リッチ・ヒル

アメリカのプロ野球選手 (1980-) ウィキペディアから

リッチ・ヒル

リチャード・ジョセフ・ヒルRichard Joseph Hill, 1980年3月11日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のプロ野球選手投手)。左投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。

概要 基本情報, 国籍 ...
リッチ・ヒル
Rich Hill
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ボストン・レッドソックス時代
(2024年9月4日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ボストン
生年月日 (1980-03-11) 1980年3月11日(44歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 MLBドラフト4巡目
初出場 2005年6月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ
プレミア12 2024年
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

1999年MLBドラフトで36巡目(全体1088位)シンシナティ・レッズから指名されたが、入団せず。

2001年MLBドラフト7巡目(全体209位)でアナハイム・エンゼルスから指名されたが、この時も入団せず。

プロ入りとカブス時代

2002年MLBドラフト4巡目(全体112位)でシカゴ・カブスから指名され、7月10日に入団。

2005年6月15日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たす。4試合に先発し、0勝2敗でシーズンを終えた。

2006年の開幕はマイナーで迎えるものの、5月4日にメジャー昇格。しかし、4連敗を記録し、再びマイナーに降格を命じられた。7月22日に再び昇格し、8月にはデビュー以来10回目の先発でようやく初勝利を挙げる。その後は安定した成績を残し、シーズン末まで先発ローテーションの一角としての役割を果たした。

2007年は開幕時から先発ローテーション入り。シーズン通して先発ローテーションを守り抜き、32試合に先発登板した。11勝8敗、防御率3.92と好投を見せた。

2008年はシーズン開幕早々、制球難で大荒れのピッチングが続き、5月2日にAAA級アイオワ・カブスに降格された。しかし、その後も乱調が続き、6月20日にはルーキー級アリゾナリーグ・カブス英語版にまで降格となったが、7月18日にはA+級デイトナ・カブスに昇格。9月1日にはセプテンバー・コールアップにより、メジャーに呼び戻された。

オリオールズ時代

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ボルチモア・オリオールズ時代
(2009年5月27日)

2009年2月2日に金銭トレードで、ボルチモア・オリオールズへ移籍。オフの11月3日にFAとなった。

レッドソックス時代 

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ボストン・レッドソックス時代
(2012年5月21日)

2010年1月26日にセントルイス・カージナルスと契約したが6月30日にFAとなり、そのままボストン・レッドソックスと契約した。11月6日にFAとなったが、12月16日にレッドソックスと再契約。

2011年はシーズン途中にトミー・ジョン手術を受けた[1]。オフの12月12日にFAとなったが、翌13日に再契約。

2012年11月30日にFAとなった。

インディアンス時代

2013年2月7日にクリーブランド・インディアンスと契約した。オフの10月31日にFAとなった。

エンゼルス時代

2014年1月31日に古巣のレッドソックスとマイナー契約を結んだ[2]。傘下のAAA級ポータケット・レッドソックスで25試合に登板して3勝3敗2セーブ、防御率3.23だった。7月1日に金銭トレードで、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した[3]。同日に行われたシカゴ・ホワイトソックスとのダブルヘッダー1戦目で、5点リードの9回裏から登板。しかし1安打、1失点、2四球で一死も取れず降板[4]。2戦目には6回裏二死から登板したが、1人目の打者のアダム・イートン暴投と四球を与え、一死も取れず降板した[4]。その後登板はなく、7月5日にDFAとなり、9日に自由契約となった。

ヤンキース時代

2014年7月16日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで4試合に登板し、防御率0.00と好投。8月5日にヤンキースとメジャー契約を結んだ[5]

ヤンキース退団後

2015年2月27日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。6月24日に自由契約となり、7月28日に独立リーグであるアトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約した。

レッドソックス復帰

2015年8月14日にレッドソックスとマイナー契約を結んだ。9月8日にメジャー契約となり、40人枠入りした。レッドソックスでは、4試合に先発登板する機会を与えられ、通算200試合登板を達成した。投球は、防御率1.55、29.0イニングで36個の三振を奪う圧倒的なピッチングを披露した。11月2日にFAとなった[6]

