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『永遠の0』(えいえんのゼロ)は、百田尚樹による日本の小説、またそれを原作とした漫画・映画・テレビドラマ。小説本はオリコン本ランキングで史上初となる400万部を突破した[1]。
永遠の0 | ||
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著者 | 百田尚樹 | |
発行日 | 2006年8月23日 | |
発行元 | 太田出版 | |
ジャンル | 歴史小説、戦記、戦争文学 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 四六判 | |
ページ数 | 448 | |
公式サイト | 太田出版 永遠の0 | |
コード |
ISBN 978-4-7783-1026-4 ISBN 978-4-06-276413-1(A6判) | |
ウィキポータル 文学 | ||
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放送作家として『探偵!ナイトスクープ』などを手がける百田の作家デビュー作であり、執筆にあたっては第二次世界大戦(大東亜戦争)で出征した著者の父親や親族が影響を与えている。
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
司法試験浪人の佐伯健太郎と、出版社(新聞社)に勤める姉の佐伯慶子は、亡くなった祖母・松乃の四十九日からしばらくしたころ、祖父・賢一郎から彼が自分達の実の祖父ではないことを知らされる。第二次世界大戦後、松乃は二人の母・清子を連れて賢一郎と再婚しており、実の祖父は終戦間際に特攻で戦死した海軍航空兵だと判明する。
それから6年後、司法試験浪人が長く続き人生の目標を見失っていた健太郎は、フリーライターとなった慶子から、新聞社主宰の終戦60周年記念プロジェクトのアシスタントを頼まれる。プロジェクトを進める新聞記者の高山隆二は神風特攻隊のことをテロリストだと語るが、祖父の話もありその考えに釈然としない慶子は、このプロジェクトに際して特攻隊員だった実の祖父について調べようと決めた。姉弟はわずかな情報を元にその足取りを追い始める。
厚生労働省や方々の戦友会に連絡を取ったところ、実祖父の名が宮部久蔵であり、関係者9人が存命であることが知れた。その内の一人、戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だったという人物・長谷川梅男を訪ねるが、元海軍少尉の長谷川は久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」「海軍軍人の風上にも置けない奴と思った。」と姉弟に蔑みの言葉をぶつけた。
健太郎は元戦友から聞く祖父の話に困惑し、次第に調査を続ける気をなくしていたが、母から健太郎と同じ26歳で亡くなった父・久蔵がどんな青年だったのか知りたいと改めて頼まれ、さらに手がかりとなる海軍従軍者達を訪ね歩く。だが、生前の久蔵を知る者達の語ることは「生きるということを教えてもらった」と感謝を述べる者もいれば、「航空隊員として軽蔑されていた」などとそれぞれに全く違っており、調べるほどにその人物像は謎に包まれていた。
戸惑いつつも二人は、国のために命を捧げるのが当然だったといわれる戦時下の日本と、そこに生きた人々の真実について調べてゆく。
凄腕の零戦乗りで、卑怯者と誹られても「娘に会うまでは死なない」と松乃との約束を守り続けていた久蔵は、どのような生涯を送り特攻を選んだのか。実は久蔵は、特攻出撃の際、自機が整備不良であることに気づき、これに搭乗すれば生還できるという理由から、その機を前途有為な学生パイロットの一人に譲る。そのパイロットこそ、二人の祖父・賢一郎であった。終戦から60年を経て、各々の壮絶な生き方と封じられていた事実を明らかにする。
この節の加筆が望まれています。 |
空母タイコンデロガの艦長
エピローグに登場。近接信管を始めとする激しい対空砲火をくぐり抜けて来た宮部に敬意を表し、水葬に付す。実は彼の息子は真珠湾で戦死しており、その態度は非常に立派なものだった。
空母タイコンデロガの砲手
プロローグとエピローグに登場。タイコンデロガの五インチ高角砲の砲手。宮部の操縦技術に恐怖する。
