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日本の漫画作品 ウィキペディアから
『ジパング』は、かわぐちかいじによる日本の漫画作品。2000年から2009年49号(2009年11月5日発売)にかけて講談社の『モーニング』にて連載された[1]。2009年5月時点で累計発行部数は1500万部を記録している[2]。
ジパング | |
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ジャンル | 架空戦記、歴史、青年漫画 |
漫画 | |
作者 | かわぐちかいじ |
出版社 | 講談社 |
掲載誌 | モーニング |
レーベル | モーニングKC |
発表号 | 2000年35号 - 2009年49号 |
巻数 | 全43巻 |
アニメ | |
原作 | かわぐちかいじ |
監督 | 古橋一浩 |
シリーズ構成 | 古橋一浩 |
キャラクターデザイン | 馬越嘉彦 |
音楽 | 佐橋俊彦 |
アニメーション制作 | スタジオディーン |
製作 | TBS チームみらい(ジパング製作委員会) |
放送局 | 東京放送 |
放送期間 | 2004年10月7日 - 2005年3月31日 |
話数 | 全26話 |
ゲーム | |
ゲームジャンル | シミュレーションゲーム |
対応機種 | PlayStation 2 |
開発元 | アートディンク |
発売元 | バンダイ |
プレイ人数 | 1人 |
発売日 | 2005年5月26日 |
テンプレート - ノート | |
プロジェクト | 漫画・アニメ・コンピュータゲーム |
ポータル | 漫画・アニメ・コンピュータゲーム |
2002年には第26回講談社漫画賞一般部門を受賞。また2004年10月7日から、漫画を原作としたテレビアニメがTBSほかで放送開始されたが、全26話・漫画のストーリー途中(原作の満州編の序盤)で放送を終了した。
2012年12月には同じくモーニングで『ジパング 深蒼海流』が連載開始したが、この作品は平家と源氏の戦いを描く作品であり、本作と直接的な関わりはない。
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
西暦200X年の6月[3]。日米新ガイドラインの下での海外派遣によりエクアドルへ向かう海上自衛隊の自衛艦隊のイージス艦みらいはミッドウェー沖合で突如嵐に巻き込まれ落雷を受ける。その直後からレーダーからの僚艦喪失、送受信機の故障ではない衛星通信の不通、突如の降雪という不可思議な現象に直面する。そして戦艦大和以下大日本帝国海軍連合艦隊に遭遇したことによりミッドウェー海戦直前の1942年6月4日の太平洋上にタイムスリップした事が判明する。
異常事態の中、みらい副長 角松洋介は、撃墜され水没しつつある零式水上観測機の後席から自ら救助した帝国海軍通信参謀 草加拓海少佐に未来世界の情報を公開したことから、みらいは徐々に変化してゆく歴史の流れに巻き込まれて行く。
(ジパング徹底基礎知識(講談社)より引用)
みらい | |
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画像はモデルとなったあたご型護衛艦 | |
基本情報 | |
運用者 | 海上自衛隊 |
艦種 | ヘリコプター搭載イージス護衛艦 |
級名 | ゆきなみ型護衛艦 |
前級 | こんごう型 |
次級 | まや型 |
愛称 | Fortune Inspector |
母港 | 横須賀 |
所属 | 第1護衛隊群 |
艦歴 | |
竣工 | 平成13年 |
要目 | |
基準排水量 | 7,735トン |
満載排水量 | 9,998トン |
全長 | 171m |
最大幅 | 21m |
深さ | 12m |
吃水 | 6.3m |
機関 | COGAG方式 |
主機 | LM2500ERガスタービンエンジン 4基 |
出力 | 120,000ps |
最大速力 | 30ノット超 |
燃料 | 軽油 |
