広島大学附属福山中学校・高等学校(ひろしまだいがくふぞくふくやまちゅうがっこう・こうとうがっこう, Fukuyama Junior and Senior High School Attached to Hiroshima University)は、広島県福山市春日町五丁目14番1号にある国立中学校・高等学校。
概要 広島大学附属福山中学校・高等学校, 過去の名称 ...
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広島大学附属中学校・高等学校(「本校」と呼ばれる)や近大附属福山(「近大」と呼ばれる)などとの混同を避けるため「広大福山」「福山附属」「広福(ひろふく)」などの略称が用いられる。
広島大学の附属学校で、全学[2]の中学・高校教員免許取得希望者を対象とした教育実習を行っている。
2015年度から文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール (SGH) の指定を受けていた。
2020年度、SGHの5年間の指定期間終了に伴い、新たに「WWL(ワールド・ワイド・ラーニング)コンソーシアム支援事業」を採択している[3]。
2023年3月に、中学校と高等学校を統合して2027年度に「広島大学附属福山中等教育学校」を新設することを発表している[4]。
広島女子高等師範学校附属中学校・高等学校、広島青年師範学校附属中学校・高等学校が廃止され、1951年(昭和26年)4月に広島大学附属福山中学校、翌1952年(昭和27年)4月に広島大学附属福山高等学校が設立された。広島女高師附属中の前身となる1887年(明治20年)創立の山中高等女学校から数えると100年以上の歴史がある。1973年に福山市緑町から春日町に移転した。
創立以来主体的な取り組みで運営され、大らかな校風が特徴である。自由・自主の理念は学校活動のあらゆる場面で生かされ、1966年(昭和41年)よりベルやチャイムによる日課時限報知を廃止している。
1962年(昭和37年)、全国の国公立校で初めて中高一貫教育を導入した。運営機構は部・ 係で構成されているがそれらは中・高で分かれていない[5]。教育研究において特に中高一貫教育の研究が全体と教科で行われている[6]。
校章もシンボルカラーも、瀬戸内海と風景、気候が似た地中海の古代ギリシャの文化からとられている。
- 校章
- オリーブの実を象ったものである。松原郁二初代校長のデザインによるもので、1954年(昭和29年)11月5日に制定された。
- オリーブは古代ギリシャの文明を支えた植物である。広島大学教育学部附属中学・高校として歩み始めるに当たって、古代ギリシャの市民精神「自由に生きる人間であれ」を育むことを志している。
- 「オリーブ」は校章だけでなく、行事の名、教育実習用宿舎の名、学友会誌の名としても用いられている。
- シンボルカラー
- ウルトラマリンブルー(群青色)である。
- 自由の象徴である地中海の海の色をイメージしたものである。
- 学友会の最大の行事「学友祭」における最高の賞は「ウルトラマリン賞」と呼んでいる。
中高一貫教育を実施しており、中学校1年から高等学校3年までをそれぞれ1年から6年と呼んでいる。中学校から入学した者は中学卒業後原則全員が4年に連絡入学する。1~3年は各3学級、約120名(男子60名、女子60名)で、4年次に2学級分の高校からの入学生が加わり5学級、約200名となる。
なお、高校入試では男女関係なく上位80名が合格なので男女比は各学年でまちまちとなる。全生徒数は年により変わるが970名程度である。
HRの教室は1・2年生がB棟、3・4年生がC棟、5・6年生がA棟となっていて、施設・設備の利用も中高の区別はない。
教官も中高一体で運営されている。
現在では、中学校は国語、算数、理科、社会の4科目、高等学校は国語、英語、数学、理科、社会の5科目による入学試験が例年2月の初めに行われている。
中学入試では伝統的に第1次選考(学科試験)合格者対象の第2次選考として抽選(くじ引き)が行われていたが、2007年度より廃止され代わりに第2次選考として作文による選考が行われた。その作文による選考も2013年度より行われていない。