トニー・ベイリー
第五章に登場。アメリカ軍の戦闘機パイロット。宮部の乗る零戦に撃墜され、脱出するも、そのパラシュートを宮部に銃撃される。しかし、低高度での出来事だったため、勢いがつく前に海に落下し、生還する。
双葉社『漫画アクション』誌上で2010年1月から2012年2月まで連載された。作画は須本壮一(本そういち)。アクションコミックスから全5巻が出版されている。
主演は岡田准一。第38回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品。
2013年12月21日から全国430スクリーンで公開され、初日2日間の観客動員数は約42万9000人、興行収入約5億4200万円[9]。その後興行成績で8週連続第1位となった[10]。幅広い客層を集めてロングランが続き、観客動員数は700万人、累計興行収入86億円を突破、歴代の邦画実写映画で6位にランクインする大ヒットを記録し[11]、文化通信社調べによる2014年邦画興行収入第1位を記録した[7]。
原作はこれまでにも映画・ドラマ化の話が上がっていたものの、いずれも脚本上の問題等から実現には至らなかったが、山崎貴・林民夫による企画内容を受け著者である百田尚樹が快諾し、初の映像化となった[2][12]。
2014年に第16回イタリア ウディネ・ファーイースト映画祭でグランプリを受賞。日本作品の受賞は2009年の『おくりびと』以来の快挙となった[11]。
撮影にあたり、作中に登場する旧日本海軍の零戦二一型の原寸大模型が制作されたほか、唯一現存するオリジナルエンジンで飛行可能な零戦からエンジン音が収録された[13]。制作された零戦は、撮影終了後ゆかりの地である大分県宇佐市によって買い取られ、構想中の宇佐市平和ミュージアム(仮称)に展示される[14]。撮影には徹底した軍事訓練と零戦搭乗経験者による指導を要し[15]、奄美大島や鹿児島、茨城などを中心に、膨大な空撮を含む3ヶ月にわたるロケが敢行された[16]。
山崎貴監督作品としては、初めて民放テレビ局が製作に関与していない作品となっている。また、主人公・宮部の配役には監督が元共演者である堤真一を通してその求道的な姿勢を聞き及んでいたことがきっかけとなり、岡田准一の出演が決まった[17]。
「蛍」
2014年7月23日発売[18]。2014年、TSUTAYAが発表したレンタルDVD/ブルーレイ年間ランキングで第3位を獲得[19]。
回数 | テレビ局 | 番組名(放送枠名) | 放送日 | 放送時間 | 放送分数 | 視聴率 | 備考 |
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1 | 日本テレビ | 金曜ロードSHOW! | 2015年7月31日 | 19:58 - 22:54 | 178分 | 13.2% | 本編ノーカットで地上波初放送された[20] 。 本編開始前に、主演の岡田准一のコメント映像などがあったため、本編は20:01からスタートとなった。 |
テレビ東京開局50周年特別企画として、2015年2月11日 20:54 - 23:18、14日 20:58 - 23:14、15日 20:54 - 23:24の3夜にわたって放送された。視聴率は第1夜が9.0%、第2夜が7.5%、第3夜が9.9%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)でいずれも2ケタには届かなかったものの、テレビ東京の高橋雄一社長は「非常によく作られていたし、こうした骨太のドラマをやりきったという点では評価している」と前向きなコメントを出した[21]。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送日・放送時間 (JST) | 備考 |
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関東広域圏 | テレビ東京 | テレビ東京系列 | 第1話:2015年2月11日 20:54 - 23:18 第2話:2015年2月14日 20:58 - 23:14 第3話:2015年2月15日 20:54 - 23:24 |
制作局 |
北海道 | テレビ北海道 | 同時ネット | ||
愛知県 | テレビ愛知 | |||