乗員 | 241名(うち航空要員25名) |
兵装 |
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搭載機 | |
C4ISTAR |
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レーダー | |
ソナー | |
電子戦・ 対抗手段 |
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劇中登場する「みらい」及び「ゆきなみ」型は、架空のイージス艦である。シリーズ連載前、まだ艦名や完成予想図が発表されておらず「7700トン型イージス護衛艦」と呼ばれていた現あたご型護衛艦を、かわぐちかいじが想像して描いたものである。デザイン的には、実在する海上自衛隊のイージス艦こんごう型護衛艦を元に、ラファイエット級フリゲートの内火艇格納庫とむらさめ型護衛艦のヘリ運用施設を継ぎ合わせ、若干のアレンジを加えてデザインされた。このため基準排水量以外の艦容は実在の現あたご型護衛艦とはかなり異なる[6]。また実在する現あたご型/まや型護衛艦などと比べても極めて早いペースで2002年には4番艦まで建造されている[7]。
1番艦「DDH-180 ゆきなみ」は、本型中唯一艦名がたかなみ型護衛艦準拠の海象名となっている。原作には第1護衛隊群旗艦として登場するがアニメにはセリフ上で名前しか登場しない。
2番艦「DDH-181 あすか」は現実のイージス護衛艦と同様山岳名を命名基準としている。これは「ゆきなみ」と「あすか」の就役期間の間に名称基準訓令が改正された為である。史実では旧帝国海軍の砲艦「飛鳥」、現海上自衛隊試験艦 あすかに採用されている艦名である。原作コミックには姿が登場しないが、アニメでは、第1話冒頭で米海軍空母戦闘群(現 空母打撃群)との共同演習にむらさめ型護衛艦3隻と共に参加している様子が見られる。
3番艦「DDH-182 みらい」が本作品で描かれている。史実では原子力船「むつ」を改装した海洋地球研究船に採用されている船名である。物語中盤までは何度か損傷修理を経ながらも海上自衛隊護衛艦の姿をしていたが、インド洋作戦の前に、予備塗料が尽きたことと(一時的に)日本海軍に組み込まれたことにより、「182」という自衛艦ナンバーを塗り潰し、より暗い色合いの日本海軍軍艦色の艦体塗装となり、以降、マリアナ沖での撃沈までこの姿であった。
劇中にはこの他、「みらい」の僚艦の「新鋭イージス艦」として「はるか」が登場するが、同型のゆきなみ型4番艦DDH-183となるか、後継型であるかは明らかにされていない。
最終回の新史において「日本国防海軍ゆきなみ型イージス艦」として誕生した新「みらい」は寸法が全体に一回り大型化しており、 全長188m、全幅24m、基準排水量12000tとなっている[8]が、艦影そのものは史実のあたご型護衛艦と非常に良く似た物となっている(相違点として艦橋の高さがアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦のように一段低くなっているほか、ヘリコプター発着甲板の高さが異なる)。なお、「国防軍」「国防海軍」という名は、「軍隊」を名乗れないなど様々な制約が科せられた現海上自衛隊創隊以前、吉田英三元大佐等が構想していた海軍再建計画における新海軍の名称である。
右表の「ゆきなみ」型諸元(旧史版)は一部を除いて単行本二巻巻末に掲載されていたものである。
劇中の歴史 | 実際の歴史 |
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ミッドウェーで南雲忠一中将率いる第一航空艦隊の支援のために戦艦大和を中心とした連合艦隊が前方から突如出没してきた不明艦(イージス艦みらい)に遭遇。連合艦隊司令長官・山本五十六大将は一日早く作戦を中止し、トラック諸島への撤退命令を下した。 | 南雲中将率いる第一航空艦隊支援のため、柱島を出撃した戦艦大和を旗艦とする主力艦隊(戦艦部隊)は、空母3隻(加賀・赤城・蒼龍)喪失後、夜戦を下令されたが、残存していた飛龍の喪失を受けた司令長官山本五十六は作戦中止し、参加艦艇に本土への撤退命令を下した。 (詳しくはミッドウェー海戦を参照。) |
