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群馬県前橋市にある国立大学 ウィキペディアから
群馬大学(ぐんまだいがく、英語: Gunma University)は、群馬県前橋市荒牧町4-2に本部を置く日本の国立大学。1873年創立、1949年大学設置。大学の略称は群大(ぐんだい)。
国立総合大学として小規模な学部構成で、秋田大学や山梨大学、福井大学と似る。実学尊重の学風で高度専門職業人養成という明確な教育目標がある。キャンパスは前橋市の荒牧地区(共同教育学部、情報学部)と昭和地区(医学部)、桐生市の桐生地区(理工学部)など。東京都心から100kmほど離れており[注釈 1]、周囲に自然が多く、静かな環境で勉強や研究に没頭できる大学である。実習や実験においては国立大学ならではのST比(教員1人当たりの学生数)で少人数教育を受けることができる。研究においては医学(感染症、内分泌学、放射線医学)や化学(炭素素材、ケイ素)で論文発表が多い[1][2]。なお、高い研究業績をあげている教員は研究費取得状況で見積もることがおおよそ可能である[1][3][4]。2021年、新学長就任において学長ビジョン”知の拠点として地域の人材育成や地域社会を支える基盤となると同時に、グローバルな視点で活躍できる大学を目指す”を表明し、ICTリテラシーを全学に展開するなどを掲げた[5]。群馬大学改革プランによると、将来的に食健康分野の新学部設置および大学院のプログラム制への再編が計画されている[6]。
近年の大学評価は以下の通りである。
4つの学部が4つのキャンパスに割れた蛸足大学となっている。入学生の約50%を群馬県出身者が占めており地元占有率が高い。地域貢献の観点から県内の高校と連携を今後も強め、県内からの志願率 40%(全学平均)、入学者率 50%(全学平均)を維持することを目指している[19]。国立大学の地元占有率が高い県は、沖縄県、愛知県、北海道、鹿児島県、群馬県の順であり[20]、隣接県が東京に学生を奪われている状況と趣が異なっている。また、県境に近い立地から埼玉県北部(熊谷市など)や栃木県西部(両毛地方の佐野市など)から自家用乗用車で通学する学生も多い。1人当たりの自動車保有率1位の群馬県は車中心の社会であり、自動車の所有が学生のQOLの大きなカギを握っている。鉄道による東京都心とのアクセスも悪くなく、普通列車でも2時間程度である。
代数 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|
初代 | 西 成甫 | 昭和24.5.31 ~ 昭和36.6.20 |
(事務取扱) | 相葉 伸 | 昭和36.6.21 ~ 昭和36.7.13 |
第2代 | 長谷川 秀治 | 昭和36.7.14 ~ 昭和42.7.13 |
(事務取扱) | 柴田 勝博 | 昭和42.7.14 ~ 昭和42.8.31 |
第3代 | 秋月 康夫 | 昭和42.9.1 ~ 昭和46.8.31 |
(事務取扱) | 町田 周郎 | 昭和46.9.1 ~ 昭和46.12.15 |
第4代 | 石原 恵三 | 昭和46.12.16 ~ 昭和50.12.15 |
第5代 | 畑 敏雄 | 昭和50.12.16 ~ 昭和56.12.15 |
第6代 | 小野 周 | 昭和56.12.16 ~ 昭和60.12.15 |
第7代 | 前川 正 | 昭和60.12.16 ~ 平成3.12.15 |
第8代 | 石川 英一 | 平成3.12.16 ~ 平成9.12.1 |
第9代 | 赤岩 英夫 | 平成9.12.16 ~ 平成15.12.15 |
第10代 | 鈴木 守 | 平成15.12.16 ~ 平成16.3.31 |
(国立大学法人群馬大学長) | 鈴木 守 | 平成16.4.1 ~ 平成21.3.31 |
第11代 | 高田 邦昭 | 平成21.4.1 ~ 平成27.3.31 |
第12代 | 平塚 浩士 | 平成27.4.1 ~ 令和3.3.31 |
第13代 | 石崎 泰樹 | 令和3.4.1 ~ 現在 |
学生歌と応援歌は昭和26年から昭和33年頃にかけて制定された。
大正9年(1920年)制定、前身の桐生高等工業学校校歌であり、一部歌詞の訂正がされて現在まで受け継がれている。