大阪府 | テレビ大阪 | |||
岡山県・香川県 | テレビせとうち | |||
福岡県 | TVQ九州放送 | |||
岐阜県 | 岐阜放送 | 独立放送局 | ||
滋賀県 | びわ湖放送 | |||
奈良県 | 奈良テレビ | |||
和歌山県 | テレビ和歌山 | |||
鹿児島県 | 南日本放送[注 1] | TBS系列 | 第1話:2015年3月11日 19:30 - 21:54 第2話:2015年3月18日 19:30 - 21:51 第3話:2015年3月25日 19:20 -21:51 |
遅れネット |
上記以外に、テレビ東京系列のない地域において、系列外遅れネットを行った局が複数あった。
2016年8月15日にオーディオブック配信サービス「FeBe」(現・audiobook.jp)から配信開始。配信にあわせ久蔵の妻・松乃役の小芝風花が原作者百田尚樹と対談し[23]、『SCHOOL OF LOCK!』 終戦記念日特別番組に生出演するTOKYO FMとのコラボ企画が行われた[24][25][26]。
出版当時の読者層はわずかな60代以上の男性が占めていたが、口コミで次第に広がり2013年以降は特に10代・20代の読者も増加した[2]。累計販売部数は2013年12月時点で約480万部[36] その後も映画化・ドラマ化の影響で販売を伸ばし、2014年7月時点では530万部に及ぶ[37]。映画のヒットや作品の普及につれ少なからず反響が起こり、政治思想を問わず読者として安倍晋三をはじめ、政界、芸能界、法曹界、スポーツ界の著名人に取り上げられるとともに、その賛否も話題となった。批判としては「特攻を美化している」「戦争賛美」といったものであり、これについて著者である百田尚樹は自身のTwitter等で、「私は『永遠の0』で特攻を断固否定した」「戦争を肯定したことは一度もない」と述べ、テーマは「生きるということ」と「戦争を風化させないこと」と語っている[38]。「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う。文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判(井上成美まで悪し様に書いた)と怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」とコメントした[39]。
また、映画化以降特に第二次世界大戦に関連した作品が重なったこともあり、戦争の歴史に対する関心が高まった。2013年6月に宇佐海軍航空隊のあった大分県宇佐市に平和資料館が暫定オープンしたほか[40]、同年12月に作中に登場する茨城県旧筑波海軍航空隊史跡が記念館としてオープンし、4ヵ月で全国から2万6000人が訪れた[41]。福岡県筑前町立大刀洗平和記念館など、特攻隊ゆかりの地や資料館の訪問者も比較的若い世代を中心に大きく増加し[42]、日本海軍の軍人・軍属の人事記録を管理する厚生労働省には、孫など親族から軍人履歴原表の開示を求める申請が増えている[43]。
全作品
日中戦争後期から、太平洋戦争を通して使用された、大日本帝国海軍の主力戦闘機。分類としては艦上戦闘機だが、戦闘爆撃機・特攻機としても運用された。宮部らが搭乗していた二一型・五二型や、二二型、三二型などの数多くの派生型が開発された。特攻の際、宮部の搭乗する二一型は250kg爆弾を積んでいるが、その他の五二型は500kg爆弾を積んでいることがわかるように、型によって武装、爆弾搭載能力などに違いがあり、二一型と五二型ではエンジンや全幅、機関砲の装弾数などが異なっている。現在でも世界中に十数機が現存しており、何機かは飛行可能。うち一機(機体ナンバー:中島第5357号、尾翼番号:61-120、プロペラ軸が薄緑[67])は現存する栄二一型エンジンを搭載して飛行できる。
太平洋戦争を通して使用された、大日本帝国海軍の陸上攻撃機。日中戦争時から太平洋戦争初頭に使用された九六式陸上攻撃機とともに、前世代の九五式陸上攻撃機(大攻)と対になる中攻と呼ばれた。進んだ設計であり、欧米にも性能的には引けを取らなかったが、エンジンはどうしても欧米並みの大馬力にできなかったことで、軽量化を行った結果、燃料タンクの防弾性が貧弱になった。そのため、被弾すると発火、爆発しやすい事から「ワンショット・ライター」[注 13] と連合国側搭乗員に揶揄されていた。しかし、近年では頑丈であったという米軍機搭乗員からの証言もあり、機体性能を見直す動きが広がっている。映画では部隊指揮所の内側視点からのカメラで駐機されているのが映っている。ドラマにおいては、一式陸攻を長谷川が直掩していた際に、迫りくるF4Fからこれを守ろうとして撃たれ、右手を失った。