第一次ソロモン海戦後の三川軍一中将率いる日本軍第八艦隊の撤退後、ガダルカナルに上陸したアレクサンダー・ヴァンデグリフト少将率いる米海兵隊第一海兵師団の揚陸した小麦粉に「みらい」から射手座作戦により無弾頭のハープーンミサイルが命中する。第一師団は調査のためミサイルを回収する。 その後、第八艦隊の後押しとして大和を中心として、出動した連合艦隊は、米第一海兵師団壊滅により上陸戦を阻止した上で米世論からの反戦圧力を喚起することで日米早期講和に繋ごうとする草加の意図で、米海兵隊陣地に対する大和主砲砲撃を実施したが、「みらい」のスタンダードミサイル(アニメでは、シースパロー短SAM)で発射全弾を迎撃されて失敗。みらいの砲撃中止の要請に応じ、撤退する。 この中で、ガダルカナル飛行場の建設に当たっていた帝国海軍設営隊は2500名中、まず185名がガダルカナルからの撤退に成功する。 |
ガダルカナル上陸後の米海兵隊に対する正体不明の兵器による攻撃は無く、無論回収も行われていない。また、戦艦大和のガダルカナルへの出撃は行われていない。 ガダルカナル飛行場の建設中に米軍の奇襲攻撃を受けた大日本帝国海軍設営隊は全滅した。 |
大日本帝国陸軍大本営参謀・辻政信中佐がトラックを来訪。統帥権を盾に半ば強引に連合艦隊首脳の了承を得た後、草加海軍少佐と会見し日本の敗北と60年後の戦闘艦・みらいの存在を知る。 その後中佐は8月19日に一木支隊と共にガダルカナルに上陸し惨敗。海軍設営隊長・岡村徳長少佐から今後のガダルカナルで連戦連敗となることを知り自決を試みるも岡村の諫言で思い留まり、大本営司令部に撤退命令を具申する決意をする。これにより、ガダルカナルからの撤退が史実より半年早く実現したことで第二次ソロモン海戦等の出来事は起こっていない。 |
辻のガダルカナル上陸は10月9日で行われ、ガダルカナル撤退命令は12月31日に御前会議で決まり、大本営発表では「転進」と公表される。1943年2月1日に撤退が行われるまで日本軍はガダルカナルで実に合わせて約2万2493名[11]もの戦死・餓死・戦病死者を出す無謀な消耗戦を繰り広げた。 (詳しくはケ号作戦を参照。) |
満州国(中国東北部)にある大慶油田の存在が草加の手で石原に早く伝えられる。後にこの情報はハルビン在住のロシア人貴族兼ブローカー・ダニロフを経てアメリカ諜報機関・OSSの耳にも入る。 | 大慶油田は1959年に中国政府に発見されるまで存在は知らされていない。 |
米海軍の空母ワスプは日本軍の暗号を基に「みらい」を察知し攻撃隊を投入。多数の攻撃機を撃墜され壊滅寸前にまで陥りながらもハットン隊長の特攻に近い自爆突入により「みらい」左舷前側AN/SPY-1D、左舷ECM装置、SUPERBIRD型衛星通信ドーム、127mm砲を破壊し、5名の死者と12名の負傷者を出す。ワスプは「みらい」からの警告を無視して再度攻撃隊を投入しようとするが、トマホークミサイル一発により撃沈される。 | 空母ワスプは9月15日にソロモン諸島周辺を軍事行動中、日本の潜水艦伊-19の魚雷3発を受け、撃沈される。 |
満州国の首都・新京における建国10周年記念パレードの最中に満州国軍航空隊長・安藤上校(大佐)の一式戦闘機による皇帝・愛新覚羅溥儀を狙った暗殺未遂事件が発生。関東軍総司令官・梅津美治郎陸軍大将は直ちに満州全土に戒厳令を発動。 | 満州国の建国10周年記念パレードは何も起こらず、無事に終了する。 |
角松、如月の計らいで元海軍軍医の家に匿うも、満州国皇帝・溥儀は草加に発見される。当初は彼の口車に乗せられて拳銃自殺を図るが恐怖心で出来ず、止む無く草加に発砲するも失敗。それがもとで彼のモーゼルで射殺される。彼の死で愛新覚羅溥傑が第2代皇帝として即位するが、関東軍はさらに戒厳令下の満州の治安を維持すべく、中国戦線から兵力を引き抜かざるを得なくなり、次第に戦線は縮小されていく。世間での溥儀の死因は病死と公表される。 | 溥儀は戦後中国の首都・北京で1967年まで生き延びる。 |