アスレチックス時代

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オークランド・アスレチックス時代
(2016年5月7日)

2015年11月17日にオークランド・アスレチックスと1年契約を結んだ[7]

2016年4月4日に行われたホワイトソックスとのシーズン開幕戦では、本来先発予定だったソニー・グレイ食中毒により登板を回避したため、代役として開幕投手を務めた(結果は2.2回を4失点で敗戦投手)[8]。この年はシーズン途中の時点で14試合に先発登板して9勝3敗、防御率2.25、WHIP1.09という好成績を残していた。また、76.0回で90奪三振、奪三振率10.7と、高い三振奪取能力も発揮していた。

ドジャース時代

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ロサンゼルス・ドジャース時代
(2018年7月24日)

2016年8月1日にジャレル・コットングラント・ホームズ英語版フランキー・モンタスとのトレードで、ジョシュ・レディックと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[9]。ドジャース加入後は6試合に先発登板。ピッチングは凄みを増し、防御率1.83、3勝2敗、WHIP0.79、与四球率1.3、奪三振率10.2という好成績を残した。移籍前との合算では、20試合の先発登板で12勝5敗、防御率2.12、110.1回で33四球、129奪三振(奪三振率10.5)、WHIP1.00という素晴らしい内容だった。11月3日にFAとなったが、12月5日に3年総額4800万ドルで再契約した[10]

2017年8月23日のピッツバーグ・パイレーツ戦で8回までパーフェクトピッチングであったが、9回に味方の失策で出塁を許し、それでも9回まで無安打で抑えたもののドジャースも得点を奪えず延長戦に突入し10回裏ジョシュ・ハリソンにサヨナラ本塁打を浴びノーヒットノーランを逃した上に敗戦投手となった[11]。シーズン通算では25試合に先発登板し、135.2回ながら12勝8敗、防御率3.32、WHIP1.09と37歳にして自身初となる2年連続2桁勝利を記録した。

2019年は、腕と膝の負傷で3回故障離脱しながらもシーズンを全うし、ナショナルズと戦ったナ・リーグ地区シリーズの第4戦にも先発した。オフにFAとなった。12月21日にマサチューセッツ州フォックスボロで行われたNFLニューイングランド・ペイトリオッツバッファロー・ビルズの1戦を観戦に訪れた際、妻の手荷物が発端となり、入場トラブルを起こし逮捕された。2人で計1000ドルの罰金が科された[12][13]が、同日に難病や逆境を克服して活躍した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞した[14]

ツインズ時代

2019年12月31日にミネソタ・ツインズと300万ドルの1年契約を結んだ[15]

2020年オフの10月28日にFAとなった[16]

レイズ時代

2021年2月17日にタンパベイ・レイズと250万ドルの1年契約を結んだ[17]

メッツ時代

2021年7月23日にトミー・ハンターマット・ダイアーとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[18]。オフの11月3日にFAとなった。

2度目のレッドソックス復帰

2021年12月1日にレッドソックスと500万ドルの1年契約を結んだ[19]。オプションとして最大300万ドルの出来高が含まれる[20]

2022年オフの11月6日にFAとなった[21]

パイレーツ時代

2022年12月17日にピッツバーグ・パイレーツと1年総額800万ドルで契約を結んだ。

パドレス時代

2023年8月1日にアルフォンソ・リバス英語版ジャクソン・ウルフ、エスター・スエロとのトレードで、崔志萬と共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した[22]。オフの11月3日にFAとなった[23]

3度目のレッドソックス時代

2024年8月17日にレッドソックスとマイナー契約を結び、翌18日にAAA級ウースターに配属された。27日にメジャー昇格。4試合に登板した後、9月6日にDFA、9日に自由契約となった。オフの10月22日には第3回プレミア12アメリカ代表に選出されたことが発表された。また、併せて現役を続行することを表明した。

選手としての特徴

アルバート・プホルスの引退後は、全MLB選手の中で最年長選手となった。

出身地であるボストンに本拠地を置くボストン・レッドソックスに2010~12年、2015年、2022年、2024年と4度の在籍経験があるほか、2023年にサンディエゴ・パドレスの選手として出場するまで、合計メジャー13球団に在籍経験があり、メジャーリーグでも屈指のジャーニーマンの1人に数えられる。