書籍&映画
太平洋戦争を通じて使用された、大日本帝国海軍の艦上戦闘機。零戦と同じ設計者の堀越二郎が設計を手がけ、零戦の出現までは世界で最も優れた戦闘機の一つであった。長谷川が操練卒業後、昭和16年初めに中国・漢口へ配属になった際に搭乗していた機体。
日本海軍が開発した特攻兵器。機首部に大型の徹甲爆弾を搭載し、機体は小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。グライダーのように滑空して敵艦に接近し、固体燃料ロケットを作動させて加速して敵艦に突入する。アメリカ軍からは、自殺(攻撃)を行う「愚か者」の機体との意味合いで、日本語の「馬鹿」にちなんだBaka Bomb(単にBakaとも)というコードネームで呼ばれており[70][71]、作中では桜花で戦死した特攻隊員の遺族が、「狂った軍隊の史上最大の『バカ作戦』で戦死させられて哀れだ」と嘆くシーンがある[72]。
しかし、アメリカ軍は、桜花のことをもっとも危険な対艦兵器で、アメリカ軍の砲手やパイロットらにとってこれまでに遭遇したもっとも手に負えない攻撃目標であると評価しており[73]、 桜花に撃沈された駆逐艦マナート・L・エベールのオールトン・E・パーカー艦長は「それは今まで目にしたどんな飛行機よりも速かった。プロペラやエンジンは見かけられなかったので、この機体はジェットかロケットを推力にしているものと思われた。」と報告している[74]。また同日に桜花が命中したのにもかかわらず、桜花の速度が速すぎて、艦体を貫通してしまったので幸運にも撃沈を免れたスタンリー (駆逐艦)の砲術長は「このミサイルが艦艇装備の自動火器の射程内まで接近しても、何物もその突進を停止させたり、その方向を変換させるのは無理である」と報告している[73]。この後、アメリカ軍は桜花に対して徹底的な対策を講じている[75]。
戦後においても、アメリカの歴史家サミュエル・モリソンは、桜花について「小型なことと、とてつもないスピードのため、桜花はわが軍の艦船に対する最悪の脅威となった。それは、ロンドンを襲ったドイツの誘導ミサイルにほぼ匹敵する脅威となった。」と述べている[76]。作家ジョン・トーランドは、当時のアメリカ軍艦隊全体の状況として「桜花を『BAKA』と蔑んでみても、アメリカ軍艦隊全体に広まった恐怖は決して和らぐことはなかった。」と述べている[76][77]。大戦中は従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、戦後に軍事評論家となったハンソン・ボールドウィンは桜花は人間が誘導装置となった誘導対艦ミサイルであって、戦後にミサイルの完成によって現実化した水上艦艇に対する脅威を予見したものになったと指摘している[78]。
第二次大戦を通じて主にソ連で対ドイツ東部戦線用に使用されたアメリカ合衆国陸軍の戦闘機。第二次大戦初頭は太平洋戦線でも使用されたが、あまり性能が芳しくなかったため、当時連合国でアメリカによって行われていたレンド・リースに大半が出され、ソ連へ貸出(という名の押し付けのようなもの)が行われていたが、ソ連兵にはかなり好評だった。その形状から、帝国陸海軍搭乗員には「カツオブシ」と呼ばれた。
太平洋戦争を通じて使用された、大日本帝国海軍の艦上攻撃機[80]。戦艦アリゾナなどを雷撃して大爆発させた。現在使用されていた実機は残っていないが、忠実に再現してエンジンを搭載し飛行可能なレプリカが一機存在する。
太平洋戦争を通じて使用された、大日本帝国海軍の水上偵察機[81]。零式小型水上機(主に零式小型水上偵察機と呼ばれた)との対比から、主に零式三座水上偵察機と呼ばれた。
太平洋戦争を通じて使用されたアメリカ合衆国陸軍の戦闘機。日本軍には戦いやすいことでペロハチと呼ばれていたが、のちに一撃離脱戦法が徹底されるようになると、双胴で当てにくいことも手伝って、双胴の悪魔と呼ばれるようになり、さらには山本五十六元帥と宇垣纏らがの乗った2機の一式陸攻を襲撃し、山本搭乗機を撃墜、宇垣搭乗機を不時着させた。映画中では景浦が2機撃墜しているシーンがある。現在でも十数機が現存しており、うち七機は飛行可能である。近年、現存最古になると思われる1941年製のP-38が、イギリス北ウェールズの海岸に埋もれている状態で発見された。