抽選の倍率は約1.5 - 2倍であった。抽選は文部省(現:文部科学省)の指導の下行われており、当校教官の中にも反対意見があった。国会でも附属福山の抽選廃止の是非が問われたことがあったが、当時の文部科学省は譲らなかった[7][8]。
- 4月 - 始業式、入学式、オリーブ祭(新入生歓迎会)、健康診断
- 5月 - 体育祭、中間考査
- 6月 - 校内模試・校内実力テスト、学友会総会、前期教育実習
- 7月 - 期末考査、中学校水泳大会、終業式、1〜4年研修行事
- 8月 - 山中高女慰霊祭式典、3年修学旅行、課題テスト
- 9月 - 始業式、学友祭、中期教育実習、読書感想文コンクール
- 10月 - 後期教育実習、中間考査、中学校遠足、入学者募集要項発表、5年修学旅行、球技大会
- 11月 - オリーブの環(OB交流会)、校内実力テスト・校内模試、学友会会長・副会長選挙、教育研究会
- 12月 - 期末考査、校内・校外大掃除、SPP、終業式
- 1月 - 4年スキー実習、始業式、中学校百人一首大会
- 2月 - 入学者選考(生徒は1〜2週間自宅学習)、課題テスト
- 3月 - 学年末試験、高校卒業式、中学校修了式、終業式、4年古典旅行
- 運動部
- バドミントン
- バスケットボール
- バレーボール
- 卓球
- 剣道
- 体操
- 陸上競技
- サッカー
- 軟式野球
- テニス
- ソフトテニス
- アーチェリー
- 水泳
- 文化部
- 理工物理
- 放送
- 吹奏楽
- 手芸
- 弦楽合奏
- 合唱
- 茶道
- 将棋・囲碁
- 書道
- 天文地学
- 美術
- ESS
- 邦楽
- 園芸
- 文芸文学
- 百人一首
- イラスト
- 軽音楽
- 同好会(発足から数年間の、クラブ昇格前の予備期)
- クイズ研究同好会
- 写真同好会
- コンピュータ同好会
- 社会科学同好会
多くの部で兼部が可能である。各クラブへの参加は任意である。
広大附属福山中・高等学校は、戦前から戦後にかけての様々な学校の流れを汲みながら出来ている。
- 山中高等女学校
- 1887年12月、弁護士で県会議員であった山中正雄が中心となって私財を投じ創立[9]。全国で3番目の高等女学校、日本初の私立高女であり、近代日本の女子教育に大きな貢献をなした。
- 教育方針は「柔而剛(じゅうにしてごう)」。当初の校名は「広島高等女学校」であったが後に「県立」広島高等女学校が出来たため「私立山中高等女学校」と改称した。なお、安田女子中学校・高等学校を創設した安田リョウは山中の卒業生であり、安田の校訓「柔しく剛く(やさしくつよく)」も山中の校訓の影響があるのではないかといわれている。
- 1945年(昭和20年)4月、当時の理事長山中トシが、全盛期にある「山中」をさらに進んだ女子教育機関とするべく、山中高女の敷地、校舎、施設等をすべて国に寄付することを決断し、山中高女は当時できたばかりの広島女子高等師範学校の附属山中高等女学校となった。開校以来58年間、送り出した卒業生は1万1千人余りであり、教師や生徒はそのまま引き継ぎ再出発した。
- 1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾によって校舎が全焼し、学徒動員で作業中の女子生徒など397人(内教職員5人)が被爆死した。学校は、広島市から安浦町へ、さらに福山市へと移転したが、碑は広島市千田町の広島大学跡地に残っていた。その碑を1996年に移設し、当校が受け継いでいる。
- 広島女子高等師範学校附属中学校・高等学校
- 1945年(昭和20年)12月、女高師と附属高女は安浦町(現:呉市安浦町)の旧海軍海兵団跡地に移転。1947年(昭和22年)4月、学制改革により広島女高師附属中学校が発足した。翌1948年(昭和23年)4月には同附属高等学校設立。このとき新制の国立学校には個人の名称をつけないこととなって、「山中」の名前が削除された。多くの旧私立山中の教職員が去り、教職員が一新されたことなどから急速に「山中」色が消えていった。この後、1949年4月まで毎年新入生の募集は安浦町で続いた。
- 広島青年師範学校附属青年学校
- 現在の安芸高田市に広島青年師範学校(国立)があり、1945年(昭和20年)4月近隣の4カ村組合立青年学校が国に移管され、広島青年師範学校の附属青年学校となった。
