1980年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 73 | 44 | 13 | .624 | 優勝 |
2位 | ヤクルトスワローズ | 68 | 52 | 10 | .567 | 6.5 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 61 | 60 | 9 | .504 | 14.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 62 | 9 | .488 | 16.0 |
5位 | 阪神タイガース | 54 | 66 | 10 | .450 | 20.5 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 45 | 76 | 9 | .372 | 30.0 |
パ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 68 | 54 | 8 | .5574 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 |
4位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 |
6位 | 南海ホークス | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月25日(土) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 6 - 4 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月26日(日) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 9 - 2 | 広島東洋カープ | |
10月27日(月) | 移動日 | ||||
10月28日(火) | 第3戦 | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月29日(水) | 第4戦 | 広島東洋カープ | 2 - 0 | 近鉄バファローズ | |
10月30日(木) | 第5戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | |
10月31日(金) | 移動日 | ||||
11月1日(土) | 第6戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 6 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
11月2日(日) | 第7戦 | 近鉄バファローズ | 3 - 8 | 広島東洋カープ | |
優勝:広島東洋カープ(2年連続2回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 山本浩二 | 広島 | 木田勇 | 日本ハム | ||
最優秀新人 | 岡田彰布 | 阪神 | 木田勇 | 日本ハム | ||
首位打者 | 谷沢健一 | 中日 | .369 | L.リー | ロッテ | .358 |
本塁打王 | 山本浩二 | 広島 | 44本 | C.マニエル | 近鉄 | 48本 |
打点王 | 山本浩二 | 広島 | 112点 | C.マニエル | 近鉄 | 129点 |
最多安打 | 高橋慶彦 | 広島 | 169本 | L.リー | ロッテ | 175本 |
盗塁王 | 高橋慶彦 | 広島 | 38個 | 福本豊 | 阪急 | 54個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 山本浩二 | 広島 | 240個 | 栗橋茂 | 近鉄 | .412 |
最優秀防御率 | 松岡弘 | ヤクルト | 2.35 | 木田勇 | 日本ハム | 2.28 |
最多勝利 | 江川卓 | 巨人 | 16勝 | 木田勇 | 日本ハム | 22勝 |
最多奪三振 | 江川卓 | 巨人 | 219個 | 木田勇 | 日本ハム | 225個 |
最高勝率 | 福士敬章 | 広島 | .714 | 木田勇 | 日本ハム | .733 |
最優秀救援投手 | 江夏豊 | 広島 | 30SP | 金城基泰 | 南海 | 19SP |
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
→詳細は「1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第52回選抜高等学校野球大会優勝:高知商(高知県)
- 第62回全国高等学校野球選手権大会優勝:横浜(神奈川県)
大学野球
- 第29回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
- 第11回明治神宮野球大会優勝:日本体育大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1980年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- フィラデルフィア・フィリーズ(ナ・リーグ) (4勝2敗) カンザスシティ・ロイヤルズ(ア・リーグ)
できごと
1月
2月
- 2月4日 - 野球体育博物館の特別表彰委員会が開かれ、千葉茂を特別表彰者として選出[12]。
- 2月9日 - 横浜大洋ホエールズは球団初となる日本国外でのキャンプ地となる米アリゾナ州メサ市に到着[13]。
- 2月13日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、来年1月より外国人選手の枠を現行の1球団2人から3人へ増やすことを正式に決定。一軍出場は従来通り2人まで[14]。
- 2月15日 - 阪神は米アリゾナ州メサキャンプの宿舎「ホリデーイン」にて、前ヤクルトのデーブ・ヒルトンの入団を発表[15]。
- 2月18日 - 巨人は前ニューヨーク・ヤンキースのロイ・ホワイトの入団が正式に決定。球団常務の佐伯文雄がアメリカに渡り、ホワイトの代理人と契約書に調印[16]。
3月
4月
- 4月5日 - プロ野球がセ・パ同時に開幕[18]。
- 4月6日 - 第52回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、高知商が広陵を5-1で破り初優勝[19]。