最優秀レシプロ戦闘機と評されることもある、太平洋戦争末期に使用されたアメリカ合衆国陸軍の戦闘機。B-29重爆撃機が日本本土を空襲しにきたときに、護衛戦闘機として付随してきた。優秀な戦闘機として有名だったが、乗員の腕によっては、日本軍機に軽く落とされるときもままあった。映画中では、飛行訓練中の宮部と大石とあと一機に三機で襲いかかり、一機は宮部に素早く墜とされ、もう一機に宮部が狙われるが、宮部の追撃に集中するあまり背後の警戒が疎かになっていたところを大石機の体当たりで尾翼を破損、制御を失い墜落した。第二次大戦中の軍用機で一番多く現存し、飛行可能機が150機あまりもあり、改造などされてレースにも出場している。
太平洋戦争前中期に使用されたアメリカ合衆国海軍の雷撃機[注 15]。ミッドウェー海戦の際に、零戦に接近を察知され強襲され多数を撃墜されてしまい、魚雷は命中させられなかったが、このことが囮の役目を果たし、SBD艦爆隊による日本空母4隻の撃沈へと繋がった [82]。現在でも20機あまりが飛行可能な状態で現存している。
太平洋戦争を通じて使用された、アメリカ合衆国海軍の艦上爆撃機。九九艦爆と同世代にもかかわらず、開戦直後の改良によって飛躍的に性能を上げた。また、主脚も九九艦爆と違って引き込み式主脚だった。ミッドウェー海戦の際、宮部ら零戦哨戒隊がTBD雷撃機隊と戦闘しているときに雲の間から空母を爆撃し、4隻の空母を撃沈せしめた[注 16]。現在でも数機が飛行可能な状態で現存している。
日中戦争から太平洋戦争を通じて使用された、大日本帝国海軍の艦上爆撃機。翼下に大型の固定脚を搭載しているが、その性能は欧米に劣らないものだった。作中の伊藤が真珠湾攻撃後に宮部と話しているシーンで、宮部の回想の中に自爆を決意して去っていく九九艦爆がある。飛行可能なレプリカが一機現存する。
太平洋戦争初頭まで使用されていた、アメリカ合衆国海軍の戦闘機。優れた能力は持ち合わせていなかったが、製造しやすかった為、アメリカの得意とする物量作戦に使われた。長谷川がチモール島のクーパン基地へ進出した際、生まれて初めて撃墜した米英戦闘機である。
太平洋戦争前半に使用されていた、アメリカ合衆国海軍の主力艦上戦闘機。日本海軍の搭乗員にグラマンと呼ばれていた機体の初代。作中では長谷川に何機か墜とされるが、中攻を護衛していた長谷川を撃ち、大怪我を負わせた。
太平洋戦争後期に使用された、アメリカ合衆国海軍の主力艦上戦闘機。F4F譲りのずんぐりした機体と重装甲はそのままであったが、F4Fより改良された大馬力のエンジンによりかなりの機動性を得、日本の搭乗員にはF4Fより遥かに手強い敵機となった。日本海軍の搭乗員にグラマンと呼ばれていた機体の二代目。
太平洋戦争中期から終戦後まで、アメリカ合衆国海兵隊でも使用されたアメリカ合衆国海軍の艦上戦闘機。重戦闘機であったため、陸上からよく使われており、戦闘爆撃機としてもよく使われていた。作中では、飛行訓練をしていた宮部・大石らに4機で襲いかかったが、大石が宮部との間に入ったことで、大石に大怪我を負わせられたものの宮部を撃墜し損ね、逆に宮部機に2機墜とされた。日本軍側の呼称・シコルスキーの由来は、F4Uの製造社であるヴォート社が、F4Uを開発後、戦時中の一時期だけシコルスキー社を編入していたことによる。
第二次大戦を通じて使用されたイギリス連合王国空軍の戦闘機。長谷川がチモール島のクーパン基地にいた際、ポートダーウィンの機体を撃墜していた。 詳細は テレビ東京 永遠の0公式サイト へ。
ミッドウェー海戦で撃沈された、大日本帝国海軍の主力航空母艦。もともとは天城型巡洋戦艦の2番艦であり、1番艦の天城とともに、ワシントン海軍軍縮会議の取り決めによって航空母艦に改装する予定であったが、赤城は呉海軍工廠、天城が横須賀海軍工廠と別れた後に、関東大震災が起きたことで天城が大破し破棄されたために、代わりとして同じく条約によって戦艦から標的艦にされかけていた加賀型戦艦1番艦の加賀が航空母艦に改装された。戦艦の船体をそのまま空母に改造したため、複雑な構造が特徴。宮部と伊藤が真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで乗艦していた。