教育学部創立百周年事業の一環として昭和48年(1973年)に制定された。
教育学部は、1873年設立の小学校教員伝習所に端を発する群馬師範学校と1918年設立の農業講習科に端を発する群馬青年師範学校に由来する。この二つの学校を母体として、1949年に群馬大学学芸学部が発足した。学芸学部は1966年に教育学部に改称している。1999年に大学院教育学研究科(修士課程)が設けられ、2008年に教職大学院が設置された。2020年、宇都宮大学と連携して共同教育学部を設置、大学院教育学研究科(修士課程)の募集を停止し教職大学院に一本化。共同教育学部の設置により、少子化がさらに進行し学部規模の縮小が求められても義務教育課程すべての教科に対応できる見込みがたった。卒業生の教員就職率は約75%であり、群馬県の義務教育課程校における占有率は約40%である[24]。
一年次から教育現場体験をさせることでモチベーションを向上させている。ただし、三年次で行われる教育実習と異なり、授業の準備や生徒との交流など現職員の仕事を手伝う体験が中心である。 専門科目のうちの教科専門科目は小・中学校で担当する授業内容に関する科目、教科指導法、生徒指導、教育相談に関する科目である。総合的・実践的専門科目は、群馬大学独自の構想された科目である。系・専攻ごとに定められた卒業要件を満たすことで教育職員免許状を、さらに所定の科目を履修することで、社会教育主事任用資格、学芸員、学校図書館司書教諭の中から1つ資格を取得できる。高等学校教諭(情報・工業)の免許状は自然・情報系の技術専攻で取得できる。
情報を基軸とした文理横断型の教育によりSociety 5.0を支え、IoT、ビッグデータ、統計的解析手法等のスキルを持ち、人文科学、社会科学、自然科学の知識を有した人材の育成を目指して、社会情報学部と理工学部電子情報理工学科情報科学コースと統合して2021年に新設した。
1943年設立の前橋医学専門学校を前身とする前橋医科大学に由来する。1949年、群馬大学医学部となり、1955年には大学院医学研究科(博士課程)が設けられた。2001年、医学系研究科に改称し、2003年には博士前期課程・後期課程に改組された。弘前大学、東京医科歯科大学、信州大学、鳥取大学、広島大学、徳島大学、鹿児島大学とともに新八医科大学と呼ばれる。
1915年設立の桐生高等染織学校の後身である桐生工業専門学校が母体である。高等教育機関としての歴史は学内で最も長く、旧制工業専門学校を前身とする学部としては、旧制大学に昇格した東京工業大学等を除くと広域関東圏で最も古い[25]。東日本では米沢工業専門学校、秋田鉱山専門学校、上田蚕糸専門学校の4校は、殖産興業政策に従い地場産業を発展させることが設置目的であった[26]。なお、長らく学部の大きな特色だった「繊維」を冠する学科が1989年改組で消滅し[27]、その代わりに設置された「生物」を冠する学科(プログラム)も2021年改組で消滅している。
1949年、群馬大学工学部が発足。前橋市へのキャンパス移転が頓挫。1964年、大学院工学研究科修士課程設置。1989年、同博士課程設置。2007年、大学院部局化。2013年、理工学部に改組。2021年、物質・環境類と電子・機械類の2類8プログラムに再編。それに伴い、電子情報理工学科情報科学コースは社会情報学部と統合して情報学部(荒牧キャンパス)になった。
2015年のミッション再定義では「医理工融合」「低炭素材料・エネルギー」「元素科学」「文理融合防災」を重点的に研究し、これまでの実績をふまえて地方自治体や産業界との連携活動により地域の課題解決や産業振興に貢献すると表明した[28]。
1年次は荒牧キャンパスで教養科目を履修し、2年次に桐生キャンパスに移って専門科目を履修する。大学院進学率は約60%であり成績優秀であれば推薦で進学できるほか、他大学を受験する者もいる[29]。なお、桐生キャンパスは狭隘なため「産学連携拠点」を太田キャンパスに、「次世代モビリティ社会実装研究センター」を荒牧キャンパスに設置している[30]。