投球スタイル

球速110km/h台後半の落差の大きな緩いカーブを主体とする軟投派投手。基本はスリークォーターだが、まれに上体を倒しサイドスローで投球することもあり、試合の中で使い分けている。メジャー昇格した頃は、実に投球全体の約75%をカーブで占めており、平均球速145km/hのツーシームとの2球種だけでプレーしていた。2012年からチェンジアップ、2013年からはスライダーを投げるようになり、フォーシームは2015年からで比較的、最近に持ち球とするようになった。2016年は約50%をカーブ、約45%をフォーシームとしており、それ以外の球種は稀にしか投げず、実質2球種に近い。軟投派でありながら速球には球速以上の球威があり、カーブの精度も高い。そのため、奪三振能力が高く30代後半のドジャース在籍時代にピークを迎えるほか、被打率・被安打率も悪くない数字を残している。一方で、最大の課題はコントロールだが、2015年からは大幅に改善が見られている[24]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2005 CHC 1040000200.00011523.22531711210024249.131.77
2006 17162106700.46241799.183163912903051464.171.23
2007 323200011800.579812195.017027633121831189853.921.19
2008 5500010001.0008919.213218011510994.121.58
2009 BAL 14130003300.50027557.26874021461153507.801.87
2010 BOS 6000010011.000184.050100300000.001.50
2011 900000003----308.0303011210000.000.75
2012 25000010061.0008319.217011102100441.831.42
2013 CLE 63000012013.33318238.23832962516130276.281.73
2014 LAA 200000000.00040.01030001011--------
NYY 1400000001.000255.160311900111.691.69
'14計 1600000001.000295.170611910223.382.44
2015 BOS 441102100.66710629.01425023600551.550.66
2016 OAK 14140009300.75031176.05522808900022192.251.09
LAD 660003200.60012834.12225003900771.830.79
'16計 202000012500.706439110.177433081290029261.831.00
2017 252510112800.600782135.2991849191662151503.321.09
2018 252400011500.688547132.21082041381502157543.661.12
2019 13130004100.80024258.248101824720020162.451.13
2020 MIN 880002200.50015638.22831701311013133.031.16
2021 TB 19190006400.60038995.175143608913141413.871.16
NYM 13120001400.20027263.16271908590029273.841.28
'21計 32310007800.467661158.213721550161503170683.861.21
2022 BOS 26260008700.533526124.11251537041090267594.271.30
2023 PIT 222200071000.412530119.01291547041041170634.761.48
SD 1050001400.20013027.13681103251028258.231.72
'23計 322700081400.364660146.11652358071292198885.411.52
2024 BOS 400000100.000153.211301500224.911.09
MLB:20年 3862484219074024.54959541409.01231175543218114282496746284.011.26
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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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投手(P)












2005 CHC 1011001.000
2006 172710.900
2007 3242240.867
2008 502001.000
2009 BAL 141910.909
2010 BOS 60000----
2011 910011.000
2012 2544011.000
2013 CLE 633410.875
2014 LAA 20000----
NYY 140000----
'14計 160000----
2015 BOS 41210.750
2016 OAK 144721.846
LAD 6010001.000
'16計 2041721.913
2017 2521010.923
2018 25112001.000
2019 132810.909
2020 MIN 80410.800
2021 TB 1901310.929
NYM 1324001.000
'21計 3221710.950
2022 BOS 263911.923
2023 PIT 2261212.947
SD 1003001.000
'23計 3261512.955
2024 BOS 401001.000
MLB 38637144166.919
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  • 2024年度シーズン終了時

表彰

MLB

国際大会

代表歴

背番号

  • 53(2005年 - 2008年、2010年 - 2013年)
  • 51(2009年、2014年 - 同年途中)
  • 57(2014年途中 - 同年終了)
  • 62(2015年)
  • 18(2016年 - 同年途中)
  • 44(2016年途中 - 2020年、2022年 - 2024年)
  • 14(2021年 - 同年途中)
  • 21(2021年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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