日本軍の半年早いガダルカナルからの撤退後、米軍のアリューシャン奪還作戦も半年早く開始される。やがて日本軍アッツ&キスカ両守備隊の撤退支援に来たみらいと米陸軍第七歩兵師団の上陸を支援するトーマス・C・キンケイド少将率いるノースカロライナ級戦艦ノースカロライナを中心とした米艦隊との間で海戦が繰り広げられる。 みらいはニューオーリンズ級重巡サンフランシスコの同士討ちを受けた軽巡アトランタとの衝突やソーラーマックスから来る磁気嵐に遭いながらもノースカロライナを大破させたことで米軍を打ち破り、アッツ・キスカからの撤退を成功させる。 |
日本軍アッツ守備隊は増援を受けながらも米軍に追い詰められ、玉砕する。(詳しくはアッツ島の戦いを参照。) キスカ守備隊は濃霧の最中で撤退に成功する。(詳しくはキスカ島撤退作戦を参照。) 戦艦ノースカロライナは空母ワスプと同時に伊-19の魚雷を受け、大破する。 米艦艇の間で起きた同士討ちは第三次ソロモン海戦で起こっている。 |
長距離高速実験機A-26は山本五十六の計らいで1942年11月頃にシンガポールから飛び立ち、ポツダム飛行場に降り立つ。その後、コペンハーゲンでウラン235を入手し、自分の部下である津田の名を騙った草加を乗せて満州国の首都・新京へ向かう。 | A-26は1943年7月7日に飛んだが、セイロン島上空で消息を絶つ。消息不明の原因は未だ明らかになっていない。 |
朝日新聞記者・田中英人と偽ってA-26で訪独団員の一人としてドイツに着いた海軍大尉・津田一馬はドイツ国防軍防諜部将校のカール・フォン・シュタイナー大佐と共に訪独団の謁見式が行われる空母グラーフ・ツェッペリンにてアドルフ・ヒトラー総統暗殺を試みるも失敗。シュタイナーは死亡するが、これを機にベルヒテスガーデンにある別荘・ケールシュタインハウスにてヒトラーとの接触に成功。二人きりになったところで暗殺を試みるが、親衛隊にバレて失敗。負傷し草加に救助されるも、息を引き取る。遺体はザルツブルクの街が見えるモミの大木に埋葬される。 他の訪独団員もゲシュタポから彼の暗殺計画に関して背後関係を問われるも、嫌疑不十分で全員釈放。ドイツ当局は田中(津田)の暗殺計画を表沙汰にせず、消息が掴めぬまま「訪独団員1名病死」として処理した。 |
ヒトラー暗殺計画はいくつかあったが、その中で日本人による暗殺計画は一つも無い。 |
大日本帝国陸軍予備役中将・石原莞爾は草加の歴史改変計画いわゆる「ジパング」創立に賛同すべく、甘粕正彦の計らいで行われた東條英機との和解交渉で建前上、自ら折り曲げる形で成立させる。その後は支那派遣軍参謀長として現役復帰し、南京に駐留する。 その交換条件としてFS作戦の一環として侵攻していたニューギニアから陸軍の撤退が開始され、ティルトウィング機海鳥は夜間にてポートモレスビーにある米軍のセブンマイルズ飛行場を空撮。みらいはECMによる電波妨害でレーダー及び通信網を遮断することで日本軍はラバウルから一式陸攻を中心とした攻撃隊によってセブンマイルズを奇襲攻撃し、成功を収める。だが、陸軍兵力を乗せた輸送船団がダンピール海峡を越える時点で事前にラビ飛行場に移された対みらい特務機関セクションS航空隊の出現によりみらいは後方を集中的に狙った反跳爆撃に晒されるも、海鳥の捨て身の防戦やCIWSの迎撃で危機を乗り越え、辛うじて撤退作戦を成功させる。 |
甘粕の計らいで行われた石原と東條との和平交渉は石原が東條を罵倒した形で決裂し、2人の確執は最後まで解消されることはなかった。また、石原も終戦まで予備役のまま過ごした。 1943年3月2日から3日にかけてダンピール海峡ではニューギニアに侵攻中の陸軍兵力の増援を目的とした輸送船団が米陸軍航空隊の反跳爆撃によって護衛の駆逐艦と共に撃沈され、補給路を断たれる。 (詳しくはビスマルク海海戦を参照。) |
連合艦隊、軍令部の意向に関係なくトラックから約2年早く撤退し、パラオ及びマリアナ諸島まで絶対国防圏を縮小させる。 | トラックからの撤退は1944年に起こったトラック空襲により行われた。 |
