためけいえい)
5.久慈川河口緑波(くじかわかこうりょくは)
6.細浦青畝(ほそうらせいほ)
7.願船寺晩鐘(がんせんじばんしょう)
8.冨士社晩霞(ふじしゃばんか)
9.如意輪寺秋月(にょいりんじしゅうげつ)
10.真崎浦夕照(まさきうらせきしょう)
11.住吉社寒霜(すみよししゃかんそう)
12.村松晴嵐(むらまつせいらん)
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