- 4月8日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対大洋1回戦の一回裏に1号2点本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[20]。
- 4月9日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対大洋2回戦の三回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[21]。
- 4月12日 - 西武ライオンズの土井正博が西武球場での対近鉄2回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[22]。
- 4月18日 - 西武の土井正博が西武球場での対ロッテ前期1回戦の一、三回裏に四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[23]。
- 4月20日 - 日本ハムのトニー・ソレイタが大阪球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の3回戦の第一、二、三、五打席目で本塁打を打ち、4打数連続本塁打を記録。「1試合4連続本塁打」は王貞治に次ぎ2人目[24]。
- 4月21日 - 元立教大学野球部監督の辻猛が脳血せんのため福岡市の病院にて1時30分死去[25]。
- 4月23日 - 大洋の松原誠が横浜スタジアムでの対阪神4回戦での一回裏に1号3点本塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[26]。
- 4月27日 - ヤクルトスワローズの松岡弘が神宮球場での対阪神2回戦の六回表から登板し、プロ通算500試合登板を達成[27]。
- 4月29日 - 西武の田淵幸一が仙台宮城球場で行われた対ロッテダブルヘッダー第二試合の5回戦の一回表に3号2点本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[28]。
- 4月30日 - 仙台宮城球場にてロッテ対西武の6回戦が行われ、ロッテの張本勲が1回裏に安打を放ちプロ通算5000塁打を達成[29]、西武の山崎裕之が3回表に5号本塁打、9回表に6号本塁打を放ちプロ通算200本塁打を達成[30]。
5月
6月
- 6月1日
- 6月2日 - 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対ヤクルト7回戦に先発して6回降雨コールドゲームで勝ち投手となり、プロ通算200勝を達成[39]。
- 6月6日
- 6月8日 - 阪神の江本孟紀が甲子園球場での対広島7回戦の5回表に衣笠祥雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上59人目[42]。
- 6月11日 - 巨人のジョン・シピンが後楽園球場での対広島8回戦に出場し、プロ野球通算1000試合出場達成[43]。
- 6月12日
- 6月14日
- 6月19日 - 阪急の松本幸行が大阪球場での対南海11回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[48]。
- 6月22日 - ロッテの村田兆治が川崎球場での対南海11回戦の五回表に久保寺雄二から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[49]。
- 6月23日 - 南海の杉田久雄と広島の岡義朗の交換トレードを両球団が発表[50]。
- 6月25日
- プロ野球はこの日公式戦4試合が行われ、公式戦通算30002試合となる[51]。
- 西武が新外国人選手としてシカゴ・カブスのスティーブ・オンティベロスの入団を正式発表。登録名は「スティーブ」。これに伴い、テーラー・ダンカンを任意引退にしたと発表[52]。
- 6月26日 - 日本ハムの冨田勝が西宮球場での対阪急12回戦の一回表に3号本塁打を打ちプロ通算100本塁打、七回表に安打を打ちプロ通算1000安打を達成[53]。
- 6月27日 - 川崎球場でのロッテ対日本ハム13回戦でロッテが日本ハムに3-1で勝ち、西京極球場での阪急対近鉄12回戦で近鉄が阪急に10-12で敗れたため、ロッテの前期優勝が決定[54]。
- 6月28日
- 近鉄のチャーリー・マニエルが日生球場での対ロッテ10回戦の七回裏に21号2点本塁打を打ち、プロ野球通算150本塁打を達成[55]。
- 中日は梅田邦三を日本ハムへ金銭トレードすると発表。
7月
- 7月1日 - 西武の土井正博が西武球場での対ロッテ前期13回戦の四回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[56]。
- 7月4日
- 7月5日
- 7月7日 - 西武球場での西武対近鉄の後期4回戦の六回裏西武の攻撃中に、近鉄の監督の西本幸雄が球場で打ちあげられた花火の煙でボールが見えないと抗議し、試合が5分中断[61]。中断後、一死一、二塁でジム・タイロンの打席でカウント2-1となった時、西本が再び濃霧でボールが見えないので試合ができないと抗議、試合が29分中断[62]。
- 7月10日
- 7月17日 - 近鉄の平野光泰が西宮球場での対阪急後期3回戦でサイクル安打を達成。史上32人目(33度目)[65]。
- 7月19日 - オールスターゲーム第1戦(西宮)で阪神の岡田彰布が、日本ハムの間柴茂有からオールスター史上初の新人初打席初本塁打[66]。
- 7月29日
8月
- 8月1日 - 西武の野村克也が西武球場での対南海後期4回戦に先発出場し、日本プロ野球史上初の通算3000試合出場[70][71]。同年の現役引退時の記録は3017試合。
- 8月4日 - 広島の衣笠祥雄が後楽園球場での対巨人14回戦に先発出場し、飯田徳治の1246試合連続出場を更新する1247試合連続出場のプロ野球新記録[72]。
- 8月5日 - PL学園硬式野球部の新監督にコーチの中村順司が就任。
- 8月7日
- 8月8日 - 日本ハムの木田勇が後楽園球場での対西武後期2回戦で、プロ野球史上初の2試合連続の毎回奪三振となる12奪三振を記録[76]。
- 8月10日
- 8月12日 - 西武の田淵幸一が西武球場での対ロッテ後期11回戦の三回裏に29号本塁打を放ち、西武はこれで日本プロ野球新記録の24試合連続本塁打[80]。
- 8月13日 - 南海の藤原満が大阪球場での対近鉄後期3回戦の六回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[81]。