山本五十六は1943年の4月18日のラバウルで米軍の空襲に遭遇。自身は7時45分に自分が死ぬことを悟りながら防空壕に避難する。空襲後、時間が過ぎたこともあって戦況を視察。その途中、撃墜された米爆撃機B-25を見つけて接近し、中にいた米兵の遺体を弔っていたところをもう一人いた米兵の銃撃に倒れる。9時45分、死亡が確定。死の時間から空白地帯を歩みだしたわずか2時間後のことだった。 | 山本五十六は一式陸攻で前線視察中、ブーゲンビル島上空にて米戦闘機P-38の攻撃を受けて戦死する(後に元帥府に列せられる)。 (詳しくは海軍甲事件を参照。) |
戒厳令下の満州国の治安維持を口実とした日本陸軍の中国戦線からの撤退後、石原莞爾は数名の部下と共に中国共産党が拠点としている陝西省延安に向かい、中国共産党指導者・毛沢東と接触する。石原は日本軍の早期撤退後に起きる国共合作の崩壊と草加の策略による日本海軍のインド洋攻略での援蒋ルート破壊を予期した上で共産党が有利になる様、極秘裏に支援することを毛に約束させる事で、交渉を成立させる。 やがて、二人の密会はジャーナリストを装ったイギリス諜報機関・SIS工作員の撮影した写真によってフランクリン・ルーズベルト米大統領及びコーデル・ハル国務長官に知られ、マリアナ決戦を決意させることとなる。 |
国共合作崩壊とそれによる国共内戦は戦後に勃発し、結果は中国共産党が勝利する。無論、石原と毛との密談は行われていない。 |
角田覚治少将率いる飛鷹型空母隼鷹を旗艦とした空母機動部隊によるインド洋攻略(YZ作戦)が1943年の7月に行われる。セイロン島奇襲攻撃には英軍基地壊滅と共に制海権の掌握に成功するが、ベンガル湾方面(チッタゴン・ダッカ)奇襲攻撃には英印軍航空隊に先を読まれて失敗し、第50航空戦隊旗艦である空母龍驤を撃沈され、択捉型海防艦佐渡や若竹型駆逐艦若竹を大破される。ボンベイではインド人らの反英感情を煽らせることに成功したことで、草加から事前に知って賛同した自由インド仮政府指導者のスバス・チャンドラ・ボースはインド独立への本土攻撃に取り掛かる。 欧州戦線で独伊相手に手一杯なウィンストン・チャーチル英首相は日本軍打倒をアメリカに要請。フランクリン・ルーズベルト米大統領は援蒋ルート遮断も相俟って戦力がまだ整っていない太平洋艦隊をマリアナ諸島に出撃させる。 |
日本海軍によるインド洋侵攻はマダガスカルの戦いなどがあり、日本陸軍によるインド侵攻も行われ、こちらは失敗に終わる。 (詳しくはインパール作戦を参照。)空母龍驤は第二次ソロモン海戦で撃沈されている。 |
南京で支那派遣軍参謀長・石原と元満鉄調査員・吉村と物理学者・倉田の3人でウラン235とマンハッタン計画の情報で原爆が製造される。 途中で角松・米内光政海軍予備役大将の要請を受けた如月&梅津によって倉田が人質に取られ、製造場所であるポルトガル船のルイス・フロイス号の船長室に立て篭もるという事態が発生。石原が歩兵中隊を派兵するも膠着状態が続き、砲艦伏見までもが臨検を求めて出没し、止む無く船を自沈させる。 ウランは無事だったものの、材料喪失のおかげで航空機の搭載量を超えた原爆が完成してしまい、止む無く輸送船に紛れ込んでサイパンまで移送する。 やがて原爆は戦艦大和の後部主倉庫に秘密裏に搭載され、マリアナ戦では日米戦艦同士による夜戦の真最中に大和で多くの乗員が戦闘糧食に混入されていた抗てんかん薬・フェノバルビタールを盛られ、皆が衰弱している隙に約300名で構成された反乱乗員の手で掌握される。その後、大和はサイパン上陸を目的とした米陸軍・海兵隊の統合部隊を乗せた輸送船団の壊滅に向けて艦隊から離脱し、独航を開始。その途中、先の夜戦で大破漂流中の米グリーブス級駆逐艦リヴァモアとの衝突やみらいの127mm砲で測距儀及び射撃指揮所等を破壊されながらも三式弾にてみらいのイージスシステムを破壊するが、哨戒ヘリSH-60Jからハンドアローで煙突内を集中攻撃され、機関停止する。しかし、修復作業によってボイラーの一部が復旧し、航行を再開する。 やがて、原爆の時限装置が発動し、大和は草加と角松の両名を残したまま米戦艦群の砲撃に晒され、みらいのトマホークミサイルを受けて草加・角松両名の退艦後に轟沈。その後、原爆は海中で爆発した。 |