アメリカ合衆国海軍の空母。エセックス級航空母艦[注 17] の6番艦だが、10番目に就役した。宮部が特攻した航空母艦。実際にも、1945年1月21日に台湾近海にて「神風特攻隊新高隊」の2機の零戦が命中し、格納庫の艦載機と搭載していた魚雷・爆弾が誘爆して沈没も懸念されたほどの深刻な損傷を被り、ディクシー・キーファー艦長を含む345名の死傷者が生じた。キーファーが自らも右手が砕かれるなどの重傷を負いながら、艦橋内にマットレスを敷いて横たわった状態で12時間もの間的確なダメージコントロールを指示し続け、沈没だけは免れたが、終戦直前まで戦線に復帰できなかった[83]。キーファーはアメリカ本国に治療のために送還されたが、療養中に『アマリロ・デイリー・ニュース』の取材に対して「日本のカミカゼは、通常の急降下爆撃や水平爆撃より4 - 5倍高い確率で命中している。」と答えている[84]。また、「通常攻撃機からの爆撃を回避するように操舵するのは難しくないが、舵を取りながら接近してくる特攻機から回避するように操舵するのは不可能である。」と特攻の戦術としての有効度の高さを評価している[83]。
なお、タイコンデロガに特攻した宮部を艦長が水葬に付したことと似たエピソードとしては、1945年4月11日に戦艦ミズーリに特攻し戦死した石野節雄二飛曹について、ミズーリの艦長であるウィリアム・キャラハン大佐(第三次ソロモン海戦で戦死したダニエル・J・キャラハン少将の弟)が「祖国のために命を投げうってその使命を敢行した勇敢な男には、名誉ある水葬をもって臨むべきである。死した兵士はもはや敵ではない。翌朝、勇者の葬儀を執り行う」と石野二飛曹を称賛し、異例ともいえる敵兵の水葬を行ったことがある。その際わざわざミズーリの水兵が手作りで作った旭日旗で石野二飛曹の遺体を覆い、礼砲まで撃って礼を尽くしている[85][86]。
赤城に乗艦するとある零戦搭乗員に、「アリゾナみてぇ、大爆発や〜!」と言わしめたほど、ひどく爆沈した戦艦。現在はアリゾナ記念館として着底した状態のまま保存されており、見学が可能。
特攻機がレーダーピケット艦(作中では「監視ライン」との記述)の駆逐艦に突入してくるため「空母の方向はこっちだ」といわんばかりの大きな矢印を甲板に描いた艦として作品中で紹介された。これは史実に準じており、実際にラフィーの乗組員の1名が、艦上に「Carriers This Way(空母はあちら)」という意味の矢印を書いた大きな看板を掲げた。しかしラフィーは菊水1号作戦で5機の特攻を受けて大破している[87]。フィリピンの戦い (1944-1945年)で特攻機により大損害を被ったアメリカ軍が特攻対策として、駆逐艦に大型のレーダーを搭載してレーダーピケット艦とし、空母部隊の周囲に配置してなるべく早く特攻機を発見できる体制を構築した[88]。このレーダーピケットラインは沖縄戦で効果を発揮し、空母部隊に接近する特攻機を減少させることに成功したが、レーダーピケット艦そのものが特攻機の目標となってしまい、多大な損害を被ることになった[89]。沖縄戦中にアメリカ海軍は駆逐艦16隻を沈められ、18隻が再起不能の損傷を受けて除籍される甚大な損害を被ったが[注 18]、文字通り自らを犠牲にして主力艦隊や輸送艦隊の損害を抑制した。その働きぶりはアメリカ海軍より「光輝ある我が海軍の歴史の中で、これほど微力な部隊が、これほど長い期間、これほど優秀な敵の攻撃を受けながら、これほど大きく全体のために寄与したことはない」と賞されている[90]。
レーダーピケット艦の損害をなくすため、アメリカ海軍はより有効な特攻対策を迫られることとなり、レーダーピケット艦が担っていた役割を、強力な機上レーダーを搭載した早期警戒機が担うこととなり、早期警戒機としてAN/APS-20早期警戒レーダーを搭載したTBM-3Wが開発され、データリンクシステムも1945年5月にはテストを終えて、1945年7月からエセックス級空母各艦に設置されていったが、本格的に運用する前に終戦となった。この特攻対策として開発された先進的なシステムは、その後もさらに洗練されて現在のアメリカ軍空母部隊にも受け継がれている[91]。
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