- 1947年(昭和22年)4月、学制改革により附属青年学校は県に移管され、新制の附属中学校として設立された。同年6月、広島青年師範学校とその附属中学は福山市民の熱心な誘致もあり、福山市沖野上町(現:緑町)の旧陸軍暁部隊跡地に移転した(広大附属福山旧校地)。第1学年は募集、2・3学年は当時福山にあった福山市立実践女学校、福山市立実業学校からの編入で発足した。翌1948年(昭和23年)4月、広島青年師範学校附属高等学校が設立され、生徒が福山市立実践女学校、福山市立実業学校および福山市立高等学校から編入した。
- 1949年(昭和24年6月)に新制広島大学が設置され、女高師、青年師範学校はこれに包含されることとなった。
- 広島大学広島女子高等師範学校附属中学校・高等学校
- 1950年(昭和25年)4月、広島大学広島女子高等師範学校附属中学校・同高等学校は、福山市沖野上町校舎に移転し、第1学年を福山市で募集、広島大学青年師範学校附属中学校・高等学校と、中学第2・3学年、高校第2学年が合体した。
- 1951年(昭和26年)3月、広島大学青年師範学校附属中学校・高等学校が廃止され、同年4月、広島大学教育学部附属福山中学校設立。1952年(昭和27年)3月、広島大学広島女子高等師範学校附属中学校・高等学校が廃止され、4月広島大学教育学部附属福山高等学校が成立。ここに現在の形の附属福山中・高校が出来た。
- 広島女子高等師範学校附属中学校・高等学校
- 広島青年師範学校附属福山中学校・高等学校
- 1945年(昭和20年)- 広島青年師範学校附属青年学校が開校。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、附属青年学校を県に移管し、広島青年師範学校附属中学校(新制)を新設。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、広島青年師範学校附属高等学校が開校。
- 1949年(昭和24年)5月31日 - 新制広島大学の発足で包括され、広島大学青年師範学校附属中学校・高等学校となる。
- 開校
卒業生
- 山中高等女学校
- 1回生(1952年度卒業)
- 2回生(1953年度卒業)
- 3回生(1954年度卒業)
- 4回生(1955年度卒業)
- 5回生(1956年度卒業)
- 6回生(1957年度卒業)
- 7回生(1958年度卒業)
- 8回生(1959年度卒業)
- 9回生(1960年度卒業)
- 10回生(1961年度卒業)
- 11回生(1962年度卒業)
- 12回生(1963年度卒業)
- 13回生(1964年度卒業)
- 15回生(1966年度卒業)
- 16回生(1967年度卒業)
- 18回生(1969年度卒業)
- 19回生(1970年度卒業)
- 21回生(1972年度卒業)
- 22回生(1973年度卒業)
- 23回生(1974年度卒業)
- 24回生(1975年度卒業)
- 25回生(1976年度卒業)
- 26回生(1977年度卒業)
- 27回生(1978年度卒業)
- 28回生(1979年度卒業生)
- 30回生(1981年度卒業生)
- 31回生(1982年度卒業生)
- 33回生(1984年度卒業生)
- 34回生(1985年度卒業生)平岡成哲
- 36回生(1987年度卒業生)
- 39回生(1990年度卒業生)
- 40回生(1991年度卒業生)
- 45回生(1996年度卒業生)
- 52回生(2003年度卒業生)
- 53回生(2004年度卒業生)
- 62回生(2013年度卒業生)
- 69回生(2020年度卒業生)
教員
- 校長
- 原田彰 - 校長(1996年4月 - 1998年3月)、広島大学名誉教授
- 角屋重樹 - 校長(2002年4月 - 2006年3月)、広島大学名誉教授、日本体育大学教授、国立教育政策研究所教育課程研究センター基礎研究部長、日本教科教育学会長
- 岩崎秀樹 - 校長(2010年4月 - 2014年3月)、広島大学大学院教育学研究科教授、全国数学教育学会長、日本科学教育学会副会長
- 築道和明 - 校長(2014年4月 - 2016年3月)、広島大学大学院教育学研究科教授
- 教諭
広島県知事千田貞暁、官民有志ともに創設。校主は山中正雄。
現在でも8月6日の広島原爆の日には、山中高等女学校慰霊祭式典が広島市中区国泰寺町(旧:雑魚場町)で行われており、附属福山からも数人の生徒が参列している。