2021年改組で多くの工学系学部に倣って「学科の大括り化」が導入された[31]。それでも、技術者教育において履修すべき科目は体系化されているため履修内容に大学間の差はほとんどない[32]。今回の改組に伴って教員が学生のプログラム選択や履修についてサポートする「メンター制」と企業と連携して課題に取り組む「問題解決型授業」が導入された。また、以前から意欲の高い学生を支援するためのGlobal Frontier Leader (GFL)プログラム[33]や3年生終了時に大学院に進学できる早期卒業・飛び推薦制度(一部学科において実施)[34]がある。
研究費取得状況からみた全国との比較では材料工学と機械工学が学部の強みである[35]。創立からの伝統である化学系は人名反応である右田・小杉・スティルカップリングやピッチ系炭素繊維の業績で知られている。現在も炭素やケイ素材料の研究に力を入れており、カーボン触媒の燃料電池への応用[36]の実績がある。また、機械・電気系ではアナログ集積回路[37]や電気自動車(EV)[38]、自動運転[39]の研究開発に精力的に取り組んでいる。国立大学の理工学部が過疎地に立地するという全国的に見ても稀有な状況であるが[40][41]、俯瞰すれば関東内陸工業地域という製造業の盛んな地域に位置している。特に、この地域は自動車産業の集積地(SUBARU(太田市)、日野自動車(太田市、古河市)、いすゞ自動車(栃木市)、日産自動車(上三川町)、本田技研工業(寄居町、小川町))であるため、SUBARUをはじめ共同研究が盛んである[42]。山形大学の有機EL[43]、信州大学の繊維[44]のような大学を代表する卓越した研究分野を構築する努力が続いており[45]、大学としても自動車自動運転に注力している[46]。
桐生キャンパスでは4月にアースデイ、7月と9月にオープンキャンパス、10月に学園祭、11月にクラシックカーフェステバルが開催されるなどイベントが多い。特に、クラシックカーフェステバルは年々展示規模が大きくなっている。また、創立の経緯から国内最大級の染料コレクション(4312本)を所蔵している。国登録有形文化財である桐生高等染織学校講堂(群馬大学同窓会記念会館)は、しばしば映画やテレビドラマの収録に利用される。主なテレビ作品は以下の通り。
平成26年4月『花子とアン』(NHK)、平成20年12月『BLOODY MONDAY』(TBS)、平成20年3月『東京大空襲』(日本テレビ)、平成19年4月『ロミオとジュリエット』(日本テレビ)、平成18年4月『純情きらり』(NHK)[47]。
2013年度に工学研究科から理工学府に組織改編。
部活動・サークルでは目立った功績が表れてはいないが、過去には2009年度準硬式野球部からのプロ野球選手輩出などの活躍があった[50]。
硬式野球部は関甲新学生野球連盟に加盟している。1993年の連盟発足後1部に所属したことは無い。よって2部での優勝も無いがその歴史は古く1916年発足された北関東最古の大学野球部になっている。[51]
2020年度に群馬大学映画部が発起人となり、映画『突然失礼致します!』を製作・公開し、話題となった[52][53]。
学園祭の名称は荒牧キャンパスでは「荒牧祭」[54]、昭和キャンパスでは「医学祭」、桐生キャンパスでは「群桐祭」[55]である。毎年、荒牧祭は11~12月頃に(医学祭は隔年の11月上旬)、群桐祭は10月下旬に開催される(太田キャンパスでも7月頃に開催されている)。各キャンパスごとに学園祭の特徴は異なっているが教授や研究室が企画した出店(出展)が目立ち、学生団体の発表数が少ない状況は共通している[56]。その中で唯一荒牧祭では学生バンドだけでなく有名人の招待ライブなども行っている[57]。
国立大学の独立法人化以降に母校を支援する全学同窓会が次々と設立され、その数は2011年時点で86大学のうち70大学におよぶ[58]。群馬大学の場合、2019年に全学同窓会として群馬大学同窓会連合会が設立された。
荒牧・昭和キャンパスは敷島公園や正田醤油スタジアムと利根川河川敷が近い。閑静な住宅地の中に自然と運動施設、公園が混在した環境にある。桐生キャンパスは、織物の町として栄えた面影が残されている。3つのキャンパスとも最寄駅から数km離れており、電車のみでの通学は困難である。太田キャンパスは太田駅から徒歩圏内にある。
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