南京での原爆製造計画は無いが、陸軍では仁科芳雄を中心としたニ号研究が、海軍では荒勝文策を中心にF研究が行われるも、ニ号研究はウランを十分に濃縮出来ることなく空襲で研究所を失い、F研究は理論だけで実施できず、両方とも机上の空論で終わる。 (詳しくは日本の原子爆弾開発を参照。) |
米軍のギルバート諸島反攻戦に備え、帝国海軍の要請を受けたみらいは撤退した後のタラワ・ベチオ島で米軍を欺くための任務に就き、主に米軍に虚偽の情報を乱発するための作戦に出る。結果、作戦は成功し、みらいの日本軍に関する偽情報に欺かれたレイモンド・スプルーアンス中将率いる米海軍第5艦隊はもぬけの殻となったベチオ島に砲爆撃を加えて占領したものの、大量の弾薬と燃料を浪費する。 | 米軍のギルバート諸島攻略に於いてマキン・タラワでは日米両軍の間で激戦が繰り広げられ、両方の守備隊は玉砕する。 (詳しくはマキンの戦い・タラワの戦いを参照。) |
1943年12月12日6時30分、サイパン上空で古賀峯一大将率いる日本海軍連合艦隊とレイモンド・スプルーアンス中将率いる米海軍第5艦隊の両空母航空隊が空中戦を開始。 日中は航空機による戦闘が行われる。この際、日本軍は要塞化したサイパンから航空機を発進させる、日没時に翔鶴型空母瑞鶴から発艦した攻撃隊を夜間にサイパンのアスリート飛行場に着陸させるなどの作戦を取る。米軍はヨークタウン級空母エンタープライズ及び戦艦1隻・巡洋艦3隻・駆逐艦2隻の損害。日本軍は空母翔鶴等の損害。大和型戦艦武蔵は一発の魚雷を受けるが戦闘に支障なし。 19時5分、連合艦隊司令部・旗艦が戦艦武蔵から軽巡大淀に移される。 日本軍、空母群を退避させ武蔵・大和を中心とした戦艦群で米陸軍・海兵隊のサイパン上陸統合部隊を乗せた輸送船団に向けて出撃。米軍はレーダーにて連合艦隊の接近を察知し補給を中断、輸送船団を分離して戦艦アイオワを中心とした戦艦群で対抗する。 日本軍は接近戦に持ち込む為、水偵・零観を使いチャフ回廊を形成、レーダー機能を無効化する。その後両艦隊の接近、水偵・零観による米艦隊の発見により、日本軍は砲撃と駆逐艦による酸素魚雷を用いた雷撃を行うも結果は五分五分に終わり、米軍のサイパン空襲も日本軍の強靭な防空体制によって失敗に終わり、スプルーアンスはマリアナからの撤退を決意する。 |
マリアナ沖海戦は1944年6月19日に開始。日本軍は戦艦サウスダコタ及びインディアナやエセックス級空母バンカーヒルとニューオーリンズ級重巡ミネアポリスを損傷させ、約120機程の航空機を撃墜する等の善戦を挙げる。しかし、ガトー級潜水艦によって空母大鳳及び空母翔鶴を、米第38任務部隊から発進した航空隊によって空母飛鷹を撃沈される。 さらに空中戦では日本軍側は小沢治三郎中将発案のアウトレンジ戦法を利用して対抗するも、米軍側はレーダーを用いた迎撃機の誘導及びVT信管を用いた対空砲火によって日本軍の航空機の大半は次から次へと撃墜される(日本軍側の搭乗員の練度不足と疲労も否めない)。 また、サイパン島・グアム島・テニアン島も守備隊が玉砕し、米軍に占領されたことで絶対国防圏は事実上崩壊し、後に米軍はそこから爆撃機B-29による軍・民無差別の日本本土空襲を行うことになる。 (詳しくはマリアナ沖海戦を参照。) |
『別冊宝島ジパング パーフェクトBOOK』(宝島社・2002)において、『ジパング』は「全2部で構成されているとも聞いたんですが?」という編集部からの問いに対し、かわぐちは、
とコメントしている。また、コミックス第25巻P76にて主人公角松は「みらい」について、「本艦は未来の日本が保有する最初の軍艦となるのだ!!」と宣言する。しかし、結局「戦後編」はコミックス最終43巻の第417話〜最終422話、わずか6話という駆け足でなぞられるのみで終了。「みらい」もまた「戦後編」の展開を待たずして撃沈され、「未来の日本が保有する最初の軍艦」にはなれずに終わった。
音楽・音声外部リンク | |
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全曲を試聴 | |