- 8月16日 - 後楽園球場での巨人対阪神17回戦で、巨人の江川卓、阪神の小林繁が先発登板して両者の投げ合いが実現、試合は5対3で巨人が勝利。江川は176球を投じて完投して10勝目、小林は5回3失点で降板し、敗戦投手となる[82]。
- 8月19日 - 阪神の岡田彰布が広島市民球場での対広島15回戦の二回表に13号本塁打を放ち、これがセ・リーグ通算2万本塁打となる[83]。
- 8月20日 - 中日は兼任コーチの高木守道の現役登録を抹消して一塁ベースコーチとする[84]。
- 8月22日 - 第62回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、エース愛甲猛を擁する神奈川県代表の横浜が東東京代表の早稲田実業を6-4で破り初優勝。※容姿端麗な荒木大輔(早実)が注目を集め、その悲劇性と相まって空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした[85]。
- 8月30日
9月
- 9月2日 - 日本ハムの木田勇が日生球場での対近鉄後期9回戦で毎回奪三振16を記録、日本プロ野球初のシーズン3度目の毎回奪三振[88]。
- 9月5日
- 9月6日 - 広島の衣笠祥雄が広島球場での対阪神18回戦の1回裏に阪神の江本孟紀に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録[91]。
- 9月7日 - 広島の山本浩二が広島球場での対阪神19回戦の2回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[92]。
- 9月11日 - 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日23回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上64人目[93]。
- 9月13日 - 阪急の福本豊が日生球場での対近鉄後期9回戦の1回表に三盗を成功させ、プロ通算800盗塁を達成[94]。
- 9月23日 - 中日の木俣達彦がナゴヤ球場での対巨人23回戦で12号、13号本塁打を放ち通算269本塁打を記録し、江藤真一の持つ268本塁打の球団最多本塁打の記録を更新[95]。
- 9月28日 - ロッテの張本勲が川崎球場での対近鉄ダブルヘッダーの第1試合の後期10回戦の1回裏に11号本塁打を放ち、日本プロ野球史上3人目の通算500本塁打を達成[96]。
- 9月30日
10月
- 10月2日 - 南海の金城基泰が大阪球場での対阪急後期12回戦で9回表二死一、二塁の場面でリリーフ登板し、初球を投げる前に一塁走者の福本豊を牽制球でタッチアウトしてゲームセットとなり「0球セーブ」を記録[99]。
- 10月3日 - 西武の東尾修が後楽園球場での対日本ハム後期13回戦に先発して完投で16勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[100]。
- 10月4日
- 10月5日
- 10月7日 - 日本ハム対近鉄の後期13回戦が後楽園球場にて行われ、日本ハムはこの試合が後期最終戦で、勝てば後期優勝が決定したが、近鉄が日本ハムを6-5と下し、パ・リーグ後期優勝の決定は持ち越しとなる[105]。
- 10月10日 - 西武の山下律夫が西宮球場での対阪急後期13回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[106]。
- 10月11日
- 10月17日 - 阪神対広島の26回戦が甲子園球場で14時より行われ広島が阪神を6-3と下し、2位のヤクルトが神宮球場での対中日20回戦で1-4と敗れたため、広島のリーグ優勝が決定[109]。
- 10月18日 - パ・リーグプレーオフ第3戦が大阪球場で行われ、近鉄がロッテに13-4で勝利し、3勝0敗でパ・リーグ優勝[110]。
- 10月21日 - 巨人は東京・大手町の読売新聞社会議室にて17時より記者会見し、監督の長嶋茂雄が辞任し、野球評論家の藤田元司が新監督に就任したと発表[111][112]。
- 10月23日 - 大洋はフェリックス・ミヤーンの自由契約を決定。また一軍守備・走塁コーチの森下整鎮が球団に辞表を提出し、受理された[113]。
- 10月24日 - 中日は球団OBで野球評論家の近藤貞雄が新監督に就任したと発表[114]。
- 10月27日 - 巨人はジョン・シピンを自由契約とした[115]。
11月
- 11月2日 - 日本シリーズ第7戦が広島市民球場で行われ広島が近鉄に8-3で勝利し、4勝3敗で2年連続日本シリーズ優勝を達成[116]。
- 11月4日
- 11月5日
- 11月6日 - 沢村栄治賞の選考が12時から東京・数寄屋橋のニュートーキョーにて東京運動記者クラブによる選考委員会によって行われ、「該当者なし」と決定[122]。
- 11月8日
- 11月10日 - 広島と日本ハムは江夏豊と高橋直樹のトレードを発表[124]。
- 11月12日 - 第51回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で行われ、富士市の大昭和製紙が札幌市の札幌トヨペットを8-3で下し三度目の優勝[125]。
- 11月15日 - 西武の野村克也が池袋の球団事務所にて記者会見を行い、現役引退を表明[126]。
- 11月17日 - 巨人の高田繁が東京・大手町の読売新聞本社にある球団事務所を訪れ、オーナーの正力亨と球団代表の長谷川実雄に対し現役引退を申し出て了承される[127]。
- 11月23日 - 王貞治が巨人軍ファン感謝デーでの引退セレモニーで、山口百恵引退コンサートの演出に倣い、バットとミットをそれぞれ左打席と一塁ベースに置くパフォーマンスを見せた[128]。
- 11月26日 - 1980年度プロ野球新人選択会議が11時から東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、東海大学の原辰徳は巨人、社会人野球・プリンスホテルの石毛宏典は西武、横浜高校の愛甲猛はロッテが交渉権を獲得[129]。
12月
誕生
要約
視点
1月
2月
3月
4月
以下の選手は松坂世代を参照
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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