羅針盤 - AUDIO RULEZ(歌)、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント提供のYouTubeアートトラック | |
君を見ている - BEGIN(歌)、テイチクエンタテインメント提供のYouTubeアートトラック |
話数 | サブタイトル | 脚本 | 絵コンテ | 演出 | 作画監督 |
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1 | みらい出港 | 竹田裕一郎 | 古橋一浩 | 則座誠 | 森本浩文 |
2 | ミッドウェー | 吉田俊司 | 波風立流 | ||
3 | 漂流者 | 山名隆史 | 森下昇吾 | ||
4 | みらいの戦闘 | 平向智子 | 森本浩文 | ||
5 | 草加の選択 | 則座誠 | 波風立流 | ||
6 | 攻撃命令 | 古橋一浩 | 吉田俊司 | 笠原彰 | |
7 | マレー鉄道 | ユキヒロマツシタ | 森下昇吾 | ||
8 | 追跡者 | そえたかずひろ | 山名隆史 | 森本浩文 | |
9 | デッドライン | こでらかつゆき | 筑紫大介 | 波風立流 | |
10 | 交流 | 吉田俊司 | 笠原彰 | ||
11 | ガダルカナル島 | 又野弘道 | 森下昇吾 | ||
12 | サジタリウスの矢 | 竹田裕一郎 | 又野弘道 | 則座誠 | 森本浩文 |
13 | 黄金の国 | ユキヒロマツシタ | 野口和夫 | ||
14 | 激突! | 山中英治 | 剛田隼人 | 笠原彰 | |
15 | 生者と死者 | 西村博之 | 吉田俊司 | 森下昇吾 | |
16 | 岡村少佐の意志 | 又野弘道 | 森本浩文 | ||
17 | ジパング胎動 | 古橋一浩 | こでらかつゆき | 山名隆史 | 森下昇吾・清水貴子(キャラ) 小原渉平(メカ) |
18 | 再会 | ユキヒロマツシタ | 剛田隼人 | 笠原彰 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
19 | もうひとつの参謀本部 | 田頭しのぶ | 吉田俊司 | 田頭しのぶ(キャラ) 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
20 | 伊-21号 | 山中英治 | 則座誠 | 森本浩文 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
21 | 1対40 | 村木靖 | 剛田隼人 | 波風立流(キャラ) 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
22 | 警告 | 古橋一浩 | 又野弘道 | 森下昇吾 小原渉平・練馬空技廠・そえたかずひろ(メカ) | |
23 | ワスプ撃沈 | ユキヒロマツシタ | 吉田俊司 | 笠原彰(キャラ) 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
24 | 死者と生者 | 竹田裕一郎 | こでらかつゆき | 又野弘道 | 森本浩文 小原渉平・練馬空技廠(メカ) |
25 | 帰還 | 田頭しのぶ | 岡本英樹 | 森下昇吾(キャラ) 小原渉平・練馬空技廠(メカ) | |
26 | 戻るべきところ | 古橋一浩 | 剛田隼人 | 馬越嘉彦 小原渉平・練馬空技廠(メカ) |
この節の加筆が望まれています。 |
TBS製作深夜アニメとしては、アニマックスも製作参加していた唯一の例である。ただしTBS製作・放送の深夜アニメ作品としては珍しくBS-TBSでの放送が未だに無い。また、JNN基幹局のうちCBCテレビでも未ネットである。
2008年1月17日、インターネットポータルサイト・BIGLOBEにてネット配信が開始された。
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